2012年10月31日水曜日

上海蟹到来!


生の上海蟹(左)と蒸した上海蟹(右)。

今日で10月も最後ですね。
昨日は締め切り作業に追われて、夕方から貝印カイハウスで美容関係のイベントがあり、バタバタな1日でした。
ブログも書く余裕もなかったのですが、最後は神保町の「新世界菜館」で晩ご飯に。
前に新世界菜館に行った時から上海蟹はあったのですが、昨日が今シーズンのお初でした。

1年中で11、12月が一番食べ物が美味しい季節だとハルコは考えてます。
この上海蟹もそうですが、間人(たいざ)蟹(あぁ、涎がでますね)に、生牡蠣、河豚、それにジビエ!
夏から秋にかけて収穫された、それこそ山海の珍味の季節の到来です。
来ました! 来ました!
しかし、ハルコブログで確認したのですが、昨年上海蟹を食べたのは10月28日
今年も大体同じような時期ですね。最初に新世界菜館で見た時は、まだ暑かったので見送ったんですね。やはり、寒くならないとだめですね。

上海蟹は年中ありますが、なぜ秋からの食材なのかと調べると、上海蟹は夏に活動が盛んですが、寒くなると急に動かなくなり、蟹味噌や蟹肉が一気に蓄積されるそうです。まぁ、ハルコのお腹と一緒ですね。
また、10月の雌、11月の雄といわれるように、微妙な味比べが出来るのです。

上海蟹を最初にいただいたのは、まだ上海蟹が一般的ではない時代で、26年くらい前でしょうか。上海蟹の輸入元締め、神保町の「新世界菜館」の傅健興さん上海蟹を食べる会に参加したのが最初だったと思います。
目の前に生きた上海蟹がタコ糸で縛られて、付いている札に自分の名前を書いて蒸してもらうのですが、途中で蟹が逃げて、テーブルの下で捜索して大騒ぎになったことを思い出しました。

シーズンの開始はまずは新世界菜館からというハルコでした。


2012年10月30日火曜日

今日のブログはお休みします


いつもハルコを応援してくださる皆様、ありがとうございます。

本日、ハルコは多忙のため、ブログをお休みします。
今後ともハルコをよろしくお願いいたします。

近況はFBにて随時発信しております。
ハルコのfacebook

2012年10月29日月曜日

“天のしずく”辰巳芳子

日曜日は朝6時から夕ご飯の仕度でおでんを仕込み、栗ごはんの用の栗をむいたりとバタバタしておりました。
9時に新宿伊勢丹キッチンステージの立ち会い準備のため入館し、セミナー終了後の今度は秋葉原に「天のしずく」辰巳芳子“いのちのスープ”の試写会に参加しました。


この「天のしずく」は、料理研究家の辰巳芳子先生のドキュメント映画です。
NHKの「今日の料理」のプロデュサー矢内真由美さんらの企画で、脚本と監督も元NHKの河邑徳さんで制作されました。
実は、貝印も制作に協力しているのです。あまり知られていませんが貝印はかなり文化事業に協力・協賛しているのですよ。 今回の試写会は貝印の主宰で行われ、上映後に矢内さんと河邑さんのトークショーもありました。

本当に心に染み渡る良い映画でした。
辰巳さんが話す、料理を作る、料理を食べる人、野菜を作る人、季節の移ろい、そして3月11日。
昔勤めていたデザイン事務所で、家庭画報のデザインをしていました。おそらく1975年頃でしょうか、家庭画報の連載ページに「母と娘の対話」というのがあり、そこで辰巳浜子さん(母)と芳子さん(娘)の対談ではじめてお名前を知りました。
今朝事務所の家庭画報のバックナンバーを捜してみたのですが、見当たりませんでした。でも、記憶では母娘で庭に立っている写真を今でも覚えています。

わが家でも、調味料の使い方は辰巳芳子さんの影響を受けています。
最低限の調味料で複雑なことはしない。簡便よりも、手間隙掛けながらも合理的に調理をする。
ハルコのキャッチフレーズ「不便って美味しい」は、通奏低音では辰巳芳子さんと重なっているんです。
是非、機会がありありましたら、「天のしずく」をご覧ください。

天のしずく製作委員会
http://tennoshizuku.com

2012年10月26日金曜日

ハリーの災難

昨日はブログも書けないくらいバタバタの1日でした。
まぁ、夜の志の輔の「中村仲蔵」を聞きに行くために、昼ご飯も抜きで仕事をしてヘトヘトでしたが、いや、今日になっても昨夜の中村仲蔵を反芻しているくらい面白かったです。

さて、10月26日はわが家で長年生活を共にしていた飼い猫の命日です。
以前住んでいた白金で、怪我をした猫(血だらけでした)を拾い、オクサマが仙台坂下の動物病院に連れて行きました。
病院から電話があり、「今日手術しないと助からない」とのことで手術を了解しました。
それからしばらくして(忘れていました、動物病院から電話があり、「元気で餌を食べているので引き取りに来て下さい」
手術料を聞いてびっくり!
え~~っ、血統書付きの猫が何匹飼えるの~~~~!?

