2012年8月31日金曜日

かつお節

かつお節削り器を3つ程持っています。
ハルコの理想の食事は、かつお節を毎日削り、昆布と一緒に合わせてだしを引き、それを元に料理することです。
では、普段からかつお節削り器を頻繁に使っているかというと、そうでもないのです。
使うのは気合いを入れて料理しようと思う時だけで、これじゃダメだと思っております。かつお節も日本橋のにんべんさんから本枯節の良いのを買ってきているのですが。


さて、このかつお節削り器ですが、どのくらいの需要があり、どのくらいの人が欲しているのでしょうか。
大量に使う日本料理のプロだって、逆に築地などで店に合う様な削り方で袋詰めで注文しているし、削り節はその場で香りが良い状態で削って出すだけですね。
神楽坂の「石かわ」が開店した当初は、石川さんが献立外で先付けに削節を出してくれた時代もありましたが、これが結構高めの値段でした。

実は、家庭用でさらに使い易い削節器を2年程考えては、中断しているのです。石川グループに相談をして「石かわ」「虎白」「蓮」の4料理長(石かわにも石川秀樹さんと別に料理長がいます)と研究会をしていたのですが、中々進まずに難儀しております。
どうしても、家庭で本当に需要があり、売れるという確証が持てずにいるのは、自分の発想視点が間違っているのかと悩むのですが、早く結論を出さないといけませんね。

2012年8月30日木曜日

ハルコの自由研究


子供たちの夏休みも終わりですね(一部まだの地域もありますが)。
最近「大人の自由研究」がブームだそうで、宿題や課題とは違い「自由研究」は自分で選んだテーマで自主的に行いますが、まぁハルコの仕事を考えると、仕事でもず~~っと自由研究しているような気がします。

さて、本来の自由研究ですが、ハルコは確か小学生の高学年(記憶が曖昧ですが)の夏休みに、日本歴史年表を作ったのです。
半紙で10数枚の長さに繋げ、日本史上の出来事を色分けした大作で、優に1週間ほどかかりました。その時は、義務ではなく本当に好きで、図書室から借りた本と親戚のオジさんの本を参考に調べました。
そこではじめて歴史の面白さを知ったのと、年表というひとつのジャンルに魅せられたのです。
ちなみに、この年表は担任の先生から皆の前で褒められたのでございます(ホホホ)。

長じて、仕事でも年表のある仕事は好きで、結局自分で調べて構成してしまうようになったのです。
いやはや、子どもの頃の自由研究って、案外大人になってからも尾を引いていますね。
※写真はハルコが大人になって作成した自由研究年表です。

2012年8月29日水曜日

千両みかん


何だか落語が聞きたい気分。
自分で分析するに、大分疲れが溜まっているんでしょうか。

前なら、疲れている時は秘蔵の「クレージーキャッツデラックス」というビデオを(それもβですよ)何も言わずに見ていると、オクサマも「あぁ、ハルコは疲れているんだわ」と察してくれました。
「クレージーキャッツデラックス」は、クレージーキャッツの映画の音楽部分のみを繋げたビデオで、確か大滝詠一が構成していました。
植木等の歌をボーッと聞いているうちに、何だか悩んでいるのがバカバカしくなる優れものでしたが、いつの間にか行方不明になってしまいました。

そこで、落語です。
丁度夏の噺なら「千両みかん」が好きです。
もう、30年も前になるのですが、先代(10代目)金原亭馬生さんの「千両みかん」を寄席で聞いていたのです。

噺は真夏の暑い盛り。大店の若旦那が病気で危ない。若旦那に何か欲しい物はないかと大旦那が聞いたところ「みかんが食べたい」
当然江戸時代に冷蔵庫なんかないのですが、番頭さんが大旦那に呼ばれ、倅のためになんとしてもみかんを捜してくるように、と申し付けます。
番頭さん江戸中を汗みずくになり、やっと探し当てましたが、これがみかん1個で千両!
大旦那は倅の命には替えられないと、みかんに千両を出します。
若旦那はみかん3房を食べて元気になり、番頭さんに「お前も食べなさい」と勧めたら、番頭さんそのみかんを持ち逃げして終わるのですが、馬生さんの高座は真に迫るものでした。

馬生さんは古今亭志ん生の長男で、酒しか飲まない生活で身体を壊していました。
これが最後の高座で、江戸落語では使いませんが、釈台によりかかり、はじめと終わりは緞帳が上げ下げしてました。

