2018年6月27日水曜日

カラブリアの貧乏人のスパゲッティ




広尾の「インカント」」で10年
シェフをつとめた小池教之さんが
今年の2月26日に
四谷三丁目にオープンした
「オステリア ・デッロ・スクード」の
イタリア各州の地方料理が
面白いのだ。










シーズンごとに、イタリア各州にスィッチし
その地域独特の料理とワインを提供するのである。
開店時は「ヴェネト料理」でスタートしたが。
今回の訪問時に「カラブリア料理」に変わったのだ。

ハルコのカラブリア料理のイメージは辛いという印象で、
確かにメニューには「PICCANTE!!(ピッカンテ)」と
辛い印の料理も多く見られる。
カラブリアはイタリアの最南端にあり、この地域は大の唐辛子好きな風土で
辛い料理が苦手なイタリア人からは、辛い料理を見ると
こんなのは、カラブレーゼ(カラブリア人)しか食べないと。

さて、メニューの中に、気になるパスタがあり、
その名は「貧乏人風焼きほぐした目玉焼き和えスパゲッティ
(SPAGETTI con UOVO FRITTO "POVERELLO")」。

卵を使った代表的なスパゲッティと言えば「カルボナーラ」が有名だが
このパスタは「目玉焼き」なのである。

シチリアにはチーズの代わりにカリカリに焼いたパン粉をかけて食べる
「スパゲッティ・アッラ・モッリーカ」というものがあり、
パン粉は「貧乏人のパルメジャーノ」と呼ばれて、貧しい時代のパスタなのだが、
それに比肩するパスタがカラブリアの「貧乏人のスパゲッティ」なのである。

簡単にいうと目玉焼きを焼いて、ほぐしてパスタに混ぜるだけなのだが
本当に旨いのである。

カルボナーラは結構卵の扱い方が面倒でテクニックがいるが、
目玉焼きを焼いてほぐして混ぜるだけなので超簡単なのである。
ぜひ、小池さんに貧乏シリーズもやって欲しいものだ。

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2018年6月22日金曜日

コッペパンの聖地、盛岡「福田パン」



この1ヶ月ずいぶんコッペパンを食べた。
以前はあまり食べなかったが、
ちょっとハマってしまった。
それは。盛岡の「福田パン」で
コッペパンに出会ったからだ。

さんゆうねっと月イチコラム6月
「お手伝いハルコの食の森羅万象」
ご一読ください。


2018年6月18日月曜日

カボチャの種とワタの取り方に関する一考察



カボチャは硬い、
と、書いて、
硬い、固い、堅い
どれが、正しいのだろうか?
硬いの対義語は軟らかいだから
妥当か?
でも、固いの対義語は緩い。
堅いの対義語はもろい。
あぁ、面倒だが問題はカボチャが
かたいということ。









カボチャを切っておくようにいわれて、
まず、種とワタを取り除く。
何も考えずに大きめの”硬い”スプーンを使い
種とワタを力を入れて、なるべく実を削らないように
削り取る!うん、この場合は、そぎ取る、えぐり取る
どれが正しいのだろうか?

スプーンでなく包丁を使う場合は、切り取りか?
スプーンの形状を考えると、えぐり取るが一番適切か。

一体どこで、カボチャの種とワタの取り方を覚えたのだろうか?
何も考えずにスプーンを出していた。
手と指先で(硬いのでやらないが)取るときは、搔きだすか。
帆立貝の貝殻なら搔きだし易いような気がするが
すぐに欠けそうだ。

歯を使い、スイカのようにカボチャにかじりつき
種とワタをかじりながら、吐き出す。
これは、絶対気持ち悪いから止めた方がいい。

カボチャピーラーというものもあるが、
外の皮を剥いて、中の種とワタはピーラーの手元の部分を使う。
また、ピーラーで先端が金属の輪になっていて
こそげ取る構造のものもある。
だが、これならスプーンが最強の道具だろう。

と、種とワタを取りながらぼ〜っと考えていたハルコだった。

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2018年6月8日金曜日

とげぬき地蔵「ときわ食堂」物語




南大塚(巣鴨)にアトリエを
移転して丁度3ヶ月目。
自宅の西巣鴨から、地下鉄で
ひと駅の距離であるが、
天気の良い日は長商店街を抜けて
歩いて行く。
その途中には巣鴨一のガストロノーミ(?)
として有名な「ときわ食堂」があるのだ。









