2013年7月31日水曜日

茶化す

今日で、もう7月末です。
零細事務所の月末は毎度大変です。
朝からバタバタ、ジタバタしていると既に午後。打ち合せの人も来るので、今日はランチすら行けません。
こんな生活がず~っと続いている、毎日当たり前になっていることを「日常茶飯事」と言いますね。
そう考えて、「茶」を使った言葉や文字は多いのだな、と気が付きました。


滅茶苦茶(めちゃくちゃ)なんて言葉もあります。
なぜここで「茶」が使われるのでしょうか。
元々、茶文化は禅宗の僧侶が始めたもので、茶を嗜むのは「気持ちを落ち着けて禅の修行に励む」ということで後の「茶の湯」に繋がり、日本人の生活に影響を及ぼしました。
そこから、規則から外れる生活を「無茶」と言い、「無茶苦茶な」生活が生まれたのです。
「じゃ、お茶を飲んでいれば良いのか?」とは、突っ込まないように。

茶番(ちゃばん)と言うと、「ちゃんちゃらおかしい、茶番だ!」なんて使い方をしますよね。
この「茶番」は元々、最初に出したお茶が一番茶、二番茶、三番茶……と段々葉が固くなって「番茶」になり、順番から連想して「茶番」になったのです。
今では高級な番茶もたくさんありますが、番茶の地位は粗茶で下等なものだったのです。
番茶自体は「番茶狂言」の略されたもので、茶を点てる番に当たった者は単に茶を点てるばかりではなく、茶を出す時に色々な芸をして興を添えていたのです。
まぁ、本格的な芸ではなくレベルの低い芸ですね。
だから「茶番」なのです。
あぁ、まだまだ茶に関しての日常語はたくさんありますね。

今日はこの辺でブログを茶化してお仕舞いです。

2013年7月30日火曜日

(し)と(ひ)


江戸っ子でもないのに、ハルコは(し)と(ひ)の区別が不明確です。
本当に困ったことで、日常生活でも不自由しているのです。

まず話し言葉ですが、ゆっくり注意して話せば(し)と(ひ)の言い違いは出来るのですが、無意識に言うとダメなのです。
最悪は自分の名前です。
(ハルコ)(ハルコ)になってしまうと、自分の名前が言えないの?と、笑われてしまいます。
だから、(ハルコ)から(ヒ)を除く「ハルコ」は都合が良いのです。

仕事で良く使う言葉も困りものです。
「この表紙のデザインは」が相手には「ょうし、ょう」と区別がつかずに「?」となるので、「このカバーデザインは」と言い換えています。
そして、それに合わせて文字も混乱するのです。
「消費者のーー」を「焼死者のーー」と転換してしまうことは毎度です。

この(し)と(ひ)の区別が付かない、ということに気づかされたのは高校生の頃で、東京から転校して来たMくんが「変だよ」と指摘してくれたのです。
彼とは親友になり、わざわざ(し)と(ひ)の矯正文言を作ってくれたのです。

「ある日、一人のお百姓さんが、百円、拾って、
 市役所に届けて、朝日新聞の紙面に載りました」

未だに克服出来ておりません。

2013年7月29日月曜日

ネタの無い日


午前中からメールや電話にスタッフとの細かい打ち合わせと、ブログを書く時間がなかったのです。

ところが、いざ書こうとしたら書きたい物がない!
いつもこの日は何の日かと参考にしている本では、「古川緑波、申し分のないご馳走に感激」というのがありましたが、緑波は大好きで何度もブログに書いているので、これは書きたくない!

思えば超短い休みを取って、先週月曜日に新潟のダーチャから東京へ戻ってから、毎日慌ただしい日々でした。
また、今日のように朝から鬱陶しい雨だと外出するのも面倒で、事務所のデスクにへばり付いていてばかりでは気が滅入りますね。
今日の「星占い」イメージトレーニングが成功の秘訣だとか。
一体何をイメージトレーニングすれば良いのでしょうか。

昔、お手伝いハルコを名乗り始めた頃は、朝ご飯の用意のために目が覚めてもしばらくはベッドの中で朝食を作るイメトレをして、それが頭に入った瞬間に起きたのです。
もしかしたら今週はオクサマが不在だったゆえに、「ネタ」が不足していたのかもしれませんね。
でも、居れば居たでこうるさい!
あっ、いかん! オクサマの小言を聞くハルコのイメトレをしてしまいました。

2013年7月26日金曜日

哀しや、ラストオーダー!

