2012年5月31日木曜日

わが仕事はお手伝い

5月も最終日ですね。
零細企業の月末経理は大変です。何とか今月も無事に過ごせたという思いです。


さて、知人の名刺を新しくデザインし直しています。肩書きを追加で入れたのですが、肩書きって何だろう?と考えてしましました。
追加した肩書きにより仕事の幅を広げる、という意思表示でもあるのですが、今まで手がけている仕事がやり辛くなるかもしれないということです。
まぁ、それは個人が考えれば良いことなので、ハルコの肩書きに関して考えてみます。

普段使用している名刺は、事務所の名前(一応会社です)とその代表という名刺です。
銀行やリースなどが関係してくる時は(小さい会社ですが)社長さん、と呼ばれています。
スタッフには、電話で「社長さんいますか?」という電話は取り継がない様に、と指示を出しています。これは登記している法人なので紛れもない肩書きですが、それ以上の意味はありません。

次に仕事での肩書きですが、昔はデザイナーやエディトリアルデザイナー、アートディレクター、クリエイティブディレクターと、もっぱら表現者を意味する肩書きを付けていた時代もありました。
これは、具体的に何に関わってきたかという証で、随分長い間使っておりました。
その頃から編集や企画の仕事も始めていたので、仕事の肩書きとしては、編集者・エディターと名乗り、編集とデザインを同時にこなすという意味で、アートエディターと名乗ったこともあります。

また、イラストレーションを描く機会もあるのでイラストレーターでもあり、写真を撮って使うこともあるのでフォトグラファー(これは名乗りませんが)とも言えます。
そして、企業のコンサルタントを始めると、アドバイザーやコンサルタントといった肩書きが付きますが、口頭で「そんな仕事もしております」と、答えるのです。

結果は、皆さまの困っていることを解決する仕事で、「お手伝いをしてます」と、ここ数年は名乗ることにしています。
「お手伝いハルコ」です。
これが今の自分にぴったりの肩書きですね。

2012年5月30日水曜日

FBのネタ探し


昨日は朝から終日会議で、事務所に出社しませんでした。
しかし今は情報はどこでも取得・発信出来るので、不便は感じませんね。
以前なら出張に出かけた際に、事務所に来たメールを携帯に再送してもらったりと不便でしたが、これも携帯のない時代からみれば、凄く画期的なことでしょうね。

暫くして、ネットの出来るパソコンを持って出かけてましたが、これが重い!
そしてiPhone 、iPadと、どんどん便利になりましたが、意外に周辺のケーブルやら充電器と荷物は増える一方です。
ハルコがFB(facebook)を始めたのが昨年の9月6日からで、まもなく8ヶ月でしょうか。最初はFBとはどうするのかもよく判らず、皆さんをお手本にしていたのですが、段々「ウケル」という視点からネタ探しが始まったのです。

今朝の日経新聞の記事に、「ツイッター」や「フェイスブック」といったソーシャルネットワークが生む消費者の経済効果が3400億円にもなるという記事がありました。
これを、野村総合研究所は「ネタ消費」と呼んでおります。
それはつまり、SNSに書き込むために、普段の行動とは違った行動に走るということですね。ハルコも思い当たること多々です。
昨日も日本橋三越でランチをとる際に、普段ならそば系を選ぶ所を、写真入りのメニューを見ながら選びました。
FBで何を投稿したら面白いかという視点で、普段は絶対に選ばないハンバーグを選択しました。単に上に乗っている黄身がきれいそうだったからです。

かように自分の消費行動にFBは根付いてしまったのですが、まぁ良いとも悪いとも言えませんが、楽しいと思っていることだけは確かですね。
写真はハルコキャラで“ネタ作り”に励む(社命)スタッフのパソコン画面です。

2012年5月29日火曜日

肉じゃが検定


今回このブログを書くにあたり、肉じゃが検定というのを発見しました。
が、これはまったく関係のない話を書きます。

どう書こうか迷ってしまいますが、今を去ること11年前に友人が小学館文庫から『肉じゃがは謎がイッパイなのだ!』というタイトルの本を上梓したのです。

この友人はその頃は某出版社の料理編集者で、よく一緒にご飯べたりお酒も飲んでおりました。
ある時に、書籍の企画の打合せの合間の雑談中に、「オトコが食べたい料理の番付」って何だろう?という話が出て、その第1位が「肉じゃが」だったのです。
しかし、その友人曰く「おれ、北海道生まれで肉もジャガイモも一杯あるけでど、家でおふくろは一回も作ってくれたことも無いし、食べたこともないぞ!」
ここから、二人で「肉じゃが」の迷宮探訪が始まりました。

まず、あるだけの肉じゃがに関しての資料を捜して、いつから肉じゃががおふくろの味ナンバーワンにして、男性が食べたい料理の1位になったかを特定しました。
二人で立てた仮説は「この肉じゃがは長い料理を誰かが短くしたに違いない」
そこで当たった資料はNHKの『きょうの料理』テキストで、味の素のライブラリーに通いました。
ここでネタばらしをしてもつまらないので、アマゾンで見つけていただきましょうか。