と、いうわけで病院へ行き、手術代(皆さんから温かな寄付をいただきました)を支払い、猫の名前は?と聞かれ、「はて、この猫飼わないといけないんだ!」と、その時に認識した次第。
名前はハルコの本名、ハルヒコからと、ヒッチコック監督の映画『ハリーの災難』から取り“ハリー”と命名したのです。

ハリーこと正式名“ハリー・サンタ・ドミンゴ・ドン・ジョバンニ”
茶トラの雄です(拾った時にはすでに去勢済でした)。その当時の推定年齢(動物病院調べ)は4歳。2005年で推定26歳で天寿を全うしたのでございます(人間だと百数十歳)。
人間だと七回忌でしょうか。まぁ、こんなに長生きするとは思いもよりませんでした。

ハリーの好物は“イカ刺し”“まぐろ”“ウニ”でした(まぁ、何て贅沢な!)。
ブログのハルコが魚の干物を与えている後ろ姿の猫こそが“ハリー”なのです。
人世の中でただ一度きりの猫との出会いです。
「生涯一猫」
写真はハルコが描いたハリーの絵です。

2012年10月24日水曜日

レシピの考古学

昨夜は、伊勢丹キッチンステージで本日から始まる「銀座とよだ」の、ディスプレー入れ替えの立会をしていました。
その時に、ぞくぞくして風邪を引いてしまったようで、今日はイマイチです。
皆さんも風邪など召さぬようにご用心ください。ヘックション!

料理を作る時に参考とするのが“レシピ”ですが、最近はクックパッドなど手軽に検索出来て便利ですね。
ハルコも料理途中でレシピが不明になるとネットで検索して調べます。
どうしてこんなに、レシピが世の中で多く情報発信されるようになったのだろう?と、考えてしまいます。

日本人が世界中の料理を貪欲に取り込むのと、世界中の食材や調味料が入手可能になった背景もあるでしょう。
それと世代論になりますが、戦中を過ごしていた世代は食糧難で料理どころではなく、次世代に料理の伝承を出来なかったこともあるのでは、という仮説をハルコは考えているのです。

仕事で、レシピを読んだり書いたりする機会が多いのですが、参考に色々なレシピの比較をしていると、同じ料理なのにレシピが随分違うのは当然として、過去の料理本を読むと現在では考えらえない作り方が出ていたりします。
ハルコはこれを『レシピの考古学』と呼んでおります。
そんなレシピの考古学に役立つのが、この『近代料理書の世界』(江原絢子・東四柳祥子著/ドメス出版)です。
日本の近代の料理本が、1900年以前から戦前の1930年代まで多数紹介されております。

約半世紀の料理書の流れですが、現在と比較して見ていくと非常に面白いですね。
食材の有無、冷凍技術の有無、そして、流通が整備されていない時代の食材の保存法など。またレシピの基本中の基本、何人分作るのか。
大家族時代のレシピから、核家族時代のレシピに個食レシピ…と、レシピは時代を反映したアーカイブなのです。

2012年10月23日火曜日

ハルコ加齢臭!?


この所締め切りが重なり、珍しく遅くまで仕事をしているハルコです。
この数週間オクサマが、「ハルコ臭い!」と毎日おっしゃてます。
「ハルコ、ちゃんとお風呂に入って洗っているの?」とかうるさいのです。
今朝も丹念に朝風呂に入って出てきたら、オクサマが「ハルコ臭い!」と廻りをクンクンするではありませんか。
犬にでもなったんでしょうか。ハルコは「丹念に体を洗いましたよ」と、抗議しましたが、期せずして「かれいしゅう!」

そうです。
スパイシーな「カレー臭」でもなく、華麗や鰈でもなく、あの「加齢臭」です。
「えっ!?」と、思って自分でクンクンしましたが、自分では判りません。
どんな、臭いですか?」とお尋ねすると、
「ゆで卵の腐った臭い、硫黄の臭い」
あぁ、ハルコはこれから体から温泉でも沸くのでしょうか。

「加齢臭」は、2000年に資生堂が最初に「加齢により体臭も変化する」という概念で作った言葉で、なんでも高齢者の体臭の原因は2-ノネナールという物質だとか。
いや、困ったもんですね。
オクサマの家臣としては、常日頃から身ぎれいにしろ、清潔な割烹着に三角巾(知らない方のために、これはハルコのトレードマークです)は真っ白でアイロンもきちんと当てて……。
でも、加齢臭ってどうしたら無くせるでしょうか。困ったもんです。
取りあえず、石鹸でも替えてみましょうか。ふ~~~。

2012年10月22日月曜日

太ったシェフやせたシェフ

ハルコは時々(まぁ、いつもと言う人もいますが)つまらない事を考えます。
お相撲さんには昔は“あんこ型”“そっぷ型”という言い方がありました。
大変太っている“あんこ型”に対して、あんこ型よりは痩せて筋肉質の“そっぷ型”という言い方をしてましたが、最近は聞かなくなりましたね。