昨夜はキッチンステージの打ち合わせで、「近茶流嗣家」柳原尚之さんの料理教室へ行きましたが、これが存外時間が掛かってしまいました。メンバーの一部と、ビールでも飲もうと赤坂の周辺を捜したのですが、時間は10時半近く。
その上、遠くへ帰る人もいるので適当な居酒屋へ入ったのです。


お店は満席でしたが、店長さんに「ラストオーダー過ぎているのですが、飲み物だけでも良いですか?」と聞かれ、こちらも皆の時間も無いので承知して、まず生ビール。
お通しを少し摘みながらビールを飲み干し、ハイボールを追加していたら「お飲み物もラストオーダーになります」
まぁ、たまにこんなこともありますよ。

それにしても、お通しがこんなに貴重に感じられたことは、近年なかったなぁ。
※今日は超忙しい! これからキッチンステージで、野崎さんの試食会へ行かねば。

2013年7月25日木曜日

あぁ、かき氷

昨年の猛夏の最中にわが家のクーラーが壊れて、大変な目に遭いました。
寝室は大丈夫だったのですが、壊れたのがリビングのクーラーだったので、暑いのなんのって!
夜中に涼を取るために、随分「ガリガリ君」を食べました。さすがに3本立て続に食べればだとひんやりしますが、お腹が……。


先日、「暑さ対策で何が有効か」という情報番組を見ていたのですが、そのひとつに“かき氷”を急いで食べるとどうなるか?というのがありました。
結論から言うと、かき氷を急いで食べると体温が上がるのです。
体の中に冷たい物が急速に入ると防御反応が起きて、抵抗しようと逆に体温を上昇させるのだそうです。

それと、かき氷を急いで食べると頭がキーンと痛くなりますよね。
これはよく知られていると思いますが、二つの説があるのです。
一つは「神経に間違った情報が伝わり、通常は冷たさの刺激は三叉神経などの神経を通じて脳に伝わるのですが、かき氷を急に食べると刺激が強すぎて、神経の中継局のところで、情報が混線を起こす」というものです。
これはどういう事かと言うと、本来は冷たいものを食べると“口が冷たい”という情報だけが脳に伝わるのですが、非常に刺激が強いと、冷たさを伝える神経だけでなく、痛みを伝える神経も刺激されてしまうのです。
しかも、痛いのは口ではなくおでこの裏あたりという風に、場所まで違った情報が脳に伝わってしまう、という説なのです。

もう一つは、「頭の血管に実際に痛みが起こるから」という説で、冷たさの強い刺激が引き金になって、頭の血管に一時的に軽い炎症が起こることがあるのです。
炎症が起こるまでには時間がかかるため、食べてから数十秒くらい経ってから痛みを感じる場合は、炎症説の方が説明しやすいのですが、どちらにしても頭の痛くなる原因は、間違った情報と血管の炎症が同時に起きることによるようです。

それにしても、本当に頭が痛くなると苦しいですね。
冷房の効いた室内でかき氷を食べるよりも暑い外で食べる方が美味しいですよね。
というわけで、今日は「かき氷の日」でした。

2013年7月24日水曜日

地方発信型レストラン……2


フランス、ブルゴーニュ地方のサンペールのMARC MENEAU

オーベルジュ型レストランの続きです。
新潟にセカンドハウスが出来て4年になりますが、どうもこの辺りにはあまり真っ当な料理店がありませんでした。
昨年イタリア料理店がオープンし、地元の食材を活用したなかなかの料理を提供してくれるので、ちょくちょく利用しております。
ただ、ここは純粋のレストランで宿泊施設はないのですが。

以前、佐賀県の有田まで仕事で頻繁に出かけていた事がありました。
5月の有田陶器市は、延べ100万人もの観光客が訪れるのですが、普段は静かな焼物の古里なのです。
ある時に、「どうして食器は売るくらいあっても、食事する場所は少ないのですか?」と、質問しました。
話を聞いてると、どうしても人は近隣の温泉のある地域に向かうようで、有田は滞在する場所ではないとのこと。
その時に、この場所に滞在出来るレストランがあったら良いのになぁ、と皆さんに話しました。
リタイアした複数の料理人を雇用して、各窯元さんから食器などを提供してもらって、料理と食器のコラボで、地元産の食材を使うオーベルジュを作る。

この時は話半分以下で終わりましたが、これからの地方の農業、漁業、酪農を活性化させる一番の有効的な手段は、このオーベルジュにあるのでは?と、この所考えているのです。
生産の現場に一番近い所で、地場ものを良く理解している料理人が作る。
これは、地元の方々よりも遠方からのお客さんを引っ張ってくる。
それも、一番良いのはイタリア料理店だと思うのです。
地元の産物を使った郷土料理店は、元々の伝統的な視点での料理なので、違う観点から新たに料理を作るのなら、本国イタリアでの地方料理に近い形で出来るのではないでしょうか。

現在、ハルコは岩手県の食のアドバイザーに就任しましたが、岩手県でこの発信型のレストラン提案が可能ではないかと考えている所なのです。

2013年7月23日火曜日

地方発進化型レストラン……1

30代の頃はフランス・イタリアを中心に、随分レストランを食べ歩きしていた時期がありました。
これが大きな街で、ホテルや宿泊施設がある場所なら良いのですが、地方の本当の田舎に行くと目的のレストランしかなく、宿泊する場所の確保も大変でした。
そんな中で、レストランと簡易宿泊施設が一体化したのが「オーベルジュ」なのです。


