3連休はいかがだったでしょうか?
ハルコはレシピ本の入稿締め切りが2冊重なってしまい、てんてこ舞いです。
仕事をしていたら、頭の中に
通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの 細道じゃ
天神さまの 細道じゃ
ちょっと通して下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つのお祝いに
お札を納めに まいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ
と言う歌詞がリフレィンで聞こえてきました。何なんでしょうかね。
この童謡は昔から疑問に思っていたハルコです。
とっても不思議な歌詞ですね。
この歌詞では二人の立場の違う人(?)が出て来ます。
分解すると
A 通りゃんせ 通りゃんせ
天神さまの 細道じゃ
御用のないもの 通しゃせぬ
B ここはどこの 細道じゃ
ちょっと通して 下しゃんせ
この子の七つのお祝いに
お札を納めに まいります
そして、
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ
この最後の歌詞は、AB両方ともが言っているようにどちらでも取れます。
ちょっと先ですが、
七五三を連想する歌詞ですね。
字句通りに解釈しすると
女の子(推定7歳)を連れた人(性別不明)が、番人(不明)に、ここの道は何処かと尋ねる。
すると門番(?)は「天神様に行くほそ道だ。用の無い者は通さない!」と答え、女の子を連れた「人」が七つのお祝いにお札を納めに行く。
そしてエンディング。行くのは良いが、帰りは恐ろしい、
それでもよければ、通るがいい。
この歌詞の解釈は沢山あるようで、実は30年以上前から気になっていたのです。
自分で幾通りかの解釈をしていました。
天神様にお札を納めに行く人は、ここが天神様への道だと知っていながら、この細道はどこだと尋ねる。
貧しい時代には、子どもが多く食べられなくなり、子どもを一人ずつ殺していく。
その怨霊を許してもらうために、天神様に行く(子殺しで“子どもを消す”が、“こけし”の形になった、という解釈もあります)。
つまり、天神さんへは死ぬ前の祝い事で、祝ってもらった後には死が待っているというわけです。
でも、女の子を連れて行く人は、最後の悲劇まで全てを知っている。
七五三の祝いは神様の数と連動していて、3歳は誕生したことの女の子の祝い。
5歳の男の子にとっては神界様の世界から人間界への帰属した儀式で、
女の子はそれを7歳でします。
童謡「通りゃんせ」は、
人間の世界へ来られなかった哀しい女の子の唄なんですね。
何故こんな事を思い出したかと言うと、姪が7つで亡くなって早10数年なのです。
生きていれば、今頃はもう20歳を越していますね。
姪が描いてくれたハルコの絵。