一部内容をご紹介すると、
「昭和四十年代の料理本には、じゃがいも料理さえ載っていないのダ」
「肉じゃがらしきものは明治時代からあった?ネーミングは昭和四十八年頃?」
「肉じゃがはホントウに”明治以来のおふくろの味だったのか?」
「昭和五十年の女性誌記事の“夫が好む献立100選”に肉じゃがの名」……
肉じゃがのルーツを辿っていくと、世界史まで繋がる壮大な内容ですが、分かり易い文章で簡潔にまとまっている本になりました。
1章ごとに感想と資料探しをお手伝いした本でした。

著者・三本章こと、本名川本敏郎。
長年の友人でしたが、3年前にがんで逝去しました。
今だに、肉じゃがを見ると彼を思い出します。

2012年5月28日月曜日

ハルコ、ボルドーワインをたくさん飲む。

5月25日(金曜日)雨模様。本日はオクサマから、なにやらボルドーワインを飲む会があるのでお供を命じられました。


 雨の中、傘を差しながら飯田橋のホテルエドモンドのロビーでオクサマと待ち合わせ。
受付でオクサマは、コマンドリー・ド・ボルドー東京の副会長にして日仏文化協会顧問の七里淳哲さまとご挨拶。
どうも良いテーブルのようで、半分はフランス人と聞いて、ハルコ、思わず回れ右をして逃走しようとしましたが、オクサマに首根っこを掴まれてテーブルへ。

ハルコ、何がダメかって、異言語ほどダメなものはございません。
これが早く判っていれば、「Yoshinoさま」と交代していたものを、残念ながら後の祭でございます。
オクサマとハルコのテーブルは、先の七里副会長と、東京でフランスワインを販売しているフランス人の社長さまに、在日フランス大使館広報部参事官シュール・イルマンさまに、サンテミリオンの醸造家さまと、ハルコ気絶寸前!
こんな偉い方々の席でお手伝いのハルコの運命やいかに。

元はと言えば、オクサマにエドモンドの中村勝宏名誉総料理長の陣頭指揮で、大変美味しい料理が出ると言われ、お供に行くことにしたのでした。
もちろん、その後沢山美味しい料理が出てまいりました。
もう、ワインをがぶ飲みするするしかないハルコがいかに相成ったかは、ご想像の通りでございます。
※反省 料理にダマされてしまいました。同席のメンバーを確認しよう。

2012年5月25日金曜日

井上陽水・Hello,Goodbye

昨夜はNHKホールへ井上陽水コンサート「Hello,Goodbye」を観に行ってまいりました。
井上陽水は40年来の大ファンですが、実は初めての生コンサートだったのです。

ハルコはもう始まる前からドキドキしておりした。普段は主にクラシック・オペラのコンサートばかりで、中々こういうものは行きませんね。
今回は、ハルコが陽水ファンなのを知っているオクサマが取って下ったのでございます(この場を借りてありがとうございます)。
オクサマは始まる前に曰く「ハルコ、絶対途中で泣くから!」とおっしゃていたのですが、暗に相違して、泣きませんでしたね(廻りで泣いているオジサン、オバサン多数)。

ツアータイトルのHello,Goodbyeは、ご存知の方も多いと思いますが、ビートルズの曲です。中ほどでツア-タイトルのHello,Goodbyeを歌ったのですが、今年はビートルズ結成50周年ですね。
陽水もデビュー41年(アンドレ・カンドレ時代からは43年)ですが、40年前に学生の頃にTAKEOのアルバイトで、ペーパショー向けのディスプレイ用の紙の工作アルバイトしていた時ラジオから聞こえてきたのが「傘がない」
この頃はフォーク全盛時代で、毎日吉田拓郎井上陽水がラジオから聞こえてきました。思わず、アルバイトの手を進めながら(大きな色紙に斜めの交差する10mm間隔の線を描き、それをカッターナイフで筋目を入れてジャバラに折る辛気くさいバイト)ハルコが歌い出すと、同級生の女の子に「イメージが悪くなるから歌わないで!」と言われてしまいました(トホホ)。

昨夜もコンサート終了後、ドンチッチョでオクサマに「いや、陽水は最高でございましたなぁ。カラオケに行って歌いたいですねぇ」
オクサマ速攻で「ハルコの歌は音程が狂っているので、聴きたくない!」
40年経ってもダメなものはダメですね。やれやれ。

2012年5月24日木曜日

神楽坂3連ちゃん


今週は月火水と、3日連続で晩ご飯は神楽坂でした。
週に3回行くというのはたまにありますが、3日連続は暫くありませんでしたね。

このブログのテーマに神楽坂を書こうと思ったのは、昨夜フレンチ前菜食堂「ボン・グゥ神楽坂」に向かう途中でした。
そこで、思ったのは自分の生活の変化で、ご飯を食べに行く場所が変化してきたことです。 ミシュランじゃないけれど、「そこに行くだけのために行く」的な店は事前に予約して、万難を排して行くのですが、「さて、どこで晩ご飯を食べる?」(自宅で晩ご飯は主に週末)と、いう選択でオクサマから聞かれます。
まず、今日は何が一番食べたいか。
次に当日の時間(わが家の食事タイムは遅め)。
そして当日の天気、これが意外に重要です。雨など天気が悪い時は自宅から遠い場所へ行きたくないですね。
そして、最後が場所なのです。