8月に馬生さんを観たのが最後で、翌9月13日に54歳の生涯を閉じたのです。
本当は、これの続きで「千両みかん」をパロディーにした、中島らも落語も超面白いのですが、お後がよろしいようで。

2012年8月28日火曜日

食のハルコ文庫

をテーマとして勉強しようと考えて、30年近くになります。
当然食関係の本は増え続けます。
食や料理に関することならノンジャンルで集めていたので、単行本だけでも相当の数になります。
ですが、さすがに全部読んでいる訳ではないので、たまに本棚を見ると「えっ、こんな本買っていたんだ!」と自分でもビックリします。

蔵書自体は事務所と自宅と新潟のダーチャに分散して、食関係は主に事務所に置いていますが、これも整理する必要を感じてます。
メインの資料棚は、一段に二重にして本を置いているので、奥に何があるか判らない状態です。
さらにこれとは別に料理雑誌ののバックナンバーもあるし、何とかせねば。



食の文庫と新書は一カ所に納めてますが、これでも400冊はあります。
文庫本の食の随筆コーナーを見るとやはり昔の人のは良いですね。
吉田健一、魯山人、谷崎潤一郎、檀一雄、内田百閒、篠田一士、開高健、荻昌引、邱永漢……。
あぁ、これを読み始めると整理がつかない。

分野別にちゃんと収まる日はくるのかしらん!

2012年8月27日月曜日

美味しいものを食べると不幸になる!?


暑い中、仕事の合間に今日のブログは何を書こうかと考えていました。
が、何も思いつかない!
どうも、暑いと脳もサボタージュするようで…。
そこで、今まで食べた料理で何が一番旨かったかを思い出そうとするのですが、これがまた、不味い食べ物しか出てこない。
やはり、暑いせいかしらん。

この歳になると、そうそう初めての料理や味には遭遇しませんね。
同じ物を食べていても、過去に食べたものとつい比較してしまいます。
「これより、あそこの○○は旨かった」とか、「これはまぁまぁだけど、○○に比べると残念だがイマイチ」なんてね。
ある時に、ハッと思ったのです。
「今、食べているものが最高の味なら、 これ以上の味は見つからないのでは?」
と、不安になりました。
最高に美味しいと思ったら、その後には不幸が行列を成しているのではないかと。

味覚の探求は、よりよい美味しいものに出会いたい、という欲望ですね。
ところが、最高に旨いものに出会うと、それ以上のものには出会えないと考えれば、不幸ではないでしょうか。
でもご心配なく。美味しいものは記憶が薄れてぼんやりしてきますが、不味いものは年を経ても不味さが増幅され、純化されていつまでも覚えているのです。

と、ハルコは考えているのですが、皆さんはどうでしょうか。

2012年8月24日金曜日

朝目覚める。
の隣にいる女性は妻である。妻にとって私はである。
名前を呼ばれる時は「ハルコ」で、私は「オクサマ」と呼ぶ。
世間は私達を夫婦と呼ぶが、当然若夫婦という年齢ではない。

今日は、朝早くから広尾の日赤病院で定期検査の日である。
地下鉄に乗車する私は乗客と呼ばれる。定期も更新したばかりで移動には差し支えないが、もしも「キセル」をしたら私は薩摩守只乗と呼ばれる。
地下鉄から出てタクシーに乗った私は、乗車客になり運転手さんに料金を支払う。

病院に入った私は、その時から患者IDカードを所有している外来患者になり、血液採取センターでは番号12で呼ばれて、試験管の名前の確認の時に「後藤晴彦」さんで確認してください。私に間違いありません。ここから私はドラキュラに血液を抜かれる気分のハルコ(独白)になる。
検査がの結果が出て予約時間まで間がある私は、首から呼び出し子機をぶら下げて、この病院の中では不審な人ではないことを装う善良な外来患者である。
が、その実体は写真のネタを捜してうろつく変なオジさんである。
問診がはじまり、担当主治医のH先生の元で私はあいも変わらず中性脂肪値の高い患者であり、この会話はほぼ10年変わらない。
会計を済ませて外に出た私は、外見から見て患者なのか見舞いの客なのか、はっきりしないので少し不安になる。