フランスのモンロン レ バンのLA POULARDE

その中でもドイツの国境に近い「オーベルジュ ドリール」は、その当時はオーベルジュという名前は付いていましたが宿泊施設がまだ無く、近くのモーテルに泊まりました。
思えばマルク・ムノー、ロアゾー、ブラス……とオーベルジュを廻りましたが、そこに行くだけで往復2日、というような場所でした。
オーベルジュの良い所は、いくら酔っていても帰りの心配がないということで、ついつい飲み過ぎてしまいますね。

一度大晦日に、フランスの中部のモンロン レ バンという小さな村のオーベルジュ「プーラールド」へ宿泊しました。現地の方々と一緒にワインを飲み過ぎてへろへろでしたが、階段を上がると部屋なので安心なこともあり、元日は立派な二日酔いでした。
日本でも勝又登さんが「オーベルジュ オー・ミラドー」を作ったのが先駆けで、四半世紀の歴史があるのです。

オーベルジュとはちょっと違いますが、農家に泊まり、そこで農業体験をしながらその地の食材を使った料理を食べるのも、イタリアでは“アグリツーリズモ”として有名ですが、これは日本の民宿とは違うものですね。

地方の食材と、レストランに宿泊出来る設備というのが、これからの地方発信型レストランの方向と、地域の活性化に繋がると考えているハルコなのです。
(続く)

2013年7月22日月曜日

うなぎの災難……。


今日は“土用の丑の日”なので、全国のうなぎは受難の1日ですね。
今朝、新潟かから帰って来て、本当は昨夜はうなぎを食べる予定でしたが、お店が貸し切り状態で予約出来なかったのです。
あぁ、うなぎが食べたかった!

帰りの新幹線でそんなことを思いつつ、今年は(昨年も)どんどんうなぎの価格が高騰しているというニュースを目にしますね。
原因はうなぎの稚魚(シラスウナギ)が少なくなり、養殖用にも不足がちとか(シラスウナギの稚魚は1970年に200tをピークに減少。昨年は何と5.2tだけ!)。
うな重の小が3500円のものが、今年は4500円と1.5倍にもなっているのです。
まぁ、ここまでは良いのですが、一部のスーパーでは逆に値下げしている所もあり、昨年大量に仕入れて冷凍していたものを出しているそうですね。

本題はここからです。
世の中の仕組みは「需要と供給の関係」なわけですから、需要に対して供給が少なくなるなら、その食材(料理)は高くなるのは自明の理です。
グルメや美食の浸透で、日本全国で“うなぎ、うなぎ、うなぎ”と叫ばれる状態です。
これが良いとか悪いとかではなく、「適正な価格」がどこにあるかという話です。

資源は未来永劫には存在しないのです。
このままで行くと、ヨーロッパ産のうなぎの稚魚は絶滅危惧種になり、日本へは禁輸になる可能性すらあります。
中国や台湾から来ているものはどうなんでしょうか。
うなぎ屋さんだってうなぎの価格が高騰し、やむなく値上げをしていますが、高くなり過ぎると客離れが進み、廃業する店もあるのです。
スーパーでの価格は企業努力としても(客が望むからという理由でも)、本当は全体でのバランスが欲しい所です。

客からすれば、「旨いもんを安く食べられて、どこが悪いのだ!」と言う声も聞こえてきますが、その辺の事情を知らずに食べている内に、本当に目の前からうなぎが消えていく日が来ると思うのです。
クジラ、クロマグロ、チョウザメ(キャビア)……なども(立場で意見が異なるやもしれませんが)、近未来で口に入らなくなるのでは。

例としては「鶴」があります。
鶴は江戸時代では最高の鳥料理として珍重されていたのです。
秀吉が秋冬の鶴を初鶴として朝廷に贈り、江戸の前期でも相当食べられていたようですが、現在では鶴料理を出す店はたぶん皆無ですね。
うなぎもその内に……。

えっ、「そんなことなら毎日うなぎを喰いまくる!」と言うあなた、お引き止めはしませんが……。

2013年7月19日金曜日

師匠とその弟子

「料理人と客の相性は年齢の近さにあるのではないか?」と考えた事があります。
自分の年齢を軸にプラス5歳・マイナス5歳して、10歳の幅に入れば相性が良いのではないだろうか、と思ったのです。
今考えると短慮の部分はありますが、一概に否定も出来ないと現在でも思っています。
その理由の一つは、食に関しての同時性をどう体験していたか、ということです。