20年以上前(まぁ、バブルが弾ける前頃)は、西麻布・六本木が主戦場でした。ハルコを捜すなら西麻布で、という伝説(?)があるくらい、週に5日はこの周辺で遊んでました。
元々、最初で最後の勤めたデザイン事務所が西麻布にあり、独立してフリーランスになっても馴染み深かったのです。
西麻布の交差点から広尾方面の通りは「地中海通り」(外苑通り)と言われ、東京のイタリアンの発祥地でした。
イタリアンの「マリーエ」がその名前の元になり、その周辺には「カピトリーノ」「アルポルト」や「ヴィノッキオ」「リストランテ山崎」「ダノイ」……と枚挙に暇がありませんでしたね。

ただ、ハルコが最初に勤めていた時代は、六本木(材木町)の隣の霞町(かすみちょう)が西麻布だったのです。
寂れた場所で、現在「アルポルト」のある場所は旧麻布近衛連隊があった所でした。夜になると飲食店も少なく、交通の便も悪い所だったのです。
その奥には広尾など高級住宅地があり、静かな場所でした。
現在の西麻布の交差点の渋谷寄りの角に「アマンド」がありますが、この通りには昔からの鮨屋さんや、古本屋に失業対策事業の食堂があり、今のように飲食店やブティックが軒を並べるというのは信じられない風景ですね。

この通りにフランス料理「勝沼亭」(現在はありません)が出来たのが38年前でのことで、ハルコが始めて出会った本場の料理だったのです。
あれ? 神楽坂のことを書こうと思ったのに。
(何だか続くと、思う)

2012年5月23日水曜日

ドンチッチョ・石川勉

昨日は朝7時から試食とミーティングを兼ねて、中華粥をいただきました。
昼には日本橋三越の会議の合間に新館地下で冷やし中華をいただき、夜は有田の方々と神楽坂の「連」で会食。
これが旅行なら、3食外食は当たり前ですが、普段の平日では特異日です。
3食とも外食というのはちょっと思い出せないですね。

そして今朝は、伊勢丹キッチンステージで、ドンチッチョの石川勉シェフと一緒にセミナー。
昨日から今日へ連続して慌ただしいことったら!
スケジュール表を見ていたら、諸々会議や撮影のダブりが沢山あり、こりゃ困ったもんだ。どう調整しようか悩んでしまいます。
大勢の人の連動したスケジュールなので、動かせないことが多いのです。

さて、ドンチッチョの石川勉さんとお話をしていて、料理人としてスタートして今年で30年だと言うことでした。
じゃ、ハルコが石川さんと最初に出会ったのは、石川さんが修行で皿洗いをしていた頃!
場所は麻布の「クッチーナヒラタ」でしたが、石川さんとは同郷ということもあり、修行で移った店を辿りながら追っかけをしていたことになります。
クッチーナヒラタから、天現寺のペーパームーン、恵比寿のボッカネーロ、後者の2軒とも行くたびに「先週までいましたが」「先ほどまでいました」などと言われ、また追いかける……。刑事さながらの執拗な追求!!
そして、青山「ダ・トマゾ」で追いつき、星条旗通りの「ベンジーナ」で再会。

その後、シチリアへ料理修行へ出かけて帰国後、外苑前に「トンマジーノ」を開店しオーナーシェフに。
その後同店の建物の不備が出て閉店したのですが、スタッフがそのまま再結集して、青学西門前に「ドンチッチョ」を開店。

思えば、一人の料理人の成長に沿って客が一緒に付いて行く、というのは稀有なことだと思います。
これからも、石川勉さんの人柄と料理を堪能したい、と思ったハルコでした。

2012年5月22日火曜日

肥後守


日常で切るという行為をしない日は、ほとんどないのではないかと思います。
包丁、ハサミ、カッターナイフ、ペーパーナイフ……何らかの形で生活に必要不可欠なものですね。

さて、肥後守という字を見てどのくらいの方が読めるのでしょうか。
肥後守(ひごのかみ)という名前の折りたたみ式ナイフのことですが、これは商標登録されていますが、一般名詞でもありますね。

小学生の頃は、肥後守は必需品で、筆箱の中に必ず入っていました。当然鉛筆を削るのはもちろんのこと、図画工作にも使います。
また、放課後や休みの日に近くの山に遊びに行く時も持参します。
今考えるとおかしな話なのですが、木の枝を切り取り、木の外皮と本体を刀の鞘と刀の状態にして、鞘の下に塩を詰め、刀の木の部分の先端を塩に当てて、山で汗をかいた時に舐めていたのを思い出します。
水は沢から流れる湧き水です。今はそんな場所は無いですね。