不安になった私はバスの乗客になり、渋谷へ向かう。
バスを降りて歩道を歩く歩行者になり、駅の中を通り、いつもの立ち食い蕎麦屋の客になって入る。
蕎麦を食べながら写真を撮る、店から見たら不審な客でである。
幸いにしてお金は事前に払っているので無銭飲食の客とは見られないが、やはり変なオジさんであることに変わりはない。


駅のキオスクでパスモで漫画雑誌を購入する漫画の好きな客になり、私は地下鉄の乗客になる。車内では先ほど購入した漫画を読む変なオジさんである。
地下鉄を降りて院外処方の薬をもらい薬局の客になり、また番号札を渡されて私は薬を待つ客になる。薬を貰い料金を払い客として薬局を出て、歩行者になり事務所に向かう。

事務所では社員から「後藤さん」と呼ばれる私だが、一応肩書きは社長である。
しかし、スタッフには「社長はおりますか?」という電話は一切取り次がない様に言ってある。

朝の数時間で私は幾つの立場になっていだのだろうか。
時々夢想する私でした。

2012年8月23日木曜日

豊村 薫さん 薫風料理

裏地桂子さんからのご紹介で、目黒の八雲にある料理作家で国際中医薬膳師の豊村薫(とよむら かおり)さんのスタジオに、一緒にご飯を食べに行きました。

薫(かおり)さんと呼ばせてください。すごくチャーミングで素敵な方でした。
薫さんは経済評論家・作家の邱永漢さんのご長男の奥様です。
邱永漢さんと言えば、超食通としても知られる方でした。ハルコも随分邱永漢さんの本を読みながら涎を垂らしたもんです。
邱家では専属のコックさんを雇い、毎日美味しい料理が出されていたそうです。そんな家に嫁ぐという希有な体験から、薫さんはどんどん中国料理をマスターしていったのです。
聞けば聞くほど面白そうな話がどんどん出てきますね。
そして、中国料理を会得しながら中医薬膳師の資格を持ち、ご自身で医食同源の中国料理に世界各国の料理のエッセンスを取入れた「薫風料理」を確立されたのです。

以前からハルコも「中医薬膳」には興味があります。
中国、韓国の時代劇ドラマには頻繁に薬膳等の食文化が登場します。
病気になって食べ物(薬膳)で回復をはかるという要素もありますが、やはり「未病(みびょう)」が本来の役目だと思います。
食べ物の知識を用いて家庭で毎日の食事を通じて病気を予防する。これからはもっと盛んになっても良いジャンルですね。
薫さんと何か面白いことをしたいですね。

豊村香織さんのHPはこちら。
薫風料理教室

2012年8月22日水曜日

加賀乙彦 『雲の都』

たまにはハルコも文学について書こうと思います(えっ、似合わないからやめろ? 余計なお世話です)。


加賀乙彦さんのライフワーク『雲の都』が完結しました。
自伝的小説『永遠の都』(新潮文庫全7巻)の続編として『雲の都』を書き続けられて27年。本当に膨大な量の自伝的小説です。
『雲の都』が4120枚、『永遠の都』が4854枚。まさにギネス物の大長編小説です。

なぜこの小説を取り上げたかというと、ハルコが編集長を務めている三越の最上級顧客情報誌『お帳場通信』で、加賀さんの対談をしたからなのです。
元々『お帳場通信』誌上では、早稲田大学名誉教授武田勝彦先生が三越や伊勢丹が小説に登場する個所を解説する連載をしておりました。
夏目漱石など沢山の文豪が出てくる面白い連載です。
そこで何回か加賀乙彦さんの『永遠の都』の回を連載し、最後に加賀乙彦さんとの対談をすることにしたのです。

そこからが大変!
なにせハルコが司会をするのですが、小説を読んだ事がありません。『永遠の都』と『雲の都』11冊を1ヶ月で読破する暴挙になりました。
あぁ、本当に義務で読む本は辛いですね。
各巻で文体が変わるのですが、まるまる1冊一人称の日記形式があったりと構成自体が波乱に富んでいるのです。
最初の1冊目は中々読み進めなかったのですが、2冊目からは推理小説的な展開にもなり、グングン読み進めて『雲の都』まで行きました。
東京を俯瞰しながら明治、大正、昭和と、時代が目まぐるしく変わる都市の歴史でもあるのです。

その最新刊にして最終巻が2冊同時に刊行されました。
今度は義務ではなく楽しみとして、これからゆっくり読みたいと思います。
(写真は手前右から加賀さん、武田先生に後列はハルコと三越の方々です)

