2014年12月22日月曜日

本日も撮影


もう今年も残り少ないですね。
今日から今年最後の撮影ウィークです。
飛び飛びですが、和菓子の最後の撮影をしています。
10月・11月・12月と、合計10日間の撮影です。
クリスマスシーズンにあんこや求肥とは面白いですね。

みなさん、よいクリスマスを!

ハルコ

2014年12月16日火曜日

近況報告


12月6日に父が急逝したため、帰省しておりました。
ブログを開始してからこんなに間を空けたのもはじめてです。
落ち着くまでは少し時間も必要なのと、年末なのにこれから京都と岩手への出張に加えて撮影まであり、なかなか時間がとれそうにありません。
間を置いて書こうと思いますが、しばし発信は不定期になります。

今後ともよろしくお願いいたします。
近況はFBで随時発信しております。
ハルコのfacebook

2014年12月5日金曜日

貝印のこと(プロローグ)

昨日のテレビ東京系「カンブリア宮殿」に、貝印の遠藤宏治社長が出演されました。
番組を観ながら、ハルコも関係していたプロジェクトのことを思い出していました。
今まで、ハルコが貝印関係の仕事はしていても、その経緯はブログに書いた事はありませんね。 遡ること2000年だから、もう14年も経ちます。


2001年2月17日、プロジェクトメンバーで岐阜県関市の貝印本社工場の見学

出版社に勤めている友人から、「貝印って知ってる?」と電話がありました。
「貝印? あぁ、カミソリ作っている会社でしょう」
こんな会話から、その後足掛け3年続く貝印のプロジェクトが発足したのでした。
このプロジェクトは、外部から大学のマーケティングの専門家の先生方と、出版社の友人が料理関係に強い人材ということで、ハルコともう一人が参加したのです。

貝印はその当時はカミソリ部門と調理器具部門、それに女性向けのビューティー部門に別れていました。業態縦断型で遠藤社長をリーダーとして、外部からは慶応大学の村田教授(当時)の門下生と料理の専門家を入れて、総勢60名の大プロジェクトがスタートしたのです。
その後ハルコが料理ばかりではなく、道具開発やマーケティングと、仕事の幅を広げていくきっかけとなったのです。
このプロジェクトに声をかけてくれた友人の安達君は、昨年不帰の人となりました。
彼が生きていれば、昨夜の「カンブリア宮殿」の放送は大変喜んでくれたでしょうね。
長い長い話になりそうなので、本日はプロローグのみ。

2014年12月4日木曜日

ミシュラン


昨日はキッチンステージのセミナー後、一緒に企画運営をしているメンバーとランチをとりながら、発表されたばかりの「2015年度版東京ミシュラン」の話をしていました。

年間におおよそ24人(重複の方もいます)の料理人さんに、キッチンステージへのメニュー提供とセミナーへの出演をお願をしています。
貝印が運営を開始してからも、延べ80人位の料理人さんと仕事をしてきましたが、その中には、ミシュランでの高い評価を受けている人も多くいます。

キッチンステージで一番重要なのは、美味しくて集客が出来ることです。
基本的にそういった料理人さんが中心になりますが、会場は百貨店の中にあるため、催事連動という場合もあるのです。
ミシュランのガイドブックで高い評価を得ている、と言うのは分かりやすいのですが、これもあまり集客とは関係はないようです。

毎年ミシュランのガイドブックは購入して参考にしていますが、来年のレストランセレクトはどうでしょうか?
本当に誰もが思う店が掲載(店の方針で)されていないと思うジャンルがあり、ミシュランも幾つかの評価基準のうちの一つですね。

※写真はイメージです。

2014年12月2日火曜日

グルメガイドブックと流行歌

たまにハルコもカラオケに行きます。
大体宴会した後に行くので酔っぱらっているのですが。
当然ながらハルコの持ち歌は、古い曲ばかりです。
新しい曲は、曲名と歌っている歌手名の区別すらつきません。

20数年前は、流行歌というと大体の人が知っている曲や歌手が多く、共通の話題になっていたもので、テレビをつけると何度も同じヒット曲が流れていたものです。
現代ににも年齢問わず広く聴かれている流行歌も無いわけでは無いですが、それは本当に一部ですね。
世代間で随分聴き方が違うようで、これもネット社会のせいでしょうか。


本年度のグルメガイドブックがたくさん発刊されましたが、これも20年以上前はそれなりに「ひとつの指標」だったのですが、「食べログ」をはじめとするネット評価が進んでくると、グルメガイドブックにかけられる費用や情報量からすべてを網羅するという事は事実上不可能になっています。
これは冒頭の流行歌と同じように、誰でも知っている(曲=店)と同じで、それぞれの好みで選択する店の幅が広がったとも言えるし、店のランキングは相当恣意的なチョイスとも言えて、絶対的な価値観を持たない(持てない)時代だと思うのです。

以前から外食グルメは2局化されてますが、グルメガイドという視点からですると、
「誰でも普通に行ける店」
「予約困難で普通には行けない店」
と、かなり大雑把ですが、ほどほどに安くて旨いと評価される店(大多数派)と、難易度が高い店の高い評価を好む層(少数派)に分かれていますね。
またこれは、料理の価格が高い安いというのとは違う次元で、面白い現象だと個人的には思います。

イタリア料理ブーム(俗に言うイタめし)の時代に、「ティラミス」というデザートが雑誌「HANAKO」から全国に広まったのは、流行歌の大ヒットと同じような意味があり、この時代にグルメという現象に入った層が、今一番のニッチな店の支持層だと思うのは間違いでしょうか。

2014年12月1日月曜日

鉄の日

12月1日は「映画の日」なので、映画について書こうと思ったのですが、今日は「鉄の日」でもあるのです。映画の日は映画も安く観られますが、「鉄の日」と言っても一般的にはあまり関心が無い日かもしれませんね。


1857年(安政4年)に、南部藩士大島高任が日本ではじめての高炉による製鉄に成功し、これを記念して日本鉄鋼連盟が1958年に制定したのです。
ハルコの生まれ故郷はこの日本で最初の高炉造られた所にあり、大橋鉱山から良質の鉄鉱石が採掘され、製鉄所の街として発達しました。
小学校の遠足にはこの橋野にある高炉跡の見学に行ったり、鉱山から製鉄所まで毎日トロッコ列車が走っており、子供の頃は線路に落ちた鉄鉱石を拾って遊んでいました。
ハルコの父親もそうですが、小学校の時のクラスメートの親の7割方が製鉄所に勤めていました。
鉄は普段から親しいもので、製鉄の過程で沢山の石炭コークスを使うのですが、その副産物で「練炭」が出来て、各家庭にはほとんどタダのような値段で配られていました。
製鉄所購買部という名前で、今で言うスーパーのような店もあり、その他に病院も製鉄所が経営し、釜石市の財政は製鉄所の法人税で潤い、今では信じれないかもしれませんが、豊かな街だったのです。
ハルコの産まれた頃は、人口9万に映画館が10数館ありました。高校の頃でも4館ほどあり、年間200本も映画に通ってましたが、現在は1館もありません。
うむ、何だか映画の日と鉄の日を結び付きました。

