2018年6月6日水曜日

八ッ橋騒動



京都の2つの老舗八ッ橋が
創業年数を
争って裁判を起こし
話題になっている。












先日、京都の菓子を紹介するコラムを書いている時に、
京菓子の店の創業年数を調べていた。
手元に資料があればそれを根拠にするのだが、ネツト検索で店のHPや情報を
調べて行くのであるが、中々どれが本当か悩むのである。
今回の騒動の元は創業開始年数が虚偽であるという訴えである。

事の真偽ははたして本当に判るのだろうかと思うのである。
訴えた「井筒八ッ橋」は「聖護院八ッ橋総本店」の創業元禄2年に
八っ橋が作られたという根拠になる文献は存在しないと。
ゆえに虚偽であるから表示を止めて損害賠償せよと。

どだい文献が無いなら、創業自体の年度を特定することはどちらにしても
不可能だと思わざるえない。

手元の資料を捜すと『たべもの起源事典』(岡田哲・編/東京堂出版)』では

「八橋検校が京都に住みつき貞享2年(1685年)に亡くなり、
黒谷金戒光明寺に葬られ門人の参詣が絶えず、4年後に聖護院八ッ橋総本店は
八橋検校の徳を忍び琴の形をした干菓子(聖護院八ッ橋)を創作したとある。」

さらに、井筒八ッ橋の記述では
「京都の水茶屋・井筒八ッ橋本舗初代・治郎三は、井筒から水を汲んでは
検校に用立てていて、あるとき、手桶の底に沈む小麦に、蜜、肉桂を混ぜ合わせて
堅焼き煎餅を作ることを教わり、のちに井筒八ッ橋となるとある。」

検校が生きていた時代と亡くなった時代の前後のこの2つの老舗の創業者が
交差しているはずであるが、
この事典の文献は索引総覧でもどれに該当するか捜せなかった。
この記述が正しいかは判断出来ないが、
なぜ、生前の検校に教わった八ッ橋を没後120年も経て創業したのだろうか。
また、元禄2年には「本家西尾八ッ橋」も
「聖護院八ッ橋総本店」同様に創業されている。

疑惑はさらに深まった。
しかし、本家、元祖の争いは端から見ると不毛だと思うのだ。
写真は『改訂調理用語辞典』より

気になる方は
・聖護院八ッ橋総本店
http://www.shogoin.co.jp/yatsuhashi/history/
元禄2年(1689年)創業
・井筒八ッ橋本舗
http://yatsuhashi.co.jp/history/index.html
文化2年(1805年)創業
・本家西尾八ッ橋
https://www.8284.co.jp/history/
元禄2年(1689年)創業
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