2012年8月21日火曜日

適当な大きさ、とは。


この所、料理レシピで色々と考えてしいました。
伊勢丹のキッチンステージで使用する「持ち帰りレシピ」の校正をしているのですが、元々のレシピを考えているシェフや料理研究家のジャンルもマチマチで、統一が取れません。
また、基本は「キッチンステージで提供された味を自宅でも再現する」というコンセプトなのですが、これが難しいのです。
逆に考えると、「家庭で出来る料理をお金を出してまで外で食べたいか?」というジレンマに陥るのです。
 フレンチのシェフの、本当にこれは家庭で作れるのか?(だから、キッチンステージに来て食べる価値はあるのですが)という複雑なレシピでも、キッチンステージで毎回料理を作っている料理人チームのレシピと家庭用のレシピは統合しないとダメなのです。

ここに大きく問題が派生します。
それは、プロの料理人は調理の勉強をしてきているので、例えば20人分の素材に塩をする際に、全分量の○%の塩を当てる等となりますが、家庭の場合は4人前、2人前に塩を大さじ1とか、小さじ1という風にになります。
そうすると料理は同じですが、出来上がりは随分変わってしまいますね。
細かいレシピでも、ニンジンを長さ40mmの細切りに、なんてあると、もう厳密に40mmの長さにしないとダメなのです。
これも、最終的にはお客様から質問などがあった時に答えられる様に、厳密に数値化しておくと安心なのでしょう。
 しかし、料理レシピはファジーな要素があり、素材ひとつで調味料の分量だって変わります。

ハルコ的には「適当な長さに切って、塩梅よく味付けする」みたいなレシピが良いですね。
なぜなら「適当な大きさ」とは、昔の和食では決まったサイズがあったのです。
それは、切ったものの長さが口の左右で入る大きさなのです。この辺の知識がほとんど薄れて、厳密に数値化しないとどうしようもない時代なんですね。

2012年8月20日月曜日

ノブコとハルコ

昨日、今日と新宿伊勢丹キッチンステージで、脇屋友詞さんによるセミナーがありました。
今日で終了ですがセミナー自体も大盛況で、おかげさまでメニューは連日売り切れで、商品の販売数もかなりありました。
終了後に脇屋友詞さんと記念撮影しましたが、左にいらっしゃるのは料理研究家の木村伸子さんです。
実はこの3人には深いご縁があるのです。


話は10年以上前に遡ります。
脇屋友詞さんが、赤坂に現在の「wakiya一笑美茶樓」を開店して間もない頃です。
ハルコとオクサマが赤坂の脇屋さんの店で食事をしておりました。
その時にノブコさんが隣のテーブルにいたのです。ノブコさんはオクサマとは以前面識があったようですが、本人かどうか確認が出来なかったそうです。
こちらの二人の会話が「ハルコ」「オクサマ」と尋常ではない呼び方で、ノブコさん「ピーン!」と来たそうです。
ノブコさんは脇屋さんの所へ行き「あそこにいるのは……?」と尋ねたそうです。
するとオクサマの身元が割れて、「相手はハルコだ!」と判ったのです。

その頃ハルコは『料理王国』で連載をしていたのですが、それ以前に『正しい食卓』という雑誌でも「お手伝いハルコの献立日記」という連載をしておりました。
その本を、料理評論家の見田盛夫先生(故人)が、ノブコさんにハルコという存在は面白いよ、と教えてくださっていたのでした。

ノブコさんがテーブルに来て、「あなたがハルコさんね!」と握手を求めてきたではありませんか。
脇屋さんはハルコの存在すら知りませんでしたが、思わずハルコも有名になったもんだ、とお腹を叩きました。

月日は流れて、ハルコは貝印脇屋友詞さんの調理器具開発をするようになり、ノブコさんは貝印のカイハウスで、セミナーなどの企画を担当するようになり、お互いに貝印に関わっていたのですが、知らないままに時間が過ぎて、ある時に同じ貝印の仕事をしていたと気が付いたのです。

現在ノブコとハルコは、伊勢丹のキッチンステージのお手伝いをしており、今日は最初に会うきっかけを作ってくださった脇屋さんと3人で写真におさまりました。
不思議なご縁ですね。

2012年8月17日金曜日

めんぼう買ってきて!