「レストランひらまつ」の平松宏之さんが、まだ西麻布の地下に「ひらまつ亭」を営業していた時代によく食事に行っておりました。
ある時に、食後の雑談でワインの話になり、その当時輸入されていたポルトガルの“マティウス・ロゼ”が、お互いの最初に出会ったワインだったのです。
ハルコと平松さんは1歳違いで、食の時代の履歴がお互いによく理解出来たのです。
それが、自分の年齢と料理人の年齢差と味覚の相性はどうだろう?と考え始める契機だったのです。
それから、30年も経ってしまうと、自分の年齢の上5歳はリタイヤされたり、自分では料理を作らない方々も、寂しいけれど増えてきました。

ハルコに料理の世界に関心を持たせてくださった2人の料理人がおります。
一人は年齢は10歳以上上ですが、フランス料理の酒井一之さん。もう一人は日本料理の野崎洋光さんです。
ハルコはこのお二人を“師匠”と呼ばせてもらい、勝手に自分の事を“弟子”であると自称しております(多分迷惑だと思いますが、黙認してくれているはず)。
ご両人からは、料理の事ばかりではなく色々な事を教わりました。ハルコの料理に対する考え方は、お二人から非常に影響を受けているのです。
以前、取材で「レストランアイ」の松嶋啓介さんに会った時に、彼はハルコの事を酒井さんの店の客として認識していたという話を聞きました。
そうすると「松嶋さんとハルコは酒井さんが師匠で、松嶋さんはハルコより下なので、弟弟子だね」と言ったら、すごくイヤな顔をされました(笑)。


今朝は新宿伊勢丹キッチンステージで、「アロマフレスカ」の原田慎次さんのセミナーでした。
原田さんとハルコの年齢差は15歳で、相性理論では幅が有り過ぎます。しかし、原田さんが師匠と仰いだのは六本木時代の「ジーノ」の佐竹弘さんだったのです。
原田さんはジーノの客だったハルコを覚えていたのです。
そして、佐竹さんとハルコはなんと同い年なのです。
さすがに佐竹さんは師匠ではないのですが、同時代に食のシンクロを経たという意味では同志かもしれません。
佐竹さんが高校生の時に大阪万博があり、そこのイタリア館で食べたパスタが契機でイタリアンの料理人になったのです(原田さんはその万博の前年の生まれ)。

師匠とその弟子と客の関係で、キッチンステージに関わっていると最近は弟子筋の料理人と遭遇する事が多いのです。
師匠達もっとがんばれ!

2013年7月18日木曜日

俺の○○○○


今週、表参道の地下鉄で派手な広告がありました。
「俺のフレンチ」などを経営している、バリュークリエイトの人材募集広告です。2011年9月に「俺フレ銀座」がオープンしてから、あっと言う間にこんなに拡大していたのですね。

フレンチ系
「俺フレ銀座」俺のフレンチ GINZA、
「俺フレ神楽坂」俺のフレンチ KAGURAZAKA、
「俺フレ恵比寿」俺のフレンチ EBISU、
「俺フレタク」俺のフレンチ table taku

イタリアン系
「俺イタ新橋」俺のイタリアン、
「俺イタ八重洲」俺のイタリアン YAESU、
「俺イタマル」俺のイタリアン marche、
「俺イタ神谷町」俺のイタリアン KAMIYACHO、
「俺イタ銀座」俺のイタリアン GINZA、
「俺イタジャズ」俺のイタリアン JAZZ

和食系
「俺肉」俺の焼肉屋、
「俺とり」俺のやきとり(蒲田店)、
「俺割銀座」俺の割烹 銀座本店
この広告を見て応募する料理長もかなりいるのではないでしょうか。

料理人さんも、長い人生で浮き沈みは激しい職業だと思います。
ある意味人気商売なので、いくら腕が良くても客がいないと成り立たない職業です。
東京の料理店を長年観察してきましたが、有名になってマスコミにも頻繁に登場していた料理人さんが、店を閉めてどこかへ行ってしまった……なんて話はよく聞きます。
料理店のオーナーシェフになっても(開始年齢で違いますが)、大体30~40年が一区切りです。子供がいて後を継いでくれて、その後も順調に行く店もありますが、なかなか難しいですね。
また、スキルを持っていても諸事情で不遇をかこっている料理人もたくさんおられるようです。

そういう意味で言うと「俺の○○○○」は、市場に沈んでいた料理人の再生復活に、相当貢献すると思うのです。
ただ、数が増え過ぎてくるとその辺の希少性が損なわれて、本当に立食い居酒屋さんチェーンになる危惧もありますね。

ちなみに、ハルコはどの店も行った事はありません。
立ち食いする体力がないもので……。

2013年7月17日水曜日

暑いぜ!スパイスだ!

今日は朝から晴海の朝岡スパイススタジオで、カレーの撮影です。
今度伊勢丹キッチンステージで、カレーを2回に分けて2週間展開するのです。


よく“さじ加減”という言い方をしますが、スパイスは単体で使うより、微妙なブレンドで味が変わりますね。まさに漢方薬の世界です。
大阪の高麗橋にあった漢方の薬酒問屋さんから、現在の日本の有力なカレーメーカーが発展したのも頷けます。

今日の撮影は、オリジナルブレンドしたスパイスでカレーが多彩に変身するのですが、香りばかりではなく色まで表現出来るのです。
当然、撮影のカレーはすべて味見しましたが、うむ、当分カレーは食べなくてもいいかぁ!

