2012年6月29日金曜日

今日もハルコてんてこ舞い


いつもハルコを応援してくださる皆様、ありがとうございます。

本日ハルコは1日外出しているため、ブログをお休みします。
今後ともハルコをよろしくお願いいたします。

近況はFBにて随時発信しております。
ハルコのfacebook

2012年6月28日木曜日

ハルコ、李香蘭に逢う!

先週は撮影で外出がが多かったのですが、今週は仕事場にいる時間が長いです。
これからまた、日曜から木曜まで撮影で事務所を空けるので、ブログを書いてる時間は取れるかどうか。
ついつい、整理をしていない本の片付けをはじめてしまう悪い癖があります。


料理関係の本の下に『李香蘭 私の半生』という本を発見。
李香蘭こと山口淑子さんの自伝です(山口淑子・藤原作弥の共著形式で新潮社刊)。
1987年の本なので、もう25年も前の本ですね。最近は何だか古本の虫干をしている様な感じです。
この本は購入した時に一気に読んだ記憶があります。本当に波瀾万丈の人生を体験した女性ですね。

中国満州に生まれて、日本人なのに中国名・李香蘭(リー・シャンラン)でデビューし大スターになり、終戦後に漢奴(中国を裏切った中国人)として死刑の判決を受けるのですが、日本人と証明されて国外退去にになり、日本帰国後は山口淑子として映画界で活躍し、引退後にテレビの司会者になり、参議院議員まで勤めました。
1920年生まれなので今年で92歳におなりです。劇団四季の「ミュージカル李香蘭」を若い知人が観て、李香蘭は実在の人物だとは知らなかったという話も聞いたくらい、もう歴史上の人物なのですね。

話はここからです。
実は大きい声では言えませんが、ハルコ、李香蘭さんにお逢いしたことがあるのです!
今を去ること5年前の桜の頃、さるお金持ちのご自宅(マンションワンフロア所有)で、花見があるのでお誘いを受けたのです(当然オクサマのお供でございます)。
その時に、ゲストで李香蘭さんがいらっしゃると聞いたので、自伝を持参して行ったのです。
紹介して下さった方が、何を思ったのかハルコに向かって
「戦前から李香蘭さんのファンの方です」
えぇ~~! ハルコはこれでも戦後生まれじゃ!

といった経緯があり、李香蘭さんから「ハルコさんへ」とサインをいただいたのです。
ハルコ、李香蘭さんのためにオードブルをお皿に取ったりと、甲斐甲斐しくサービスに努めたのです。
李香蘭さん「最近は日本の男性も、そのようなこと(ハルコの甲斐甲斐しさ)をするようになったのですね
これは、お手伝いハルコの誉れでございます。

2012年6月27日水曜日

阿部なを

さて、表題の「阿部なを」さんのことを、現在どのくらいの方が覚えているでしょうか?

相当昔のことに詳しい方でないと知らないと思いますが、事務所の書架をボーッと見ていたら『おばあちゃんの台所修行』というタイトルが目に入りました。著者は“阿部なを” 昭和60年の発行ですが、版元の鎌倉書房も倒産して現在はありませんね。
27年前に読んだ記憶があるのですが、完璧に忘れていました。パラパラ読んで記憶を呼び起こしました(以下は抜粋です)。





暮らしの基本を忘れて久しいです。
基本となるべきもの、すべてが替わってしまうのも時の流れで、
自然のこと、それについて行けない私のほうが、むしろおかしいのかもしれません。
「足るを知る」なぞ死語となり、足りない、足りないと求め続けて、
歯止めのない生活が、本当に人間を豊かにするのでしょうか……。
不足のものを補おうとする心のくばりのあるのが人間なのに、
その心がなえてちぢこまって、物質に負けてしまいそう。
米と味噌、醤油、塩、みりん、かつお節、煮干し、砂糖、蜂蜜、油、
これだけでも多すぎるくらいに思われるのです。
たぶん、現在はこの何倍かの調味料が出回って、
自分の味をもてない人たちを迷わしているのでしょう。