昨日の「びっくり水」の新米編集者の後日談です。

先輩の料理担当デスクが入院してしまいました。
お見舞いに行き「何か必要なものはありますか?」と、聞かれて
「そうね、めんぼう買って来て!」

察しの言い方はもうお判りですね。
彼女は苦労して捜して病室に“麺棒”を持参しました。
当然、デスクは「……私は“綿棒”が欲しかったの。綿棒」
「……ですから、麺棒を買って来ました」
もう、これは、とある編集部の伝説でございます。

同音異義語で間違うことはよくありますが、ハルコの知人の画家の方二人が、まさに同音異義語で2時間経って初めて違う内容だ、と気がつくことがあったそうです。
その内容は「とうけん」
 もうお判りですね。
“刀剣”“闘犬”でしょうが、「この刀剣の力強い刃は良いね」「そう、やはり闘犬は歯が強くない」なんて会話を2時間もしていたと思うとおかしいですね。

時間を見つけて「料理の判らないコトバ探し」をしてみます。

2012年8月16日木曜日

ビックリ水ください!

料理関係の仕事をしていると、自分の中では常識と思っていても一般的ではない判らない言葉があるものです。


いわゆるレシピという事柄(料理の作り方)も、いつの間にか定着しまたよね。
元々、ラテン語の“recipio(レキペオ)”から派生した“処方”という意味が、英語の“recipe(レシピ)”、フランス語で“recette(ルセット)”になったのですが、もう日本語の一部ですね。

料理関係の仕事をしていて感じた一番の変化は、熱源の表記でしょうか。
直火の時代は(主にガス)強火・中火・弱火くらいで済んだのですが、IHの発達で強火などの言葉も残っていますが、数字で「10とか5」等の表示をする場合もあります。

さて、ここからは実話ですが、昔有名な雑誌の料理ページの担当になった新人女性編集者が、先輩のベテランデスクから撮影用の食材を買いに行くように命じられました(本当に昔で、フードスタイリストさんなんて職業の無い時代でございます)。
彼女は、デスクからもらったレシピを元にスーパー(青山紀伊國屋)で色々買いましたが、どうしても判らない食材がある。
そこで、店員さんに「すみません。ビックリ水をください」

これで、疑問に思わない方は読んでも判りませんね。
 (続く)

2012年8月15日水曜日

オードリー・ヘップバーン 尼僧物語

今日は8月15日、言わずもがなの終戦記念日です(敗戦記念日という人もおりますが)。ブログでもこの日の事を書こうかと思っておりました。
が、朝からCSで映画のオードリー・ヘップバーンの「尼僧物語」を観ているうちに、オードリーの「尼僧物語」の事を書きたくなりました。


この映画は何回か観ているのですが、個人的にはへップバーンでも上位で好きな映画のひとつです。日本では1959年公開のフレッド・ジンネマン監督作品で、ベルギーの医師の娘(ヘップバーン)が修道院へ入り、シスター・ルークになります。看護婦の勉強をしてコンゴの診療所へ派遣され(布教も)、諸々あってまたベルギーに戻ってくる、という映画です(これじゃストーリーも何も判りませんね)。

非常に興味を引かれるのが修道院の戒律で、その中で“服従”を強いられて、ヘップバーン演ずるシスター・ルークが悩む場面です。
祈りの鐘が鳴ると、治療中でも作業を中断して神に祈る。そんな中で、シスター・ルークは神に使える修道女と、人としてのジレンマの間で葛藤するのです。
最後はドイツが戦争を始めて、修道女はレジスタンスに関わるのを禁じられているのですが、シスター・ルークは修道服を脱いでレジスタンスへ参加するために出ていくシーンで終わります。

ヘップバーンが晩年ユニセフの活動でアフリカに渡っていたのも、この映画が契機だと言われています。
第二次大戦中に彼女自身がオランダでレジスタンス運動に加わり、叔父と従兄弟をナチスドイツによって銃殺され、反ファシズムへの思いは強いです。
アンネ・フランクと同い年で、「アンネの日記」を読んで凄く心を痛めたそうです。
「アンネの日記」のオファーもあったのですが拒否したようで、今となってはオードリー版の「アンネの日記」の観てみたかったですね。