2013年7月16日火曜日

駅弁

3連休はブログもお休みし、暑いのでのんべんだらりと過ごしました。
夏だからと言って何処かへ出かけるでもないのですが、今年の夏は半分仕事で岩手のあまちゃんのふるさと“久慈”へは行けるようです。
久慈と言えば、北三陸鉄道の“うに弁”ですね。
と、言うわけで、今日は「駅弁記念日」なのです。
ところがですよ、4月10日には「駅弁の日」というのがあるのです。
何だかややこしいですね。

まず「駅弁記念日」は、1885年のこの日に開業した日本鉄道の宇都宮駅で、日本初の駅弁が発売された(ただし、これより早く他の駅で駅弁が販売されていたとする異論もあります)ということが根拠らしいです。
宇都宮市で旅館業を営んでいた白木屋嘉平が、たまたまその旅館に宿泊していた日本鉄道の重役の薦めで販売したとのこと。握り飯2個とたくあんを竹の皮に包んだもので、値段は5銭だったそうです。

そして、「駅弁の日」は、洋数字の「4」と漢数字の「十」を合成すると「弁」の字に見えることから、日本鉄道構内営業中央会が1933(平成5)年に制定されたのですが、先の宇都宮駅の駅弁があるのですが、夏は弁当が傷みやすいため、行楽シーズンの4月が選ばれたのだそうです。
同じ様な事で年に2回あるのは何とも納得いきませんね。
まぁ、かく言うハルコも、列車の乗る最大の楽しみは駅弁にビールなのですが。

友人に櫻井寛さんという、フォトジャーナリストがおります。昭和鉄道高校から日芸写真科を経て、出版社の社カメからフリーカメラマンになった方なのです。
この彼が芯からの「鉄ちゃん」なのです。
彼の写真は新聞・雑誌の連載で見た方も多いと思います。
実は、駅弁マンガの監修までしていたのですね。
今日は、「駅弁ひとり旅」を読みながら旅情に浸りましょうか。

2013年7月12日金曜日

酒は別腹!?

NHKプレミアムで始まったBS時代劇『御鑓拝借~酔いどれ小籐次留書~』を毎週楽しみにしております。
原作は「居眠り磐音シリーズ」などでお馴染みの、当代きっての平成のベストセラー作家・佐伯泰英さんで、ほとんどシリーズは読破しているハルコです。
さて、主人公の赤目小藤次は剣も強いが酒にも強い、というキャラクターです。
ご興味のある方は原作をお読みください。


よく「甘い物は別腹」と言いますが、酒も“別腹”という言い方があるのです。
「酒は別腸(べつちょう)にあり」
これは清朝時代に書かれていたのですが、大もとは『五代史』からの引用で、王がある男に「お前は身体が小さいが、どうしてそんなに沢山の酒を飲む事が出来るのか?」と尋ねたところ、男は「私の身体は小さいが、酒は別の腸に入るのです」
それを聞いた王は、その男の酒だけを吸収する腸を開いて見たいと……。

ちょっと怖い話ですが、この逸話はまさに、短躯の赤目小藤次を連想させますね。
酒の飲み過ぎを諌めた内容らしいのですが、さすがに最近の若い方々はあまり酒を飲まないようで、こんなことを言うハルコは昭和の古い人間なのでしょうね。
あぁ、別腹が3つは欲しい!

2013年7月11日木曜日

お通し考

ハルコ行きつけの店に、表参道の「甚六」があります。
1974年創業なので、まもなく40周年。いつも常連さんで賑わっています。
甚六の「お通し」は1年中変りなく枝豆です。ピールに枝豆は合うのですが、真冬でも枝豆なので、時々「どうよ!」と思うのです。
しかし、どうして色々な店で出て来る「お通し」って旨くないのでしょう?


「お通し」は客の注文の品ができるまでの間のつなぎに、取りあえず酒の肴として出す簡略な料理ですが、似た様なもので「突き出し」というのもありますね。
では「お通し」と「突き出し」の違いは何でしょうか。

「突き出し」は本料理の前に出す軽い料理で、厳密に言うと「先付」に該当し、「突き出し」はあらかじめ献立の中に組み込まれている料理なのです。
「お通し」は、注文をしなくても出てくる料理のことです。
ただ、関東地域では「お通し」、関西地域では「突き出し」と呼ぶ場合もあるので、そんなに厳密な区分は無いのかもしれませんが。

広辞苑では、客が注文した料理などを帳場・板場(調理場)に通し、それを板場が応諾して、間違いなく注文を受けた印(しるし)として、店側が客に対して最初に酒の肴を出すことから、注文を間違いなくお通ししましたの意味を込めて「お通し」と呼ぶようになったのが由来と考えられているのです。

繰り返しますが、それにしても「お通し」は旨いのが無い。
一度、最低の「お通し」に遭遇した事を思い出しました。
「お通し」に里芋の含め煮が出てきたのですが、何と里芋が糸を引いていて、腐敗臭がするのです!
店員さんに文句を言うと店長が登場して、「もう召し上がりましたか?」
えぇ、半分食べてしまいましたよ。
すると、店長は名刺を出して「お具合が悪くなりましたら、お電話いただけますか」
「……!」
そんなのは、店に言う前に保健所へ通報するわ!
ひどい店でしたが、まだ潰れずにあります。いや、本当に怖いわ!

