2013年12月11日水曜日

和食とだしの関係

和食が世界無形文化遺産に登録され、京都でそれを推進してきた方々が「和食で一番重要なものは“だし”である」とメッセージしているのを見て違和感を感じていたのです。

元々は“日本料理”、さらに言うなら“京料理”を世界無形文化遺産に登録させようと運動していたところ、韓国の“宮廷料理”が登録出来なかった事例を踏まえ、“和食”と大きな括りにして登録が実現したと聞いてます。
また、京都の中でも「和食=日本料理=京料理」を世界にグローバル化して発信したい人も、「京料理はドメステックな料理で、広げる必要はない」と言っている人もおります。これはそれぞれの考え方なので、とやかく言うつもりはありません。

冒頭の「和食=だし」という方程式は、元々の発信者が京料理の重鎮で、それゆえに発信していることに非常に違和感を感じているのです。
これが、「日本料理=京料理=だしが重要」なら理解出来るのですが、「だし=うまみ」を押し出されると、「ちょっと待ってよ。それは料理屋さんの発想で「和食=家庭料理」ではないでしょう」と考えるのです。
この辺の間口を広げながら、果たして日本と日本人の和食と合致するのだろうか?と思うのです。

だしに関しては、以前から深い関心を持っていたので、あまりにも安直に言い切られると「どうなの?」と思うのです。
例えば「フレンチのシェフがだしを使った料理を提供している、これでだしはグローバル化しているのだ」という意見があるとします。
それはそれで良いのですが、だしと水の関係を考慮しないと、とんでもないことになります。


ここに掲載している写真は16年も前に企画した一般向けの日本料理(和食じゃありませんよ)の見開きです。
左は京都の村田さん右は東京の野崎さん。この二人(他に5人)に依頼して、基本のだしの引き方を撮影したものです。
水の良い京都では、昆布と鰹節を連続して使用しており、野崎さんは昆布を引いた後に、一度沸騰させてから差し水をして温度を下げて、鰹節を入れています。
日本のだしは完全にインスタントですが、良質の水があってこその“だし”なのです。
まず、家庭で毎日こんな面倒なことはしませんよね。

そんな経緯で野崎さんと一緒に、家庭で簡単にだしの取れる「だしポット」を考案し、これがまた随分と売れたのですが、野崎さんは以前から「家庭で取るだしと料理屋さんのだしは違う」と言ってます。
味噌汁だって、中に入れる野菜や具材からだしが取れるし、良い味噌ならだしなんか無くても良いということです。
逆に素材から良いだしが取れるのに、だしを入れて料理自体を台無しにしているのも多いとのこと。(続く)

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