2017年9月19日火曜日
顔色をうかがう
パスポートが切れるので
更新手続きをしなくてはならず、
取りあえず駅にある
証明写真ボックスへ。
スマホの写真アプリと同じ様に
最近の証明写真も画像調整が出来るんだ。
何々、頭の上の赤いラインと下の緑のラインを合わせる、ちょっと面倒だ。
顔の中心に線を合わせる、うむ、少しずれているが仕方がないか。
さて、これに顔色の調整、顔の肌色が5段階で、白っぽくも出来るし、
赤っぽくも出来る。
夏の日焼けはだいぶ落ちたが、この所睡眠不足で、目の下にはクマも。
まぁ、普段は口角を下げているので、今回は口角を上げてみたしどうだ。
初めてパスポート取ったのは35年前でずいぶん顔も劣化したもんだ。
顔色だけは、一番健康そうな色合いにしよう。
昨日地下鉄は、休日で遅い時間のせいか混んではいなかった。
真向かいには30~40代の男性ばかりが6人並んでいた。
ふと、目の前の眼鏡の男性の顔色がすごく気になる。
大きな顔で、全体が灰色がかって青みがある。
他にももう一人眼鏡の男性ほどではないが、くすんだ少し赤がかった灰色だった。
他の4人は、色白1人、小麦色系、ピンクがかって赤み系が2人で
健康そうな色だった。
過去に友人知人でに顔色を見て、「ちょっとおかしいよ!」と、
何人かに言ったことがあった。
普段に比べて,顔が異常に黄色い!素人目にも黄疸が出ているのがわかる。
3日後近所の医院から、大病院へ救急搬送されたが、
異常な数値の激症肝炎で、何とかこと無きを得た。
もう一人は、昨晩の眼鏡の男性のように顔色が、
灰色がかった土気色で顔色が良くないので、ちゃんと病院で見てもらったらと、
言ったが彼は「検査でなにも悪くはないと」。
数年後に腎臓の疾患で亡くなってしまった。
顔色は身体と心がの変化が直接でてくるもので、
自分の普段の顔色の見て異変に気がつかないといけないと思うのだ。
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2017年9月16日土曜日
始末におえないカレー
金曜日の海軍カレーじゃないけど、
わが家では月に2回ほどカレーを作っているのだ。
カレーの材料も冷蔵庫にある中途半端な
食材を投入するが、カレーのベースのだしは、
ニンジン、タマネギ、ジャガイモの皮にセロリの葉っぱやトマトのヘタに、今日はバナナの皮まで鍋に入れて水から加熱したものを使っているのだ。
これは、以前タカコナカムラさんに
教わった考え方なのだ。
タカコナカムラさんは、「ベジブロス」という考え方を提唱しており、その理論を実践するために「日本ホールフード協会」を設立した。
この「ベジブロス」や「ホールフード」という考え方は、実は「始末」にも繫がっていて、「ベジ」はベジタブルのベジ。
そして「ブロス」とは「だし」という意味があるのだ。
つまりベジブロスとは簡単に言うと「野菜のだし」のことなのだ。
野菜の今まで捨てていた部分皮や種やヘタなどをグツグツ煮込んで作る、「野菜のだし」なのだが、野菜の抗酸化成分の「フィトケミカル」がたっぷり含まれて、
「ホールフード」とは、まるごとの食べ物という意味なのである。
野菜であれば、皮や種、葉っぱ、根っこまで、魚であれば、頭から尻尾まで、「素材まるごと」どこも捨てることなく食べるということで、 英国では「自然食品」という意味でも使われている。
消費者庁の「食べ物のムダをなくそうプロジェクト調査(2013年)によると、
家庭における食品ロスの内訳は、1人1日当たりの食品ロス量(41g)のうちに
過剰除去(55%)、直接廃棄(18%),食べ残し(27%)なのである。
食べ残しは、料理を作っても食べられないで廃棄されたもので、直接廃棄は、賞味期限等が過ぎたりして捨てられている食品なのであり、
半分以上占めている「過剰除去」という、、調理途中で食品を加工している際に出る廃棄品なのだ。
皆さんの台所はどうですか?