日々、“食の追求”という名目で色々なものを食べていますが、暮らしの基本のことを再考せねばと、改めて思い返しました。

阿部なをさんは1911年青森に生まれ、1996年に85歳で没し、数えれば生誕100年ですね。
人形作家としても活躍しましたが、上野松坂屋に山菜料理の店を開いて、上野駅前にみちのく郷土料理店「北畔」を開き、料理研究家として一時代を築かれた方です。
彼女の生前、はじめて編集者に「北畔」に連れて行かれた時に、煮物の鍋の底がひしゃげているのを聞いたら、阿部なをさんが「こんなものでもちゃんと役に立っているのよ」とおっしゃっていました。
白髪を丸髷にして襷をかけた姿が大変凛々しい方でした。
偶然目に入って開いた本でしたが、大切なことを忘れていたような気がしました。
(写真は『おばあちゃんの台所修行」より、写真安藤紀夫)

2012年6月26日火曜日

包丁と料理人


ご存知かもしれませんが、ハルコは包丁好きです。
仕事での取材や、客として料理店に行った時に、料理人さんに「どんな包丁をお使いですか?」と、よく聞きます。
場合によっては直に包丁を触らせてくださる方もおります。

ただ、料理のジャンルが違えば包丁への温度差も随分違いがあります。
和洋中で言うと、ダントツに和食(日本料理)の料理人さんが包丁への思いは強いようです。さらに、中でも鮨職人さんが一番包丁へのこだわりがあるようです。
確かに、和食は切る・煮る・炊く・焼くなど調理法の幅は広いですが、鮨は素材を切るという部分(他に下ごしらえやすし飯もありますが)と、握るという2つが重要で、包丁が冴えないと、すべて台無しです。

以前、銀座の「小笹寿し」寺嶋和平さんの元で、「ハルコ修行」をした時のことです。
その時は、まぐろをサク切りしてからヅケにして、ヅケ丼にするという内容でしたが、やはりハルコの目は包丁に吸い寄せられました。
通常刺身を引く包丁は柳刃や蛸引き包丁で、刃渡りも30cmを超すものが多いです。
しかし、和平さんの包丁は20cmにも満たないのです。おまけに柄の部分がへこんでいるのです。
和平さんにさらにお伺いすると、この包丁も元々30cm以上のいわゆる尺包丁で、長年使い込んで研いでいる内に10cmも短くなり、柄も2回取り替えたけれど、また柄の部分も握りの部分が摩耗してしまったとのことでした。
いやはや、職人魂ですね。
そこまで使われた包丁も幸せですが、その包丁を通して数多くのお客様が楽しく喜んで鮨を召し上がった、という長い時間を思いました。

それに引き換え、ハルコの包丁のすり減らなさは、まだまだ修行が足りないと思う次第ですね。
包丁と料理人の話はたくさんあるので、これからも随時書いて行きます。

2012年6月25日月曜日

暴飲暴食


6月は風邪をこじらせたせいか、何だか体調がイマイチです。
おまけに幾つかの種類の薬を飲んでいるので、普段とはまた変わって身体の調子が優れませんね。

先日テレビで、百歳の方々の食生活の番組を観ていたのですが、まぁ皆様お元気で沢山召しあがる上に、随分肉を好んでいるんですね。
専門家の話では、70歳を超したらある程度コレステロールが高い方が良い、とのことですが、肉食をしているから元気というよりは、元気だから肉が沢山食べられるということなのでしょうか。
その中で100歳を超している方(女性)は「肉は大好きだが、野菜は嫌いだ!」とおっしゃっておりました。何だか、一般的な常識の埒外の世界のような気もします。
毎日食生活を気にしていても、長生き出来るとは限らないのですね。

さて、この所体調が万全ではないのですが、色々とお誘いがあり「たくさん食べる、たくさん飲む」会が続いておりました。
元々逆流性食道炎のハルコは、「暴飲暴食」は本来慎まなくてならないことですが、場の雰囲気でついつい許容量を超えてしまいがちです。
オクサマは、骨折のギブスも取れて大分お元気で、さらに、飲み過ぎ食べ過ぎに大変効くという薬を飲んで絶好調です。
キリスト教の7つの大罪のひとつに「大食(暴食)」の罪がありますが、それに従うなら毎日が大罪ですね。

禁欲と享楽の狭間で体調を気にしていても辛い物です。
朝、体重計の数字を見るにつけ、1年前より3キロ増えたまま下がらないのが気になります。うーん、やはり少し生活をリセットする必要がありますね。
まず、プチ断食しよう!