起点の「庚申塚商店街」と繫がっている「とげぬき地蔵商店街」」の間に
横たわるのは、都電荒川線(さくらトラムと)があり、この線を境に随分違うのである。

以前、両商店街の夏の福引きがあったが、「とげぬき商店街」の特賞は
ハワイ旅行だったが庚申塚商店街は缶ビールやノートに鉛筆だった。
(小学校のラジオ体操か)

庚申塚の謂れの猿田彦を抜けると、そこに「ときわ食堂庚申塚店」がある。
引越して来た当初は朝からアジフライを肴にビールを呑んでいる
オジさんがいてビックリしたもんだが、それは、25年後の自分の姿とは
その当時は知る由もない。

そして、とげぬき地蔵高岩寺の手前に「ときわ食堂本店」がある。
庚申塚店と比べると、4倍の規模で、「四の付く日(縁日)や土日祭日などは
朝から長蛇の列をなしている。(他に駒込店)
ここで、晩ご飯を食べる時は、夜の9時を廻っている時間で並ばずに入れる。

生ビールの当てにミニ盛りのコロッケや串カツ、蛸ブツを食べながら
今晩の定食はどうするか考えるのが楽しみのひとつである。
ご飯みそ汁お新香の270円の定食セットにハムエッグなんてのも悪くはない。

とげぬき地蔵商店街を抜けて駅の方に向かう途中に「ときわ食堂駅前店」がある、
ここは、庚申塚店の2倍弱の店舗で、数年前に開店した。
夜ギリギリ入店することもあるが、もっぱらランチで使っている。
ちなみに本日は豚肉炒め定食に納豆の組み合わせだった。

3店舗の客層はバラバラで、「庚申塚店」は地元密着型で(ハルコも)
近所の住人が昼夜にかかわらず飲んでいる人も多く、
昔ながらの定食屋さん的な雰囲気で、店のスタッフはエスニック度が高い。

「本店」はもう、観光地化してわざわざ遠方からの客も多く、
若い女性のグループやおだを上げているオジさん軍団も見かけるが、
昨年駅前に「アパホテル」が出来たせいか、
一人で出張飯をハイボールで食べているビジネスマン風もいる。
「駅前店」は近所の会社のサラリーマンや巣鴨の用のある営業マン風から
女子一人ご飯何どバラバラである。
こうして、ハルコは3店の「ときわ食堂」をこよなく愛顧しているのだった。

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2018年6月6日水曜日

八ッ橋騒動



京都の2つの老舗八ッ橋が
創業年数を
争って裁判を起こし
話題になっている。












先日、京都の菓子を紹介するコラムを書いている時に、
京菓子の店の創業年数を調べていた。
手元に資料があればそれを根拠にするのだが、ネツト検索で店のHPや情報を
調べて行くのであるが、中々どれが本当か悩むのである。
今回の騒動の元は創業開始年数が虚偽であるという訴えである。

事の真偽ははたして本当に判るのだろうかと思うのである。
訴えた「井筒八ッ橋」は「聖護院八ッ橋総本店」の創業元禄2年に
八っ橋が作られたという根拠になる文献は存在しないと。
ゆえに虚偽であるから表示を止めて損害賠償せよと。

どだい文献が無いなら、創業自体の年度を特定することはどちらにしても
不可能だと思わざるえない。

手元の資料を捜すと『たべもの起源事典』(岡田哲・編/東京堂出版)』では

「八橋検校が京都に住みつき貞享2年(1685年)に亡くなり、
黒谷金戒光明寺に葬られ門人の参詣が絶えず、4年後に聖護院八ッ橋総本店は
八橋検校の徳を忍び琴の形をした干菓子(聖護院八ッ橋)を創作したとある。」

さらに、井筒八ッ橋の記述では
「京都の水茶屋・井筒八ッ橋本舗初代・治郎三は、井筒から水を汲んでは
検校に用立てていて、あるとき、手桶の底に沈む小麦に、蜜、肉桂を混ぜ合わせて
堅焼き煎餅を作ることを教わり、のちに井筒八ッ橋となるとある。」

検校が生きていた時代と亡くなった時代の前後のこの2つの老舗の創業者が
交差しているはずであるが、
この事典の文献は索引総覧でもどれに該当するか捜せなかった。
この記述が正しいかは判断出来ないが、
なぜ、生前の検校に教わった八ッ橋を没後120年も経て創業したのだろうか。
また、元禄2年には「本家西尾八ッ橋」も
「聖護院八ッ橋総本店」同様に創業されている。

疑惑はさらに深まった。
しかし、本家、元祖の争いは端から見ると不毛だと思うのだ。
写真は『改訂調理用語辞典』より

気になる方は
・聖護院八ッ橋総本店
http://www.shogoin.co.jp/yatsuhashi/history/
元禄2年(1689年)創業
・井筒八ッ橋本舗
http://yatsuhashi.co.jp/history/index.html
文化2年(1805年)創業
・本家西尾八ッ橋
https://www.8284.co.jp/history/
元禄2年(1689年)創業
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2018年6月4日月曜日

炭酸‥‥七拍子!





