2012年3月22日木曜日

「みをつくし料理帖」と料理番付


待望の高田郁さん『みをつくし料理帖』文庫新刊「夏天の虹」が出ました。以前にもブログに書いたので、2度目の登場ですね。

第1作の『八朔の雪』から『花散らしの雨』『想い雲』『今朝の春』『小夜しぐれ』『心星ひとつ』で今回で7冊目。年2回の発行が著者が次回は1回休みと。えっ、今年はこの1冊しか読めないの!? 殺生ですね。
「つる家」の料理人、が人間しても料理人としても成長していく過程を読んでいると、江戸で生活している登場人物たちがまるで、親戚のように感じられるのです。
まだ未読の方は、ぜひご一読を。

小説の展開でも江戸時代の料理番付が出てきます。
『みをつくし料理帖』の舞台は文化12年(1816年)。お馴染み九段坂は俎橋。
師走には江戸の「料理番付」が発表になるのです。
大関位は「日本橋登龍楼」で、主人公の凛の「つる家」は関脇位でしたが、この年の関脇位には凛が料理人として誘われた「吉原江戸町登龍楼」が。そして、「つる家」は番付外に!
この後どうなるかは、ぜひ本を買って読んでください。

さてこの料理番付が始まったのは、明和6年(1769年)に「通」という言葉が使われ始めて以降です。
いわゆる「通人」たちが自分の目や舌で料理店のランキングを付けるのですが、凛の時代の明和年間に盛んになります。
その後、安永・天明と料理番付は栄え、田沼意次の失脚で下火になり、文化・文政年間(1804~1829)が次の料理バブルになるのです。写真は幕末の文久元年版の番付です。現在でも食べログなどのランキングからミシュランの星まで、ランキングだらけですね。

以前、ブルゴーニュのソーリューにある「ラ・コート・ドール」に行きました。
食事をしていると、ドアの脇からオーナシェフのベルナール・ロワゾー氏がこちらのテーブルを見ているのです。
顔は厳ついのですが、相当神経質で繊細な心の持ち主なのだと感じました。
2003年の2月24日に自殺をしてしまうのですが、レストラン評価の「ゴー・ミヨ」から20点満点の19から17への降格が原因といわれています。
その死をニュースで知りびっくりしました。ミシュランでは三つ星のままだったのに。
料理番付に翻弄されないで、客に愛される料理を作ることこそ本道だと思うのですが、それにしても早く次の巻が読みたい!

0 件のコメント:

コメントを投稿