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2017年9月13日水曜日
俺のティラミス
ちょっと昔ばなし。
27年前、1990年にイタめしブームがあり、
その中でイタリアのデザート「テラミス」が
大流行したことを覚えているだろうか?
この「テラミスブーム」には仕掛人がいたのだ。
イタめしブームの以前は、グルメブームがはじまりで
街場のフレンチレストランが牽引していた。
その頃、恵比寿に田辺年男シェフの「あ・た・ごおる」という小さなレストランが連日大盛況で、
食関係の編集者が多く集う情報の交換場所だった。
ここの一番人気のデザートは”クレーム・ブリュレ”で、
ある時に友人の編集者 N・Fさん と”クレーム・ブリュレ”は人気だね、
と話していたら「イタリアンはこれから、ティラミスが来るよ」と。
しばらくして雑誌『Hanako』が「ティラミス特集」を組んであっと言う間に
日本全国でティラミスが大ブームとなったのだった。
このN・Fさんこそブームの仕掛人だったのだ。
『Hanako』は、ティラミスを「イタリアンデザートの新しい女王」と銘打ち、
「いま都会的な女性はおいしいティラミスを食べさせる店すべてを知らなければならない」という発信をしていたのだ。
ちなみに、『Hanako』は翌年に「91年のデザートの女王はクレーム・ブリュレ」というキャッチコピーを用いて、「女王」の座を新たに作り上げていた。
そんなティラミスブームにでも老舗のイタリアンレストランではメニューに入れて無い店もあり、ある時にアルポルトで食後に「ティラミスブーム」の話を片岡護シェフとしていたら。「ティラミス」なんか簡単に作れるんだよと、テーブルの皿の上にマスカルポーネとグラニュー糖を混ぜて仕上げにエスプレッソの粉を振りかけて即席で作り、食べて見てと。確かに、ティラミスだ。
そして、月日は流れて今。
イタリアでは、ティラミス」の発祥地を巡り、国内で論争が過熱しているそうだ。
ローマの農業省がイタリアの伝統的名産品リストの中にティラミスを加えたが、その本場をフリウリ・ヴェネツァ・ジュリア州ウーディネ県にある基礎自治体トルメッツォ(コムーネ)と説明し、「1950年代に生まれた」と紹介したそうだ。
ところが、北東部ヴェネト州のルカ・ザイア知事は「トレヴィ―ゾこそティラミスの本場」と以前から主張してきており、「ティラミスは1960年代に、トレヴィーゾにあるレストラン『Alle Beccherie』において、店の女主人アーダ・カンペオルと、料理人ロベルト・リングアノットによって考案された」と農業省に抗議したのだ。
物の本ではティラミスの起源は『Alle Beccherie』だと今まで思ったいたので、農業省は何を考えて発表したのだろうか。
さて、この本家起源争いの行方は‥‥‥。
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(写真のティラミスはドンチッチョ)
2017年9月12日火曜日
鮒鮨はバーボンに限る!?
はじめて、鮒鮨を食べたのはいつの頃だろうか。
こんな強烈な匂いの食べ物なので覚えているはずだが記憶が曖昧なのだ。
先日、鮒鮨を食べる会に誘われたが、主催者の菊地一弘さんが、この数ヶ月ではじめて、鮒鮨を食べた衝撃から会を催したとか。
実際に会に参加された1/3ほどは、鮒鮨初心者で、皆さん興味津々。
4種類の鮒鮨の食べ比べで、それぞれ雄雌の対になっていて、大津市「至誠庵」高津市「湖里庵」「喜多品老舗と、野州市の今江さんという家庭自家製だ。
紙皿に鮒鮨が放射線状に並べられていて、それぞれ番号が付されて、
恐る恐る鼻を近づけてクンクンしている。まず、自分自身の嗅覚の真っ当性を証明したいのか。
もし、絶えられない臭いならどうしたもんだろか。
いや、皆さんの顔に安堵の表情が現れて、箸でつまみながらさらにクンクンしている。
そして、意を決して口に運ぶが、最初は前歯で少しずつ齧り、口の中にさらに鼻孔に鮒鮨の臭いを送り込む。
大丈夫だった!