これをシェフなどの料理人に当てはめたらどうなのでしょうか。
お二人とも故人ですが、帝国ホテルの村上信夫さんホテルオークラの小野正吉さんは、失礼を顧みずに言うと、村上=あんこ型、小野=そっぷ型ですね。
えっ、そんな言葉はじめて聞いた? そっぷ型は相撲取りでも太れないタイプで、余談ですが、語源はオランダ語のスープ(sob=ソップ)とも言われているのです。
そんなことを考えていて、料理人さんの体重と料理には何か関係がないだろうかと思ったもです。

昔はその辺は何となく公式があったような気がします。
「太っている料理人→カロリーの多い料理→だから客も太る」
しかしダイエットが浸透し、食べ物と体の関係に皆さんが興味を持つ様になるに従って、その公式は成り立たなくなってきたようです。
 料理を作る仕事って、かなりの重労働ですよね。
でも、味見しながら終始料理を作っていて、まかないの時間も営業前だし夕食は夜食になり、大分不健康ではありますね。
また、料理人の年齢もありますが、以前は客の年齢と料理人の年齢の差がプラスマイナス5歳までの差がベストの相性、ということを考えたことがあります。
例えば客が35歳なら料理人は30~40歳までの料理なら、料理のボリュームや味付けが容認出来るという考え方ですが、ハルコの年齢だとだんだん上がいなく……。

一番気になるのは、「料理人は自分の料理を完食出来るのか?」ということです。
料理人も客も同じ様に年齢を重ねて行きますが、客は歳と共に食べられる量が減少してくるのに、料理人は若い時の感覚で同じ分量を出している場合です。
味見をするのと全量を食べるのでは、相当違いがありますね。

以前、ある料理人とヨーロッパへ2度ほど食べ歩きに行きましたが、段々旅行中に食べられなくなり、「お客さんは、よく食べるね……」と、のたもうておりました。
コース等で食べる分量が定まっていると、量が多く途中で残してしまうことも多くなります。そうすると量の調整の効く鮨やさんが多くなるのはむべなるかな、ですね。
まず、料理人さんは客の立場で自分の料理をちゃんと完食できるか、考えてもらいたいと思うのです(まぁ、そんな面倒なことを言う客は来なくてもいい、という感想もありですが)。

2012年10月19日金曜日

もやしが気になる


スーパーなどの野菜の1年中通してあり、値段も安定している最たるものはもやしではないでしょうか。

しかし、あまりにも、地味過ぎる食材ですね。
まず、センター感が無い。
同じ定番野菜でも、ジャガイモ・ニンジン・タマネギの三大巨頭は、トリオでカレーやシチューなどで存在感を示しますが、もやしはどうもいけませんね。
また、ピンで立とうとする時も、何だか頼りないですね。かろうじてもやしのナムルくらいでしょうか。
別にもやしを揶揄するのではなく、この所非常にもやしが気になるのです。

思えば、小さい頃は食卓でもやしを見た食べた記憶は無いのです。でも、言葉としては「もやしのようにヒョロヒョロ……」で、名前は知っていたはずです。
そして変な話ですが、もやしとの出会いは多分ラーメン屋さんだったのではないかと思います。
東京に出て来て、ラーメン屋さんでラーメンや焼きそば、野菜炒めには入っていますが、あぁ、ここにもやしがあるんだ、とは思いませんね。
スーッと、いつの間にかもやしは普通に目に馴染んでいたのです。

しかし、もやしは古くから栽培されて食され、野菜不足に悩まされる行軍中の軍隊では、三国志の諸葛亮孔明が軍食として用い、日本でも楠木正成が二年間も篭城戦が可能だったのは、城中でもやしを食べていたからだと伝わっております。

しかし、もやしが今日のように、どこでも普通に1年中ある野菜と定着したのはそんなに古くはないのです。
栽培自体の増産は1965年くらいからで、1970年当たりからスーパーに出回ってきたのですが、これはやはり外食での中華料理店の増加と重なっているのです。
やはり、ラーメンが人気がもやしを引き上げてくれた恩人なのですね。
今、もやしの資料を読みながら「もやし企画」を考えているハルコなのです。

2012年10月18日木曜日

トマトケチャップ、時々ナポリタン

オクサマは疲れてくるとナポリタンが食べたくなります。
先日も仕事で遅い夕飯を自宅で取った時に、オクサマが中途半端に残っている太さが違う(つまり茹で時間も違う)2種類のパスタを使って、ナポリタンをお作りになったのです(写真参照)。
パスタも簡便な食べ物ですが、トマトケチャップがあると便利ですね。
大変美味しいナポリタンでございました。


さて、そのトマトケチャップの語源は中国だという説をご存知でしょうか。
中国語でトマトケチャップは「番加醤(ファヌ・チェジャン)と言います。中国語で頭に「番」と付くのは、「外国から来た」という意味を表します。
日本でも、漢の国から来た「漢字」、呉の国から来た「呉服」、ペルシャなど中近東の胡から来た「胡椒」や「胡瓜」と似たようなものですね。
中国語の地方の言葉のひとつのビンナン語魚醤を表す「ケ・ツィアプ」や、広東語の「カ・チャップ」がマレー半島を経由してイギリスに伝わり、「ケチャップ」になったんだ、という話なのです。

