2012年12月11日火曜日

東京焼鳥屋事始め……その1

この所、“とり”づいております。
昨夜も新宿「とり辰」で美味しく焼鳥をぱくついてました。
いや、焼鳥ってお酒の種類を選びませんね。つい、飲み過ぎてしまいました。
朝起きて、昨夜の焼鳥の味を反芻しておりましたが(ハルコは牛か!)、「はて、『焼鳥屋』って、いつからあったのだろう?と、考えてしまいました。

今まで料理屋さんの起源は色々と調べており、鰻屋、鮨屋、蕎麦屋、天麩羅屋などはそこそこ知っていますが、「焼鳥屋」のことはほとんど知らなかったのです。
資料棚に『明治・大正・昭和・平成家庭史年表・上下巻(河出書房新社)(とっても役に立っております。索引が充実しているので調べ易い)を引いてみると、1894年(明治27年)東京市中に焼き鳥(焼き豚)が流行。1串3厘、上等は8厘とあるではないですか! うむ、焼鳥と言いながら実際は「焼豚」だったらしいのです。
ちなみに明治27年の物価を調べると(現在とは比較しにくいですが)、卵7厘(1個)、日本酒11銭(1升)とあります。焼鳥の上等と卵1個はほぼ同じ値段ですが、やはり判るようで判らないのが、焼豚ですね。
数年前に、東京の一部地域で焼豚ブームがありましたが、こちらが元祖焼鳥屋さんのような気がします。

また北海道の室蘭では、焼鳥=焼豚らしく、この地域では「焼豚を焼鳥」として売っているらしいのです(日テレのケンミンショーで見たので、不確かな情報)。
さらに年表を見ると、1923年(大正12年)9月、東京・日本橋室町に焼鳥専門店「髭の平野」開店。それまで東京には焼豚しかなかった………と、いう事は東京の焼鳥屋史は、まだ90年もないのですね。

知らなかった! のですが、何となく焼鳥屋さんはそんなに古くはないような気がしておりました。
ちょっと調べてみるようと思うので、この項は続く!

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