2014年11月28日金曜日

和菓子と麦飯


月末でバタバタですね。今年もあと1ヶ月! ふぅ~。

現在幾つかのレシピ本を同時進行で制作中です。
そのひとつが麦飯を中心にしたレシピ本ですが、1882年(明治15年)の11月29日は、その当時の海軍省医務局副長・高木兼寛が明治天皇に「麦食推進」の意見を上奏した日なのです。
高木兼寛はその当時国民病だった「脚気」を防ぐ方法として「麦」に着目したのです。
まだその当時は、脚気はビタミン不足から生じる、という研究も無い時代の話です。
その後高木は男爵になり、国民から「麦飯男爵」と慕われました。
高木は現在の慈恵医大病院を設立したのですが、現在制作中のレシピ本は、その慈恵医大から来年の1月に刊行>されます。

もうひとつ、先月から和菓子の撮影をしていますが、今日から土日を入れて3日間和菓子の撮影です。
こちらはまだ12月にも撮影が残っており、発刊は来年の3月頃でしょうか。

和菓子も麦飯も日本では古くからあるものですが、現在の視点で捉えると新鮮に感じますね。

2014年11月27日木曜日

みそFBオーブンしました。

昨日は大変寒い1日でしたが、その前の連休中日の暖かい日につい薄着で外出し、まんまと風邪を引いてしまったハルコです。本当に油断していたのですね。
事務所の近所の青山通りに国連大学本部があり、休日にファーマーズマーケットが出ていたので、ちょっと冷やかしに行きビールを飲んでいたら、鼻水が出て来て、「?」と思ったのですが時すでに遅く、風邪っぴきになりました。
このところ寒暖の差が激しいので、皆様もご用心ください。


さて、前に告知していた「みそFB」を昨日オープンしました。
おかげさまで1時間もしない内に「100いいね」が集まりました。
今後も、醗酵食品としても素晴らしい「みそ」の世界を発信していきます。
皆様、どうぞご支援をお願いいたします。

みそ健康づくり委員会FBページ

2014年11月21日金曜日

再びバター問題

今朝NHKの「あさイチ」を見ていたら、手作りのバターの作り方を紹介していました。またバターが高騰して、スーパーなどでも品薄で大変だ、ということはハルコも何回かブログで書いています。
番組で紹介していた作り方は、ペットボトルに牛乳(乳脂肪分のあるもの)やヨーグルトを入れて、10分以上ひたすら振り続けるのです。
これは大変な労力で、フードプロセッサーでも簡単に出来ますね。
遠心分離の理屈で、牛乳の脂肪分と水分(ホエー)に分離するだけで、バター作りの原理はそんなに難しいものではありません。


月曜日に釜石で企業の支援相談のアドバイスをしたのですが、その中に洋菓子店があり、やはりバターの話になりました。
年末のケーキ需要の繁忙期に、バターの割当が相当大変だという話を聞きました。
昨年の実績の、大体7〜8割がバターの数量だそうです。
これだとケーキも減産しないとならなくなり、さらにこのバターの品薄が来年まで続くと、同じく今年の実積の割り当てから、7〜8割減らされるというのです。
これは死活問題ですが、かと言ってマーガリンはトランス脂肪酸の問題もあるし、バターとマーガリンの混合(コンパウンドマーガリン)は、比率によってはバターよりも高いのだそうです。

何でもかんでも無闇にバターに依存するものも限界、という話をして、バターを使用しないスイーツ作りにもトライしてもらうことにしました。
以前小麦粉が高騰した時には米粉を使用した物が出てきて、米粉はそれなりに一般市民権を得たと思います。
これからは多面的に考えれらる人が生き残ると思うのです。

2014年11月20日木曜日

仮設食堂


釜石市の鵜住居湾

短い岩手出張から帰ってきました。
今回はこの数ヶ月に渡り、釜石市の加工メーカーや飲食店のコンテストに出展した方々のその後の支援事業のひとつで訪れたのでした。

その中で、飲食部門でコンテスト1位になった「ごはんやなごみ」の三浦さんの所に行きました。場所は釜石市の鵜住居(うのすまい)地区ですが、ここは大多数の家が津波で流された場所なのです。
ハルコの母親の生家のあった土地でもあり、叔母と従兄弟も犠牲になっており、親戚も多数仮設住宅に入居してます。
「ごはんやなごみ」さんも被害に遭われて、海岸から遠い場所の仮設商店として営業しているのですが、経営はなかなか厳しい状況です。
当初は仮設に住居している方々の食堂というスタートでしたが、長い仮設暮らしで生活費を切り詰めるため、安い定食とは言っても家族で来るとなると出費は大きいのです。
美味しい新鮮な帆立が自慢の店ですが、観光客が来るような場所でもなく、地元の方々や復興工事関係者が顧客です。
現在も少し注文でお弁当作りをしているそうですが、やはりなかなか来てもらえないので、こちらからの売り込みが必要だと結論付けましたが、高齢の三浦さんがどのくらいまでがんばれるか。

衆議院が解散選挙になりましたが、まもなく4年を迎える東日本大震災の被災地の片隅にも目配りをして欲しいものです。

2014年11月14日金曜日

昆布


11月15日は「昆布の日」です。
これは、1982年に日本昆布協会が「七五三」の祝いに昆布を食べて元気になって欲しい、と願いをかけて制定したものです。また、この時期はその年に収穫された昆布が、新米や新酒と同じように市場に出回り始めます。

一口に昆布と言っても、日本全体では昆布の消費に随分と差があります。
消費量が最大の県は年間一人当たり847gの富山県で、次いで岩手、高知、山形、青森、福井の順です。
富山が多いのは、江戸時代に昆布を蝦夷(北海道)から大阪に運んで来た北前船の中継地で、大量に昆布が富山に運び込まれていたせいですね。
昆布の食文化と言うと京都や大阪のイメージですが、意外に低く京都17位、大阪27位です。家庭でもじゃんじゃん昆布を使うと思ったのですが、そうでもないのですね。

昆布が採れず産地からも一番遠い沖縄は昆布の消費量が全国で13位と上位で、昆布を使った料理がたくさんあることで有名ですが、これは富山が関係しているのです。
富山と言えば薬売りが有名ですね。その薬売りが西まで販路を広げて薩摩まで商売に行っていますが、その頃沖縄(琉球)は薩摩に支配されており、琉球は中国からの漢方薬の輸入の中継地だっのです。
北前船は琉球に昆布を運び、帰りには漢方薬を持ち帰る、という仕組みでした。
しかし同じ昆布でも、ハルコの故郷岩手は消費量が第2位ですが、だしとしての認識は薄いですね。昆布巻きなど食べものという印象でした。

自分自身で昆布をだしとして使い始めたのは20年程前です。
それもオクサマが昆布の取材で大量にいただき、そのまま放置していたのですが、ある時に昆布でだしを取ってみたら、凄く旨くてびっくりしたのが最初です。
その後、昆布だしに興味が出てきて、日本料理屋さんの食べ歩きから、やがて分とく山の野崎洋光さんと、昆布と鰹節に熱湯を入れて1分でだしが取れる「だしポット」を開発したり、大阪の松前屋で「昆布の水塩」の開発をし、おまけに顧問にまでなったりと、昆布には縁が深いのです。

来週は岩手出張のため、ブログは小休止です。
FBからは毎日発信しております。
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2014年11月12日水曜日

フルーツEXPO

秋は果物の収穫時期ですが、今は1年中世界の果物や保存技術の発達で季節外れの果物もありますね。
このところ、我が家では毎朝が食卓に出ています。
いただきもので、そのまま食べたり生ハムと合わせていますが、やはりこのシーズンじゃないと食べられませんね。

食材の流行も繰り返しありますが、野菜が健康面で注目を浴びると、その反動かどうかはわかりませんが、今度は肉が注目されはじめましたね。
ただ以前と違うのは、さしが入った霜降り肉よりは、赤身のヘルシーなものや熟成したもの、と嗜好の変化は大きいです。


今、ハルコは果物に関心があります。
何でも甘みが強いものが主流になるかと思えば、今度は逆に甘みが少なく酸味の強いものが稀少になり、逆に求められたりしています。
今日はビックサイトでフルーツEXPOを見学して勉強します。

2014年11月11日火曜日

上海蟹到来!

