2013年4月30日火曜日

佐伯義勝「料理写真の世界」

連休の半ばですが、前半は仕事しているハルコです。

昨日、佐伯義勝先生の写真展用の写真集が届きました。
中をパラパラと見ていくうちに、涙が滲んできました。
写真の取り方が違うので、イマドキのカメラマンの写真ではないのです。
隅々までピントが来て、全体にクリアなのです。
時代は変わり、もうこのような写真の世界観ではなくなってしまいましたが、存在感の溢れる写真ばかりです。


家庭画報のデザインをしている事務所に入って仕事を始めた頃、毎月巻頭の料理写真は佐伯義勝先生でした。
毎日毎日、雑誌や書籍のレイアウトをして、届いた写真のポジ袋には「佐伯義勝」の名前がプリントされており、他のカメラマンとは格が違いました。
独立して南青山で小さな事務所兼住居を持ち、家庭画報の仕事をいただいていた頃、青山紀伊國屋に行きました。既知の家庭画報の編集者が大きな果物の籠を持っていたので、聞いてみたら「これから佐伯スタジオに行くの」
まだ若輩のハルコには佐伯先生は仰ぎ見る存在で、「やはり佐伯先生は凄いなぁ」と思ったのです。

そして、初めて佐伯スタジオに行ったのは、確かキリンビールの撮影でした。
先生が好きだと聞いていたケーキを、山ほど買い込んで出かけたのを昨日のように思い出します。
その後も随分、佐伯先生とは一緒にお仕事もしました。
今田美奈子さんの本を作る時、今田さんの「薔薇の館」に佐伯先生と数日間通いました。毎日甘い物漬けで、ついにある日「用がある」と言って、昼に近所のラーメン屋さんでラーメンと餃子とビールを飲んで帰り(今考えるとやんちゃでした)、スタジオの裏で爆睡!
その後、佐伯先生はことある毎に「後藤さんは、私の撮影に時に抜け出し、ラーメンとビールを食べに行って寝てたんですよ」と言っておられました。
どうも、佐伯先生も甘いのが続いて嫌になっていたのでしょうね。

写真展は5月3日より9日まで、東京ミッドタウンの「富士フィルムフォトサロン」で開催されます。
ミッドタウンや六本木ヒルズに遊びがてら、是非お時間のある方はご高覧お願いします。戦後日本のそのままの料理写真の歴史です。
大阪では、7月19日より御堂筋線本町駅「富士フィルムフォトサロン大阪」で巡回展があります。

2013年4月26日金曜日

理想の鮨めし

世間様は連休直前らしいのですが、ハルコは今年は暦以下で半分は仕事です。
昨夜は4月に開店したばかりの鮨屋さんへ出かけました。
さすがにネタは良く満足したのですが、ちょっぴり鮨めしに不満がありました。
というより、この所毎月行っている鮨屋さんを含めた話なのですが、鮨めしが本当に旨いと感じられないのですよ。
鮨屋さんは当然素材が良く、下ごしらえもしっかりしていて、握りの技術も良いのは値段に見合うものだと思いますが、鮨めしに関してはイマイチなのです。
ハルコは、鮨めしが旨い時はシャリだけもらって、それを“あて”にしてお酒を飲むのが大好きなのです。年に一回くらい、素晴らしい鮨めしに当たる時がありますが、この所出会っていませんね。


全国でも、鮨めしは随分味が違います。
すし飯の甘さ(砂糖の含有量)は、大阪を起点にすると京都は大阪よりさらに甘く、名古屋は大阪の半分の甘さで、静岡は名古屋より半分の甘さになり、東京はさらに半分の甘さにと、東へ行くほどドンドン甘味が下がっていく法則があるようです。
さらに、本当かどうかは判りませんが、同じ東京でも下町と山の手では甘さが違うと言う人もいますね。ハルコには判りませんが。

元々、関西と江戸の鮨の成り立ちが違うので、これは良いとか悪いという話ではないのです。
関西では元々、鮨は保存食として作られているので、保存に適している味付けになりますが、江戸前は即席で食べるので保存する必要はなく、甘くしないのです。

これを突き詰めていくと、原因は米の品質ではなく元々の乾燥方法にあるという説に行きあたります。
天日乾燥ではなく、人工的に乾燥した米の表面は微妙に糊化して、炊いた段階で表面に膜が張って酢などの調味料が入り難くなり、パサパサあるいは水っぽくなる……と、その筋の本に記載がありました。
それが本当かどうかはわからないのですが、何だか納得してしまう解釈です。

米の産地、ブランド、新米、古米に、温度等、その日に一番適した炊き方・酢めしの合わせ方をもっと研究していただきたいのです。
わが家では、炊きたてに飯尾醸造の「富士すし酢」を合わせて作る鮨めしが、ハルコの考える「理想の酢めし」に成るのですが……。

