2014年12月22日月曜日

本日も撮影


もう今年も残り少ないですね。
今日から今年最後の撮影ウィークです。
飛び飛びですが、和菓子の最後の撮影をしています。
10月・11月・12月と、合計10日間の撮影です。
クリスマスシーズンにあんこや求肥とは面白いですね。

みなさん、よいクリスマスを!

ハルコ

2014年12月16日火曜日

近況報告


12月6日に父が急逝したため、帰省しておりました。
ブログを開始してからこんなに間を空けたのもはじめてです。
落ち着くまでは少し時間も必要なのと、年末なのにこれから京都と岩手への出張に加えて撮影まであり、なかなか時間がとれそうにありません。
間を置いて書こうと思いますが、しばし発信は不定期になります。

今後ともよろしくお願いいたします。
近況はFBで随時発信しております。
ハルコのfacebook

2014年12月5日金曜日

貝印のこと(プロローグ)

昨日のテレビ東京系「カンブリア宮殿」に、貝印の遠藤宏治社長が出演されました。
番組を観ながら、ハルコも関係していたプロジェクトのことを思い出していました。
今まで、ハルコが貝印関係の仕事はしていても、その経緯はブログに書いた事はありませんね。 遡ること2000年だから、もう14年も経ちます。


2001年2月17日、プロジェクトメンバーで岐阜県関市の貝印本社工場の見学

出版社に勤めている友人から、「貝印って知ってる?」と電話がありました。
「貝印? あぁ、カミソリ作っている会社でしょう」
こんな会話から、その後足掛け3年続く貝印のプロジェクトが発足したのでした。
このプロジェクトは、外部から大学のマーケティングの専門家の先生方と、出版社の友人が料理関係に強い人材ということで、ハルコともう一人が参加したのです。

貝印はその当時はカミソリ部門と調理器具部門、それに女性向けのビューティー部門に別れていました。業態縦断型で遠藤社長をリーダーとして、外部からは慶応大学の村田教授(当時)の門下生と料理の専門家を入れて、総勢60名の大プロジェクトがスタートしたのです。
その後ハルコが料理ばかりではなく、道具開発やマーケティングと、仕事の幅を広げていくきっかけとなったのです。
このプロジェクトに声をかけてくれた友人の安達君は、昨年不帰の人となりました。
彼が生きていれば、昨夜の「カンブリア宮殿」の放送は大変喜んでくれたでしょうね。
長い長い話になりそうなので、本日はプロローグのみ。

2014年12月4日木曜日

ミシュラン


昨日はキッチンステージのセミナー後、一緒に企画運営をしているメンバーとランチをとりながら、発表されたばかりの「2015年度版東京ミシュラン」の話をしていました。

年間におおよそ24人(重複の方もいます)の料理人さんに、キッチンステージへのメニュー提供とセミナーへの出演をお願をしています。
貝印が運営を開始してからも、延べ80人位の料理人さんと仕事をしてきましたが、その中には、ミシュランでの高い評価を受けている人も多くいます。

キッチンステージで一番重要なのは、美味しくて集客が出来ることです。
基本的にそういった料理人さんが中心になりますが、会場は百貨店の中にあるため、催事連動という場合もあるのです。
ミシュランのガイドブックで高い評価を得ている、と言うのは分かりやすいのですが、これもあまり集客とは関係はないようです。

毎年ミシュランのガイドブックは購入して参考にしていますが、来年のレストランセレクトはどうでしょうか?
本当に誰もが思う店が掲載(店の方針で)されていないと思うジャンルがあり、ミシュランも幾つかの評価基準のうちの一つですね。

※写真はイメージです。

2014年12月2日火曜日

グルメガイドブックと流行歌

たまにハルコもカラオケに行きます。
大体宴会した後に行くので酔っぱらっているのですが。
当然ながらハルコの持ち歌は、古い曲ばかりです。
新しい曲は、曲名と歌っている歌手名の区別すらつきません。

20数年前は、流行歌というと大体の人が知っている曲や歌手が多く、共通の話題になっていたもので、テレビをつけると何度も同じヒット曲が流れていたものです。
現代ににも年齢問わず広く聴かれている流行歌も無いわけでは無いですが、それは本当に一部ですね。
世代間で随分聴き方が違うようで、これもネット社会のせいでしょうか。


本年度のグルメガイドブックがたくさん発刊されましたが、これも20年以上前はそれなりに「ひとつの指標」だったのですが、「食べログ」をはじめとするネット評価が進んでくると、グルメガイドブックにかけられる費用や情報量からすべてを網羅するという事は事実上不可能になっています。
これは冒頭の流行歌と同じように、誰でも知っている(曲=店)と同じで、それぞれの好みで選択する店の幅が広がったとも言えるし、店のランキングは相当恣意的なチョイスとも言えて、絶対的な価値観を持たない(持てない)時代だと思うのです。

以前から外食グルメは2局化されてますが、グルメガイドという視点からですると、
「誰でも普通に行ける店」
「予約困難で普通には行けない店」
と、かなり大雑把ですが、ほどほどに安くて旨いと評価される店(大多数派)と、難易度が高い店の高い評価を好む層(少数派)に分かれていますね。
またこれは、料理の価格が高い安いというのとは違う次元で、面白い現象だと個人的には思います。

イタリア料理ブーム(俗に言うイタめし)の時代に、「ティラミス」というデザートが雑誌「HANAKO」から全国に広まったのは、流行歌の大ヒットと同じような意味があり、この時代にグルメという現象に入った層が、今一番のニッチな店の支持層だと思うのは間違いでしょうか。

2014年12月1日月曜日

鉄の日

12月1日は「映画の日」なので、映画について書こうと思ったのですが、今日は「鉄の日」でもあるのです。映画の日は映画も安く観られますが、「鉄の日」と言っても一般的にはあまり関心が無い日かもしれませんね。


1857年(安政4年)に、南部藩士大島高任が日本ではじめての高炉による製鉄に成功し、これを記念して日本鉄鋼連盟が1958年に制定したのです。
ハルコの生まれ故郷はこの日本で最初の高炉造られた所にあり、大橋鉱山から良質の鉄鉱石が採掘され、製鉄所の街として発達しました。
小学校の遠足にはこの橋野にある高炉跡の見学に行ったり、鉱山から製鉄所まで毎日トロッコ列車が走っており、子供の頃は線路に落ちた鉄鉱石を拾って遊んでいました。
ハルコの父親もそうですが、小学校の時のクラスメートの親の7割方が製鉄所に勤めていました。
鉄は普段から親しいもので、製鉄の過程で沢山の石炭コークスを使うのですが、その副産物で「練炭」が出来て、各家庭にはほとんどタダのような値段で配られていました。
製鉄所購買部という名前で、今で言うスーパーのような店もあり、その他に病院も製鉄所が経営し、釜石市の財政は製鉄所の法人税で潤い、今では信じれないかもしれませんが、豊かな街だったのです。
ハルコの産まれた頃は、人口9万に映画館が10数館ありました。高校の頃でも4館ほどあり、年間200本も映画に通ってましたが、現在は1館もありません。
うむ、何だか映画の日と鉄の日を結び付きました。