昨日は今季初めての上海蟹を神保町の「新世界菜館」で堪能しました。
以下はハルコが中国で上海蟹を食べに行った時の再録です。


上海に上海蟹を食べに行ったのは年末でした。上海から蘇州の太湖方面へのツアーに参加したのです。この年は30数年ぶりの大寒波とやらで、普段は積雪の少ない地方ですが雪は降るは寒さも凄く、往生してしまいした。道路の方々でスリップした車があっちこちに転倒してました。

上海蟹は正確には「中国藻屑蟹」と呼ぶそうで、以前は「支那藻屑蟹」とも言われていました。淡水棲なので中国では「河蟹」や「清水蟹」とも呼ばれていますが、養殖の場所を見学すると、清水より泥水ですね。
上海で毎日料理を食べていると、水のせいか段々お腹が緩くなります。ハルコは淡水や田で養殖されている魚介類には、ちょっと弱いようです。

とても寒かったのですが、料理店へ行くと客が入った段階で暖房を入れるので、中々効かないのです。やっと暖房が効いて来た頃には、食事は終わり出て行く、という感じでフル厚着で食事をしていました。
また、紹興酒は普段から常温で飲んでいるので常温で頼むと、な…なんと! キンキンに冷えていました。
これは思わず笑ってしまいました。主義を変えて熱燗に!

まず、上海蟹自体は体を冷やすので、生姜や紹興酒と組み合わせて食べますが、中々体が温まらずに難儀しました(どうも、良い印象がないなぁ)。
まぁ、逆に思い出深い上海蟹探訪でした。

2014年11月10日月曜日

みそのFB、近日開店!

大分朝晩は寒くなってきましたね。温かな鍋ものや汁物が恋しい季節です。
そんな時に味付けには「みそ」をお使いになる方々も多いでしょう。
みそ汁、豚汁、みそ田楽、みそ漬け、みそ煮込みうどん、みそ鍋……と、みそを使った料理もたくさんありますね。
ところが、みそは塩分が多いというイメージで敬遠されがちですが、これは大きな誤解なのです。最近の色々な機関の研究でも、みその塩分は正しく使うと、免疫力を高めるというデータもあります。

このところ醗酵食品ブームですが、みそは発酵食品としてもベーシックな存在です。
今年の6月30日から試験的に「みそ健康づくり委員会」というFBグループを発信してきました。全国味噌工業協同組合連合会(なんだか固い名称ですが)の全国8ブロック・48組合(参加企業958社)も参加しています。
今月近々に全面オープンにしますので、ご覧になった方はぜひ「いいね」をポチしてご参加お願いたします。

2014年11月7日金曜日

TERIYAKI


 昨夜、11月6日に「TERIYAKI1周年&『ばかウマ』出版記念イベント」に参加しました。ハルコは後期メンバーからの参加で、残念ながら本には関わっておりません。

「TERIYAKI」は、堀江貴文さんプロデュースの、旨い店がわかるグルメアプリです。さまざまなジャンルの著名人がお勧めの店を紹介しています。
ハルコも参加しております。
なかなかこの手で利益を上げることは難しいとは思いますが、やはり情報発信としては重要ですね。
しかし、このところイベントやら地方での撮影等で投稿発信していませんでしたが、やっと少し時間が取れそうなので、書き溜めしようと思います。
みなさんも、TERIYAKIをよろしくお願いします。

旨い店が分かるグルメアプリ【テリヤキ】
http://teriyaki.me/

2014年11月6日木曜日

カスレ

以前、伊勢丹のキッチンステージで、ブラジル料理を提供しました。
そのメニューの中に、ブラジルの国民食と呼ばれる「フェジョアーダ」という料理があります。
「完全なフェジョアーダ」という意味のフェジョアーダ・コンプレタ(feijoada completa)とも称され、黒いフェイジャオン(隠元豆)と豚の脂身、豚や牛の干し肉または燻製肉、リングイッサという生ソーセージ、豚の耳や鼻、足、尾、皮などを、ニンニクと岩塩の塩味でじっくり煮込んだ料理です。
この料理をブラジル大使公邸で撮影していた時に、どこかで見たような料理だと思いました。豆と色々な肉やソーセージを煮込んだもの……「そうだ、カスレだ!」

カスレ(cassoulet)フランス南西部の豆料理で、やはり豚肉ソーセージや羊肉、ガチョウ肉、アヒル肉等と白インゲンマメを、料理の名前の由来にもなったカソール(cassole)と呼ばれる深い土鍋に入れ、長時間煮込んで作る豆のシチュー(キャセロール)なのですが、スペインやポルトガル(当然ブラジルはポルトガルから)、イタリアなどでも昔からありますね。


これも以前の話ですが、パリの5区にある「ラ・トリュフィエール(La Truffiere)に、パリで働いている修行中の料理人達と食べに行ったのです。
ムスタール街近くのトリュフが売りの店で、トリュフ料理を中心に頼み、メインに「カスレ」にしたのですが、まぁ、量が多い多い!
鍋からてんこ盛りに、これでもか!と乗っけて、少しでも皿に隙間が出来ると、更に盛ってくるのです。
「カスレのわんこそば状態や!」

その時に思ったのは、これは肉類の味を豆に移した料理なのだということです。
カスレは随分食べましたが、ここのカスレに比較出来る味には出会っていません。
今なら他の料理は食べず、カスレだけにするでしょう。

2014年11月5日水曜日

麦飯


こんな話をすると、ハルコはいったいいつの時代の人なの?と聞かれそうですが、「救荒食物」という言葉はご存知でしょうか?

