2012年12月6日木曜日

グルメな黄門さま

「控え~おろ~、頭が高~い! ここにおわすお方は先の中納言、水戸光圀公で~あらせられる」と、お馴染みの水戸黄門、水戸光圀さんですが、今日12月6日がご命日なんですね。
えっ、なぜ、黄門様を取り上げたかって?
実は黄門様は、実は稀代のグルメさんだったのです。


ここに20年前に出た1冊の新書があります。
小菅圭子著『水戸黄門の食卓(中公新書)という本で、出た当時は話題になった力作です。実際に、昔の人々がどんな食生活をしていたかいうと、これが中々資料で残っていないので難しいですね。
現在なら食文化の資料は、それこそ履いて捨てるくらい有り過ぎますが、もし未来の誰かが、現在の我々の食生活を見たらどう思うか、という思考するのも楽しいものです。

小菅圭子さんの『水戸黄門の食卓』から、黄門さんのグルメぶりを拝見すると、探究心旺盛な美食家の姿が見えてきます。
その中でも「日本ではじめてラーメンを食べた人」が黄門様なのです。
江戸といえば蕎麦、と思うかもしれませんが、江戸初期には現在の蕎麦はなく、うどんが全盛でした。
江戸に出て来た若き日の黄門様、その当時のグルメブック片手にうどん屋さん巡り。そしてお気に入りのうどん屋さんへ通い詰め、さらには親方からうどん作りの指南を受けたそうです。
そして、日本外史の編纂をしている家来達にふるまい「黄門うどん」という名前まで付けられたそうです。
ラーメンを元禄時代に食べて(当然現代のものとは違いますが)、その当時の最高の食を追求していたのです。

そして肉食ですが、江戸時代は獣肉食を禁止してましたが(平安時代が最初ですが)、黄門様は肉大好き、ジビエ大好きな方だったんですね。
生類哀れみの令が公布されていた時代でも、黄門さまは鹿、牛、馬、野兎、狸、猪などを堪能していたのですね。それは、水戸藩の屋敷跡のゴミ捨て場から、調理した後の獣骨が大量に発見されていたことからもわかります。
黄門さまが現代に生きていたら、きっと食詳論をしていたでしょうね。

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