そんな形で肥後守は子どもの必需品でしたが、さらに父親が製鉄所に勤めていたので、鉄の鋼材の端をグラインダーで加工した切り出しナイフが家にもあり、大きな工作をする時に活用しました。
今の子どもたちは、危ないということであまり使わせないようですが、石器や骨を使って人類が最初に作っ道具という意味では、ちゃんと正しい使い方を身につけさせるべきだと思うのです。

かくいうハルコも、写真にあるようなフォールディングナイフは大好きで、デスク上のペーパーナイフの代わりに使ってます。

2012年5月21日月曜日

ウンベルト・エーコ

イタリアのボローニャ付近でで大地震がありました。イタリアも地震の多い国ですね。
そのボローニャと言えば、ハルコにとってはボロネーゼとウンベルト・エーコなのです。


「ウンベルト・エーコななんて知らないよ」と、いう方の方が多いかと思います。
25年前に封切りになった映画『薔薇の名前』の原作者です。
ついこの前観たような気がしていたのですが、四半世紀経ったのですね(まったくイヤになりますね)。
何故ブログにウンベルト・エーコを取り上げたかというと、買って読んでない本の山から『バウドリーノ』の上下巻を発見(!)したのです。
まぁ、買ったことさえ忘れていたのです。取りあえず本棚のウンベルト・エーココーナーに入れたのですが、意外にエーコの本は買っていたのですね。

ウンベルト・エーコは1932年にイタリアのピエモンテ州アレッサンドリアに生まれ、記号論学者にして小説家、中世研究者、文芸評論家、ボローニャ大学教授……。
エーコとの出会いは映画の『薔薇の名前』からで、ショーン・コネリーが主人公の修道士パスカービルを演じていて、お気に入りになりました。
元々キリスト教美術に関心があり(新婚旅行はアッシジにジョットを観に行ったのです)、イコンや宗教画をより良く理解するためには、キリスト教自体を知らないといけないと考えていたのです。

読書ってあるひとつの事柄を読んでいても、それから派生する本体とは直接関係のないことにも興味が出て来て、さらに末葉まで行ってしまいますね。
『薔薇の名前』から触発されて、中世都市、キリスト教異端、食文化、修道院、教会と広がって行きました。
そこで、フランス、イタリア、スペイン、ポルトガルと、カソリックの国に対して興味が出て、実際の場所へ足を運ぶことになります。

フィレンツェのイタリア人夫婦には、聖フランシス終焉の場所まで延々山や谷を超えて案内してもらいました。
その時もウンベルト・エーコの本の話から、「今度は別の作家で『ダヴィンチ・コード』という本が出ているのだが面白いよ」と教えていただいたのです(当然イタリア語版で、日本語はその後)。
うむ、話がどんどん逸れている!

読み忘れの本がいかに多いか、自分で反省!
佐藤健一の『小説フランス革命』もまとめて読もうと買ってはみたのですが、いつ読むのでしょうか?
やはり、安直で読み易い本から順に読むので、“読む努力”を有するものは後廻しになってしまいます。
まず、挫折した『前日島』を再読するか。『薔薇の名前』と『フーコの振り子』は非常に面白かったのに……。

2012年5月18日金曜日

小腹が空いた!

普段よく「小腹が空いた」という言葉を耳にしたり、自分でも言いますよね。
言葉の頭に「小」という接頭語を持つ「小腹(こばら)」について考察してみます。

小腹は“こばら”の他に“しょうふく”“したはら”という意味もあり、「小腹が立つ」という表現もありますね。
本気で腹が立ったり、本当に空腹なのではないのですが、それが人によっては微妙な問題になります。
よくあるのは、午後の3~4時くらいで会議が一段落して、誰かが「小腹がちょっと空いたので、先ほどの続きをどこかでしませんか」というシチュエーション。
まぁ、お昼ご飯を12時に食べていれば、“三時のおやつ”という習慣もあるので、一同適当な空いている店へ行きます。
飲み物だけの人から、コーヒーにケーキ付きね!と様々ですが、「えっと、まず、ビールにポテトフライとサンドイッチにパスタもね!」となると、これは小腹が空いているというよりは、もう立派な食事では?。
で、晩ご飯は?と聞くと、「うん、ちゃんと食べるよ。これは、腹ふさぎ!」
小食の方ならもう、立派な晩ご飯では?と思うのですが、個体差は大きいです。

ハルコなりに「小腹」の定義を考えてみると、まず
「空腹を押さえるが、満腹になってはいけない。
 あくまでも、”一時凌ぎ”であること」

和食屋さんで、よくお通しの後に“お凌ぎ”という、一口くらいの飯蒸などが出て来る場合がありますが、あれは客があまりの空腹で暴動をおこさないように、まさに“口封じ”するためのものですね。
本来は一時凌ぎだったのが呼び水になり、本格的にお腹が空いてきて、「小腹ふさぎ」を沢山食べてしまうこともハルコは多々あります(先ほどの、ビール、フライドポテトは実はハルコのことです)。

