2011年12月1日木曜日

旅と音楽……1 無知篇


ウィーンの楽友協会(ニューイヤーコンサートを見た所です)

ウィーンに着いたその晩にバレエの公演(シュタッツオパー。国立オペラ座)を観に行きました。まぁ、ほぼ全幕寝ていましたが…。ハルコ&オクサマは、結構旅行中に劇場へ行っているのです。

今回は、ハルコの旅と音楽についてのお話です。
今回は旅行中、バレエオペラ「魔笛」を観るという行程を組みました。
音楽に関して、ウィーンからベルリン・ドレスデンにプラハは重要な都市ですね。ハルコはこんな素晴らしい場所で、ソーセージにビールだけにうつつを抜かしていたわけではありませんよ。

初めてのヨーロッパ旅行でバルセロナへ出かけた時に、リセウ大劇場(スペイン語ではリセオ。1994年に火災後再建)がシーズン開始でチケットを求めましたが、果たせませんでした。
開園日に高級車から次々と、男性はタキシード、女性はイヴニングドレスに毛皮をまとい、リセウに吸い込まれていく様を眺めていました。全然別世界があるんだぁとその頃のハルコは思ったのです。
そんな思い出があり、いつかはヨーロッパのオペラハウスに行くことが夢でした。

その機会が訪れたのは、2回目のイタリア旅行でした。オクサマとミラノで宿泊したホテルのコンシェルジュに、ミラノスカラ座のチケットを頼んで取ってもらい、観に行ったのです。
演目は「La Traviata」と!? 恥ずかしながら、その当時はラ・トラヴィアータアラビアータも区別が付かないくらい無知でした。
オペラが始まり前奏曲の後の第1幕で「乾杯の歌」を聞いて、「あぁ、椿姫だ!」と理解したのです。
わが家ではこれを、オペラ・前カンブリア期と言っております。いや、本当に何も知らなかったのですね。それも、ミラノスカラ座リッカルド・ムーティ音楽監督からミラノスカラ座管弦楽団の主席指揮者になった1987年の頃なのです。

次第に旅行に行く時は、オペラをちゃんと観ようと学習して行くようになりました。日本では今は左右に日本語の字幕が出ますが、当然現地ではあまりそんなのはありません。ウイーンだと客席の前に小さな電光掲示板字幕(日本語じゃありませんが)出ます。
パリオペラ座(現在はバレエ劇場)で、グノーの「ファウスト」を観に行った時は、事前にCDで聴き込み、解説書のコピー持参で行くようになりました。
そして、毎年オペラのオフシーズンにイタリアのヴェローナの野外劇場で上演されるオペラと、ウィーンのニューイヤーコンサートを生で観ることを目標に立てたのです。

ヴェローナは都合2年・合計6夜観ました(なにせ開演時間が夜の9時から深夜までで、昼夜逆転!)。ヴェルディの「アイーダ」は、第2幕ナイルの夜のシーンで、真上に本物の満月が出ていた時にはジーンときました。ビゼーの「カルメン」では本物の馬が20頭走り回る迫力に魅了され、野外での劇場に大満足でした。


そして、ウィーンの楽友協会大ホールでの“ニューイヤーコンサート”を観に行くことでした。えっ、ニューイヤーコンサートは高いだろうって? そうなんです。ビックリするくらい高いのですが、実は年内に練習的に本番と同じ内容のコンサートがあり、新年過ぎても何回かコンサートがあるのです。こちらは、若干お安くなっております。
今までTVの中継でしか観られなかったものを生で観られる、という快感は素晴らしいものでした。オクサマは、一度ラデツキー行進曲をドラムのリズムに合わせて手拍子をやりたかったと、涙ぐんでおりました。ちなみにその時の指揮者は、ジョルジュ・プルートルです。


左/ウィーンフィルとプルートル。右/ウィーンのベートーベンの小道。

あぁ、また長くなってしまいました。明日の今回の旅行音楽篇に続くのだ!

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