2017年9月13日水曜日

俺のティラミス


ちょっと昔ばなし。

27年前、1990年にイタめしブームがあり、
その中でイタリアのデザート「テラミス」が
大流行したことを覚えているだろうか?

この「テラミスブーム」には仕掛人がいたのだ。

イタめしブームの以前は、グルメブームがはじまりで
街場のフレンチレストランが牽引していた。
その頃、恵比寿に田辺年男シェフの「あ・た・ごおる」という小さなレストランが連日大盛況で、
食関係の編集者が多く集う情報の交換場所だった。

ここの一番人気のデザートは”クレーム・ブリュレ”で、
ある時に友人の編集者 N・Fさん と”クレーム・ブリュレ”は人気だね、
と話していたら「イタリアンはこれから、ティラミスが来るよ」と。

しばらくして雑誌『Hanako』が「ティラミス特集」を組んであっと言う間に
日本全国でティラミスが大ブームとなったのだった。
このN・Fさんこそブームの仕掛人だったのだ。
『Hanako』は、ティラミスを「イタリアンデザートの新しい女王」と銘打ち、
「いま都会的な女性はおいしいティラミスを食べさせる店すべてを知らなければならない」という発信をしていたのだ。

ちなみに、『Hanako』は翌年に「91年のデザートの女王はクレーム・ブリュレ」というキャッチコピーを用いて、「女王」の座を新たに作り上げていた。

そんなティラミスブームにでも老舗のイタリアンレストランではメニューに入れて無い店もあり、ある時にアルポルトで食後に「ティラミスブーム」の話を片岡護シェフとしていたら。「ティラミス」なんか簡単に作れるんだよと、テーブルの皿の上にマスカルポーネとグラニュー糖を混ぜて仕上げにエスプレッソの粉を振りかけて即席で作り、食べて見てと。確かに、ティラミスだ。

そして、月日は流れて今。

イタリアでは、ティラミス」の発祥地を巡り、国内で論争が過熱しているそうだ。
ローマの農業省がイタリアの伝統的名産品リストの中にティラミスを加えたが、その本場をフリウリ・ヴェネツァ・ジュリア州ウーディネ県にある基礎自治体トルメッツォ(コムーネ)と説明し、「1950年代に生まれた」と紹介したそうだ。

ところが、北東部ヴェネト州のルカ・ザイア知事は「トレヴィ―ゾこそティラミスの本場」と以前から主張してきており、「ティラミスは1960年代に、トレヴィーゾにあるレストラン『Alle Beccherie』において、店の女主人アーダ・カンペオルと、料理人ロベルト・リングアノットによって考案された」と農業省に抗議したのだ。

物の本ではティラミスの起源は『Alle Beccherie』だと今まで思ったいたので、農業省は何を考えて発表したのだろうか。

さて、この本家起源争いの行方は‥‥‥。

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(写真のティラミスはドンチッチョ)

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