2012年11月13日火曜日

職業としての料理研究家……その3

わが家にテレビが来たのは1961年(だったと思う)、ハルコは小学1年でした。
学校から帰ると、玄関に巨大な木の箱(木ですよ!)があり、部屋に上がるとテレビがありました。テレビを買うなんて聞いていなかったのでびっくりしました。
田舎ゆえに、チャンネルはNHK第1と教育放送に地元ローカルの3局のみ。
母と伯母がいて、一緒に見た最初の番組が「NHKの今日の料理」でした。モノクロ画面に今でも使っている冨田勲の♫タンタカタカタカ~タンタンタン♫が聞こえてきて、「こんにちは、えがみ とみ でございます」と話しはじめました。
わが家ではじめて見た番組が「NHKの今日の料理」というのは、何だかハルコの未来を予見していたのでしょうか。

江上トミさんがハルコがはじめてテレビで見た料理研究家だったのでしょう。
ハルコも早速「江上トミでございます」と物マネのレパートリに……(どんな小学生だ!) その江上トミさんのテレビでの露出が、現在に繋がる料理研究家の草分けではないでしょうか。
熊本の名家に生まれて、19歳で結婚した婿養子の夫の最初の赴任地(陸軍関係)で、東京は本郷の東京料理学校で料理の基本を学び、1927年に夫の赴任地パリのコルドン・ブルーで2年間フランス料理を学び、帰国して知人達に料理を教えていたのが大評判になったそうです。
戦後に夫が公職を退き、一家を支えるために福岡で料理教室を始めて、1949年に「江上料理高等学院」を開校しました。
もう15年以上前の話ですが、福岡時代の江上トミさんの生徒で、その後東京で料理研究家になった方と仕事をしたことがあります(その方はもうお亡くなりになってます)。
生徒も多く、随分盛況だったようですね。
その後、江上料理学院は東京に進出し、戦後のベビーブームと花嫁修行で入学者が3000人にもなったのです。
そしてNHKの「きょうの料理」が始まり、「江上トミでございます」に繋がるのです。
この時代に活躍した江上トミ、飯田深雪、土井勝、村上信夫、辰巳浜子、辻嘉一、小野正吉、陳健民、玉馬煕純……。と、テレビ創世記の料理番組の巨匠達ですね。


元帝国ホテル総料理長・村上信夫さん(写真提供/帝国ホテル)

一度、帝国ホテルの現総料理長田中健一郎さんに取材した時に、村上信夫さんが「NHKのきょうの料理」に出ているのを見てから料理人を目指したと伺いました。
現在の料理研究家のベースには、テレビに出演していた方々の影響があったのは、まぎれもない事実なのです。
(つづく)

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