2012年6月22日金曜日

バレエ

今日は朝から雨です。一度事務所に立ち寄り、今日は終日日本橋三越本店で会議です。
出かける前に、「ひとブログ」うむ、どうしょうか。
FBをご覧の方々はハルコのプロフィール写真(イラストですが)バレエハルコになったのはご存知かと思います。
今日はバレエのお話です。


 オクサマはバレエが大好きでございます。多い時はほぼ毎週、上野の文化会館、初台の新国立劇場などのバレエ公演にお出かけです。
えっ、ハルコも? いえいえ、とんでもございません。

今度、オクサマが『名作バレエ50鑑賞入門』を編集して発刊されたのですが、ハルコも少し制作のお手伝いをしております。
過去にも新国立バレエ団のDVD付きで、「白鳥の湖」「ライモンダ」「ドン・キホーテ」「くるみ割り人形」「アラジン」の5冊を刊行しております。

オクサマは観るだけではなく、3年ほど実際にバレエもしておりました。
バレエ教室に通われて、舞台にも3年連続で立たれてます。
最初は村娘の役だったのが、最後の舞台(?)は白鳥の湖の王妃の役と随分出世したもんです。
第2幕の終わりに、王妃さまが気絶するシーンでどう気絶するかを、わが家でハルコが演技指導をしました。「びっくりして『シェー!』(赤塚不二夫のイヤミ)にしたら?」と言ったら怒られてしまいました。

国内ではあまりバレエ公演へのお供はしないのですが、海外ではモスクワのボリショイ劇場を始め、サンクトペテルベルク、ウィーン、ベルリン……と一緒に鑑賞しに参りましたが、ハルコほぼ寝ておりました(ダメじゃん)。

そんなハルコはさておき、バレエに興味をお持ちの方は『名作バレエ50鑑賞入門』をぜひお手に取ってみてください。

2012年6月21日木曜日

カレースープください!

特にファンというわけでもないのですが、日曜の夜9時からドラマ『ATARU』(TBS系)を何故か視聴しております。
知らない方のために簡単に内容を紹介すると、主人公のアタル=チョコザイ(中井正広)”サヴァン症候群”という病気(この病気はダスティン・ホフマン主演の『レインマン』と同じ)にかかっており、ある特定分野では天才という設定で、難事件を解決していくのです。サヴァンはフランス語で「賢人」という意味です。


さて、主人公のチョコザイ君はアメリカ製の「カレースープ」をそのまま常食(常飲?)しているのですが、その商品が無い時にチョコザイ君は「カレースープください!」というセリフを言うのです。
そうすると、栗山千明演じる刑事が“日清のどん兵衛”のカレーうどんの麺だけを食べて、チョコザイ君にスープのみをあげると喜んで飲む、という展開になるのです。
チョコザイ君を演じている中井君は元々日清のどん兵衛シリーズのCMに出ているのでまあざとい広告宣伝とは思いますが、つい乗せられて購入して食べてみました(写真)。

さて、そのカレースープですが、1971年には札幌の「アジャンタ」で誕生しているのですね。
その後にマジックスパイスから“スープカレー”として発売されて人気を得て、全国区になって10年くらいでしょうか。
ドロドロが身上のカレーからとろみを除き、サラサラになっていくのは、「血液サラサラブーム」と呼応しているような印象があります。
一度、「ドロドロ系VSサラサラ系」の歴史をテーマに研究しても良いなぁと思った次第です。

昔貧乏学生だった頃、友人のアパートで晩ご飯にご飯を炊いて、カレーのルーだけをかけたカレーを思い出しました。
カレー(スープ)がご飯を通過して下に溜まる様を見て、あぁ、“ビンボー”と思いました。
ちなみに、そのカレースープご飯を作ってくれた友人は1個だけ残った生卵をのっけて食べておりました。クヤシー!

2012年6月20日水曜日

やっと巡り逢えた二人の料理人!