これは、天候不順で作物が育たず飢饉になると、過酷な条件でも作物の生育が可能な物を代替とすることですが、日本の場合は、主食としての「米」があるからですね。
その代替作物は時代でも変わりますが、栗、稗、麦、蕎麦、黍の雑穀(本来は麦は主穀)から、海藻類等広範囲に渡ります。
以前話題になった昆虫類もある意味で救荒食ですね。

話は変わりますが、昨日11月4日は平民宰相と呼ばれた原敬が、東京駅で刺殺された日だったのです(1920年の出来事です)。
原敬は、前年に米不足を解消するために、米に麦を混ぜて食べることを奨励したのですが、第1次世界大戦で後の世界恐慌で、米価が下落して麦飯推進は後退したのです。

そんな麦ですが、現在この麦を中心にしたレシピ本を制作中なのです。
明治期に国民病とまで言われた「脚気」を麦飯で克服し、後に「麦飯男爵」と呼ばれた高木兼寛が創立した東京慈恵医大病院から、来年1月に発刊予定です。

2014年11月4日火曜日

一区切り

今年は何だか3連休が多いような気がしますが、どうでしょうか?
このところ、大阪で3連休を利用して撮影したり、3連休に伊勢丹や岩手関連のイベントセミナーがあったりと、ず~っと3連休は何かの仕事でちゃんと休んでいませんね。
この3連休も初日は上野の東博で国宝展を観ましたが、翌日月は伊勢丹のセミナーで立ち会いで休んではいませんね。


この3連休で長いプロジェクトは「一区切り」つきましたが、今月も月末を利用して撮影はあるし……と愚痴を言っていたら、「休もうと思えばいつでも休めるでしょう」と言われてしまいました。
まぁ、そうなんですけどね。
フリーになって独立して、自分で仕事をしだした頃からですが、自分に律していたことがあります。
それは、ちゃんと曜日を意識して規則正しい生活を心がけることでした。
確かに、勤め人ではないので自分で時間をやりくりすることは可能ですが、仕事は相手があることで、先方の予定に合わせることでもあるのです。

現在事務所は土日・祝日は休みですが、以前は忙しい時は、金曜日の夕方にデザイン用の原稿を持って来て、「これ、月曜の朝までにね。」と言って自分は呑みに行く、という編集者もおりました。
そんな生活を40年近くしておりましたが、そろそろ色々な意味で「一区切り」つける時が来たのかもしれませんね。

2014年10月29日水曜日

和菓子


いよいよ10月も押し迫りましたね。
今週は今日から3日間和菓子の撮影で、東京にいません。
と、言っても近県ですが。

年齢と共に甘い物が好きになりましたが、特に和菓子が好きなのです。
上品なものより、団子や饅頭、金鍔のような物の方が好きですね。
さて、今週はどんな和菓子に出会うでしょうか?
今週はブログは撮影のためにお休みです。

近況はFBで毎日発信しております。
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2014年10月28日火曜日

ホエイな問題

以前から一部で「水切りヨーグルト」というものが人気のようです。
ヨーグルトを濾布などに入れて、水分を切ってからヨーグルトを固めにして使用する調理法です。
水切りと言っていますが、この水が「ホエイ(ホエー)と呼ばれているものです。
生乳からチーズを製造する際には、チーズになるのが1割、残りがホエイになります。ホエイは日本語では「乳清」とも呼ばれています。


この「ホエイ」から乳脂肪分やカゼインを取り除き、蒸発させて粉状にすると、脱脂粉乳や生クリームの代替になります。
さらに、ホエイからリコッタチーズも作られるのです。
日本では以前は、このホエイは大量に廃棄されていたのですが、近頃は低脂肪で健康食品の元になったり、と注目されているのです。

さて、先週「バター高騰!」というブログを書きましたが、このホエイもTPPの成り行きで問題になっているのです。
現在日本で一番の生乳の生産地は北海道ですが、北海道では本州への生乳の流通を制限しています。その代わりにバター、チーズ、生クリームなど、加工製品を重点的に作っているわけです。
仮にTPPが締結され、安価な生乳やホエイが日本に流通されると、今まで暗黙の了解で北海道から流通していなかった、生乳やホエイが本州に来ます。
これによって、本州・四国・九州の酪農農家は連鎖的に打撃を受けるのです。
飼育資料の高騰、電気代等採算の取れる限度を超えてしまい、現在でも廃業している酪農家は多いですが、悪くすると壊滅してしまいます。

この数年で食用牛はブランド化が確立して、高価でも流通できるところも増えてきましたが、酪農生乳に関しては少量の流通ブランドを除くと心許ない状況です。
理想は六次産業化ですが、課題は多く前途多難です。

2014年10月27日月曜日

首を寝違えたシェフ

晴天の土曜日に、東銀座にある岩手県のパイロットショップ「いわて銀河プラザ」で岩手の食のセミナーを3回行いました。
これは昨年10月から企画に関係していた、岩手県の食と工芸を東京で発信するイベントの一環でした。
キッチンステージの小山料理長と掛け合いの30分ほどのミニセミナーで、岩手のわかめと干し椎茸を調理したものを、セミナーの参加者に試食していただいたのです。


用意に控え室に行くと、小山シェフが首に膏薬を貼っているではありませんか。
どうも寝違えたようで、相当痛そうでした。
こりゃ、困った!
開始まであと1時間しかありません。
ネットで首の寝違えの緊急処置法を探して、小山シェフに「まず、首の痛む側の腕を少しずつ後ろに引き上げて……」
iPadの画面を見ながら、「1、2、3……20手を替えて」と狭い控え室でトレーニングをしていましたが、なかなか痛みはとれません。
セミナー中も首が動かないので、ハルコと話す時は体ごと向いてくれるのですが、それがまるでロボットのようで、申し訳ないのですが笑ってしまいました。

セミナーも無事に終了して慰労会の食事をした後、さらに飲みに行ったのですが、相当呑んだようで、地下鉄の終電に飛び乗り(記憶が曖昧)、気がついたら降りる駅をはるかに超えた所で眼が覚めて、タクシーで戻るハメになった1日でした。

2014年10月24日金曜日

バター高騰!

週末は天気が良さそうですね。土曜日は10月の東京での岩手フェアの一環で、ハルコも銀座の「いわて銀河プラザ」でセミナーを行うので、天気が心配でしたがひと安心です。


今朝のニュースをチェックしていたら、バターが品薄というのが気になりました。
確か以前も同じような事がありましたね。
この問題は連鎖的で、乳牛の輸入のえさ代の高騰、将来安価な乳製品が国内に大量に出回る可能性があり、酪農農家が廃業し、原材料の生乳が不足して、バターの生産が減少……。
家庭用もそうですが、パンや菓子業界、レストランも大変ですね。

昨年も今年も幾度か、岩手の酪農家・酪農場に行く機会がありました。
色々な製品を見せていただいたのですが、バターが無かったのです。
「バターは作らないのですか?」と尋ねると、「バター自体を作るのは難しくないのですが、採算が取れないのです」とおっしゃっていました。

需要と供給の関係では求められているバターですが、根本的な問題のようで、何とか出来ないものかと考えてしまいます。
まずは個別の商品価値を高めるブランド化ですが、これも課題です。

2014年10月22日水曜日

シチリア料理への道


このところフランス料理のことを書いてますが、普段食べに行くのはフレンチよりも多分イタリアンの方が多いと思うのです。
今週月曜は「ドンチッチョ」へ食事に行きました。
シェフの石川勉さんには岩手関連のお願いで店にも頻繁に行っているのですが、お店に行くのは久しぶりでした。

最初にデザイナーとして勤めていた場所が西麻布だったので、交差点から六本木方向へ行く途中に「アントニオ」がありましたが、そんな高級店に入れる身分でもなく、いつも素通りしていました。
1958年に六本木に「アントニオ」が開店したのですが、その前には「キャンティ」や「ニコラス」がオープンしており、戦後の進駐軍の匂いがしますね。