さらに問題は、晩ご飯後に「小腹」が空くことですね。
ハルコは普段から晩ご飯が遅く(平均9時前後)、就寝前まで食べているので(本当に身体に悪い!)滅多に小腹は空かないのですが、自宅で早めの晩ご飯食べると、10時過ぎ頃に“口さびしく”なることがあります。

ホットミルクでも飲んでいれば良いのですが、「ちょっと小腹が空いた。何かないかな」と冷蔵庫を探し、チーズやハムを見つけて、確かクラッカーがどこかに……ふむ、そうすると、ビールかウイスキーが欲しいなと食べ始めて、段々ポテチの買い置き、ピーナッツ、おせんにキャラメル……と仕上げにアイスクリームを食べているではありませんか!
いや、本当に意思の弱いハルコでした(写真は事務所にあるオフィスグリコ、小腹が空くと、つい100円を手に……)。

2012年5月17日木曜日

ドンチッチョ@伊勢丹

新宿伊勢丹のキッチンステージで、5月16日から6月5日までドンチッチョの石川勉さんレシピのメニューが召し上がれます。
これは、シチリア料理と喜界島の花良治胡椒と胡麻のコラボです。
テーマは“島”で、独自に進化した食材や調味料がキーワードです。


シチリアの豊かな食文化は「文明の十字路」と言われ、東のギリシア・エーゲ文明、西の地中海文明、北のローマ・イタリア文明、南のカルタゴ・アフリカ文明と、非常に密接に島の中で混在しています。
随分前ですが、シチリアを食べ歩きした時には、島であるにも関わらず、あまりにも大きな違いに驚かされました。
また、喜界島も珊瑚礁が隆起して出来た島で、独自の文化を育んできました。
幕末に日本に来航したペリー提督からは、「バンガロー・アイランド」と命名されています。

ドンチッチョメニューは、指輪の様な形のショートパスタを使ったアネッリ・アル・フォルノ(グラタン)から、シチリアの伝統料理ファルソ・マーグロと言う、直訳すると「痩せて見えるが、中身はたっぷり」のイタリア版ミートローフ、お馴染みカポナータにお米のコロッケ、アランチーニ、シチリア名物カジキマグロのペーシェ・スパーダと、美味しい料理が揃ってますよ。
お時間が有りましたら、伊勢丹キッチンステージにお立ち寄りください。
あら、何だか宣伝してしまいました(ホホホ)。
次回のメニューも面白いので、またブログで発信いたします。

2012年5月16日水曜日

野菜料理家・庄司いずみさん

野菜料理家・庄司いずみさんと食事をご一緒にさせていただきました。その時にいずみさんの新著をいただきました。
『野菜のいちばんおいしい食べ方(庄司いずみ著/エンターブレイン刊)という本です。


今日は大手流通卸のキッチン用品の展示があったので、貝印ブースを見に朝からビックサイトへ出かけておりました。その行き帰りのゆりかもめの中で拾い読みしてました。
帯に書いてあるキャッチの「この本は“読む料理本”です」の通り、春の野菜11、夏の野菜10、秋の野菜9、冬の野菜11、香味野菜6の合計47種類の野菜のお話が満載です。
例えば、夏の野菜の章の「トマト」には、子どもの頃に食べたトマトの味から始まり、トマトの栄養価、美味しいトマトの見分け方、トマトの調理法のヒント……と構成されていますが、それが、無機質な文章ではなく、毎日野菜と対峙しているいずみさんならではのエスプリに満ちております。

いずみさんがベジタリアンになったきっかけは、15年前の出産した後に重度の乳腺炎に罹患したことでした。
手術をするくらい大変な状態で、食事は油っこいものや肉、魚を止めて、野菜と米の食生活に替え、完治した経験を踏まえているのです。
そして、野菜の可能性を追求して、ブログでレシピを公開し、多くの著作を発表するまでになりました。

この本はキッチンに置いておき、料理をを作る際に「今日何の野菜があるかしらん」と、献立のヒントになること請け合いです。
ハルコは普段、肉肉しく肉を食べているように思われがちですが、自宅では相当野菜を食べているのです。
ただ、いつもレパートリーが少ないので、これからはいずみさんの『野菜のいちばんおいしい食べかた』を参考にしながら、献立を増やしてオクサマに喜ばれるお手伝いを目指そうと、心に誓いました。

2012年5月15日火曜日

漬け物と魚柄仁之助

今から10数年前のことです。
知人の編集者から、週刊誌のイラストを描いてくれる人を捜している、と電話がありました。その頃丁度、徳間書店から『包丁の使い方とカッティング』という本を上梓した後でした。そこに描いていたイラストレーターが、たまさか事務所のアルバイトスタッフだったのです。