2012年8月14日火曜日

またまた、ウニ

昨夜はガット・ネーロ北海道積丹のウニをいただきました。ウニのご案内を何回かいただいたのですが、タイミングが悪くやっとありつけました。

よく考えるとウニは不思議な食材ですね。
それはウニ自体を食べることもさることながら、すぐにソースになるということです。
保存があまり効かないせいもあり、鮮度が要求されますね。
 鮨屋さんのウニの軍艦巻きからてんぷらまでいろいろな調理法がありますが、てんぷら深町でよくいただく大葉でウニを包んだ天ぷらは、熱々のまだ硬くならないギリギリの熱の入り方は絶品ですね。
 そして、イタリアンでの冷製パスタが大好きです。
ガット・ネーロウニスパを食べながら、シチリアで食べられなかったウニを思い出しました。
 朝早く市場に行ってウニを探したのですが、時化で入っていなかったのです。
また、シチリアではタコもよく食べるにで市場に醤油持参で行きましたが、やはり時化でありませんでした。

イタリアでもウニスパは何度か食べましたが、絶対日本の方が旨いですね。
そもそも、冷製パスタ自体が広く食べられるようになって30年以上だと思いますが、最初に食べた時はビックリしたのを思い出します。
マルケージが日本の蕎麦を見て思い付いたという話も、もう忘れ去られているでしょうね。ハルコはわざわざミラノのマルケージまで冷製パスタを食べに行きました。
北イタリアで冷製のカッペリーニを食べた時に、それがパスタではなく日本の素麺で驚いたことがありましたが、シェフが日本でも働いていて、日本から素麺を送ってもらっていると聞いて納得。

まだまだ暑いので、冷製パスタを食べる機械は多そうですね。ひらた仕込みの青唐辛子パスタを今度作ってみましょうかね。

2012年8月13日月曜日

オクサマの誕生日

よく朝の情報番組を観ていると、下のテロップに「今日生まれの人」なんてのがよくありますね。
ちなみに8月13日生まれは、緒方洪庵、ヒッチコック、古川緑波なんて人から林家パー子さんまでおりました。

そうです、8月13日はオクサマの誕生日なのです。
8月のお盆や夏休みには河岸が休みになるので、中々料理屋さんは食材の確保が難しいようですね。
この5年間のスケジュールノート(外食記録)の8月13日を見てみると、「'07フレンチ、'08イタリアン、'09不明(自分で書いた字が読めないが、どこかに食事には行っている)、'10日本料理、'11中国料理」と、ジャンルに偏りはありません。

昨年のオクサマの誕生日は、新潟のオークラで中国料理でしたが、今日は早朝新潟から東京に帰ってきて何も考えておりません(困った!)。
と思う反面、わが家でオクサマと晩ご飯を一緒に食べる割合は年間を通しても300日以上です。
そう考えると、毎日お誕生日しているような気もします(人はこれは仲が良いと思うかもしれませんが、ハルコはオクサマのお供でございかすから、ご相伴にあずかると言っております)。

さぁ、今夜はどうしようか!(写真は一昨年の神楽坂「蓮」で、現「白虎」の小泉料理長がオクサマのためにケーキを出して下さったものです)

2012年8月8日水曜日

ハルコブログ。1周年だ!


今日8月8日ハルコがブログを始めて1年経ちました
早いもの、というより飽きっぽいハルコが1年の間ブログを続けていた事が自分でも驚きです。エライぞハルコ(自画自賛!)!

ハルコブログは今日で278回、まぁ途中旅行中で「居留守通信」などでお茶を濁していたこともありますが。
最初の頃は、ブログと言っても1回1200字相当が7回連続したり、まるで論文のような内容のもありましした。
元々はオクサマに「ハルコ、ブログでもやりなさい」と命じられてイヤイヤ始めたものです。
毎回オクサマから「つまんない! 長すぎる、誤字脱字が多い」と、お小言を言われながら書いておりました。

誰も読んでいないだろうと思いつつ書いていたのですが、切りの良い回数の時にメールで感想を言ってくださる方々がおりました。
その中でも、ウィーンに在住のコーディネーターのノリピーさんからは、今回も1周年の祝いのメールを頂戴いたしました。ノリピーさま、いつも拙いブログをご愛読ありがとうございます。
遅れて昨年の9月からはfacebookも併用して、ブログもFBと連動して大分ハルコブログを読んでくださる方も増えているようです。