そしてイタリアンの体験は、アルポルト(1983年)の片岡さんがシェフをしていた「マリーエ」辺りから始まり、「カピトリーノ」「ビザビ」「ラ・パタータ」「ヂーノ」「ミオ・ポスト」「リストランテ山崎」「トゥーリオ」「カルミネ」の頃で昭和が終わり、平成になって「イルボッカローネ」「ヴィノッキオ」「アクアパッツア」「オステリア」「ダノイ」「アロマフレスカ」……と、東京のイタリアンは全盛期を迎えるのです。幸いかどうかは判りませんが、1970年代後半からオープンした店にはほとんど行きました。

現在東京には沢山のイタリア料理店がありますが、今普通に食べているイタリアンが30年前にあったとしたら、きっと「名店」と呼ばれていたのではないかと思います。
日本のイタリアンは最初はイタリア全土の料理が中心で、北も中部も南も一緒くたでしたが、段々ローマ、ナポリ、フィレンツェ……と細分化されてきました。こんなにイタリア料理が地域別にあるのは、日本とアメリカくらいではないでしょうか。
広い範囲から狭い範囲に深くなってきたのは、最終的にカラブリア料理やシチリア料理の影響ではないかと思います。

12年程前に、イタリアの州別の料理本を企画しましたが、トップの石川勉さんの店は前の「トンマズィーノ」の時代。
今月はドンチッチョ8周年ですが、そろそろシチリア料理の本が作りたいなぁ。


2014年10月20日月曜日

百貨店催事

19日の日曜日は、朝から新宿伊勢丹本店キッチンステージで「銀座小十」の奥田透さんのセミナーを行いました。
三越伊勢丹で三越日本橋本店、銀座三越、伊勢丹新宿本店の3店舗で岩手県の食と工芸を主に取り上げた「JAPAN SENSES」の催事の一環で、キッチンステージでセミナーも行われたのです。

昨日10時45分からのセミナーの立ち会いをしながら、この1年を回想しておりました。
昨年の10月1日から3日間、「賛否両論」笠原さん、「オステリアルッカ」の桝谷さんのお二人を岩手県へ招待して、一関市から陸前高田市、大船渡市、宮古市、岩泉町、盛岡市、花巻市、遠野市と大変な距離を、産地生産者の方々を訪ねて廻りました。
この3日間の最中に、来年度(今年)の東京での岩手の催事発信を協議していたのです。
それから、何度岩手と東京を往復したでしょうか。

そして10月を迎え、11月4日まで岩手の催事を行いますが、1年経つのはあっと言う間ですね。今年も9月に5日間も岩手の食材探しの旅に出ておりましたが、随分前のような気がします。
始まるまでは大変ですが、始まってしまえば後は流れるに任せるしかないですね。
取りあえず、ほっとしております。
今回のプロジェクトには、三越伊勢丹、岩手県庁、貝印、催事に出演していただた料理人さんに、そして現地の生産者さんや企業の皆様と、たくさんの方々の協力で成り立っています。

特にこの企画の最初から関与していた、前任者の岩手県庁の皆様には感謝しても感謝きしれません。この場を借りて御礼申し上げます。本当にありがとうございました。

一区切り付いた所で、来年度の色々な企画もよろしくお願いいたします。

2014年10月16日木曜日

牡蠣の季節の到来!

昨日のブログ「料理名が読めない!」で、オクサマから“タユバン”→“タイユヴァン”と間違いの指摘がありました。訂正いたします。(ふぅ~~)

現在は1年中食べようと思うと“牡蠣”は食べられますが、やはり寒くなってからの食べ物というイメージはありますね。
以前、熊谷喜八さんと牡蠣談義をしていたら、「日本では11月から1月くらいが牡蠣のピークのように思われているけど、1年中で一番美味しいのは2月だよ」とおっしゃていました。

そして、話はまたフランス料理です。
一時、10年近く年末年始をフランスで過ごしていました(他の国でも過ごましたが)。
クリスマスが終わって、早ければ27日くらいからパリへ入るのですが、夕方の便で到着して直ぐにホテルで荷物を置いてか、街に出かけます。
目的は生牡蠣を食べに行くのです。
たいてい左岸に宿泊しているので、そのままサン・ジェルマン・デ・プレで、外にエカイユ(専門職の牡蠣あけ師)が寒い屋外で牡蠣を剥いているレストランを探すのです。
予約しないと入れない高級店もありますが、ふらっと入れる所がいいですね。
食べるのは、牡蠣ばかりではなく、蛤や海胆などの盛り合わせの“フリュドメール”(Fruits de mer )、これはたまりませんね。

メニュー(カルト)の中から好きなものを選びますが、エビ、カニ類は選ばすに、牡蠣(日本と同じ様な種類)にブロン牡蠣(平べったい)、海胆、巻貝、ハマグリ……。
牡蠣はメニューの中でも番号が書いてあります。最低はNo,5から最高はNo,000までランク付けされていて、等級で値段が随分違います。下のランクは1個30gで、ゼロが3つ付くと1個120gになります。
もうゼロ3つで国産高級松茸並の値段なので手が出ず、せいぜいNo,1、No,0までですが、これでも贅沢ですね(あぁ、昔のノート見ていたら0が3つ付くものも食べてました)。
シャンパン、白ワインとフリュドメール!
ある意味でフランス料理で一番好きかもしれません。


2014年10月15日水曜日

料理名が読めない!

台風一過、急に寒くなってきましたね。何だか、秋を飛び越して初冬な天気です。
先週は大阪へ出張やらで久々のブログです。


断片的なフランス料理の覚え書きの続きです。
初めてパリへ行った時は「フォアグラ」さえ読めなかったハルコですが、「これではいけない!」と思い、にわかにフランス語の勉強を始めたのでした。
最初はフランス語会話テープ(テープですぞ!)を購入して、毎日“ウォークマン”(ウォークマンですぞ!)で、「ボンジュール、メルシー……」とやっていたのですが、自慢じゃありませんが、語学の才能はゼロでした。
オクサマは、アテネフランセや日仏会館でフランス語を習得しているので、日常会話には全然困らないのですが、それでも何とかしたいと思い、せめてレストランでの会話やメニュー(カルト)を読めるように、ピンポイントの学習に切り替えました。

まず色々なメニューの読み方の本を買ってきて、毎日時間を作り没頭していました。
東京のフレンチレストランでも、メニューが読めるようにと練習もしたのです。たいていフランス語の下に日本語も書いてあるので安心です。
最後はフランスに行く飛行機の中で、料理名をぶつぶつと暗唱していたのです。

それにメニューが読める読めない以前に、自分が食べたいものを構成する知識が必要ですね。前菜でこれを頼むならメインはこれとか、または逆算してメインを決めてから、遡ってオーダーを決める。当然ながら「慣れる」ということが重要でした。
30年程前に、日本のグルメガイドの金字塔『グルマン』を参考にしながら、数多のレストランに出かけていたのです。

話はパリです。
3度目だと思いますが、この時からちゃんとフランス料理を勉強しようと、取りあえずパリのミシュランの3つ星を制覇すべく、第1日目の昼に「タイユヴァン」へ出かけたのですが、ハルコ、タイユヴァンのメニューを逆さまにして「読めない!」と逆上していたのです。