しかし、そのスタッフは既に辞めており、もう締め切りが来週に迫っているというギリギリの状態でした。
そこで、まぁいいや、と思いハルコが担当するはめになりました。
なんせ、その包丁の本の発行は徳間書店で、週刊誌はお上品な『アサヒ芸能』だったのです!
そして、週刊誌の連載のエッセイは、魚柄仁之助さんだったのです。


まさか、それから魚柄さんと長いお付き合いになるとは、夢にも思いませんでした。
毎週1本の連載なのですが、1ヶ月にまとめて4~5本の原稿を魚柄さんの所に取りに行きながら、その場で料理のプロセスイラストのラフを描いて、魚柄さんにチェックしてもらうのです。
その時に、魚柄さんが「冷蔵庫で萎びた野菜は漬け物に丁度良い」と、ご宣託。 帰って早速冷蔵庫を見たら、萎びた白菜、大根を発見!
試しに塩と昆布で簡単に漬け物を作ったら、これが想像以上に良く出来ておりました。
ある意味、ハルコが料理を作り出したきっかけは、魚柄さんなのです。

魚柄さんとはアサヒ芸能の連載を、筆者と(にわか)イラストレーターとして1年半一緒に仕事をして、その連載もハルコが再編集して単行本にしました。
その後、魚柄本(写真掲載)をプロデュースしたり、また一昨年は古巣のアサヒ芸能で、また一緒に筆者、イラストレーターとして仕事をする機会がありました。

以前、貝印のカイハウスで魚柄さんが講演をするので、見学しに行きました。
魚柄さんが大変具合が悪くなり、様子を伺いに行ったハルコが前説で繋いでいるうちに、救急車のサイレンが聞こえててきて、魚柄さんはそのまま入院してしまう、という事件がありました。
その原因は、魚柄さんの恩人立松和平さんがお亡くなりになり、魚柄さんが心身供に最悪の状態になってしまったことに起因していました。
それまで凄い酒豪だった魚柄さんが、お酒も止めてしまい寂しい限りですが、また仕事をご一緒したいと思います。

2012年5月14日月曜日

糠漬け


わが家の冷蔵庫には常置糠漬けの容器が入っています。
本当は外に出していれば良いのですが、毎日漬けて食べるわけではないので、ほぼ週末の登場です。
容量的には胡瓜だと5〜6本一度に漬けられるくらいの大きさです。

胡瓜、大根、蕪、人参、山芋などに塩をまぶし、30分ほど経ってから水気をよく切って漬けます。
大根は味が早く入るので1~2日でも良いのですが、人参だと5日以上かかります。
日曜日に2週間ほど漬込んでいた(忘れていた)人参を救出したのですが、さほど食べれなくはなかったです。

旅行へ行っている間や忙しくてかまっていられない時に、糠床が白カビから恐怖の青カビに変わり、何回も捨てた苦い経験があります。

一番最初に糠を買ってきて、真水を作り塩を加えてから、2週間かけて糠床をつくりました。
本当に労多くして益少なしで、大変ですね。 段々テヌキをしたくなり、もう糠として直ぐ使える物も試しましたが、やはり糠床から直に作るにが楽しいですね。

へたってきたらビールを入れたり、昆布や唐辛子なども足してみます。
このところ糠の状態は良いので、オクサマからも好評でございます。
これからちょいちょい野菜を替えて、色々試すのが楽しみです。
ハルコはかなりの漬け物好きですが、別の漬け物の話はまた明日。

2012年5月11日金曜日

ビスマルク風

朝食に、頂き物のホワイトアスパラガスの上に目玉焼きをのせていただきました。黄身が半熟でとろりと溶け出したものを、アスパラに絡めていただきます。
卵黄をソースに使うという意味で“ソース・オランデーズ”の50歩くらい手前?


ホワイトアスパラガスによく使われるソースがこのオランデーズで、よく合うのです。
温かい皿にのせた茹でたてのホワイトアスパラガスに、たっぷりのオランデーズソースをかけて食べる。何という美味しさでしょうか。
ちなみにこのオランデーズは、オランダ風のという意味です。
家庭で簡単にオランデーズ風(全然違うのですが)を楽しみたい時は、卵を添えるか、かければ良いのです。
その最たるものが“ビスマルク風”と呼ばれる調理法なのです。

ビスマルク!? と言えば、プロイセン王国、ドイツ帝国の鉄血宰相と呼ばれた、オットー・フォン・ビスマルクでございます。
このビスマルクさん、大変な美食家かつ大食漢で、朝から冷肉ソーセージ、キャビア、卵料理、魚の薫製……と沢山召し上がるのですが、特にお好みなのはステーキの上に目玉焼きをのせて食べることです。
それが、いつの間にか目玉焼きをのせて食べる食べ方が“ビスマルク風”となったのです。でも実は、このビスマルク風はフランス料理なのでございます。

イタリアでは、同じくアスパラに目玉焼きをのせると、ミラノ風へと変わるのです。
フランス風との大きな違いは、パルミジャーノ・レッジャーノをかけることです。またこれが、チーズのコクが加わり美味しいのです(ジュルリ!)。
ハルコこのビスマルク風が大好きで、方々のレストランで"ビスマルク風”にして!とわがままを言ってしまいます。
まぁ、ファミレスのメニューでもハンバーグの上に目玉焼きのせとか、ビスマルク風と呼んでいなくとも沢山目につきますね。
卵1個あれば、贅沢になるビスマルク風でした。

今晩はご飯の上に卵を……。
卵かけごはんビスマルク風ハルコ添え!?