連休に入るため、ブログは不定期のお休みになります。
近況はfacebookで毎日発信しております。
よろしくお願いいたします。

ハルコのfacebook

2013年4月25日木曜日

竹輪の穴

スーパ−などで竹輪を見つけると、直ぐに買いたくなってしまいます。
ハルコは竹輪好きなのです。
昔は牛乳をパックごと飲む時に、竹輪をストロー替わりに使ってました(実話です)。


なぜ竹輪が好きなのか?と考えてみたのですが、どうもその穴に秘密がありそうです。
思いつくままに、中心が空洞の食べ物を思い出すと、まず誰もが思い出す第1位はドーナツでしょうね。

穴の空いた食品は大体3つに分類されます。
ひとつは、ドーナツやベーグルのように中心に熱が通りにくいものに、穴を開けることにより均一に熱が通るようにしたもの。
これは、進化の過程で生じたもので、ドーナツに関しては、1847年にアメリカのメイン州のハンソン・グレゴリーさんが考案したとか。

次に竹輪のように、真ん中に芯になる素材(この場合は竹)を置き、周辺に魚のすり身をなすり付けて、蒸すか焼くようにしたもの。バームクーヘンも作り方は竹輪と近いでしょう。

最後に、どうしようもない事情で中心が過失してしまったもの。
イカリングが代表的ですね。

しかし、せっかく空いている穴をどうも埋めたがるようで、竹輪は真ん中にチーズやら胡瓜を入れて食べますが、竹輪自身としては迷惑だと思います。
さらに、イカはせっかく大きな空洞があるのに、何だか自分と関係ない物を詰められて印籠詰めなんて、まったく大迷惑ですね。

そう考えると、ドーナツに詰め物はしませんね(あまり、自信はないですが)。
あんドーナツというのもありますが、あれはドーナツと呼んでも良いのでしょうか?
確かにドーナツ屋さんでは、真ん中に何か別の物を加えていてもドーナツと言っていますね。うむ、何だか判らなくなってきたぞ。
やはり、ドーナツの穴は「存在と理由」が哲学的ですね。

でも、ハルコは竹輪の竹付きのままに売っているのも好きですが、こうなると焼鳥業界との接点は…………。

2013年4月24日水曜日

ナムル

焼肉を食べに行くと、皆さんは肉以外に何をオーダーしますか?
キムチは頼むし、海苔好きのハルコとしては、韓国海苔なんかもお願いします。
そして、ナムルも必ず食べるのですが、ナムルってちょっと地味な存在ですね。

昨夜も神保町の三幸園でナムルを食べていました。
ハルコは以前からナムルに並々ならぬ感心があるのです。
結論から言うと、ナムルほど合理的な野菜(植物)摂取方法は無いと思っているのです。

ナムルと言えばビビンパプのつけ合わせなどのイメージが強く、あまり主役にはなり難いのですが、野菜の摂取方法としては優れているのです。
ナムルと言っても加熱したものばかりではなく、全然火を入れない調理法もあります。
ナムルを加熱する場合は“スㇰチュ(塾菜)と呼び、一般にナムルというときにはスㇰチュを指します。
そして“センチュ(生菜)は、まさにサラダそのものです。
例えば大根のセンチュは、大根の皮を剥いて千切りにし、塩で合えてしんなりさせてよく絞り、酢、胡麻、粉唐辛子に砂糖を加えると“ムンセンチュ”の完成です。

ハルコのナムル作りの先生はジョン・キョンファさんで、『料理王国』『日経おとなのOFF』でも修行したのです。
今でもキョンファ先生の教えを守り、わが家でナムルを食卓に乗せているのです。

週末は久しぶりに、ナムルを沢山作りましょうかね。
コムナムル(大豆)、コビナムル(ゼンマイ)、シグムチナムル(ほうれん草)、オイナムル(胡瓜)、カジナムル(茄子)……。

2013年4月23日火曜日

地ビールの日

朝テレビを観ていたら、今日は(たぶん)1年中で一番”暑くも寒くもない”過ごしやすい日だ、と言っておりました。
確かに湿気が無く良い天気です。こういう日は朝からビールでも飲みたくなりますね。えっ、ハルコだけだろうって?
えぇ、昼からビールを飲んでいる「ビールクズハルコ」ですが、朝からだと「スーパビールクズ」になりますね。


そんなわけで、今日は「地ビールの日」だそうです。日本地ビール協会が制定して、10周年らしいのです。
この日の謂れは1516年4月23日、ドイツ南部に位置していたバイエルン公国で発布された、ビールに関する法令「ビール純粋令」が始まりだそうです。
質の悪いビールが横行していることを憂いたバイエルン候によって、ビールの品質を高めるため、ビールの醸造や販売に関して細かく定められた日を、そのまま「地ビールの日」に持ってきたのです。