2014年10月10日金曜日

コロッケそば

ノーベル文学賞の発表、村上春樹さんはまた受賞を逃しましたね。
村上春樹ファンのことを「ハルキスト」と言うのだそうですが、これがハルコなら「ハルコスト」!? 何だかお手伝いが家事が嫌でストしているようですね。
なんてことを考えていたら、駅で定期が切れていたのに気づいて購入しようとしたら、機械が故障で待たされたり、明日の新幹線のチケットを購入しようとしたら、前の人が何だか揉めていて時間がかかったりと、今朝は余分な時間を費やしてしまいました。


そんなこんなで、駅の側にある立ち食いそば屋さんに入り、券売機で「コロッケそば」のチケットを買っていただきました。
ハルコストの皆さんならご存知だと思いますが、ハルコは大の「コロッケそば」好きなのです。立食いそば屋さんで見かければ、大体70%位の確立でコロッケそばをいただきます(写真は今朝)。
先日、FBで「蕎麦チャレンジ」という最初の人がそば屋へ行き、そこで食べたそばの写真とコメントを投稿するという企画で指名されて、老舗のそば屋さんへ行きましたが、本当は立ち食いそばにして、その中でコロッケそばに焦点を当てたかったくらいです。
未だにコロッケそばに偏見をもっている方も多いようですが、結構歴史や謂れもあるのものなのです。

立ち食いではなく、普通の蕎麦屋さんでもコロッケそばを出している店があるのです(有名な話ですが)。銀座七丁目にある「よし田」です。
よし田は明治38年(1898年)に日本で初めてコロッケそばを出したお店なのです(その当時は日本橋浜町で「吉田」)。
明治38年は進歩党と自由党が合同した憲政党が出来て、大隈重信首相に板垣退助内相の、初めての政党内閣の誕生した年でもあります。

よし田のコロッケそばは、コロッケといっても鶏のひき肉に山芋や卵、ネギを混ぜた塩味の唐揚げです。どちらかというと肉団子か“つみれ”という感じで、コロッケというイメージではありませんね。
フランス料理のクロケット(croquttes)が和食のそばと出会った、フュージョン料理のひとつだと思います。
現在のようなコロッケが一般化して、家庭でのお惣菜になるのは大正9年(1917年)頃でしょうか。この年に浅草の日本館(浅草オペラ)で紅華作「カフェーの夜」が上演されて、劇中歌「コロッケの歌」が大流行したのです。

まだ食してない方は、100年以上の歴史を持つコロッケそばを是非お試しあれ!

2014年10月9日木曜日

10月・東京いわて


昨日も朝から撮影やら打ち合わせで、終日バタバタしておりました。

いよいよ来週から、ハルコが昨年から取り組んでいた岩手関連のイベントが開始されます。
それに先駆けて、新宿伊勢丹キッチンステージでも「銀座小十」奥田料理長による、岩手県の食材を使用した取り組みが始まりました。
これを皮切りに、10月は東京で岩手県の食や工芸のイベントが目白押しです。
日本橋三越本店、銀座三越、新宿伊勢丹本店で、10月15日(水)から10月28日(火)まで「ISETAN MITSUKOSHI JAPAN SENSEES」が3店舗同時に開催され、東北や和食がフィーチャーされますが、メインは岩手です。
また、キッチンステージでは「銀座小十」に続き、岩手フレンチ「ロレオール」伊藤シェフの取り組みが10月22 日(水)から11月4日(火)まで開催され、岩手の食材を使ったメニュー提供も行います。
さらに10月25日は、東銀座の岩手県のパイロットショップ「いわて銀河プラザ」でキッチンステージ小山料理長とハルコの2人で、午後から3回・30分程のミニセミナーと試食提供のイベントを行います。
こちらは事前予約の必要はなく、どなたでも参加できます。
さらにアンケートにお答えいただくと、楽しい岩手のキャラクタ-グッズをプレゼントいたします。

是非、10月は東京で岩手を満喫してください。

2014年10月7日火曜日

深夜食堂

マンガ読書歴50数年のハルコです。
えっ、そんなもの自慢にならないって? 失礼しました。
最近の若い方々は、マンガなんて読まない人も多いようですね。


テレビドラマでもご存知の、『深夜食堂』のシーズン3がまた始まるそうです。
これは、元々『ビッグコミックオリジナル』連載の阿部夜郎さん作の人気マンガで、第1話から愛読しております。
テレビドラマの深夜食堂のセットも凝りに凝っていて凄いのですが、これが来年の1月31日に映画版として公開されるというではないですか。

わが家は元々夕食時間が遅く、大体20~21時くらいが晩ご飯タイムです。
これも外食の時間帯ですが、入稿や校了などの仕事の都合で、どうしても遅くなることが多々あります。
そうすると時間はもう22時過ぎになり、普通の料理店はラストオーダーも過ぎて閉店となっています。
そうなるとここからが大変でm場所や時間と制約の中での店探しが始まります。
一番手頃なのは、事務所のそばの「甚六」ですが、やはり連続は飽きるので、自宅に向う方角の神保町、神楽坂、巣鴨となりますが、深夜食堂を探しながら深夜徘徊するのです。焼肉屋さん、ラーメン屋さん、居酒屋と出来れば避けたい深夜食堂です。

2014年10月6日月曜日

食のコンテスト

今朝は新宿伊勢丹キッチンステージのセミナーがありましたが、首都圏に台風直撃で、セミナー参加の方々は半数の方々はご来場されまでんでした。
来場者の方にお話をお聞きすると、やはりご家族から「こんな日に出かけなくても」と、言われたそうです。


ハルコは今年になってから、何度も釜石市へ出張しました。
案件は複数あったのですが、その中の一つが「第3回 おいしい釜石コンテスト」というイベントの関係です。釜石市内のお土産業者や飲食店から参加をを募り、地域の食発信のための事業なのです。
そのコンテストが土曜日にありました。
参加された事業者さんが、実際に会場で簡易店舗を作り来場者の皆さんの投票で優勝者を決定するという趣旨で、ハルコは審査委員長という形でイベントに参加したのです。
当日は上天気で秋にしては汗ばむような気温でしたが、土曜日のため市内で他にも色々なイベントが4つも分散されて行われており、集客はもう一歩でした。
釜石港にほど近い会場で、震災津波で失われている魚市場の仮設場所で行われたのですが、港近くに従姉妹が住んでおり、会場に来ないかと電話した所、すでに会場で秋刀魚焼きの列に並んでいるというので会いに行きました。
地元でやるイベントにはこんなおまけも付いてくるのですね。

さて、コンテストは無事に終了したのですが、果たしてこれが「地域の食の振興に本当に役に立つのか?」ということを考えさせられました。
同じ様なイベントが多く行われており、それが何のためのものなのかが不明になっていることです。
多くの行政機関がそれぞれの立場で発信しておりますが、それらを束ねて発信する必要性を以前から感じていました。
集中と選択で、ブレークスルー。これしか無いですね。
関係各位のみなさま、よろしくお願いいたします。

2014年10月3日金曜日

ハルコ、フランスの食文化を学ぶ

現在、渋谷のヴァンセーヌはありませんが、ハルコにとってはここがフランス料理を学ぶ教室でした。これも、もう30年以上前の話ですね。

コントラート・ローレンツの「刷り込み理論」ではないのですが、フランス料理に目覚めたハルコには、酒井一之師匠が絶対だったのです。
頻繁にレストランに行くうちに、今度はプライベートでもお付き合いするようになりました。これも今は無い高田の馬場のバー(スナック)で、夜な夜な酒井さんを交えてカードゲームをしたり、食事をしたり、終いには一緒に香港旅行までしたのです。