それにしても、大航海時代のトマトが南米からヨーロッパに渡り、最初は毒性が強いので鑑賞植物だったのが、今や食卓になくてはならない素材になり、トマトを使ったソースが、“ソース・エスパニョル”としてイタリアに伝わり、別なルートからアメリカに渡りトマトケチャップ大国になり、日本に輸入され……。
食は世界を巡っているんですね。
今晩はトマトケチャップでチキンライスでも作ろうかしら。

2012年10月17日水曜日

太らない米

米や麺など、炭水化物を多く含む食品を食べると、でんぷんが体内でブドウ糖に分解され、吸収されて血糖値が上がり、糖尿病などの生活習慣病などになりやすい。
ということで、最近(というか前からですね)糖質制限ダイエットに励む人が増えていますね。
ハルコ自体は2ヶ月ごとの定期検査で血液検査をしているのですが、現在のところ血糖値の数値はかろうじてセーフです。


新聞の記事を読んでいたら「超硬質米」という、米の品種改良により血糖値の上昇を抑制する米が作られたということです。
「超硬質米」は難消化米で、体内で消化されにくい「難消化でんぷん」を30%も含んでいるそうです。ちなみに、普通の米は1%以下なのです。
これは農水省の産学官の協同研究で、現在は「超硬質米」を粉状(米粉)にし、業務用食品開発中で年内の発売を目指しているらしいです。
ただ現在の研究では、この「超硬質米」は普通の米のように粒で調理すると、粘りが弱く固くて美味しくないそうで(アミロースが多く、パサパサしているインディカ米と類似)、粒食に適するためにはこれからの研究とか。

本来、栄養素を最大限に体に取り込み生存してゆく、ということを考えると、何だか不思議な気もします。
糖尿や肥満を防ぐという意味では朗報ですが(病気の人は別として)、体内で吸収されない「難消化でんぷん30%」というのは、消化不良で栄養素が無駄に排出されるということですね。
以前、「羊肉はダイエットに一番向いている」と言ってジンギスカンブームがありましたが、あれも単に羊肉の脂が分解する融点は44℃以上なので、体内で消化されないまま外に出ていくだけなのです。
だから、羊肉はダイエットに良いなんておかしいのです。単なる消化不良ですから。
ちなみに豚肉の脂身の融点は28℃なので、冷めたものでも口の中で溶けるんですね。
まぁ、日々食品も進化しているとうお話でした。

2012年10月16日火曜日

人の話を聞かないハルコ!


世間には話し上手と聞き上手、二通りの方がおりますね。
先日、ハルコがインタビュアーで取材しなくてはいけない事態に陥りました。
その時思いました。「ハルコは人の話を聞くのは苦手だ」
本当にインタビュアー失格ですね。
人の話を聞いて、原稿にちゃんとまとめられる人は尊敬に値します。

じゃ、話上手かというと、これがまたダメダメなのです。
オクサマにもいつも「ハルコの話は筋が通ってないし、前の話が突然違う話題になって、人の話にちゃんと答えてない!」と怒られるし、長年仕事を一緒にしている友人からは「ハルコは人の質問に質問で答えている」と、散々です。
前から「人の話を聞かない」とはよく言われておりますが、前はそんなにひどくはなかったかもと、オクサマには言われます。

聞き上手というのは(ハルコが言うのもなんですが)、相手に対して気持ち良くさせる能力(あるいは、逆に相手の気持ちの振幅を、例え怒りであっても増幅させる)の持ち主だと思うのです。
また、人に質問ばかりして聞き出す、というのは聞き上手とは言えませんね。

若い時はさほど思わなかったのですが、「人の話を聞かない」のは、言い換えれば「人の話が聞けない」ということかもしれません。
頭が固くなり、はなから相手の話を拒否する頑固オヤジ……これは病気の一種ですね。
まだ、そこまでは悪くはなっていませんが、怖いのは自分が理解しているつもりで、実の所まったく理解していない、ということですね。

親戚のオジさんが、病気で人との会話の受け答えがちょっと苦手になっていましたが、耳垢の掃除をしたら随分元気になって、受け答えが以前と同じにできるようになりました。
ハルコも、取りあえず耳掃除をしよう!