ある意味でブログは備忘録、日記の代用ですが、公開されることを前提としています。
2年目に入りますが、これからも「日々是ハルコ哉。」を書き続けます。
今後とも皆々様におかれましてはご贔屓のほどよろしく、御奉ります(ちょい歌舞伎の口上風)。
最後にこのハルコブログを通常業務の間に、ハルコのイラストを描いたり、誤字脱字の修正や写真のデータ調整をしているハルコスタッフの峯岸嬢に感謝します。
これからもカワイイハルコとカワイクない黒ハルコを作ってください。

明日から、ちょい短い夏休みで新潟のダーチャに参ります。
ブログも夏休みですがFBは連日発信いたします。
ハルコのfacebook

2012年8月7日火曜日

嫌いな食べ物……カミングアウト


一度、自分の好き・嫌いな食べ物(あくまで個人的ですが)のランキングを作りたいと考えておりました。

確実に嫌いな食べ物と、苦手な食べ物の間には相当の違いがあります。
基本的に「食わず嫌い」ではなく、相当努力をして“ダメなものはダメ!”という姿勢です。
小さい頃から親や先生達に、「好き嫌いはダメ!」「食料難でご飯を食べられない子ども達もいるんだから!」「好き嫌いすると大きくなれないよ!」「好きな物ばかり食べないように」……。
普通の子供なら山ほど聞かされたことでしょう。中にはまったく好き嫌いのない子もいましたが。

諺に「空腹は最大の調味料」というのがありあますが、いくら空腹でも嫌いな食べ物は嫌いなのです。
料理屋さんに行くと必ず「召し上がれない素材はありますか?」といったことはよく聞かれると思います。これが、食物アレルギーなどの症状を持っている人にとっては、大変な問題です。
そうするとハルコは「はい、ジュンサイとホタルイカ」に続けて「不味いもの」と答えます(嫌みですね)。
時々「ホタルイカ」と言って、ジュンサイを忘れてしまう時があり、料理にジュンサイが出てきたことがありました。その店はよもやジュンサイなど絶対に無いと思った店で、まったく油断も隙もあったもんじゃないですね。

ジュンサイ好きな人には申し訳ありませんが、嫌いです。
ところがオクサマはジュンサイ好きなので、突出しにジュンサイが出てくればハルコの分まで食べてもらいます。
ジュンサイの季節になると、どうしてもどこでも提供されますが、ハルコのジュンサイ嫌いを知っている店では、別な素材を出してもらっております(すみませんね)。

しかし、ジュンサイやホタルイカは、我慢すれば食べられるのですが、絶対に食べることの出来ない(食べたくない)ものがあります。
カミングアウトします。

“さし(脂肪交雑)”のたっぷり入った牛肉!

以前さしのたっぷり入った牛肉を食べ過ぎて、大変な目に合いました。それが夢の中にまで出て来て、目が覚めると気持ち悪くなってしまうくらいダメなのです。
それを生やレアで食べることを想像するだけで発狂しそうです。
さて、この話は真実か否か……。

2012年8月6日月曜日

考えてもいなかった!

今週は夏休みモードのせいか(通学の子達がいないので)、事務所へ向かう地下鉄も少し空いているような気がします。
地下鉄の中で突然「考えてもいなかった!」と、いう言葉が頭に浮かんできました。


「考えてもいなかった!」は、昨年の震災以来よく耳にする「想定外」とは違います。
世界いや宇宙を取り巻く森羅万象のことです。
子供の頃に初めて「宇宙の果て」を考えたら、怖くなって夜眠れなくなりました。
 長じて学研の図鑑の編集とデザインを手がけ、監修の東大の偉い先生に話を聞き、宇宙の果ての構造を図解しようとしましたが、力及ばず出来ませんでした。
やはり、夜は寝られませんでした。

「考えてもいなかった」は、自分の廻りを取り巻く現象、事象を中心にしたことですが、それはテレビやネットの延長線にもあります。
日々いろいろな出来事に遭遇した時に、人間は自分の過去のファイル中に、同じ様なことがあればそこに追加し、全然知らないことがあれば新しいファイルを作る作業をしています。それは、知識として知るということに、さらに理解することを加えてファイル化します。
さて、その「考えてもいなかった!」ことを考えるというのは、何だか形而上学的で判りにくい話ですが、意識のさら下にある、無意識の領域を呼び覚ます想像力だと思っております。
その部分は人間にとっての両刃の剣のような世界で、「考えてもいなかった!」の背半には「考えたくない!」というベクトルが働いています。
足の下の蟻は簡単に踏みつぶせますが、下に蟻の世界があることを考えていれば、踏みつぶせない、と思うのですが。