酒井さんからはフランス料理のことばかりではなく、フランスに行く前の放蕩な話から、フランスでの仕事や交流と、食を通じての文化まで幅広く教えてもらったのです。
レストランに行った時に、「カッコ良く“チップ”を渡す方法」の話などは、どんな本を読んでも出てこない、それこそ短編小説が書けるような面白い内容だったのです。
それをヴァンセーヌで、食後にカルヴァドスを1本空けながら、楽しそうに話してくださいました。
ハルコは、料理だけではなくフランスの文化まで、酒井さんの幅広い知識と体験聞いて学んだのです。

さて、いよいよ本場フランスへ、料理を約10年に渡り食べに行く時が来ました。
(どこまでか判りませんが、ダラダラ続きます)

2014年10月2日木曜日

ハルコ、フランス料理の師匠に出会う

このところ、備忘録替わりにブログでメモのようなものを書いています。
前回は、バルセロナからパリへ戻ってきたところまででしたね。

2回目のパリから本格的にフランス料理へのめり込んでゆくのですが、どうも過去に遡って思い出そうとすると記憶が曖昧なので、もう少調べてみます。

その前に、日本での助走段階があったのです。
食べ仲間で遊び仲間だった今は亡き友人が、中近東での取材の帰りの機中で、一人の日本人と隣り合わせになったそうです。
友人はフリーのジャーナリストで、隣の日本人に色々と話しを聞いてみたら、ヨーロッパで長年ヨーロッパで修行をして、日本へ戻り新しいフランスレストランを開くというので、一度食べに行きますと約束したそうです。

その日本人シェフとは、1966年デンマークからスタートしてフランスのホテルムーリスなどを経て、最後はホテル・メルリアン・パリのスーシェフを勤め、1980年に帰国し渋谷に「ヴァンセーヌ」を開いた酒井一之さんだったのです。
そして、渋谷のヴァンセーヌに初めて行き、ここでハルコはフランス料理と食文化への導き手に出会うのですが、また次回へ続きます。

明日から岩手県の沿岸・釜石で開催される「第3回おいしい釜石コンテスト」の審査委員長を努めるため、ブログはお休みです。

近況はFBから随時発信しております。
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2014年10月1日水曜日

いわてのイベント、盛況でした。


昨日は岩本町カイハウスにて「いわての食のミニ商談会 at Kai Hosue」のイベントを行いました。
このイベントは、8月の暑い最中の岩手県の生産者さん廻り5日間から始まりました。
生産者さんの場所がみな遠く離れた場所にあり、1日8時間で廻れるのは3カ所ほどで、一日中県の公用車の中で過ごしました。

そして、会場になる貝印カイハウスとの協力交渉と、今回はレストランで提供するコースイメージでそれぞれの料理を出したいので、同じ岩手県出身の「ドンチッチョ」の石川勉シェフと「ガンヴィーノ」の遠藤悟シェフに協力を要請。
岩手県盛岡広域振興局と連絡を取りながら、当日出してもらう食材の相談を何度か繰り返し、内容が決まったのが開催1週間前。
メインは石川・遠藤両氏にお願いしたのですが、その他野菜や果物を使った料理は、貝印が運営している伊勢丹キッチンステージの仲間の木村伸子先生と山内千夏先生に依頼しました。
その他集客をするために名簿作成と呼びかけを行いましたが、今回はシェフ、料理研究家、バイヤー、マスコミ関係の方々へ、電話、メール、FBメッセージ、郵送……。
この段階が一番大変でした。途中大阪で4日間撮影があったり、参加不参加の確認が取れなかったりとバタバタでした。
想定集客数は120名で、当日に関係者が会場にいる数を引いて約100名くらいと予想しましたが、名刺をいただいた数が95名とまずまずの数だと思います。

忙しい中、時間を割いて参加していただいた皆様には深く感謝いたします。

たくさんの料理人さんにご来場していただきましたが、ここに掲載した写真は料理界のスーパースターばかり。
「分とく山」野崎さん、「ジーテン」吉田さん、「ドンチッチョ」石川さん、「トトキ」十時さん、「アクアパッツア」日高さん……。
よく考えると、この方々はハルコが雑誌連載していた時に、修行取材で登場してくださった料理人さん達でした。
和洋中の料理人さんは、岩手の食材の応援をしてくださっている方々です。
生産者さんと食のプロのコミニュケーションをも目的としたミニ商談会は、盛況の内に無事終了しました。

10月はハルコの地元・釜石の「食コンテスト」で金曜から出掛けたり、三越、伊勢丹3店舗での岩手フェア、それと同時に伊勢丹キッチンステージで「銀座小十」奥田さん、「ロレオール」伊藤さんによる岩手の食材と工芸のコラボが4週間開催と目白押しです。
さらに25日には、連動企画で東銀座の「いわて銀河プラザ」で岩手の食のセミナーも開催します。
今年の秋の収穫の時期に、こんなに岩手関連イベントが実行出来るのは素晴らしいことです。これも、来年に続くプレリュードとなりますように。

来年は地元食材を使った食の開発をしたいと思うハルコでした。
(関係者のみなさまよろしくお願いいたします)

2014年9月29日月曜日

岩手の食イベント

慌ただしい月曜です。
早朝から伊勢丹キッチンステージで「リストランテホンダ」の本多哲也シェフのセミナーに立ち会い、途中から抜けて明日開催する貝印での「いわて食のミニ商談会 at Kai House」の準備です。

8月の上旬に岩手の生産者の方々を訪問してから約2ヶ月。小さなイベントですが、今回は岩手から12の生産者さんが東京に終結し、首都圏を中心にしたシェフや料理研究家、バイヤー、フード関係のマスコミの方々をご招待して開催いたします。
不肖ハルコ目が今回の企画プロデュースを努めます。
昨年の7月に岩手県の産業創造アドバイザーに就任してから、一番大きな企画です。


さらに、10月からは三越伊勢丹の「JAPAN  SENSES:」が開催されますが、これも岩手県を大きく取り上げたイベントになります。
こちらも昨年から企画交渉していたのもで、キッチンステージでも「銀座小十」奥田料理長、「ロレオール」伊藤シェフと4週間に渡り展開いたします。
その最中にさらに、東銀座「銀河プラザ」で三越伊勢丹と連動した岩手の食のイベントセミナーも開催いたします。
皆様どうぞよろしくお願いいたします。

2014年9月26日金曜日

イチジク一気喰い!