2012年10月15日月曜日

伊丹由宇さんのこと

最近、友人・知人の訃報が多いのですが、ジャズ・ロック評論家にして、食のエッセイスト伊丹由宇さんが、先月9月30日に亡くなっていたと聞いてびっくりしました。
まだ、63歳の若さでした。なんということでしょうか。

伊丹由宇さんとは、徳間書店の高級週刊誌アサヒ芸能”から派生した「アサ芸エンタメ」という、担当編集者も家に持って帰れないという、素晴らしい雑誌の仕事が出会いでした。
あぁ、ちなみに魚柄仁之助さんとも、アサヒ芸能の仕事で出会ったのが最初でした。

雑誌でハルコも飲食店の取材をイラストルポ風にしていたのですが、新しい企画で芸能人がよく来る秘密の店の取材をしようということになり、伊丹さんが原稿、ハルコがイラスト担当で同行取材を1年くらい続けました。
伊丹さんとハルコ、担当編集者にカメラマンの4人構成でしたが、今なら一人で済む内容ですね。
高級レストランから居酒屋さんまで幅広い取材場所でしたが、はっきり言ってもう、取材というより飲み会のノリで楽しかったですね。
10年以上前で、まだ食べログなんか無いアナログな時代だったんです。

そして、伊丹さんが長年連載をしていた「ビッグコミックオリジナル」「オリジナル名物こだわりの店」「甚六」を紹介して、一緒に取材(と、いうより飲みに)行きました。
このページは、店の住所も電話番号も入れないユニークなページで、四半世紀も続いた名物連載でした。
……朝食評論家(というミョーな肩書き)のハルコが言うのである。……という冒頭から始まり、文章中で何度もハルコ、ハルコと連呼してもらいました。
連載が終わり、時おり単行本が送られてきておりましたが、今回の訃報に愕然としてしまいました。
伊丹さんは漫画の原索も構想して、是非やりたいテーマがあったそうですが、実現しませんでした。
ご冥福をお祈りします。

2012年10月12日金曜日

喰わずに死ねるか!

今週のブログで「プチ断食」「餓死」非食を2回続けて書いていると、小さい頃のことを思い出しました。

実は、ハルコは産まれた時に非常に強い黄疸があり、身体全体に自分の出す毒素で「自家中毒症」だったのです。身体に毒素(ケント体)が血液中に増加して、悪寒や嘔吐に見舞われていたのです。
アセトン血性嘔吐症、周期性嘔吐症と今は呼ばれているようです。
本当に周期的毎月出てくる症状で、そのために小学校を休むはめになりました。激しい嘔吐が続き、食事が出来ないのです。

最初の日は、わずかな水や湯を舐めるように飲むだけですが、これも激しく反応して嘔吐してしまいます。
2日目に大分嘔吐が治まると(大分毒素が抜けてくる)、重湯やリンゴのすりおろしたものを飲みます。重湯ってお粥の上澄みで、はっきり言って糊ですね。そこから三分粥と少しづつ固形物の摂取です。今だにお粥は大嫌いです。
ほとんど味のしない重湯、三分粥、粥と続き、3日目になると、ようやくミカンや桃の缶詰を食べさせてもらえるのでした。この缶詰のシロップの旨いことと言ったら! 回復の証拠でもあり、とても嬉しかったです。
4日目に普通の食事になり、学校へ登校します。
そして、また1ヶ月も経つと嘔吐が始まり、同じことを繰り返すのでした。

この病気は、成長により身体の筋肉量が増えて、ブドウ糖が必要にならなくなると治るのですが、10歳まで続きました。
そんな幼年期を過ごしていたせいか、食にはまったく関心がありませんでした。
自分の食べられる、凄く狭い範囲での食しか受け付けないのですから、好き嫌いも激しく、痩せっぽちな子どもだったのです。

長じて子ども時代の反動で現在のハルコになったのですが、その根底には「喰わずに死ねるか!」という気持ちが大きくあるのだと思います。
この「喰わずに死ねるか!」には、また続編があります。機会を見て書きたいですね。

2012年10月11日木曜日

餓死


ハルコブログにしては、強烈なタイトルです。
昨日が「プチ断食」で、今日が餓死。何だか連続してますね。

多分皆さんも、記憶の片隅にあるかもしれません。
先月まで放送していたNHKの朝ドラ「梅ちゃん先生」の中でも、梅ちゃんのお父さんの下村教授が、終戦後の食糧難の時に配給だけで、ヤミ市場から調達した食料を食べないシーンがありました。
今日10月11日は、法のために主義を貫いて餓死した二人の命日なのです。

1945年の今日、旧制東京高校のドイツ語教授亀尾栄四郎は、教育者として「どんなに苦しくとも表裏があってはならない」という信念で、配給の食糧だけで6人家族を養っていましたが、亀尾教授は自分は食べずに子どもたちに食べさせて、力尽きて餓死してしまいました。
また、こちらの方が有名ですが、1947年の10月11日に、東京地方裁判所の判事山口良忠が栄養失調で餓死しています。
山口判事は食糧管理法違反で起訴された被告人を担当し、配給食糧以外に違法な“闇米”を食べないと生きていけない時代に、それを取り締まる立場にありました。
悩んだ結果、配給を子どもたちに与えて、妻と自分は汁だけの粥などすすって、食糧の援助も断り自己の信念を貫き餓死しました。享年34歳でした。
その他にも食管法を守り、餓死した方がおりました。