考えてみると、地ビールって地方でささやかに作っているものも、大手の酒造メーカーのものでも、基本はみんな地ビールですね。
海外へ行くと、その国のビールを飲む楽しみがあり、東南アジアに至っては生水が怖いので、四六時中ビールばかり飲んでいましたね。
フィリピン、タイ、ベトナム、中国、マレーシア、インドネシア、シンガポールと随分各国のビールにはお世話になりました。
そうそう、ロシアのビールもアルコール度数が高くて美味しいのです。ドイツやオーストリア、ベルギーなどのビールの本場も、当然美味いビールが沢山あります。
でも、何故かイタリアとフランスのビールは物足りない味でした。やはりワインの方が良いのでしょうか。
一度、北イタリアの町(ほとんどスイスの近く)で「ワイン祭」があるというので行ってみたら、皆さんポルカを踊りながら、ワインではなくビールを飲んでいたのを思い出しました。

あぁ、こんなことを書いていたら、無性にビールが飲みたくなってきました。
今晩はまず、「とりあえず」という銘柄のビールを飲もう!

2013年4月22日月曜日

続・雑誌大処分始末記

日曜は朝から4月とは思えない寒さでした。
この2年越しの懸案「雑誌大処分」を決行した顛末です。


朝から事務所の奥に眠っている、函から、書架から、紙袋から、隙間から、と雑誌の創刊号やバックナンバーを、ホコリまみれになりながら床に積み上げて行きました。
古いものは高校生の時に買った「anan」や、中学生の時の「ボーイライフ」の付録から、週間漫画の創刊号、女性誌、男性誌、趣味の雑誌、経済誌、科学誌……。考えられるジャンルのほとんどの雑誌を収集していたのです。
きちんと数えておりませんが、創刊号だけで600~800冊くらいはあるでしょう。

長じて出版の世界に入ってからも、ともかく雑誌が好きだったのです。雑誌創刊も30誌くらいは携わっていたと思います。
その過程でも、仕事のために雑誌をせっせ、せっせ、と買い集めていた上に、古書店を廻り珍しい雑誌も収集していました。
古書店以外にも、神社の境内で開かれる骨董市でも戦前や戦後の雑誌を捜しました。
その結果、もう事務所は雑誌の山、山、山……。
以前、事務所の引越しの際にも大英断(?)して処分したのですが、また増え続けてしまいました。

そして2年前の東日本大震災で、事務所の書架から本が飛び出して崩壊!
いくら好きで集めても、雑誌の下敷きにはなりたくない!と処分を決心して、不要なものの多くは資源ゴミにしたのですが、さすがに創刊号などはゴミに出すのが憚られていたのです。

ネットで雑誌の引き取り手を捜していたのですが、中々ヒットしませんでした。
しかし今回、ネット専門で雑誌中心の古書店をしている人を捜して、処分をお願いしたのです。
さすがに長年収集してきたので一抹の寂しさはありますね。どうしても何冊かは手放せないものもありました。
取りあえず、この2年間の課題がひとつ片付きました。
ヤレヤレ!

2013年4月19日金曜日

魚と肉の消費が逆転した日

普段のハルコの食事のイメージは、どうも皆さんが思うに、肉に偏重しているイメージがあるようです。
実は和食や鮨も好きで、家ではそんなに肉食をしているわけではありません。


今から35年前の1978年の4月18日(昨日ですね)に、水産庁が「漁業白書」の中で、「動物性タンパク質の消費の、水産物に締める割合が50%を下回った」と発表したのです。
平たく言うと、魚より肉の方がより食べられるようになり、逆転した年なんですね。

日本は海に囲まれており、古来から海産物を摂取していますが、天武天皇による「畜生の殺生禁断令」が天武3年(674年)に発せられ、明治5年(1872年)1月24日に明治天皇が「自ら膳宰に命じて」牛肉を試食するまで、1200年間も肉食の禁止が公には解除されていなかったのです。
つまり肉食が解禁になり、魚と消費が逆転するまで106年。ほぼ1世紀かかったのです。

以前、ハルコは女子栄養大学の『栄養と料理』の創刊50周年記念号(1985年)で、同誌が創刊された1935年からの「日本人の食生活の変化」の年表を作成しました。その編集のために調べていた時に、1日当たりの米の摂取量と動物性食品の摂取量の比較に着目しました。
戦時中のデータは無いのですが、1935年には米を一人当たり1日に400g摂取しているのに対し、動物性食品は70gなのです。つまり、米2合半に少しのおかずでご飯を食べていたのですね。
それが、1971年には米が300gを切り、替わりに動物性タンパク質の摂取が多くなり、米離れが進んだのです。
そして、この米飯の減少と同時に嗜好が魚から肉へと、わずか7年で劇的に変化してしまったのです。

TPPに日本も参加するようですが、農業ばかりではなく、水産、畜産と厳しい環境にあります。
これからの日本の食卓を考えると、目先の減反や助成金などではなく、根本的な日本人の食生活を歴史の中で、もう一度考えてみるべきだとハルコは思うのです(固い内容ですが、本当に憂いているのです)。

2013年4月18日木曜日

あなたをキャラクタ−にしてみませんか?

