2013年5月21日火曜日

不味いものこそ、神の恩寵ありや。


昨日は「旨いものは、飽きる」という話を書きましたが、今日は真逆の「不味いもの」の話です。
極論を言うと「旨いもの」は幸運が重なったもので、「不味いもの」は不運に見舞われしものです。

自分で料理をする時は、よほどの事がなければ「不味く」作るのは難しいですね。
ただ、素材の苦みやエグ味が取り除けずに、いくら味を足してもどんどん「不味く」なるしかない料理もあります。
これは、実に良い経験なのです。
苦みやエグ味がどうしたら取れるのか? と学習する機会が与えられたと思うか、この素材は嫌いだから二度と手を出さない、という消極的な体験も積めるのです。

これが、出来合いの食品を買ったり外で食べるとなると、ちょっと事情が違います。
あまり体験したくはないのですが、「不味い」というジャンルの料理が存在するのです。
例えば、鮎を食べる時に付く「たで酢」なんか、どう考えてもハルコ的には不味いと思うのですが、オクサマに言わせると「ハルコの味覚はお子ちゃま」だそうな。
酸味にも弱いのですが、苦みも好きではないのです。鮎は塩焼きそのままでがぶりです。たで酢なんぞは使いません!
でも、これに文句を言っても、お店は取り合ってくれませんよね。単にバカにされるだけです。

そして、問題は「どうしたら、こんなに不味く出来るのか!」という料理ですが、たまに出くわします。
大体初めて行く店に多いようで、それも突き出しから不味いのです。
先日も、某店で不味い突出しが出てきて「こりゃ喰えんわ!」と残し、次々に頼む料理、これがみんな不味い!
むしろ感心しました。こんな簡単な料理を、これだけ不味く作れるのは一種の才能ではないかと。
この手の店に入った不幸は自分の見る目の無さで、早々に切り上げて出たのは言うまでもありません。

不味いものをいただくというのは、普段いかに気にせずに「美味しいもの」をいただいているか、ということでですね。
神に感謝してしまいます。

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