はじめて、鮒鮨を食べたのはいつの頃だろうか。
こんな強烈な匂いの食べ物なので覚えているはずだが記憶が曖昧なのだ。
先日、鮒鮨を食べる会に誘われたが、主催者の菊地一弘さんが、この数ヶ月ではじめて、鮒鮨を食べた衝撃から会を催したとか。
実際に会に参加された1/3ほどは、鮒鮨初心者で、皆さん興味津々。
4種類の鮒鮨の食べ比べで、それぞれ雄雌の対になっていて、大津市「至誠庵」高津市「湖里庵」「喜多品老舗と、野州市の今江さんという家庭自家製だ。
紙皿に鮒鮨が放射線状に並べられていて、それぞれ番号が付されて、
恐る恐る鼻を近づけてクンクンしている。まず、自分自身の嗅覚の真っ当性を証明したいのか。
もし、絶えられない臭いならどうしたもんだろか。
いや、皆さんの顔に安堵の表情が現れて、箸でつまみながらさらにクンクンしている。
そして、意を決して口に運ぶが、最初は前歯で少しずつ齧り、口の中にさらに鼻孔に鮒鮨の臭いを送り込む。
大丈夫だった!
そして、この会のために主催者が選んだ滋賀県の日本酒を口に含みながら味わう。
鮒鮨には絶対に酒が必要だと思う、水や茶では楽しみが半減すると、いうより酒が無いとつまらない。
鮒鮨は滋賀県の琵琶湖の名物だが歴史は古く、1千年以上前からある日本の鮨のルーツとも言われている、
作るのに大層手間と時間がかかるのだが、簡単に説明すると、早春に捕獲した鮒の鱗を取り除き、口から針金を入れて内臓を取り出し(雌の場合は子は残す)口から大量の塩を入れて、塩を敷いた桶に鮒を並べて、その上にさらに塩と鮒を重ねて蓋をして重石をおき冷暗所で保管するが、これを「塩切り」と呼ぶ。
夏の土用の頃まで塩漬けし、鮒を取り出して水で洗い塩抜きをする。
この鮒の中に飯を入れて、さらに鮒と飯を交互に敷き詰めて、落とし蓋と重石をして冷暗所に保存し、空気を遮断し乳酸醗酵をさせる。
ての込んだものになると、飯(いい)がとけてきたらまた,新しい飯で付け込みという非常に手間がかかるのだ。
早い物なら早春に漬け込んだ鮒寿しは晩秋には食べられるようになるが、2〜3年漬け込む場合もあるのだ。
鮒鮨の初めての体験は京都だった。
ひとつは、その年に作られた若い鮒鮨で、臭いはさほど無かったが、
まだ、十分に飯が残ってい強力な酸味でむせるほどだった。
割烹のご主人は笑いながら「この飯ですがなぁ、小さなお結び状にして焼いたら旨いですよ」と、ゆっくり焼いたのを食べると、酸味がまだ残るがチーズのような味になるではないか。
そして、15年ものの鮒鮨をいただく機会があり、そこのご主人は「こんなの、もう二度と手に入らないでしよう」と。
飴色になった鮒鮨は、一口食べてびっくり、どう表現すれば良いのだろうか。酸味はほとんど無く、醗酵も止まり、硬くはなく本当に極上の唐墨をさらに何十倍も旨くした、うま味の固まりだった。
ご主人に、バーボンに合いますよね、と言ったら嬉しそうに、
「じゃ、バーボン出してあげましょう」と。
「鮒鮨は、バーボンに限る」と、いう訳で鮒鮨を食べる会に
バーボンを持ち込んだハルコだった。
ハルコの活動はFBから。
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参考資料『すしの本』篠田統(柴田書店)