暖かくなったと思ったら、だんだん暑くなってきましたね。

ご存知のように、後藤晴彦は「お手伝いハルコ」という変名・偽名(?)でも活動しております。
この「お手伝いハルコ」のキャラも、創造してから10年以上経ちました。
雑誌の連載やこのブログでも、お手伝いハルコのキャラを使用しています。
取材等を受ける時に「肩書きはどうしますか?」と、よく聞かれます。
色々な仕事をしてはいるのですが、基本は皆様のお手伝いを自称しており、
「お手伝いハルコ」にして下さいと、お願いしています。

facebookも顔写真ではなく、ハルコキャラを使用していますが、最近よく友人・知人に「FB用の似顔絵を作ってくれ」と依頼されることが多くなりました。
ここに掲載しているのはその一部ですが、どうせ引き受けるなら、これも仕事にしてしまおうかと思いました。
意外にキャラ作りは大変なのですよ。
リアルにするのではなく、極力無駄な線は省略して何枚も下描きをし、スタッフのM嬢がイラストレーターで作成してくれるのです。

どうですか、皆様。
「あなたをキャラにしてみませんか?」

2013年4月17日水曜日

雑誌大処分!

ハルコには、「人は何故に「モノ」を収集するのか?」という、長年の疑問があります。
かく言うハルコも、しょうもないモノを随分集めてきました。
最初は楽しく集めていて、だんだん溜まってくると、集めたモノに意味を自分で付けて、蒐集品を「正当化」するのです。

しかし、ですよ!
これはその当人にとっては「宝モノ」なのですが、興味の無い第三者にとっては、単なる「邪魔なゴミ」なのです。


今まで長年かけて、収集していたわけではないのですが、自然に増えてしまうモノがあります。
その中でも厄介なのが、雑誌なのです。
現在、ハルコは事務所と自宅、新潟のセカンドハウスの3カ所に本を分散させていますが、もう収納の限度を超えているのです。
長年考えておりましたが、大決断をして雑誌を処分しようと思います。
雑誌の創刊号500冊に、諸々の雑誌のバックナンバー1000冊、と言っても数を数えたわけではないので、何冊あるかは不明です。
書架にして6架分くらいでしょうか。今日、業者さんが査定にきます。
この顛末はまたブログでご報告します。

2013年4月16日火曜日

紅生姜の天ぷら

最近ブログでは、嫌いな食べ物・苦手な食べ物を書きましたが、今回は逆に、かなり好きな物の話です。

毎年夏に谷中の全生庵で、三遊亭圓朝忌(8月11日命日)の「圓朝まつり」があります。ハルコはこれでも落語ファンでして、時間が許せば全生庵に出かけます。
穴子鮨で有名な「乃池」も、この「圓朝まつり」に出かけてから、全生庵の側なので通うようになったのです。
この「圓朝まつり」では、本堂で落語もありますが、目当ては境内で出ている沢山の屋台です。これは噺家さん自身が運営しているのです。
まぁ、噺家さん達なんで結構いい加減で、「ビール350円」の隣に「ビールの泡30円」なんて書いてあったりして。
一度、ファンだった三遊亭円丈さんが噺の台本を売っていたので、ご本人からサイン入りで買ったことがあります。

そこで、屋台で焼そばを見つけて買ったのですが、オクサマがその焼そばに文句を付けたのです。
「この写真はこんなに紅生姜が乗っているのに、少ないじゃないの!」
噺家さんをも脅すんですね、オクサマは。
実はオクサマもハルコも「紅生姜」が大好きなんです。
自宅で作る焼そばにも、すき焼きをした後の牛丼にも、冷やし中華にもたっぷりの紅生姜を入れるんです。


そんなハルコですが、先日立食いそばの「富士そば」“紅生姜のかき揚げそば”を見つけたんです。
ハルコはいつも「富士そば」では“コロッケそば”一筋だったのですが、思い切って“紅生姜かき揚げそば”を食べてみました。
最初はぴりっと辛いのですが、だんだんそばつゆと馴染んでくるとあまり辛く感じなくなり、ちょっと物足りない味ですね。
元々、紅生姜天ぷらは大阪が発祥らしく、最近東京でも見かけるようになったのでしょうか。やはり紅生姜の使い方としてはイマイチですね。たぶん汁物には合わないのでしょう。ぶっかけの様に汁けのない麺の方が合うのでは。
まぁ、冬の谷中か、その心は「しょうがねぇ!」
お後がよろしいようで。

2013年4月15日月曜日

えっ、東京ディズニーランド30周年!

