2011年11月23日水曜日

アンペルマン


皆さんは“アンペルマン”をご存知でしょうか?
ハルコの事務所のスタッフ(女子3人)にに聞いたら、一人だけ知っていました。まぁ、日本では知名度は低いですね。

 “アンペルマン”とは、直訳すると“信号の人(Ampelmann 独語ではAmpelmännchen)という意味です。信号機の“進め”“止まれ”のマークがアンペルマンなのです。
今回の旅行の楽しみの一つはアンペルマンショップで色々なアンペルマングッズを見たり、購入することでした。

アンペルマンは、旧東ドイツで信号機に使われていたピクトグラムのことです。マークともいいますが、ピクトグラムとマークは厳密には違います。
マークはそれ自体が解るものも、“何だか解らない”というのもマークです。ピクトグラムは、難しく言うと「事前の学習なしでも、即物的に判る伝達効果」のことで、記号とも違います。加減乗除の+-×÷は学習していない人(例えばハルコ)には何だか判らないものです。
ピクトグラムを和訳すると「絵文字」「絵ことば」という意味になるでしょうか。今は至る所で目にしますね。特にその国の言葉を解さない人々にとっては、公共交通やトイレの場所等と大切なものです。

話は旧東ドイツの信号のアンペルマンに戻ります。アンペルマンは、1961年にカール・ベグラウさんが安全で高い心理的効果に基づいて考案されたものです。
東西統一に伴って、信号機も西ドイツ(ベルリン)に統一されそうになりましたが、長年慣れ親しんできた東ベルリンの市民が「アンペルマンを救え」と、西側からも運動を起こして生き延びたピクトグラムです。
ベルリンで宿泊したホテルが旧東ベルリン地区で、至る所にアンペルマンの信号機がありました。でも、旧西ベルリン地域の信号はスマートでちょっと味気ないですね。
ドイツは統一前に来ただけで、ベルリンも初めてでしたが、街の印象は水平垂直がきちんとしているなぁ、と感じました。
デザイン的にきちっとしているけれど、“味”がない。それでも生き残った信号のアンペルマンを見ていると、暖かさと優しさに、哀愁を感じてしまいました。
統一で流れの方向は決まっていましたが、何だか東側の人達の意地を感じるのはハルコだけでしょうか。最近は逆に旧西ドイツの町のハイデルベルグやシュトゥッガルトでもアンペルマンの信号機が設置され始めたそうです。
ドレスデンの信号もアンペルマンだそうですが、残念ながら滞在時間が短く見られませんでした。

また、信号のアンペルマンは今やキャラクタ-化されて、色々なデザイングッズになっております。
ショップの入口には、アンペルマンのキャラクタ-を冠したカフェレストラン「HACKESSCHER HOF」がありました。ハルコはここでなぜだか“ウィンナー・シュニッツェル”をいただいたのです。


喜んでアンペルマンバッグを購入して、肩にかけて数日ベルリンを歩きましたが、誰もアンペルマンを持っている人には会わず……。
東京に帰ってアンペルマンバッグをしていたらオクサマから“変!”の一言!
トホホ。あんなにベルリンで“光って”いたのに。

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