今週は、というより先週の土曜日から撮影の連続で、ブログを書くというより、事務所にも居られませんでした。
やっと5連続の撮影が終了して、事務所のPCの前でブログを書いてます。


昨日は6月としては8年ぶりの台風本土上陸とかで、大変な荒れ模様の1日でした。
さて、その台風の最中に、長年喉に刺さっていたとげが取れました。

ハルコは岩手県生まれですが、同郷の料理人の知り合いが幾人かおります。
その中で、ドンチッチョの石川勉さんジーテンの吉田勝彦さんを随分前から引き合わせようと考えていたのでした。
お二人は現在の奥州市(前沢町)で同じ中学の先輩後輩だったのです。
ハルコが仕事や客としてそれぞれ、お二人に会って話している時に同郷という話を聞いたのですが、お互いに面識はなかったのです。
それぞれ、イタリアンと中華というジャンルの違いかもしれませんが、双方とも実力のある有名料理人です。
その話を双方にしたのがかれこれ10年も前の事です。それ以来「会わせます、会ってもらいます」と、狼ハルコは「空手形」を連発しておりました。
それが、台風の晩に実現したのです。

そしてその実現には、もう一人の方が関わっていたのです。ハルコがFBでお友達になった、岩手県の産業創造アドバイザーの大滝克美さんです。
大滝さんは現在岩手の産業振興のために尽力されており、一度岩手出身の料理人さんをご紹介したかったのです。
それがやっと実現して、喉の小骨が取れたというわけです。

昨年の東日本大震災後に直ぐに活動出来ずに、忸怩たる思いでした。
大滝さん曰く、人にはそれぞれの役割があります。インフラを整える人、インフラが整ってから活躍出来る人。
ハルコはこの言葉に勇気を得て、繋がりの有る方々と何か役に立つ事をしたいと考えた台風の一夜でした。

2012年6月19日火曜日

ハルコ、暇なし!


いつもハルコを応援してくださる皆様、ありがとうございます。

本日はハルコ超多忙につき、ブログをお休みします。
今後ともハルコをよろしくお願いいたします。

近況はFBにて随時発信しております。
ハルコのfacebook

2012年6月18日月曜日

撮影立会という仕事

今月は撮影の繁忙月で、終日撮影が連日続いてます。
別にカメラマンではないので写真を自分で撮るわけではありませんが、立会という仕事をするわけです。
少し撮影立会の話をしてみます。


撮影も小規模の簡単なモノ撮影から、参加人数の多い撮影までマチマチです。
今月の撮影は非常にバラエティーに富んでいるのです。
写真スタジオでの物撮り(商品撮影)から、ロケのモデルさん撮影までバラバラでカメラマンも5名おり、それぞれファッシィンスタイリスト、着物コーディネーター、フードスタイリスト、ヘアメイクと、専門家の手を借ります。
こちらは編集者、デザイナーの制作チームが担当別に対応します。ハルコは一応媒体編集長ということで、仕上がりの写真に対しての責任を持ちます。
それが立会という仕事になります。

この業界に入って、数え切れないくらい撮影立会をしてきました。
初めての撮影立会は今でも覚えています。
昔勤めていた事務所で、家庭画報の目次の撮影の立会をボスから命じられて、スタジオに行きました。
スタジオには編集者とカメラマンがいて、夏の号なので砂を引き、その上に貝殻を乗せて撮るシーンだったと記憶しております。
編集者からは、見開きの目次の上に文字を入れるので、下の貝殻の位置を決めろと言われましたが、何せ撮影立会のビギナーハルコとしては、何も指示どころかどうすれば良いのかサッパリ判りませんでした。

今なら、デジタルでモニター画面で確認出来ますが、その当時はアナログフィルムで、ポラロイドもまだ高価で、さほど普及してませんでした(その頃のポラロイドフィルムは、モノクロの印画紙状態で、直ぐに酢酸の臭いのする定着液を塗っていました)。
カメラの小さなファインダーを覗いて、全体のバランスを考えるなんて、出来っこないですね。
役に立たないのがバレてしまい、そので静かに見てなさいと云われました(トホホ)。
もう、35年も昔の話です。その編集者はその後オレンジページの創刊編集長になったTさんでした。
ちょいと、撮影立会話は続きます。

2012年6月15日金曜日

日本酒の名前が読めない!

はるか昔の話で恐縮ですが、お酒には特級、一級、二級の等級があった時代がありました。特級だから旨くて二級だから不味いという区分ではなく単なる酒税の関係だったのですね。その頃はお店でも灘の酒が多く、剣菱、月桂冠、松竹梅と酒界のナショナルブランドが占めてました。
 段々日本酒離れが進み等級制度が無くなり、地方の蔵元さんからも多くの酒が流通し、日本酒を色々と取り揃える専門店も増えて、かえって日本酒は幅広く愛飲されるようになりましたね。

と、いう話ではなく「日本酒の名前が読めない!」とハルコは嘆いたのであります。
先日もとある和食屋さんへ出かけて、まずビール、そして日本酒という運びになり、日本酒のお品書きが出て来たところ「????」
この店はあまり出回っていない日本酒を置いているようで、ほとんど飲んだ事はもちろん見た事さえありませんでした。それ以上に字が読めない!