本日は東京ディズニーランド(東京ディズニーリゾート)の開園30周年です。
30年ですよ! いや、早いもんですね……と、感慨にふけるハルコ。

初めて現在の東京ディズニーリゾートの場所に行ったのは、ディズニーランド開園のさらに10年前。
山本周五郎の『青べか物語』を読んで(もう、この本読む人も少ないかなぁ)、浦安に行ったのです。
元々百万坪とも呼ばれており、江戸時代から順次埋め立てが進んでいた場所で、現在の賑やかさに比べたら、うら寂れた漁師町でした。

その後、浦安にある友人の編集者の家が、東京ディズニーランドの開発で補償金が出て(実家は浦安の網元)、大きな家を建てたので遊びに行ったのですが、まぁ、何ということでしょう。
さすが網元の家、掘りごたつが何と、8メートルの長さで、上にはキラキラとシャンデリアが……。笑ってしまいました。


当時はまだハルコも若く、東京ディズニーランドが開園してから、何度も出かけました。オクサマはその頃、顔がドナルドダック似(?)で、写真を撮りましたが、いや若いですね(その後顔より、性格がドナルドダックだと判りました)。

それから、ハルコは生命保険会社の媒体誌の編集長になったのですが、その会社が東京ディズニーランドのオフィシャルスポンサーだったため、仕事で何度も出かけることになったのです。
しかし、通うのは運営会社のオリエンタルランド、同行者は広告代理店のオジさん達とアメリカ人(ディズニープロダクション)の偉い人で、会議は通訳付き。
会議後に、ビックサンダーマウンテン(これをスポンサーしたのです)に、秘密の入口から並ばずに先頭に乗り込み、雨風の中オジさん達がネクタイを風になびかせながら“ヒェ~~”と後ろから悲鳴をあげていたのを、まざまざと思い出しました。
ハルコの浦安物語でした。

2013年4月12日金曜日

縄文人の鮭好き?

出土した古い縄文土器の一部から、調理をしたと思われる痕跡が見つかったそうです。
調理した痕跡のある縄文土器が発掘されたのは、北海道と島根ですが、約1万1千~1万5千年前のものだそうです。ちょっとピンと来ませんね。

縄文土器の焦げ跡を分析した結果、魚の油分の劣化したと見られる脂肪酸が検出されています。川か海かは判らないのですが、深鍋の土器を300度近い高温にし、煮炊きした証拠と判断したそうです。
そして、煮炊きした魚はの可能性が高いのだとか。
うむ、縄文人の鮭好きは、現在の私たちまで連綿と続く日本人のDNAなのでしょうか。


以前、ハルコは「学研の図鑑」の制作に携わっていたことがあります。6冊ほど作ったのですが、その中の1冊に『遺跡・土器・石器』というのがあります。
図鑑の仕事は非常に時間と手間がかかるのですが、この図鑑もほぼ1年かかりました。
一緒に組んでいた編集者から、「今度はこのテーマだから、基礎的な書籍を読んでおくように」と、大量の資料を渡されます。

まず、総合監修の先生と個別の章の先生の元に出かけて、レクチャーを受けるので、先生達の大学の夏休み中が多いのです。
暑い最中クーラーの効いていない、カビ臭い研究室で「この石器は……」などの話を聞いて、帰ってからその話を元にページ構成のコンテを制作します。
それを翌日見てもらい、修正して、また新しい項目の話を聞くのですが、これが毎日、予習・復讐と小テストしているようですね。
子ども向けなのですが、まず、自分が理解出来ないと図形や図版の元が作れないので、大変時間がかかるのです。
こちらからの「この土器では何の料理を作っていたんですか?」という質問に、「推定では考えられるけど、確証が無いので図鑑には用途は書くことは出来ない」と答えられるのです。
これは、比較考古学と呼ばれる分野ですが、現在の科学的な測定器の発明で、やっと用途が判る時代になったと、感慨深く新聞の記事を読んだのです。
また、この頃から食や料理の起源を知りたくなって、自分で「レシピの考古学」と名付けた分野の研究をしたいと思っていたのでした。

2013年4月11日木曜日

すこびる辛い!