2012年5月10日木曜日

1985年5月10日


語呂合わせですが、今日は5月10日「510(ごとう)」です。
自分の姓ですが、実は今日はハルコのオフィスの創立記念日なのです。
まぁ、単に登記上の日にちですが。
今年で27年、よく潰れずに生き残ってますね。

今日のブログは、設立した1985年5月10日へバック・トゥ・ザ・フユーチャー!
実は、この映画はこの年にアメリカで封切りされているのです。

この年の大きな事件は「日航ジャンボ機墜落」で、坂本九さんが亡くなりました。
豊田事件・国鉄(JRじゃないですよ)・多発ゲリラ事件に、西ドイツのジエチレングリコール(不凍液混入)毒ワイン事件。それに阪神が21年ぶりに優勝。
時の総理大臣は中曽根康弘で、チェルネンンコソ連邦共産党書記が死去してゴルバチョフが登場し、レーガン大統領と会談して東西融和が始まりました。
つくば博が開催され、東北新幹線が上野・大宮間で開通し、青森の青函トンネルも開通と、まだ日本もイケイケですね。

中曽根改革でNTTJTが誕生し、NTTは重さ3キロのショルダーホンを発売してますね。いや、最初に見たとき欲しかったのですが、確か20万円!
ソニーのハンディカム、東芝ワープロルポ、イチゴ大福、オレンジページもこの年の誕生です。
流行語は、うざい・金妻・実年・新人類・ダッチロール、FFされる(スキャンダル誌フォーカスのこと)、ロス疑惑三浦和義逮捕、京都・古都保存税、プラザ合意……。
皆さんはどのくらい覚えてますか?
バック・トゥ・ザ・フューチャーでした。

2012年5月9日水曜日

鮨の宝典「鮓・鮨・すし」

普段からは大好きですが、鮨関係の調べ物をする時に必ず参考にする本があります。
『鮓・鮨・すし」すしの事典。吉野曻雄著(旭屋出版)です。


吉野曻雄(ますお)さんは1906年生まれ、日本橋・吉野鮨本店の三代目で、1991年に85歳でお亡くなりになっています。
鮨屋の店主であると同時に、野口元夫という芸名で俳優もしていました。
ハルコが小学校の頃に、NHKの「事件記者」という人気ドラマで“山長”という渋い役をしてました。また、伊丹十三監督の映画、「たんぽぽ」「マルサの女」「あげまん」などにも出演していたのです。
その吉野曻雄さんの凄いところは、鮨の事典を作るために、長年俳優の仕事で得たお金を全て鮨の資料などの購入のために私財を投げ打っていたことです。 『鮓・鮨・すし』は、鮨の世界のことを知りたい方のための宝典なのです。

ところで今、“鮨”と書きましたが、他に鮓、寿司、すし、スシ……と色々な表記があるのを疑問に思った方はいませんか?
その疑問に、吉野さんは大胆な仮説を提唱しているのです。
江戸時代に、新井白石が酸っぱいから「スシ」と唱えて誰も疑問を持たなかったそうですが、白石の時代にすしは酸っぱかったかどうか考察をしたのです。

元々すしは中国大陸から伝来した時に、「鮓」と「鮨」が混乱した情況で流入したそうです。その辺は『すしの美味しい話』中山幹著(中公文庫)に詳しくあります。
新潟で新たな鮨に出会い、この本を読み返してます。

2012年5月8日火曜日

新潟と鮨


連休後半は新潟のセカンドハウスで過ごし、最終日は新潟市へ映画(テルマエ・ロマエ)を観た後に、を食べに参りました。

最近は、新潟の自宅で料理をして食べる方が多く、外食はあまりしなくなりましたが、外で食べる場合一番多いのはです。
新潟でも鮨と蕎麦(へぎそば)が圧倒的に食べる機会は多いですね。新潟では「寿司王国・新潟」のキャンペーンもしていて、鮨屋さんは2000店以上もあるとか。
越後の鮨は旨い米と豊富な魚介類で成り立っていますね。

普段は、新潟市の秋葉区(昔の新津市)にある「次郎長」という鮨屋さんがお馴染みですが、今回は新潟市内の三越新潟の裏手にある「鮨 奈可久 星野」へ、初めて出かけました。
この「鮨 奈可久」でピンと来る方は相当の鮨通だと思います。
かなりご無沙汰してますが、六本木の「鮨 奈可久」鈴木隆久さんのお弟子さんの星野貴明さんのお店なのです。
ツケ台には六本木の店と同じように氷柱が鎮座し、客を迎えてくれます。これは、鈴木さんが修行した先代「なか田」も同様の氷柱を使っているので、まぁ三代に渡る伝統ですね。

突出しの「蛸の桜煮」は柔らかく、噛み締めるとじわっと旨味が広がり、酒が進むこと(この日は飲み過ぎました)!
青い皿も六本木の店と同じで、一瞬どこで鮨を食べているのか判らなくなりました。
まだ若い星野さんですが、更なる精進を期待して、また新潟に食べに行きますよ。

2012年5月7日月曜日

まだ、GW気分!