ハルコの一番好きな「お通し」は“柿ピー!”なのです。
ビールをぐびっと飲みながら、柿ピーをポリポリ。
それが、何か!ですが、好きなのです。

2013年7月10日水曜日

納豆は薬だ!

毎日何かしら記念日があり、ブログのネタに困っている時は大変重宝します。
今日は単なる語呂合わせで 「なっ(7)とう(10)」「納豆の日」です。
まったく……と思うのですが、これを最初に決めたのは大阪だと聞くと、一考の余地がありますね。


1981年(昭和56)年に関西納豆工業共同組合が、関西地域限定の記念日として制定し、それを全国納豆共同組合連合会が、1992(平成4)年に改めて全国の記念日として制定したのです。
想像するに「大阪や関西では納豆があまり好かれていない」ので、販売のテコ入れで「ほな、どうでっしゃろう? 納豆の日でもこさえて、ドシャーッとキャンペーンでもやりましょか?(ハルコの想像です)」

今では何屋さんか判らないハルコの仕事ですが、一番最初に自分で料理レシピを書いたのは、実は納豆だったのです(これもどこかで書いた記憶が)。
大手納豆メーカーのスーパー向けPOPのレシピで、支給された35mmのポジフィルムをルーペで拡大して納豆や材料を見ながら、想像で作り方を書いていたのです。こんな無茶な仕事を依頼する代理店も代理店ですが、引き受けるハルコもハルコですね。

ハルコにとって納豆は、昔は食べても食べなくてもいい感じだったのですが、歳とともに好んで食べる食材になっていったのです。
定食屋さんでも納豆小鉢があれば必ず頼むし、ご飯とは関係なく無性に食べたくなりますね。

農大の小泉文夫さん(現名誉教授)の本で、「かなりの未開の地に行く時には必ず荷物の中に納豆パック沢山持参し、未知の食べ物(ちょっと危険)を食しても、持参の納豆を食べて、病気にはならなかった」という話を読んだのです。
それ以来ちょっと体調が悪い時は、納豆だけを何も混ぜないで食べるようにしているのです。
よくは分からないのですが、効くような気がしますよ。
皆さんも試してみてください。

2013年7月9日火曜日

森鴎外と脚気

森 鷗外こと森 林太郎(もり りんたろう)は、今日7月9日が命日です。
夏目漱石と並ぶ文豪ですが、森鴎外のもう一つの顔は軍医(陸軍お医者さん)でもあったのです。その中でも軍医総監という軍医の最高位で、中将クラスに相当しました。

昔、司馬遼太郎の『坂の上の雲』を読んでいて、明治時代の軍隊での近代栄養学のことをはじめて知ったのです。
それは「脚気」の原因を巡る陸軍と海軍の対立でした。
森鴎外をはじめとする陸軍のドイツ留学派は、「脚気」を伝染病の細菌由来と考えていたのです。それに対し海軍(一部陸軍も)では、脚気の治癒予防に麦飯が有効であると唱えていました。

しかし、ビタミンの存在が知られていなかった当時、麦飯と脚気改善の相関関係は(ドイツ医学的に)証明されていなかったため、科学的根拠がないとして否定的な態度をとり、麦飯を禁止する通達を出したこともあったのです。
当時の栄養学が未発達だったことと、陸軍と海軍の対立がそのまま栄養学への進展を阻んでいたのですね。

その森鴎外と対立していたのは、海軍軍医の高木兼寛なのですが、彼はイギリスで医学を学んでいました。
高木はヨーロッパに脚気がないことから、脚気の原因を蛋白質の不足と考え、肉食すれば脚気を防げるのではないかと推測し、訓練航海のときに2隻の船の食事内容をそれぞれ片方は和食、もう片方は洋食にしました。
すると和食の方には脚気が発生し、洋食の方には発生しなかったのです。
以後、海軍では洋食を取り入れ、やがて肉ではなく麦飯がよいことも判明し、その後は脚気に悩まされることがほとんどなくなりました。日清戦争の前のことでした。