読めないというのは2種類あり、文字通り読めない、どう読んで良いのか判らない。まぁ、匙を投げる、タオルを投げたくなる難字ですね。
もうひとつは文字は簡単だがどう読むと正しいのか判らない。
卑近な例だと東京に「桜泉」というお酒があります。この2文字は読めるのですが、「おういずみ」「さくらいずみ」「おうせん」と幾通りにも読めますね(答えは「おういずみ」)。
何だか注文する際に、こちらの漢字知識の無さを露呈しているようで頼みにくい!
お店の人におずおずと「これは何と読むのですか?」と小さな声で聞くのですが、カウンターで他のお客がいると、間違いを笑われるのではと思ってしまって、頼みにくい!
お品書きに“るび”でもふってくれればと思うのはハルコだけでしょうか?

ちょっと見て読みにくい例を上げてみます。
「熊古露里」「雪晒」「阿弓流爲」「霞城寿」「猿庫の泉」「亀亀覇」……。
もう少し漢字のお勉強して見栄を張ろうかなぁ。

※答えはクマコロリ、ユキサラシ、アテルイ、カジョウコトブキ、サルノクラノイズミ、カメカメハ

2012年6月14日木曜日

箸と匙の間で


オクサマの肘骨折から2週間経ちましたが、大分経緯は良いようです。
この2週間、自宅や外食で随分不自由で不便な思いをしたと思います。

ハルコが全てに介助しているわけではありませんが、食事の際の左右の手の使い方に関して色々と考えてしまいました。
右手は大丈夫なので箸は持てますが、左手を固定しているので、通常左手の役割の“碗を持つ、フォークで押さえてナイフで切る”(他にも有りますが)の動作が出来ません。
ナイフで切るという行為自体は、小さく切ってもらうか最初から食べなければ良いのですが、問題は碗を持つことです。
碗を左手で持ち上げ、右手の箸で料理を摘んで口に運ぶという一連の動作が、右手で料理を摘んで口に運び、一旦箸を置いて碗を右手の持ち替えて口に運び中の汁を飲む。
と、大変な作業になるので、自宅ではを併用して食べて、外食でも可能な限り匙を出してもらうようにしています。

先日も神楽坂の「宮下」で、和食のコースにオクサマ用に全て匙を出していただきましたが、碗物の汁を匙で飲む姿は新鮮でしたね。
以前から郷に入れば郷に従えと、旅行に行く場所での食文化スタイルは守ろうと考えてきました。中国や韓国で食器を持たない文化圏では、同様に食器を卓上に置いたまま食べますが、今回のオクサマの災難で普段当たり前と考えていることに対して再考する価値があると思ったのです。

それは、です。
匙、スプーンがあれば何と便利なことでしょうか(当たり前ですが)。確かに茶碗蒸しを食べる時は匙が出て来ますが、食事の基本は箸で通しますね。
礼法などの影響で匙を排除して食べるスタイルが確立されたのですが、匙をちゃんと作法の中に組み込んでも良いのではないかと前から思っています。
高級な日本料理店で、料理を食べた後に旨味たっぷりの銀餡や汁が残りますが、それこそ碗(椀)ものではないので、口を付けて飲み干すことは下品とされていますが、一番旨い部分を喰わずして……。即座に匙をください、さらにいうと一口のご飯も欲しいところです。
これがフレンチなら、パンでソースをぬぐうことも出来るし、何で日本料理は見てくれ重視なのかと、いつも思います。

会席の前身の懐石、さらに原型の禅宗の“応量器”を用いる食事作法は匙が中心、箸(異字体有り)はあくまで物を摘む脇役です。
と言っても、箸ひとつ満足に使えない人には関係のない話ですがね。

これを機にもう一度、東南アジア、中国、朝鮮半島の日本との箸と匙の間をもう一度勉強しなおそう!