昨日のブログは、ハルコが辛いものが食べられなくなった話でしたが、今朝、新聞を見ていたら、新商品の紹介記事に目が行きました。
唐辛子の強烈な辛さを売りにするカップ焼そば「日清すこびる辛麺」というのが発売になるそうで。
記事の最後に「唐辛子の辛さを測るために、米国の学者が考案したといわれる。」
何か、曖昧!
ハルコは、以前からこの「すこびる」に深い関心があったのです。
少し解説をしてみます。

カレー屋さんのメニューやカレーのレトルト食品等に、よく3倍とか10倍辛い、という表示を見かけます。いったいどんな基準によって表示しているのでしょうか? ハルコは気になります。
通常の香辛料を1として、それをどんどん量を増やしているのですが、これはもう人が食べられる味の限界点を越しているものも多々あります。本当にあんなのを食べて平気なんでしょうかね、まったく。

塩分や糖分、アルコールには、厳密に濃度を計る基準がありますが、辛さにはあるのでしょうか?
はい。しっかりあるのですが、一般にはあまり知られていませんね。
辛さを計るにはまず、対象になる辛い素材を水で希釈します。それが、水に対して何倍まで辛み成分を「感じる」か、が辛さの基準になります。
えっ、何処で「感じる」のかって!? そりゃ「舌」ですよ。
そうなんです、人間の舌が測定基準なのです。


「トウガラシの文化誌」アマール・ナージ著/晶文社

辛さの単位「スコヴィル」は、アメリカの農業研究所のウィルバー・スコヴィル氏が最初に開発(?)したのです。
そんなことができるのかって?
人間の舌には、辛み成分カプサイシンを100万倍に希釈しても感じる能力があるのです。ちなみに一番辛いのはハバネーロで30万スコヴィル、日本の熊鷹唐辛子で12~15万スコヴィル。かなりのもんです。
基準が分かりにくいかもしれませんが、タバスコが3万~5万スコヴィルなので、これを基準にすると良いかもしれません。

ちなみに、現在はアメリカの香辛料協会(ASTA)が、高圧液体クロマトグラフという測定器を開発して、コンピュータで科学的な測定を行っています。
最初は、協会の名称であるASTAという単位を使用していたのですが、やはり馴染みのあるスコヴィルに戻ったそうです。

皆さんも、これから辛いものを食べる時には、「これは○○万スコヴィルだ!」と知ったかぶりしましょう。

と、いうお話でした。

2013年4月10日水曜日

いかにして、辛いものが喰えなくなったのか?

よく「コップの水が溢れるように……」という表現がありますね。
それまで平気だったものが、限界点(臨界点)を超えてダメになる。
食べ物も同様にコップの水が溢れた、というお話です。

ハルコは酸っぱいものは元よりダメなのですが、辛い料理は大好きでした。
ところが、ある時を境に苦手な味覚になったのです。
その日の事は、あまりの衝撃で今でも忘れられません。

20年以上も前のことです。
2度目のタイ旅行で、バンコックのオリエンタルホテルの宿泊しました。ホテルの経営しているレストランが、メナムチャオプラヤの反対側にあったので、船で渡りランチに出かけました。
タイ料理は大好きで、特に辛い料理には目がありませんでした。
どのくらい好きかというと、タイで一番辛いピッキーヌ(ネズミの糞という名の小さな青唐辛子)を、料理とは別に頼んでむさぼり喰っていたくらい好きでした。
オクサマはじめ皆様からは「ハルコの味覚はおかしいのでは!?」と、お褒めを(?)いただいた程なのです。

それが突然、コップの水が溢れたと言うか、ダムが決壊したというか、辛いものが
食べられくなったのです。

食べたら辛くて辛くて、息が出来ないくらい大変で、水を飲んだら逆効果。さらに辛みが増し、砂糖をもらってやっと口の中の炎症を抑えたのでした。
しかしそれは、オクサマ曰く「普通の味覚」になったのではないか、ということなのですが……。

確かに、その後は普通の人並みになったのですが、昨年第二のコップの水が溢れてしまいました。
お誘いを受けて「麻婆豆腐」を食べる会に参加したのですが、もういけません。
麻婆豆腐を一口食べた瞬間、頭の中に警報が鳴りはじめ「警告! 警告! 危険! 危険!」と辛いものが大洪水を起したのです。
大量のコーラで口の中を中和したのですが、2時間以上辛みが残っていました。
参加者の皆様は、辛いと言いながら美味しそうに召し上がっていましたが。
ついに、ハルコは人並み以下の辛みしか食べられない状態に。

歳と共に、味覚の幅が狭くなってきているのは確かです。
辛い物平気自慢の皆様、いつか突然、コップの水は溢れるのですよ。
ホッホッホ……。

2013年4月9日火曜日

オクサマの小言、ときどき説教。

今に始まった話ではないのですが、オクサマはハルコに日々小言なのです。まるで、落語の小言幸兵衛さんがご先祖様か!と考えてしましいます。


えっ、ハルコ、小言を言われるのは、自分が悪いのだろうって?
皆様のおっしゃる通りでございまして、同じ失敗の繰り返しなのですが。

「くしゃみをする時は、口に手を当てなさい」
「皿を目の前に持ってこないから、食べ物をこぼすのよ」
「ビールを注ぐ時は、最後まで瓶を見ていなさい」
「戸の開け閉めがうるさい」
「食べ方が汚い」
「背中が丸くなっているわよ」
「リュックは両肩にかけなさい」