しかし、細菌説に固執する森鴎外などは、海軍が兵食改革によって脚気が激減した結果を無視したのです。
戦死者よりも脚気による死亡のほうが多かったという統計もあるくらいです。海軍ではほぼ撲滅された脚気が、陸軍では日露戦争時に至っても改善されませんでした。
森鴎外は、脚気の原因が栄養説にほぼ決しても死ぬまでこれを認めず、細菌説を主張し続けました。
鴎外の陸軍軍医総監は中将に相当する地位で、本来ならば華族に列せられるのですが、鴎外はついに叙爵されませんでした(これには、脚気問題が問われたのだろうという説もあります)。
しかし、一方の論争相手だった海軍の高木兼寛は男爵に叙され、麦飯をさかんに奨励したことから「麦飯男爵」という名で慕われたのです。
かなり頑固な森鴎外ですね。

2013年7月8日月曜日

冬病夏治(とうびょうかじ)

いきなり梅雨が明けたと思ったら35度の酷暑に!
その酷暑の中を、オクサマが走りたいと申されて、一緒に出たのです。
えっ、ハルコもランしたのかって? とんでもございません!
無駄な体力は使いたくないので、後ろからとぼとぼ歩いていくだけです。

こんなに急激な気温変化の激しい時には、体調を崩される方が多いですね。
湿気と暑さのために口中が乾き、さらに汗をかき薬膳漢方で言うところの気、血、津液(しんえき:血液以外の体液)が著しく消耗します。
実は、ハルコは薬膳レシピの本を制作始めるために、先週からこの手の本を読んでいるのです。


日本の夏は単に暑いばかりではなく、非常に冷たい湿気を含んだ相反する要素が加わっている上に、冷房が効いた室内では身体が冷え過ぎて、更に消耗してしまうのです。
こんな時には、水分代謝を促進する食材で湿気対策をしましょう。熱を冷まし、且つ潤いのあるものが必要です。
ただ、これは、それぞれの体質によって違いがあるので、「これを食べなさい」という普遍的なものは難しいのです。
ハルコを例にすると、
“涼”の冷や奴に“寒”の茗荷、“温”の長ネギ、“温”の生姜に、醤油が“寒”なので“熱”の赤唐辛子を漬込んだ唐辛子醤油(自家製)をかけていただきます。
冷奴ひとつでも、食材のバランスを考えると面白いですね。

今日のブログのタイトル「冬病夏治(とうびょうかじ)は、「冬に不調になって病を治すのではなく、夏のうちに治しましょう」という考え方です。
今年は、冬に風邪を引きやすいなら、食べものや生活の見直しをして、夏から体質改善してはいかがでしょうか。

2013年7月5日金曜日

本日撮影なり。

今日は鎌倉でキッチンステージの撮影のため、東京には不在です。
このブログは新宿湘南ラインの中で書いています。

朝から風がちょっと強く雨模様ですが、前回の打ち合わせの時も雨でした。紫陽花を観に行くならいいけど、カメラマンも電車で移動の日は機材もあり、大変なのです。
と、いうわけで楽しみはランチどうするかと考えることのみ。
今週もハードな一週間でした。

昨夜、自宅でワインを開けようとして、ソムリエナイフのテコとコルクの間に
指を挟んで大きな血豆が出来て、痛かったのです。
と、どうでもいい内容のないブログでした。

2013年7月4日木曜日

皮はひく? むく!?

今週は他用で事務所にいる時間が少ないのです。
明日は鎌倉直行で撮影ですが、今日は二子玉川の高島屋さん料理研究家の松田美智子先生のセミナーにお邪魔して、ハルコも「少し調理器具の話をせよ」とのことです。
今年、松田先生の『ピーラーマジック!』のお手伝いをしたのですが、貝印の“SELECT100シリーズ”のピーラーを使用したレシピ本なのです。
このピーラーは、ハルコも開発に参加した経由があります。


ピーラーは日本では「皮引き」と言っていますが、語源は「皮を剥く」という意味の英語の動詞“peel”からきています。
辞書を見ると、
peel; pare(peelは剥がすように,pareはナイフで削ぎ取るように)/みかんの皮を剥く peel a tangerine/じゃがいもの皮を剥く pare potatoes …… と、“むく(剥く)”ばかりでてきます。
どこにも“ひく”は無いのです。

“ひく(引く)”は引っ張るという言葉に該当しますが、ちょっとニュアンスが違います。
どうも“皮を引く”は、日本料理の引き切りから派生したと考えられるのです。
でも“皮剥き”も“皮引き”も混在していて、何とか区分したいと思っている間に10年の月日が経ってしまいました。

2013年7月3日水曜日

センタ−の米、奈落の雑穀

毎朝NHKの「あまちゃん」を見てから仕事に行っているハルコです。
現在、主人公のアキちゃんは、「アメ横女学園」のメンバーになれず、GMTで奈落の生活をしています(この話題は、見てない人にはさっぱり分かりませんね。すみません)。
アメ横女学園のセンターは「マメリン」で、あまちゃんはその「シャドー」なのですが(解説:AKB48のパロディです)、センターにはなれそうもありません。
さて、ハルコは一体何を書きたいのかと言うと、雑穀の話なのです。