そして、この会のために主催者が選んだ滋賀県の日本酒を口に含みながら味わう。
鮒鮨には絶対に酒が必要だと思う、水や茶では楽しみが半減すると、いうより酒が無いとつまらない。
鮒鮨は滋賀県の琵琶湖の名物だが歴史は古く、1千年以上前からある日本の鮨のルーツとも言われている、
作るのに大層手間と時間がかかるのだが、簡単に説明すると、早春に捕獲した鮒の鱗を取り除き、口から針金を入れて内臓を取り出し(雌の場合は子は残す)口から大量の塩を入れて、塩を敷いた桶に鮒を並べて、その上にさらに塩と鮒を重ねて蓋をして重石をおき冷暗所で保管するが、これを「塩切り」と呼ぶ。
夏の土用の頃まで塩漬けし、鮒を取り出して水で洗い塩抜きをする。
この鮒の中に飯を入れて、さらに鮒と飯を交互に敷き詰めて、落とし蓋と重石をして冷暗所に保存し、空気を遮断し乳酸醗酵をさせる。
ての込んだものになると、飯(いい)がとけてきたらまた,新しい飯で付け込みという非常に手間がかかるのだ。
早い物なら早春に漬け込んだ鮒寿しは晩秋には食べられるようになるが、2〜3年漬け込む場合もあるのだ。
鮒鮨の初めての体験は京都だった。
ひとつは、その年に作られた若い鮒鮨で、臭いはさほど無かったが、
まだ、十分に飯が残ってい強力な酸味でむせるほどだった。
割烹のご主人は笑いながら「この飯ですがなぁ、小さなお結び状にして焼いたら旨いですよ」と、ゆっくり焼いたのを食べると、酸味がまだ残るがチーズのような味になるではないか。
そして、15年ものの鮒鮨をいただく機会があり、そこのご主人は「こんなの、もう二度と手に入らないでしよう」と。
飴色になった鮒鮨は、一口食べてびっくり、どう表現すれば良いのだろうか。酸味はほとんど無く、醗酵も止まり、硬くはなく本当に極上の唐墨をさらに何十倍も旨くした、うま味の固まりだった。
ご主人に、バーボンに合いますよね、と言ったら嬉しそうに、
「じゃ、バーボン出してあげましょう」と。
「鮒鮨は、バーボンに限る」と、いう訳で鮒鮨を食べる会に
バーボンを持ち込んだハルコだった。
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参考資料『すしの本』篠田統(柴田書店)
こんな強烈な匂いの食べ物なので覚えているはずだが記憶が曖昧なのだ。
先日、鮒鮨を食べる会に誘われたが、主催者の菊地一弘さんが、この数ヶ月ではじめて、鮒鮨を食べた衝撃から会を催したとか。
実際に会に参加された1/3ほどは、鮒鮨初心者で、皆さん興味津々。
4種類の鮒鮨の食べ比べで、それぞれ雄雌の対になっていて、大津市「至誠庵」高津市「湖里庵」「喜多品老舗と、野州市の今江さんという家庭自家製だ。
紙皿に鮒鮨が放射線状に並べられていて、それぞれ番号が付されて、
恐る恐る鼻を近づけてクンクンしている。まず、自分自身の嗅覚の真っ当性を証明したいのか。
もし、絶えられない臭いならどうしたもんだろか。
いや、皆さんの顔に安堵の表情が現れて、箸でつまみながらさらにクンクンしている。
そして、意を決して口に運ぶが、最初は前歯で少しずつ齧り、口の中にさらに鼻孔に鮒鮨の臭いを送り込む。
大丈夫だった!