山口判事の場合は職業的に悩んだのでしょうが、オックスフォード大学のマイケル・サンデル教授なら「正義について」どう考えるのでしょうか。
飽食の時代に、自己の信念のために餓死した人のいたことを、記憶にとどめたいと思います。

2012年10月10日水曜日

プチ断食

昨日の食生活は大変なもんでした。朝に牛乳とバナナ1本の食事後に、事務所に来た方と昼を挟んで打合せして、昼ご飯を食べ損ね、その後の別の打ち合せ後に軽く何か食べようとしたのですが、そのまま場所を移して打ち合わせ。
事務所に戻って雑用をこなし、新宿伊勢丹の閉店後の入れ替え作業の立会で……。
まぁ、たまにこういうパターンがあるのですが、ハルコ的には「プチ断食」と言っています。


新聞の記事を読んでいたら、気になるものを発見しました。
京都大学のチームが“線虫”を使い、カロリー制限と断食ではどちらが長寿かを実験したそうです。
長さ1ミリの線虫の寿命は25日で、ふたつの条件の下、ひとつはエサを減らし「カロリー制限」、もうひとつは2日ごとに2日間断食させて経過を見たそうです。
そうすると、カロリー制限の寿命は1.2倍の伸びに対して、断食させた方は1.5倍に寿命が伸びたそうです。
25日の寿命の線虫が、カロリー制限で30日、断食で38日! 何だか凄くないですか?
どちらにしても、食べ過ぎは体に良くないのは当たり前ですが、人間の性でもありますし難しいものですね。

大ベストセラーになった幕内秀夫さんの『粗食のすすめ』という本がありますが、彼は別の本で、加齢と共に1日3食は多すぎるとして1日1.5食のすすめを説いています。
実はハルコは以前から、よんどころの無い時意外には、事務所にいる時は1日1.5食のプチ断食をしているのです。
しかし、普段は昼ご飯の誘いや差し入れをいただいたりして中々出来ないのですが、出来る日にはプチ断食をすると決めています。

仕事で食べたくないものを無理に食べる仕事をして、本当に病気になった友人もいます。過去に大変な病気になった事もあるので、食べる時は食べるけれど、時にはプチ断食で体に負担をかけない。
カロリー制限とプチ断食は、逆に言うと美味しいものをいつまでも食べていたい、という事なのですが中々難しいですね。

2012年10月9日火曜日

牛肉のドライエイジング


テレビで“やまけん”さんが、NYで牛肉をドライエイジングで出しているレストランを紹介したり、貯蔵法を日本の酪農関係に活かして、肉質を良くする指導をしている報道番組を観ていました。
あれほど固い肉質が、「ドライエイジング(熟成)させることにより柔かく、かつ旨くなるのだという実証番組でした。

その時に2つのことが頭を過りました。
ひとつは、フランスのレヴィ=ストロースの、あまりにも有名な「料理の三角形」の中にある、“なまもの”が自然的変形をして、発酵されたものになるという図式です。
レヴィ=ストロースは、これにより自然に対して火を使う、という料理における人類学的な視点からの考え方により、その後に多くの影響を与えたのでした。
肉等の素材は、自然界に何らかの措置がないまま置かれていると、微生物により発酵腐敗していきます。
世の中(特に日本)では、新鮮至上主義が跋扈していますね。何が何でも、新鮮で新しいものをありがたる風潮に一石を投じたのが、「ドライエイジング」という考え方でした。
普通なら「生で食べるものこそ一番美味しいんだ」と言うところに、やまけんさんの番組では「熟成させてこそ旨くなるんだ」という価値観を視聴者に突きつけていました。

さて、もうひとつ頭をよぎったことは、ハルコはこの「ドライエイジング」した牛肉をわざわざ食べに行っていたことです。
1991年のことで、もう22年も前のことです。パリのレストラン「Jacques Cana(ジャック・カーニャ)」に「ドライエイジング」した牛肉を食べに行ったのです。
元々西洋料理の世界には、肉を熟成させて調理する方法が120年も前からあるのです。
これは、ジビエの肉を熟成させる「faisanduge(フザンダージュ)」や「rassissemen(ラシスメン)」「maturation(マテュラシヨン)」と呼ばる、肉のタンパク質を細菌で分解させて、肉質を柔かくする方法です。
ただ、一歩間違うと熟成なのか腐敗なのかが、難しい線引きです。

このジャック・カーニャはその当時ミシュランの2つ星で、伝統的なフザンダージュの肉を提供する有名なレストランでした。
メインでいただいたのは「ゴーミヨ」で特筆された「牛の骨付あばら肉の蒸し焼き」で、最初に銀盆に乗せた塊肉を見せに来るのです。これで、3週間ほどフザンダージュしているとの説明でした。
牛の骨髄が付いて、甘めのソースの蒸し煮に、ジャガイモのピューレや野菜の付け合わせでいただきました。
肉質は軟らかく、熟成させるとこうなるんだと感じました。
このような熟成した肉が(価格は高くなりますが)、一般にも評価されて行き広がることを期待するハルコでした。