2012年6月13日水曜日

本の始末

今日13日は太宰治の「桜桃忌」ですが、まったく関係のない話です。 長い間出版関係の仕事に従事してきて、制作に関わった雑誌や書籍・ムックは大変な量になりますが、この話も関係なく、長年買い続けて来た雑誌や書籍の問題の話です。


わが家はオクサマ・ハルコともに編集やデザインに非常に隣接している職業ゆえに、本を沢山購入して所有しております。
本を置いている場所は、自宅・事務所・新潟のセカンドハウスの3個所です。
 自宅は非常に個人的な趣味性の高い本や小説・全集等、事務所は仕事に必要な書籍と食・料理関係の資料(雑誌、書籍、料理本多数)に、雑誌の創刊号コレクションが1000冊くらい。新潟は読み終えた時代劇小説文庫やいつか見ようと思っている美術書からコミックまで多数。
自宅には、造り付けの本棚2カ所にワードローブの中まで、書籍、雑誌、展覧会カタログ、映画、演劇、オペラ、バレエのパンフレット……。
と、全体分量は不明です。現在の自宅に引っ越してきた際に、4トントラックが全部本の段ボールで埋まっておりました。

読まなくなった本は、定期的に地下鉄三田線巣鴨駅構内の「地蔵文庫」に寄贈していたのですが、いつの間にかコーナーが消滅!
自宅と事務所で溢れた本は、ここ数年セカンドハウスへ送っていたのですが、そちらも満杯になり、昨年整理してBOOKOFFへ出しました。
最近は極力無駄な本は買わないようにしていますが、それでもジワジワと本が浸食してきます。油断すると、一山、二山と本の山があっちこっちに。

物心ついた時から本は常に自分の側に寄り添っていました。それこそ、朝から夜寝るまで、旅行にも病床の枕の側にも。
ハルコはある意味で趣味が仕事になったので、本当の趣味というものは無い様な気がします。言葉の絢ではなく、趣味は仕事なのです。そして、唯一趣味と言えば読書なのでしょう。
 ご飯を食べる様に読書をして、ちょっと出かける時にも読む本が無いと心の安定が保たれません。活字中毒だと自負してます。

問題は増え続ける本をどうするか。
本というのはそれを読む個人の、一見無関係な関係の体系です。第3者からみれば秩序も何もないのですが、本人には大切な世界です。
けれど自分がこの世から去った後には、単に紙を束ねた物質にしか過ぎません。
徐々に本の始末を真剣に考える必要がありますね。

2012年6月12日火曜日

ジャック・タチって知ってますか?


ジャック・タチと聞いてすぐにピンとくる人は、相当な喜劇映画通ですね。
ハルコが個人的に非常に好きな俳優で映画監督なのです。

1907年の生まれで1982年に亡くなっているので、没後30年でしょうか。
ハルコは性格的に重く考える様な映画は苦手です。
喜劇映画が大好きで、それもペーソスではなく、乾いた笑いの映画を好みます。つまり、チャップリンではなくバスター・キートンの方向です。

ジャック・タチは乾いた喜劇の流れを汲み、非常にスタイリッシュでモダンな世界観を持っています。
のっぽで小さな帽子をかぶり、吸い口の長いパイプをくわえ、レインコートと寸足らずのズボンを着用したジャック・タチ本人が演じている主人公「ムッシュ・ユロ」
元々タチはパントマイムから演芸の世界に入った人物なので、その映画での身体パフォーマンス性は素晴らしいのです。
フランスのエスプリを含んだ映像を観ているだけで、クスクスと笑いながら心が癒されていきます。

説明の無い、ある意味では“不条理”な日常がジャック・タチの世界です。
『のんき大将脱線の巻』『ぼくの伯父さんの休暇』『ぼくのおじさん』『プレイタイム』『トラフィック』……。作品の数はそれほど多くはありませんが、観ていて脱力すること請け合いです。

ハルコのキャラも、実はタチの影響を受けているのですが、まだ洗練とはほど遠いですね。もっと洗練しなくては!
昔、フランス食品振興会(ソペクサ)の仕事をた時に、ローヌワインの販促でハルコを起用する話がありました。
最終的に採用されたのですが、本国から「ハルコは、エレガンスなのか?」という問い合わせがあったそうです。
当然ハルコはエレガンスですよね。自称タチの流れを引いているのですから。
えっ、“タチの悪い”冗談は止めろ?
いや、ジャックの後にはクイーンが控えてますからね(うむ、落ちなかった)。

2012年6月11日月曜日

ハルコ少し復活か?