「あさイチ」で炭酸水を
特集で取り上げていた。
これは炭酸水にまつわるハルコの
七つの回想である。












一拍子‥‥炭酸水との出合いはマレーシアだったこと。
36年前に生まれて初めての海外旅行は、マレーシアのジャングルの中にある
「地中海クラブ(clubmed)チェランテインビーチ」だった。
その頃手がけていた媒体に「地中海クラブ」とのタイアップが決まり
マレーシアとシンガポールをモデルさんを2人同行して撮影に出かけたのである。
地中海クラブはフランスの会社ゆえにミネラルウォーターは炭酸水で、
昼の海岸は40℃の酷暑で喉が渇き切っていたが、この炭酸水には
最初は馴染めなった。
しかし、毎日飲んでいるうちに、だんだん慣れて炭酸水が好きになったハルコだった。
(写真中央に炭酸水の入ったピッチャー)

二拍子‥‥ラムネとサイダー、そして、ビール
マレーシアで炭酸水と出会ったが、炭酸飲料は物心つく頃から馴染んではいたのだ。
ラムネやサイダーとして、甘い飲み物は子ども心でも大好きで、今もそれは変わらないが
京都でイエローサイダーとも呼ばれる「ビール」はまた別なお話。

三拍子‥‥フランス料理とガス有り水
80年代は日本のガストロノーミの幕開けだった。毎月、新しいレストランが開店して
僅かな情報を頼りにレストラン通いをはじめた。
この頃はレストランでは、水は「ガス無しとガス有り」でガス有りを頼むとほとんどはペリエで、
氷とライムを添えていたが、氷もライム合わないのでペリエのみにしてもらった。
今でもライムを添えている店もあるが、ライムの香が邪魔して旨くないと思う。
ライムに合うのはジンロックだ!

四拍子‥パリのバドアのこと
フランス料理にはワインを合わせるが、水も重要である。
パリで食べ歩きをするようになり、店ではバドアが一番多かった。
硬度824のこの微発酵の硬水ミネラルウォーターは料理に一番合うと思っているが
日本のレストランではあまり(ほとんど)見かけたことがないのは残念だ。

五拍子‥‥イタリア料理とサンペレグリノ
フランス料理店ではペリエが当然のように出て来たが、イタリアンでも最初はペリエが
多かった。ある時からペリエからイタリアのサンペルグリノに替わった。
あるPR誌の編集をしていた時に、ミネラルウォーターを取り上げた時に、
代理店から「水に金出す人がいるの」とまでいわれたが、
サンペルグリノを写真に撮ったのは30年も前のことである。
ミネラルウォーターは完全に市民権を得たが、隔世の感である。

六拍子‥‥ウィスキーソーダかハイボールか
今は国産ウィスキーは人気で品薄のものまであるが、一時期は人気がない時代もあった。
ウィスキー復活の原動力は、なんといっても「ハイボール」だろうが、
昔からの酒呑みは「ウイスキーソーダ」なのである。
同じ炭酸水で割った酒だが、ちょっと違う。
ウィスキーソーダは、純粋にウイスキーを炭酸で割ったものだが、
ハイボールはウィスキーであろうが、
焼酎だろうが何でもありで、ウローン茶やレモン、梅干とワイルドな世界だ。
ハルコはウィスキーソーダ派である。

七拍子‥‥家呑み炭酸水
実は梅酒が好きなのであるが、昨年作った梅酒は飲み切ったので、仕方なく
「●●ーヤの梅酒」を買って飲んでいる。
飲み方は、氷を入れて冷したグラスに、梅酒を注ぎ、ウィルキンソンで割っている。
梅酒ハイボール(笑)であるが、暑い日の食前酒としては良いが「●●ーヤの梅酒」は
ちょっと甘すぎる。今年は大量に梅酒を作ろう。

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