2012年10月5日金曜日

トリュフ


神楽坂梅香の料理で、中国産でしたがトリュフが出てきたのにはビックリしました。
初めてトリュフを食べたのは一体いつだつたんだろうと記憶をまさぐりますが、思い出せません。
当然日本のフレンチレストランだったと思いますが、多分渋谷にあった酒井一之さんの「ヴァンセーヌ」で30年も前だったと思います。

イタリアンでの白トリュフとの出会いは、山田宏巳さんが西麻布の地下のリストランテ「ヴィノッキオ」の時でしょうか。
ここの店には、元々現在のHIRAMATUグループの発祥地「ひらまつ亭」があった場所で、平松博利さんが1982年に創業した頃から通っておりました。「ヴィノッキオ」は「ひらまつ亭」と同じ会社だったのです。

手元に一葉のメニューがあります。
「ひらまつ亭」が1988年にグランメゾンとして現在の広尾に本店を構えた時に、その当時としては珍しいブラックタイ着用の会食会が開かれました。
そのひとつに、1991年2月22日にトリュフ尽くしという催しがあったのです。
ハルコの人生でこれ以上のトリュフの数を観た記憶がありません。メインダイニングの大テーブルに山積みされたトリュフの量といったら壮絶な景色でした。
メニューも、……フォアグラとリードヴォーのトリュフのパート包みレンズ豆のクリームソース添え、帆立貝とオマール海老のシャルロット トリュフ風味オマール海老のコンソメスープ仕立て、トリュフを詰めたブレス産若鶏のキュイスのロースト、……トリュフのヌイユとトリュフのアイスクリーム……
トリュフの入った料理しか書いてませんが、これでもかと言わんばかりのトリュフ攻撃でした。
今見ると、シャンパンもCRISTAL1985GRANDS ECHÉZEAUX1983なんかを飲んでいたんですね。

その頃友人が、フランスと日本のレストランへ交互に食材の輸入輸出をする会社を、東京とパリで立ち上げたのをお手伝いしていました。
パリの友人は、ペリゴールでトリュフを買い付けて日本に送る仕事をしていましたが、トリュフ業者から買う時に、1個のトリュフを「お前に」と貰ったそうです。
しかし、パリのアパルトマンで、彼は何と、トリュフを全部スライスしてインスタンラーメンに投入して食べたそうです。
えっ、味は…………。
そのトリュフの彼は、山田宏巳さんがイタリアにいた頃、同じ店で焼鳥を焼いていたのです。

2012年10月4日木曜日

今日はイワシの日

月曜から金曜までブログを書こうとしていますが、そんなに毎日書くネタがあるわけでもありませんね。どこどこで、こんなもの食べたというのもたまには書きますが、あまり好んで書きたくはないのです。
また書きたいネタがあっても、仕事の関係で書いている暇のない時もあります。


なるべく今日のネタを書きたいと思う時に、一番身近なのは今週2回も書いた「○○の日」です。まったく面白いものが無い週もありますが、今週は、1日の日本酒、コーヒー、醤油、日本茶に、2日の豆腐の日ときて、今日4日の「イワシの日」です。しかし、今月は10日に大物「マグロの日」もあります。
そして、11月1日は「すしの日」なのです。
そこで、ちょいと1年を通して魚介関係の記念日を調べてみました。
色々あるんですね。

1月10日は「明太子の日」これは、福岡のふくやさんが初めて明太子を販売した日だそうですが、まぁ、私企業制定の典型ですね。
順を追うと、2月6日「海苔の日」これはブログにも取り上げました。
次はゴロ合わせで2月9日は「ふくーフグの日」
2月14日バレンタインは「煮干しの日」だそうですが、ニ(2)ボ(棒)シ(4)で、全国煮干し協会が制定しました。しかし何故バレンタインにぶつけるのでしょうか。盛り上がらないので日にちは変えた方が良いかと思うのですが……「バレンタインには煮干しを!」うむ、ダメですね。

3月13日「カツオの日(和歌山県すさみ町制定)」、4月23日「シジミの日」これもゴロ合わせです。
5月4日「シラスの日(日本記念日協会制定)」、5月5日「ワカメの日(日本わかめ協会制定)」段々サザエさん一家になってきましたね。

6月22日は「かにの日」。これは笑えます。蟹座の最初の日で、かに道楽の制定の日です。この日は安くなったりするのでしょうか。
7月2日「タコの日」は蛸研究会というのが制定し、半夏生の日に体に浴びた毒を洗い流すために蛸を食べるそうですが、8月8日にも広島県の三原観光協会が「タコの日」を制定しているので一本化しないと盛り上がらないのでは。

あぁ、面倒なので羅列しますと、7月5日「穴子の日」、7月土用「土用のうなぎ日」、8月3日「ハモの日」、9月4日「くじらの日」、11月11日「鮭の日」、11月15日「カマボコの日」、「コンブの日」、11月23日「牡蠣の日」「あんこうの日」、11月24日「鰹節の日」これはヤマキの制定ですが、毎月24日には東京鰹節類卸協同組合制定の「カツオ節の日」もあります。
まだまだ一杯ありますが、今日は甚六で「イワシの丸干し」でも食べましょうか。