昨晩の夕食はイチジクでした。
思うに、今までの人生で一度にこんなに大量のイチジクを食べた記憶はありません。
オクサマが>12種類のイチジクを取り寄せ、これに生ハムを添えて晩ご飯にしたのですが、イチジクでこんなにお腹が一杯になったのは初めてのことです。
以下はオクサマのFBからの転用です。

 届きました〜。バナーネ、ブランズウィック、カルフォルニア・ブラック、
 ホワイトゼノア、ロイヤルビニヤード、リサ、などなど12種類もの無花果。
 雨が降ると甘さが落ちるので、と天候と相談しながら手積みの無農薬製。
 ご縁あってオーダー叶い、無類の無花果好きは、
 本日ハムとワインで無花果テイスティングを堪能したいと思います。

大きさは小ぶりですが、中を見ると白っぽいものから深紅に近いものまで色々と楽しめ、基本は皮まで食べられるのでした。
最初は生ハムとイチジクを合わせて食べていたのですが、後半はバゲットにバターをたっぷり塗って、イチジクは丸齧りしながら、ワインで流し込みました。


イチジクは漢字で書くと「無花果」の字を当てていますが、花を咲かせずに実をつけるように見えることに由来していますね、
また「映日果」の当て字は、中世ペルシア語「アンジール」(anjīr)を当時の中国語で音写した「映日」に「果」を補足したものというのが通説となっているそうです。
元々ペルシャや中近東が原産国で、伝来当時の日本では「蓬莱柿(ほうらいし)」「南蛮柿(なんばんがき)」「唐柿(とうがき)」などと呼ばれていたそうです。

わが家にはまだ大量のイチジクが冷蔵庫にありますが、週末はどう食べようかしらん。

2014年9月25日木曜日

はじめてのパリ

先週末から4日間大阪で撮影で(実際は尼崎の塚口ですが、電話番号も06からでほぼ大阪圏)、昨日はくたびれ果てて自宅で静養しておりました。歳と共に現場での仕事は身体に堪えますね。

以前、フランス料理に関して自分自身の覚え書きとして、初めてのフランス料理体験を書きました。
では「本場フランス」で最初にフランス料理を食べたのは何時だったか?と思い、調べてみたところ、1986年の4月でした。元々は知人が募集した、バルセロナでガウディを研究するツアーで一緒に行ったのです。
団長は出雲の神主さんで、同行者は建築家、編集者、イラストレーター、デザイナーというメンバーでした。
ガウディのサグラダファミリアのように、「何百年にも渡り日本神社を作ることは可能か?」ということを神主さんが考えた、「神様ツアー」だったのです。
これも抱腹絶倒の話なので、いつか書きますね。



その当時は成田・モスクワ経由、シャルル・ド・ゴールから空港をオルリー空港に換え、バルセロナまで18時間くらいかかった記憶があります。
早朝にパリ・シャルル・ド・ゴール空港に着いてすぐ、バスでオルリー空港に移動したのですが、廻りはまだ薄暗く、初めてのパリ(というよりヨーロッパ自体が初めて)は…………。

バルセロナに1週間ばかり滞在し、帰りはパリ経由でした。その時に2泊というのが実質的な初めてのパリだったのですが、その時代の自分がいかにフランス料理に無知かを知ることになるのです。
なにせ、「foie gras」すら読めなかったのですから。
この項は、次回2度目のパリへ。

2014年9月24日水曜日

大阪撮影4日間

今月は病院発のレシピ本撮影のために、東京で4日、大阪で4日とずいぶん事務所を留守にしておりました。
大阪は毎日ホテルと病院の往復で、せっかく食い倒れの街にいるのに、あまり堪能できなかったのが残念でした。
昨夜遅く東京に戻りましたが、本日は疲れが出ているため半休にしています。


来週火曜日はカイハウスで岩手の食のイベントもあり、準備もまだまだ途中で、これも大変です。
10月4日にも審査をしている釜石で食コンテストの発表会があり、また出張です。
本当に今月はヘロヘロなハルコでした。

2014年9月19日金曜日

初めて食べたフランス料理は?

人間の記憶って、最初に受けたインパクトが後々まで残っているものですね。
最初に本格的なフランス料理に出会ったのは、40年前のことです。


当時のボス(左)とハルコ(右) 担当していた雑誌のページより。


オイルショックで日本中景気が悪くなり、デザインの勉強をしていても新卒なんか採用してもらえない時代の話です。
何とか苦労してデザイン事務所に潜りこむ事が出来ました。
アートディレクターのボスにデザイナーが一人の小さな事務所で、前の人が辞めるというので入れてもらったのですが、4ヶ月ほど先輩の元で下働きしてました。
その先輩がいよいよ辞めるとういう12月の晩に、3名で送別会をすることになり、事務所の近くに(その頃は霞町と言っていましたが、今の西麻布です)新しいフランス料理店が出来たので、連れて行かれたのです。
店の名前は「勝沼亭」で、マダムが山梨県勝沼町出身のため命名されたそうです。

今と違い、この西麻布の交差点の裏は店も少なく夜になると暗い場所で、12月で木枯らしが吹いていて余計に寂しい場所だったのです。
その時何を食べていたのかはうろ覚えですが、前菜、スープ、魚、肉、デザートで、肉はステーキだったはずです。
飲み物はボスがビールと言ったのですが、ハルコは生意気にも「“ロゼワイン”なんかどうですか?」と、二十歳そこそこの若造が言ったのです。
明日から先輩が抜けて、アシスタントはハルコのみで、かなり不安な思いで食べた初めてのフランス料理の思い出でした。

ハルコの入った事務所は、その頃『家庭画報』のデザインをしており、毎日毎日料理のページをレイアウトしているうちに、目だけは肥えていたのです。
その当時は、フランスから修行を終えた料理人がたくさん帰って来た時代で、街場のレストランが少しずつ増えてきた頃に、ハルコは遭遇し始めたのです。

土曜から4日間、撮影で出張のため、ブログはお休みします。
近況はFBから随時発信しております。
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2014年9月18日木曜日

ハルコと赤毛のアン

毎朝、NHKの朝ドラを楽しみにしています(それって年寄り?)。
あと2週間ほどで「花子とアン」は終了しますが、ハルコは一時期「赤毛のアン」
にはまっていた時期があるのです。


それは、1979年にフジテレビ系の「世界名作劇場」で1年間放送されたアニメ版の「赤毛のアン」がきっかけでした。監督は現在のスタジオジブリの高畑勳監督で、宮崎駿さんは作画スタッフとして入っていたのです。
1年間たっぷり楽しんでいたのですが、途中からL.M.モンゴメリの翻訳本を読み始め、文庫本のアンシリーズを晩年のアン・シャーリーが孫に囲まれるものまで読破しました。
その後、東京にカナダから来た劇団の「赤毛のアン」公演まで観に行き、カラオケでの定番はアニメの「赤毛のアン」の主題歌という始末……。

何だか「乙女心のオジさん」ってキモイ!?

2014年9月16日火曜日

ハルコ、フランス料理事始め

先週は撮影と連休でブログはお休みでした。こんなことではイカンと思いつつ、今週末まら始まる連休も、大阪方面へ撮影で4日間出張のため、またまたお休みしそうです。


事務所の資料棚に、買っていたけど読んでない本が多数あります。
丁度読みかけの本が無くなり、手に取ったのが2年前に発行された元オークラホテルの総料理長、根岸規雄氏の『ホテルオークラ総料理長の美食帖』
日本の美食の歴史について、久しぶりに読み耽ってしまいました。
当然ハルコは食べる側ですが、料理人さんも海外では同じ食べる側になっており、プロとして職業としての視点が面白いのです。

元々、日本の食文化ではないフランス料理が、日本に定着して行く過程で、真似から本物へと変身していく様は、今までに色々な料理人さんから沢山聞き及んでます。
初めてフランス料理を食べた20歳の頃から、40年の歳月が経ちましたが、そろそろ記憶が曖昧にならない内に、自分自身のために記録しておこうと思うのです。

以後、不定期で書いていこうと思います。
ハルコ