全国的にGWは終わったようですね。
ハルコはまだ連休中です(ホホホ、先憂後楽!)。
まぁ3日まで仕事していたので、土日を除くと2日しか休んでいないのですが。


新潟五泉のセカンドハウスは、1月以来訪れておりませんでした。
今年は凄い雪で大変でしたが、同じ散歩道も草木が青々して気持ちが良いです。
ただ、連休中は天気が悪く、終了してからの方が良くなりましたね。

写真は部屋の一角で、ハルコ作のわが家で26年で大往生した飼猫ハリーの絵です。
久しぶりにのんびりとしてますが、読もうと思って持参した本や資料もまだ開けてもいないのです。困ったもんです。
でも、のんびり!

セカンドハウスライフ満喫のハルコでした。

2012年5月2日水曜日

料理の計画性


冒頭にあるイラストはもう、10年前のイラストです。言葉の接尾には「~ダニ」と付いてますが、ハルコの最初の頃のキャラクターはこんな感じでした(ファイルを整理してたら出てきました)。

さて、このイラストはハルコが料理を始めた頃、頻繁にやっていた実話です。
カレーを作ろうとして、ありったけのジャガイモ、タマネギ、ニンジン、牛肉を切ってしまったのです。
当然、鍋に入り切らず困ってしまうのですが、ハルコの浅知恵で、3つの鍋でカレー、肉じゃが、牛肉の豚汁風を作るのです。
味はそれぞれ、カレー味・しょうゆ味・みそ味と、一応違えています。
それを一緒にオクサマにお出しする→オクサマ怒る。
最後の絵は、当時のハルコはシガーを吸っていたからです。

その頃は、料理を作る時に分量を確認しないで作っていたんですね(おバカ!)
単品の料理を作るなら良いのですが、献立となると色々と考える必要があるのだと初めて気が付いたのですね。
そして、ハルコとして色々な料理人の元で修行をするようになり、段々料理が上達してきたのです。

ハルコ!ウソを言うんじゃありません!(オクサマの声)
未だに熱い料理は最初に作って冷たくするし、素材のどうでも良い所から料理をするし、味付けは濃いし!


まぁ、オクサマから見れば散々なハルコの料理です。
料理の手順を考えるというのは脳の活性化に繋がるらしいですが、ハルコはあいも変わらず上達しません。
さすがに、イラストのように分量を適当に作ることは無くなりましたが「料理の計画性=ダンドリ」は重要ですね。
精進しなさいハルコ(オクサマ談)

ブログは5月3日から8日までお休みです。
FBは毎日下記から発信します。
http://www.facebook.com/otetudaiharuko

2012年5月1日火曜日

食のエバンジェリスト


連休4月30日、アップルストア銀座にて「食のエバンジェリスト達が“美味しい”を語りつくす!」会へ参加してきました。
3人の食の達人、『味の手帖』編集顧問マッキー牧元さん、『東京いい店うまい店』編集長の柏原光太郎さん、『東京最高のレストラン』編集長の大木敦夫さんのスペシャルトークイベントです。
最近気になるお店や料理から、最後の晩餐で食べたいもの、銀座でのおすすめのお店に、それぞれのメッセージという構成に、場所を銀座ライオンに移動しての懇談会と楽しい1日でした。

元々はエバンジェリスト(evangelist)とは、キリスト教における福音伝導師や、変じて改革運動者という意味です。
“食の伝道師・食の改革者”の3人のお話を聞いているうちに、頭の中ではバッハの“マタイ受難曲”が響いてきて、キリストが磔にされるシーンを想像していまいした。
マタイ受難曲も、“エバンゲリスト”(福音史家)のレチタティーヴォ(叙唱)で聞こえてくるのは“グルメの受難”ですね。正確に言うと“グルメの伝道師達の受難”でしょうか。

かつては、食の批評家(伝道師)はそれなりの役割と伝道書(グルメガイド)が果たす福音(食の情報)は大切なものでした。
それが、ZAGAT以降はカソリックからプロテスタントへ移行したごとく、大衆が福音書(ガイド)作りに参加し、ネット福音書では、それぞれが自らの福音書を出せる時代へと変容したのですね。
それにより、偽キリストの預言が跋扈し、間違った伝道も流布されたのです。
さすがに、3人の食のエバンジェリストは正しい福音を私達に与えてくださいました。

連休中なのでブログも今週は今日と明日の2回で、8日までお休みです。
FBは毎日活動していおります。下記からご覧ください。
http://www.facebook.com/otetudaiharuko

ハルコ