土日は自宅で静養しつつ、オクサマ介助と穏やかに過ごしました。今朝は事務所に7時半出社し、日赤に問診と点滴治療を受けて、神楽坂の料理研究家脇雅世先生のスタジオに遅れて打合せ参加。ちょっと遅めの昼ご飯を九頭竜蕎麦で。
ランチにあったソースカツ丼をいただきましたが、これが結構ハルコ好みの味でございました。
 ブログは暫しお休みしており皆様にはご心配おけしましたが、体調も徐々に回復しつつあり、今週中には復活したいと思います。


久しぶりに、点滴治療を3回受けましたが、ダイレクトに身体に直接薬が入って、効いている感じがわかります。
1時間弱の点滴で横たわって、気持ち良く寝てしまいました。

気が付けば、6月も1/3が終了です。残りを取り返すべく、働かねば。
最近質の悪い風邪も流行っているようです。皆様もご自愛くださいませ。

2012年6月8日金曜日

ハルコ休養中


ハルコです。体調不良により、昨日に引き続きブログの更新をお休みします。
1日も早い回復を努めますので、皆様よろしくお願いいたします。

近況は随時FBにて発信しております。
ハルコのfacebook

ハルコの電子書籍「お手伝いハルコのプロから学ぶ料理修行」が配信中です。
よろしくお願いいたします。

BookLiveから好評配信中!!

2012年6月7日木曜日

本日はお休みします

いつもハルコのブログを読んでくださる皆様、本当にありがとうございます。
本日は体調不良のため、 ブログ更新はお休みいたします。
今後ともハルコをよろしくお願いいたします。


詳細は随時FBにて発信しております。
ハルコのfacebook

2012年6月6日水曜日

元の木阿弥考

風邪で寝付かれないと同時に、飲んでいる薬の影響か変な夢を断片的に見ます。
夢の中でFBの「いいね」を押しているのは、寝ながらipadで遊んでいるのに違いありません。

今朝は夢の中で(夢の内容は忘れてしまいましたが)、最後に目が覚める瞬間に「これじゃ、元の木阿弥だ」という自分の声で起きたのです。
何だか目覚めの悪い夢ですね。元の木阿弥だなんて。夢の前半を覚えていないので、何が元の木阿弥なんだろう?と、大変気になってしまいました。

元々この「元の木阿弥」は諸説ありますが、戦国時代に大和の武将、筒井順昭が不治の病で若くして亡くなり、その息子で後の筒井順慶がまだ幼く、敵対する松永家が攻めてくる恐れがあったので、順昭の遺言でその死は隠されました。
そして筒井順慶が正式な当主になるまで、順昭と声が非常に似ている奈良の木阿弥(黙阿弥)を影武者として仕立てたのです。
やがて順慶が家督を継ぎ、木阿弥は影武者の任を解かれ奈良に帰り「元の木阿弥」になったという故事からきているのです。

一旦、状態・情況が良くなったものが悪い状態に戻るという使われ方もしますが、はたとこの故事のご本人の木阿弥さんはどういう心境だっんだろうかと考えてしまいました。
貧乏から始まり、筒井家の当主の影武者=贅沢をしていたのが、また元の貧乏に。
これは、最初を「ゼロ」と考えると「プラス」→「マイナス」という図式になりますが、元々「ゼロ」だったので、贅沢出来た期間の「プラス」はその後の落差が大きく「マイナス」と感じるでしょう。しかしこれを「得難い体験」とすれば「プラス」ではないかということです。

仕事をしていても「骨折り損のくたびれ儲け」という言葉がありますが、最初より悪くなるには悪くなる理由があるものです。
それを考えれば「元の木阿弥」も、次のチャンスがあれば、原因を追及して「プラス」にする事は可能ですね。
と、いいながらも、今朝の「元の木阿弥」は何だったんだろう?