あぁ、書いているだけで1日かかりそうです。
言っちゃなんですけれど、これでも随分直す所は直したんですが、オクサマの小言のタネは尽きませんね。

思うに、ハルコも歳と共に反応が鈍くなってきているのは事実です。
言葉が出てこない、すぐに物忘れをする……。特に、春は花粉症で頭の中にぼんやり霧がかかっているような季節です。
イチイチ小言に反論していると身が持たないので、聞こえない振りをすると、これが大変! 小言から「説教」に変わるのです。
説教が始まると、これが過去問の世界。
「何時の、何々の、なんとかの、なんとかはこうだった」
「だから、ハルコの何々の何々は、こうでダメなのよ」
「何で、私の言うことが聞けないの」……
小言で細部を詰め、説教で「不始末」の全体的な世界観が、ハルコの目の前に出現するのです。
……心ここに在らざれば、視えども見えず、聴くけども聞こえず、食えどもその味知らず……(四書五経・大学より)

2013年4月8日月曜日

鮨好きなイマドキな子供

土曜日の爆弾低気圧で、帰りはびしょびしょになりエラい目に遭いましたが、日曜は一転して、風は強くても良い天気でしたね。


伊勢丹のキッチンステージセミナーの後に、伊勢丹会館の寿司清にランチを食べに行ったのですが、やはり日曜で大変混雑しておりました。
順番待ちのため並んでいたのですが、ハルコの後ろは父親とまだ就学前の女の子の親子でした。
その親子が、寿司清の入口にある大きな写真入りのメニューを見て、何を食べようかと相談していたのが否応無しに聞こえてました。
何を食べようか、と真剣に話しているのですが、子供はどうもイクラ好きのようでしたが、写真メニューには載っていませんでした。ちらしには多少イクラも乗っているので、そ父親がそれにする?と聞くと、女の子は「イクラって高いんでしょう?」
「おお、けなげに親の懐を心配しているのか」と思っているうちに、ハルコは案内されてカウンターへ。
その親子もカンンターに座った後に、女の子と同年齢くらいの男の子二人を連れた別の家族4人もカウンターへ。
どうも、最近の子どもは寿司好きが多いようですね。
ハルコなんか自慢じゃありませんが、寿司なんて自分で稼ぐようになって初めて寿司屋の暖簾を潜ったクチで、イマドキの子供は……(なんて、年寄りじみてますね)。

子連れの家族二組はカウンターの角を挟んで座り、注文の仕方がどうも相手を意識しているようなオーダーで、子ども同士は相手をチラチラ見ているのです。
4人家族は子供のためにお子様ランチならぬ、お子様寿司セットをオーダー。
寿司清にはちゃんと、子供用に小さくした寿司セットがあるんですね。ちょっとうらやましいと思ったハルコです。
そうすると、親子二人は個別にお好みで「イクラ」「ウニ」……と。
いや、その女の子の勝ち誇った顔といったら……!

2013年4月5日金曜日

さて、今頃ふぐの話とは……。


ふぐの唐揚げ。

4月に入り、爆弾低気圧やら目まぐるしい天気ですね。
冬が去ると共に、冬でしか味わえない料理もまた、シーズンを待ち選びますね。
その冬の代表といったら“ふぐ”でしょうか。
えっ、季節も変わって、もう出回っていないふぐの話とは何だ、って!?
ごもっともです。ふぐといえば冬場のもので、遅くとも3月まででしょうか。
実は、今日4月5日は1949年(昭和24年)に東京都が「ふぐ取扱事業等取締条例」を制定した日であり、これによって、ふぐを出す料理人は試験を受けるという免許制度になったのです。
これが現在まで繋がって、都道府県単位で(無い県もありますが)、ふぐ調理師制度の始まりになったのです。

しかし、ふぐほど特別な食材は他にありませんね。命をかけてまで食べるのですから。
まず、ふぐの猛毒“テトロドトキシン”は解毒が解明されていない恐ろしいものです。ふぐ中毒での死亡の大半は、素人が調理して起きる事故です。
しかし、古来よりふぐは食通に愛されている食材で、平安時代には“ふく(布久)と呼ばれていたのが、関東で“ふぐ”と濁ったそうな。

ふぐ食が一般化したのは江戸時代からですね。
ふぐは町人の食べ物で、武士は絶対食してはいけないものだったのです。
武士が万が一、ふぐの食中毒で急死したら家禄没収、家名断絶の厳しい処置を受けたのです。
俳人松尾芭蕉は元々武士階級でしたが、侍の時はふぐは口にせず、侍を止めて俳人になった後は、もうふぐグルメになったとか。

 ふく汁や 鯛もあるのに 無分別

なんて、ふぐの句もたくさん残されていますね。

東京でふぐを食べられるまで、後半年の辛抱です。

2013年4月3日水曜日

レシピって翻訳!?


