2018年1月25日木曜日

再び、クラブ・デ・トラントの時代 



時代は1970年の半ばで、狂乱のオイルショック騒動があった時代である。
その時代に就職したデザイン事務所で、『家庭画報』のレイアウトマンとして働きはじめていた。





雑誌は巻頭に料理の特集を組み、新しいレストランの紹介も多かった。
やがて、フリーのデザイナーとして独立をして、1年ほど『家庭画報』編集部に
席を置き同誌のデザインを担当していた。
その頃、ヨーロッパの各地のレストランで修行を終え若い料理人達が、
続々日本へ帰国していた。
『家庭画報』でも、帰国した料理人たちが登場し、新しい感覚の料理で誌面を飾った。

1981年発行の『饗宴』第4号(季刊で五冊で廃刊)に、
四谷の迎賓館を背景に12人のトックコートに身を包んだ30代の料理人たちが
腕を組んでいる写真が掲載されている。

そこに書かれているのは、

「ホテルから街場のレストランへ、
最近のフランス料理の流れはしだいにこのようになりつつある。
本国でのヌーヴェル・キュイジーヌに呼応するかのように、
日本でもフランス料理を若返らせた街場の料理人たちがいる。
30歳以上のシェフ(たち)が集まったオーバー・サーティのメンバー16人。
かれらの目指すところは、たんなる同業の連帯だけではない。
高品質の魚、肉などの共同仕入れから、
ゆくゆくはフランスワインの買い付けまで広がる。
フランス料理の未来にとって、かれらに寄せる期待は限りない。」

これが、「クラブ・デ・トラント(Club des Trente)」と呼ばれるグループの
始まりである。
クラブ・デ・トラントは、海外(主にフランス)で修行した料理人たちが
1970年代後半から帰国した30代の料理人の会だったが、
30数年の月日が経つと現役引退したり、会長の高橋徳男さん(2009年)も
亡くなってしまい、段々その当時の証言者がいなくなる危機感を抱いている。

クラブ・デ・トラントの存在は日本にフランス料理の定着を果たすとともに、
料理が文化であることを認知させ、スターシェフを排出し、
後に続く若手シェフたちの道標にもなったのだ。

季刊『饗宴』第4号(婦人生活社)1980年 9月30日発行
写真右から(カッコは当時のレストラン名)
吉野好宏(ジャンドマルス) 石神和人(ベル・フランス) 酒井一之(ヴァンセーヌ)
井上旭(ドゥ・ロアンヌ)  秋山茂夫(サンマルタン)  高橋徳男(ラ.マレ)
鎌田昭男(オー・シュアヴァル・ブラン) 青木亨(イゾルデ) 坂井宏行(ラ・ロッシェル)
熊谷喜八(ラ・マレー・ド・チャヤ) 城悦男(レカン) 寺島雄三(楠亭)
※写真にはいないメンバー/石鍋裕(ビストロ・ロテュース) 扇谷正太郎(エヴァンタイユ) 佐藤健二郎(シャトー・リヨン) 勝又登(ビストロ・ラ.シテ/オー・シザブル)

この時代の料理人たちの軌跡を今年こそは残す必要があると思って活動を開始したい。
不連続で「再び、クラブ・デ・トラントの時代」を発信する予定。

ハルコの活動はFBからも。
https://www.facebook.com/?locale=ja_JP

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