この仕事(いったい何?)を始めた頃に、よくベテラン編集者の人に連れられて飲みに行っていた時の話です。
たいてい昔の編集者は、酔うと説教を始めます。
「編集の編(旧字)は、車に口に耳から成り立っているんだから、足で歩いて、聴いて、話すのが基本だ!」と、新宿ゴールデン街などで水割りを飲みながら、イヤイヤ拝聴したのです。何せ、同じ事を何度もいうので、耳タコなのです。
同じ様に
「文化を英語で言うと“culture”になり、これは“耕す”を意味するラテン語“colere”から来ているんだ!」さらに
「だから、文化を出版する人間は“心を耕さないと”いけないんだ」と複数の方から、たいてい酒を飲んでいる時に拝聴したのです。
今思えば、牧歌的で懐かしい時代ですね。携帯もネットもないアナログな昭和です。
さてその
文化ですが、頭に「文化」が付く時でも
「文化勲章」と
「文化干し」では随分違います。
付くべき所に付く「文化」と、何故付くのかわからないという「文化」がありますね。
前出の
「文化干し」は、1950年に東京仙印商店が「文化干し」という名所の干物を発売して人気になったそうなのです。
魚の干物を、まだ発泡スチロールのトレイも真空パックも無い時代に、セロハンで包んだところオシャレな感じだったので「文化」を冠したとか。
その後に水産加工業界が「冷風乾燥」したものを「文化干し」としたのですが、まぁ逆ですね。
この「文化干し」の後にも、文化住宅、文化包丁、文化鍋、文化○○……と、沢山出て来ました。その中でも「文化人」と意味不明な物が排出されていますね。
その
「文化」も、長い漢字文化の中で生まれてきたものだとハルコは思っているのですが、最近、韓国や中国との関係が良くない事の意味を考えていました。
元々、中国の漢字圏文化として、微妙にズレている文化を共有している訳ですが、韓国の場合は漢字を捨て去った時から、もう引き返せない所まで来てしまったのではないのでしょうか。
文化の継承は過去の歴史を遡ることですが、ハングルだけだと過去の歴史の大元に辿りつけないのです。その大きな原因は、漢字文化を捨てたことにあります。
日本は明治維新後に海外の書物を“翻訳”してそれを書物という形で広めました。その中には現在私たちが使用している
“新しい造語としての漢字”があるのです。これが、本当の文化遺産で継承なのだと思います。
韓国は日本が併合していた時期の「日本の造語の漢字」をそのままハングルに置き換えてしまい、その元々の意味すら不明になってしまうのです。
中国の「簡体字」も同様に、非常に記号化されていて本来の表意文字が表音文字になってきていますが、ハングル程ではありません。
もし日本語がハングル(発音記号)的なものとは別にして、ひらがな表記だけになったら本なんか読めませんね。
明日から金曜まで岩手へ 出張のため、ブログはお休みします。
来週からまたよろしくお願いします。
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