レシピの話の続きです。
ハルコは毎日毎日、レシピを見ない日はありません。この所、色々な料理人さんからのレシピを見ていますが、書き手によって千差万別です。
普段、料理雑誌や本で見ているレシピは、相当その筋の専門家が判りやすく手を入れたレシピなのです。

メモ程度の材料と簡単な作り方が送られてくることが多いのですが、これがまた、読めない。判じ物のような手書きで来られると、もう大変!
特に和食関係の方のレシピは、判じ物のような傾向が強く、読み難いですね。
また、使われている調理用語が、狭い範囲でしか使われていないものもあり、翻訳するのが大変です。
そうなんです、元レシピを翻訳しないと一般の方には読めないのです。

また、和洋中問わずですが、日本語の間にそれぞれの国の調理用語で書かれていることも多々あります。
例えば「ニンジンをトゥルナージュして……」なんて書かれていると、「“トゥルナージュ?”ああ、日本語で“面取り”かぁ。でも、今度は“面取り”を知らない人にはどう書けば良いのか!?」と、悩む訳です。
さらに、面取りが判っていても、どの程度の面取りにするか……など、どんどん袋小路に入っていき、まるでレシピの迷宮です。

一度、鍋のレシピを引き受けた事があります。それも、ロブションです。
最初は簡単だと思ったのですが、これが大変!
食材が特殊過ぎて日本では入手出来ないものが多く、そのまま書いてもレシピにならないのです。
これを代用しようとすると、今度は果たしてこのレシピで同じ味になるのか!と、更に頭を悩ませるハメに。
結局入手可能な物に置き換えましたが、まさにレシピの“超訳”ですね。

※明日4月4日のブログはお休みします。
近況は随時FBにて発信中です。
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2013年4月2日火曜日

レシピ通りに作って!

伊勢丹新宿本店、キッチンステージに関わって1年が過ぎましたが、中々難しい問題があります。
大体2週間ごとに料理人が替わり、提供する料理も替わるのですが、食べに来ていただいたお客様に「持ち帰りレシピ」なるものを出しているのです。


プロの料理人や料理研究家と相談して、提供レシピを考えるのですが、これが難しい!
貝印が運営していると言うこともあり、キッチンステージで召し上がった料理を家庭で再現してもらう、という趣旨なのですが、これが難しいのです。

ひとつは自分でも作れそうな料理を、ワザワザ食べにきてくれるのか?
そして、プロしか作れない料理のレシピを、持って帰っても意味があるのか?

難しいですね。本当にまったく。
この持ち帰りレシピは印刷しているので、入稿ギリギリまで校正をしています。
そして、料理人がこだわりのレシピを作るので、これをキッチンステージで再現するのが、また大変なのです。

キッチンステージのシェフ達は優秀なのですが、何せ2週間毎に和食、フレンチ、イタリアン、その他バラバラのジャンルの料理を作るのです。
その都度、レシピを提供してくれる料理人達と、レシピを見て再現し、レクチャーを受けて修正し、本番を迎えるのですが、これが大変なのです。
伝言ゲームのように、伝わってくるレシピがだんだん変わってくるのです。
当然、オリジナルレシピ通りにはするのですが、微妙に違ってきてしまいます。
(つづく)

2013年4月1日月曜日

うそつきな魚

新年度の月曜日。通勤の地下鉄の中にも新入学、新入社のような方を見かけました。
今日は言わずもがな「エープリルフール」ですね。ハルコはこの日くらいは“うそ”はつかないようにと思うのですが……。

四月馬鹿の起源は諸説ありますが、ハルコ的には1564年にフランスのシャルル9世が、従来のユリウス暦をグレゴリオ暦を採用し、それまでの新年を3月25日~(だいたい)から1月1日に変えた事に反発した市民が抗議して始まった、という説を推しております。


フランスでは、3月末に魚の産卵期に入って、4月からは禁漁になり、魚が釣れなかった漁師をからかうために、絵に描いたニセの魚を背中に貼付ける悪戯が、「プアソン・ダウリル(Poisson D'avril=4月の魚)の由来になったとも言われています。
そんな故事も、現在では魚の形をした菓子を食べる日に変わっているのは、スイーツ業界の陰謀でしょうか(笑)。

それとはまた違いますが、カソリックの「小斉」の金曜日は、キリストが十字架に張り付けにされた曜日なので、獣肉を避けて魚を食べるという習慣もありますね。
以前パリの魚専門のレストランへ、金曜日にワザワザ予約して行ったら満席だったのを覚えています。
さて、キリスト教徒ででもないハルコは、今晩は魚にするか、肉にするか……。