今日は67回目の「広島原爆の日」です。

2012年8月3日金曜日

みをつくし料理帖時代劇ドラマ


高田郁さんの人気時代劇小説「みをつくし料理帖」シリーズをブログに取り上げるのも3回目です。今まで、第1作の『八朔の雪』から『花散らしの雨』『想い雲』『今朝の春』『小夜しぐれ』『心星ひとつ』が刊行されており、最新刊の『夏天の虹』で7冊目。年2回の発行が著者が次回は1回休みと、今年はこの1冊しか読めないのらしいです。殺生ですね。

「つるや」の料理人・澪が人間としても料理人としても、成長していく過程を読んでいるだけでも面白いのですが、徳川11代将軍家斉の時代の町人文化の爛熟と、現在にまで繋がる食文化というの視点でも楽しめます。

ハルコはかなりの時代小説マニアで、毎月(ほぼ文庫本ですが)20数冊は読んでおります。その中でも時代小説に料理を持ち込んだジャンルは相当増えています。
和田はつ子『料理人季蔵捕物控』(角川春樹事務所)、小早川涼『庖丁人侍事件帖』(学研パブリッシング)、倉阪鬼一郎『小料理のどか屋人情帖』などシリーズ化されています。

その「みをつくし料理帖」が、9月にテレ朝系列でテレビ時代劇に登場なのです。
配役は主人公の澪に北川景子、謎の浪人(実は将軍の料理番)にTOKIOの松岡昌宏松岡は料理人としても定評があり、「高校生レストラン」の元料理人にして教師役も勤めていたので、第二の梅宮辰夫か!? と言う感じですが、北川景子は小説の主人公の八の字眉のイメージからは遠いのですが、どうなんでしょうかね。

時代劇で料理が一番面白かったのは、やはり池波正太郎の「鬼平犯科帳」シリーズで、沼田莫の調理シーンや、五鉄での食事シーンを楽しみにしてました。
「みをつくし料理帖」のドラマもシリーズ化したらいいなあと、放映を楽しみにしています。

2012年8月2日木曜日

母のポテサラ

8月2日は母の命日です。
今から40年前の暑い日でした。
上京した初めての夏休みだったのに、帰らないと言って母を悲しませていたようです。

朝に下宿先に電話をもらい、まだ東北新幹線の無い時代で、10時間くらいかかる列車に、夏休みゆえに席が取れずに立って帰りました。
まだ携帯も無い時代で、自宅に辿り着くまで母の死を知らなかったのです。

母は突然病気で手術中に亡くなり、家の中は普段のままでした。
母がいないことを除けば。

夜に6歳下の妹と、冷蔵庫に入っていた母が最後に作ったポテサラを二人で泣きながら分けて食べました。

もう二度と味わうことのない母の味を。

2012年8月1日水曜日

世田谷バル

昨日は暑い最中に、ハルコが編集長をしている三越の「お帳場通信」の会議に出ておりました。
いよいよ、この媒体ともこれが最後の仕事になりますが、外が33℃なろうとしているのに、冬号なので年末のクリスマスや来年の正月の話をしているのは何だか違和感がありますね。
しかし実際に、雑誌にしても数ヶ月後に読者に見ていただくために、相当前倒しで仕事をするのでいつもながら大変です。
夏の撮影に冬場の素材を捜すのは、まるで落語の「千両蜜柑」の世界ですね。
昨日も来年の干支はヘビだけど、あまりヘビを意匠にした干支グッズは売れないけれど、ヘビ皮の財布はどうさ!みたいな会話でした。
内容は三越の打合せですが、実は新宿の伊勢丹の方での会議でした。事業統合したからこんなことが出来るのすね。

さて、今度は新宿伊勢丹・キッチンステージですが、今日から世田谷バルのメニュー展開です。
キッチンステージで食事をされたお客様にレシピを持って帰っていただき、ご自宅で料理を作っていただくためのツールをハルコが編集しています。
この写真は、6月14日に世田谷バル「ISETAN STYLE」の撮影にも立会した時(外で3時間待って、中で1時間立ちっぱなし!)のものです。
どこかにハルコがいますよ! ハルコを探せ!
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