2012年10月3日水曜日

落語飯

え~~、今年はことのほか暑うございまして。
いつまでも、お天道さまが地べたをじりじりと焦がしておりやしたが、さすがに秋も本番になりやすね。

落語の世界でも、秋になるってえと「天高く」なぞと申しやして、秋の旬の食べ物の落語も多くなりやす。まぁ、あまり噺に詳しくないお方でも、一度はお耳にしたことがあるのではと、存じます。
まず、秋といえば庶民の味方は安くて、めったら旨い“さんま”ですね。
昔はそれぞれの家の外で七厘をバタバタおこして、もうもうたる煙の中でさんまを焼いたものでございますね。
その熱々のさんまをほぐして、ご飯で食べるのを「かど飯」なぞと申したんですね。家の角で焼いていたんで付けられた名前ですね。
やはり、さんまといえば代表格は「目黒のさんま」に尽きますね。


なんて、噺風に書いてみましたが、ハルコ大の落語好きなのです。
何度か「落語と食」「落語と酒」をテーマに雑誌等で企画したことがあります。
現在は無い雑誌ですが、「Vegeta(ベジタ)」(誠文堂新光社)のお手伝いで、アートディレクター兼編集構成を3年ほどしておりました。20年以上前に野菜だけを扱う一般誌の先駆けでしたね。
その中の企画に、1年12ヶ月「落語と食」というテーマで、野菜を中心にした噺を取り上げて、落語に詳しい友人に原稿を依頼して連載しておりましたが、今読み返しても面白い!
この企画どこかに持ち込めないかしらと、思うハルコでした。

2012年10月2日火曜日

豆腐の日

2日続けて安直なテーマですが「○○の日」、今日10月2日は「豆腐の日」です。
しかし、この制定が単なる語呂合わせ「102(とーふ)」で情けない。
また、毎月12日も日本豆腐協会制定の「12(とーふ)」の日なのです。


今さら豆腐の云われを書いても、皆さんが知っていることばかりでしょう。
そのくらい豆腐は当たり前のように日本人の生活に溶け込んでいますね。
日本で「豆腐」の記述が出てくるのは、奈良の春日若宮の神主中臣裕重の日記に「唐符(豆腐)」とあるのが最初です。
日本には、遣唐使以後に僧侶を通じて渡来したのですが、「唐符」「唐辛子」「唐黍」等の由来と同じですね。
これとは別に、「豆腐」が何故「豆が腐る」のか? と、疑問に思っている方も多いのではないでしょうか。
「豆腐」をむりくり「豆富」などと当て字にしているのもありますね。

豆腐の判じ物のような名称は、白壁に似ているのでついた「おかべ」や、豆腐を作る時の皮が老婆のしわに似ていることから「うば」といい、転じて「湯葉(ゆば)」になったりしました。

話は戻って「豆が腐る」ですが、元々中国大陸では「腐」とは液体でも個体でもない「ぷよぷよした状態」を指します。
唐の時代には粥に酪しょう(ヨーグルトのようなもの)をかけて食べていたそうです。
唐王朝は元々北方の出身で、満州族や蒙古族との接触も多く、唐代の人々は乳製品に親しんでおり、馬乳や牛乳を酵素の働きで凝固させたものを、腐乳と名付け食べていたのです。
豆腐の「腐」の字は、豆から腐乳を作ろうとする過程で出来たものだと推測されるのですが、本当のところはどうなんでしょうか。

2012年10月1日月曜日

コーヒー・日本酒・日本茶・醤油の日


台風一過。真夏に戻ってしまいましたね。
10月1日は「コーヒの日」「日本酒の日」が重なっているのです。
そればかりではなく「日本茶の日」「醤油の日」と、まだまだあるのです。
いや、10月1日って人気者なのですね。

「コーヒーの日」は、国際協定で10月1日からコーヒーの新年度が始まる日ということで、1983年に全国コーヒー協会が制定したそうです。
また、「日本酒の日」は1978年に制定、「醤油の日」は2003年ですが、干支の十番目が「酉」なので、この文字は醸造に関する象形文字由来があるということで、決められたそうです。

夏が終わり実りの秋になり、収穫された物が出回る頃なので、10月1日は納得ですが、「日本茶の日」は秀吉の北野天満宮の大茶会を催した日なので、伊藤園が制定したそうですが、何だかあまりピンと来ませんね。やはり、新茶の季節の方がしっくりするのでは。
 ちなみに10月1日は、1918年に森永製菓が「ポケット用ミルクチョコレート」を発売して、チョコレートが一般大衆の嗜好品になった最初の日でもあります。

その他にも、1938年に列車の食堂車の日食が設立され、1961年にコカコーラの完全自由化が実現し……おっと、お酒はまだありますね。
1962年にウォツカ、ラムの自由化、1964年にはブランデーも。
本当に飲み物関係では忙しい1日ですね。