2012年6月5日火曜日

ユニバーサルデザイン

ハルコもだいぶ、オクサマのギプス用の包帯を巻いたりするのが上達してきました。毎日本人も大変ですが、サポートする側も大変なのです。


自分自身10年ほど前に“やんちゃ”(おかまバーで裸足でモップを持ちながら“お掃除おばちゃん”を歌いながらソファーからかかとで着地!)をして両かかとにヒビが入り、相当な歩行困難になって病院に通ったり杖をついたりと、散々な目にあっています(えっ、自業自得?)。
普段は何でも無い事が、何かの障害で変化する。今回のオクサマの肘骨折で色々と考えました。

食事の際も、日本の食文化は器を持つ文化なので片手では非常に食べにくいのですが、食べるものは基本的に小さく切れていて食べやすい。しかし、フォークとナイフを併用するフレンチは現時点でオクサマ向きではないですね。
昨夜行った麻布十番の「ケパッキア」はイタリアンですが、箸も出してくださいました。そのホスピタリティーは好感が持てますね。
昔某イタリアンで、客が「箸を出して」と言っているのに、支配人が「イタリアンではフォークとナイフで召し上がってください」と言って客を怒らせたことを、その料理店のオーナーマダムから聞きました。その客は常連さんで、当日手が痛くて片手しか使えなったそうで、もう論外な話ですね。

以前から、障害を持った方の器具開発には興味がありました。特にキッチン用品の開発も検討しました。
しかしそれぞれ違った障害の問題があり、個別に解決するアプローチが違うので、それに合わせてカスタマイズする必要があり、標準は作りにくいと感じていました。
でも、今回の件でもう一度、ユニバーサルデザインについて考え直そうと思いました。
ハルコ、転んでもただでは起きない!
いや、転んだのはオクサマでした。

2012年6月4日月曜日

ちりめん亭ミラクル


先週はオクサマが肘骨折をし、全治1か月の診断を下されましたが、普段とは違うのでなかなか大変です。

左手が三角巾で吊るされて(右手は大丈夫なのですが)、ハルコ色々介助しておりますが怒られてばかりでございます(1日でも早く治って欲しいものです)。
ギプスは取り外し出来るのですが、そのギプスの包帯を外したり巻いたりと、これは自分では出来ませんね。 食事はというと、外食では片手で食べられる鮨や焼鳥などが向いているらしく、日曜日は浅草の萬鳥まで行きました。我が家で作る食事は多品種なのですが、所用が多くまだ晩ご飯は作ってません。

さて、話は日曜日に戻ります。
昼食に何かお作りしますか?とお尋ねしたところ、「汁ものが食べたい。ラーメン!」とのお達しで、いざ作ろうとしたら、『ちりめん亭』のラーメンが良い」とおっしゃいました。
「ちりめん亭」はモスフードサービス系の中華チェーン店ですね。自宅の近くにあるのでたまに食べに行っております。その日のお昼はオクサマのお供で出かけました。
たまにしか行きませんが、格別不味いとも旨いとも思ったことはありませんでした。

店内に入ると、今までは若い男子が店を切り盛りしていたのに(時間帯なのでしょうか)、定年後にラーメン屋さんになったという感じのご主人と、その連れ合い(そう見えた、フランチャイズのオーナー?)らしき年配のお二人の営業でした。
チャーシュー麺二つに餃子一枚をオーダーしたのですが、普段より出て来るのが遅い。
水を3杯ほど飲んだ頃にやっと出てきました。

ラーメンを一口食べてびっくり!
これは普段のちりめん亭の麺とは思えない旨さ。
チャーシューも旨い。これは、後でオクサマの感想と一致。
思わず、このラーメンを作っている人は何者?と思ってしまったのです。
手順が非常に丁寧で、揺るぎのない作業をしているのがカウンタ-越しに見えました。
満足して店を出ましたが、凄く普通の場所で何か言葉に出来ない貴重な体験をしたような感覚でした。
次回に行く機会があり、まだいらっしゃるなら話を聞いてみたいと思う所存です。

2012年6月1日金曜日

オクサマ骨折!


6月になりましたが、ハルコは先月からの風邪も治らず冴えない新月です。
どうも、今週はわが家に不運が憑いたとしか思えないのです。

昨日オクサマが転倒して、今日病院で検査したところ左肘骨折で全治1か月とのこと。
朝早くから病院で長い待ち時間を過ごし、今日のスケジュールは大幅に狂ってしまいました。それにつけても、骨折は不便ですね。
ここからお手伝いハルコが頑張らねばいけません。

写巽はオクサマのレントゲン写真です(おぉ、痛々しいですね)。
今日のブログは短信でした。
皆様、よい週末を。
ハルコ