昨日は岩手県の物産会議で、雑穀がひとつのテーマになり、昼は銀座「KANSEI」にて、雑穀の添えられた一皿をいただきましたが、これが美味いのです。
では「雑穀とは何か?」と問うと、米が出てくるのです。
普段主食という言い方をしますが、米は別名で主穀なのです。

「主穀」は基本的に米を指しますが、麦を含めることも多く、一般に米・小麦・大麦を除く穀類及び擬似穀類を「雑穀」としているのです。
そう考えると、日本の主食のセンターは不動の米であり(この米も人気ブランド米が熾烈なセンター争いを続けていますね)、麦達が脇を固めていて、奈落の雑穀は日の目が見れません。

岩手県は雑穀の生産が日本一ですが、いくら生産日本一と叫んでも、誰も振り向いてくれません。
センターの米や麦と雑穀を混ぜて食べる方法は一般的ですが、もっと雑穀にスポットライトを当てて輝ける存在にしたい、というのがハルコに課せられた課題なのです。
もっと雑穀の勉強をせねば!

2013年7月2日火曜日

たわしとわたし

ハルコの住んでいる所は豊島区のはずれで、交差点の向うは北区です。
この数年ウォーキングに目覚めて、ご近所をよく歩いています(えっ、徘徊だろうって? 失礼な!)。
交差点は滝野川と言って、昔は中山道から板橋宿へと江戸の町の外れになった場所なのです。


早朝ウォーキングは、気の向くままに住宅地の路地をどんどん進んで行き(よく袋小路にぶっかります)、大体30分程経ったら戻り、帰りも30分で合計1時間くらいなのです。
そして、ウォーキング中に滝野川の商店街の中で、西尾商店を発見したのです。
えっ、西尾商店なんか知らない?
では、「亀の子束子(たわし)」と言ったら分かりますよね。
そう、たわしの製造メーカーなのです。

1915年の7月2日に、西尾商店の西尾正左衛門が「亀の子束子」の特許を取得した日で、今日は「たわしの日」なのです。

亀の子束子が考案されたのは1907年のことです。
正左衛門の妻が、売れ残っていた棕櫚製の玄関マットを切り取って丸め、床を磨くのに使っていたことがヒントとなったそうです。
「束子」は束ねたものを意味する説と、持ち手藁の意味で「テワラ・タワラ(手藁)」と言っていたのが「俵(タワラ)」との混同を避け「タワシ」になった、とする説があるそうです。

普段から料理の後始末に登場する地味な「たわし」を、今日くらいはちゃんと扱ってあげようかな、と思うハルコでした。

2013年7月1日月曜日

“こだわる”ナァ!

今年も折り返し地点を過ぎましたね。前半は散々だったので、後半は何とか挽回したいものです。


突然ですが、「褒める」「讃える」というのは難しいものですね。
どういうことかと言うと、仕事でパンフレットなどの説明をする時なのです。
普段何気なく使用している言葉でも、不特定多数の方々の眼に触れる時は、慎重な言い回しが必要です。
一つには、その表現法によって誤解を招くこともあるということです。

以前三越百貨店の仕事をしていた時に、商品を説明する際に「最高」「極上」などのキャッチは一切使用できません。品質管理部という部署から「不適切」と赤字で戻って来るのです。使った場合、「最高の○○で極上の○○」というキャッチに対して、根拠を求められるのです。
「その商品において、本当に最高と言えるのか?」ということなのですが、まぁ、つい使ってしまいますよね。
その場合は「好的」と言った、聞き慣れない言葉に変換されるので、知恵を絞って違う言葉を探すことになります。

以前、ある食の通販カタログのお手伝いをしていた時は「こだわり」「こだわりの」という言葉でハルコは反発を感じた事があります。
現在では、「こだわり」は肯定の意味で使用されることが多いと思いますが、本来はは否定の意味の言葉なのです。
辞書では、「ちょっとしたことを必要以上に気にする。気持ちが捕われる。拘泥(こうでい)する」とあります。
「些細(ささい)なミスに―・る」「形式に―・る」や、
つかえたり引っかかったり、 難癖をつける。けちをつけるというのが本来の意味でした。
しかし、最近は「一流の材料にこだわって作った料理」のように、妥協しないでとことん追求するような、肯定的な意味でも用いられるようになってしまったのです。

その他に「究極」「巨匠」「巧」「賢人」などの言葉についても同じようなことが言えるのかもしれません。
ハルコは、これはマンガの『美味しんぼ』の影響ではないかと思っているのです。

一つ言えるのは「こだわり」という言葉は便利なのです。
「こだわり」の前後に「食」「食材」「料理」「職人」「技」と、何でも組み合わせ自由ですね。でも、この言葉は使いたくない。
えっ、それがハルコの「こだわり」だって!?