そして、この会のために主催者が選んだ滋賀県の日本酒を口に含みながら味わう。
鮒鮨には絶対に酒が必要だと思う、水や茶では楽しみが半減すると、いうより酒が無いとつまらない。
鮒鮨は滋賀県の琵琶湖の名物だが歴史は古く、1千年以上前からある日本の鮨のルーツとも言われている、
作るのに大層手間と時間がかかるのだが、簡単に説明すると、早春に捕獲した鮒の鱗を取り除き、口から針金を入れて内臓を取り出し(雌の場合は子は残す)口から大量の塩を入れて、塩を敷いた桶に鮒を並べて、その上にさらに塩と鮒を重ねて蓋をして重石をおき冷暗所で保管するが、これを「塩切り」と呼ぶ。
夏の土用の頃まで塩漬けし、鮒を取り出して水で洗い塩抜きをする。
この鮒の中に飯を入れて、さらに鮒と飯を交互に敷き詰めて、落とし蓋と重石をして冷暗所に保存し、空気を遮断し乳酸醗酵をさせる。
ての込んだものになると、飯(いい)がとけてきたらまた,新しい飯で付け込みという非常に手間がかかるのだ。
早い物なら早春に漬け込んだ鮒寿しは晩秋には食べられるようになるが、2〜3年漬け込む場合もあるのだ。
鮒鮨の初めての体験は京都だった。
ひとつは、その年に作られた若い鮒鮨で、臭いはさほど無かったが、
まだ、十分に飯が残ってい強力な酸味でむせるほどだった。
割烹のご主人は笑いながら「この飯ですがなぁ、小さなお結び状にして焼いたら旨いですよ」と、ゆっくり焼いたのを食べると、酸味がまだ残るがチーズのような味になるではないか。
そして、15年ものの鮒鮨をいただく機会があり、そこのご主人は「こんなの、もう二度と手に入らないでしよう」と。
飴色になった鮒鮨は、一口食べてびっくり、どう表現すれば良いのだろうか。酸味はほとんど無く、醗酵も止まり、硬くはなく本当に極上の唐墨をさらに何十倍も旨くした、うま味の固まりだった。
ご主人に、バーボンに合いますよね、と言ったら嬉しそうに、
「じゃ、バーボン出してあげましょう」と。
「鮒鮨は、バーボンに限る」と、いう訳で鮒鮨を食べる会に
バーボンを持ち込んだハルコだった。
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参考資料『すしの本』篠田統(柴田書店)
2017年9月1日金曜日
ハルコ。八幡平の高原のそば畑に行くの巻
ず~っと、ブログをお休みしてました。
9月になったので、また、そろそろ再開します。
この3ヶ月毎月、岩手県八幡平市へ出かけてました。
10月18日に東京・岩本町カイハウスで、八幡平の生産者さん15組が集結して、
首都圏のシェフや料理研究家さんと食の交流会を行います。
先月盛岡駅へ着いた瞬間、大雨の歓迎を受けてしまったのですが、
その激しい雨の中、商工会議所の滝沢さんと一路、高原にある
そば畑にで出かけたのです。
農事組合法人「わんだい高原農場」の小笠原さんの出迎いを受けて
山道を車で辿り着いた先は
標高650mの高原のそば畑のはずでしたが、雨と濃霧で一面真っ白な世界!
それでも、高原の木製の展望台に上がりましたが、小笠原さん曰く、
「晴れていれば、左に雄大な岩手山、右に安比高原が一望出来ると。
うむ、こんど天気のいい日に再訪したい。
その後に、町中のバス停留所に付属(?)している待合室で、
小笠原さんが朝に打ったそばの試食を。
ハルコはネギを切ったりして、そばも茹でますか?と聞いたら、
小笠原がこのそばの茹で時間は短く手早くやらないと、と茹ではじめてたのです。
商工会の滝沢さんが、5秒ごとに「5、10、15‥‥‥」と数えて30秒茹でて冷水に。
生産者さんが栽培したそばをご自身が作り食べさせていただいたのは初めての体験でした。
こうして、ほぼ生産者さんの元を訪れて、
食材を確認しながら秋の交流会の打ち合わせを真面目にしています。
セミナーは、銀座レカン六代目総料理長の高良康之さんにお願いしてます。
高良さんは8月末で銀座レカンを卒業し、新たにご自身のレストランの準備をはじめるそうです。
また、この話はまた、別の機会に。
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