2012年4月27日金曜日

二度寝の愉しみ

もう、GW直前。と言っても、ハルコは前半は仕事で後半から休みます。
このところ、寝ても疲れが取れておりません。連休こそゆっくり過ごしたいものです。


世間さまにはどうも「二度寝」という伝統的な文化(?)があるようです。
実はハルコ二度寝が出来ないのです。
目が覚めると起きてしまう性質(たち)なのです。
ちなみに昨夜は1時に就寝して、目が覚めたのは朝の5時。外は雨模様薄暗く、まだ起きちゃいけない、と思いつつ目を閉じているのですが、我慢しきれず(我慢ですよ!)起きてしまいました。
何故二度寝が出来ないのか自分でも不思議です。

えっ、歳のせいだろうって?
とんでもございません。物心ついた頃から、目が覚めると直ぐにぴょん、と布団から寒い冬でも飛び起きるのです。
さすがに最近はぴょん、とではなく、腰や首をさすりながらドッコイショ、とよろよろして起きるのですが、オクサマは微動だにしません。

そうそう、オクサマが早く起きなくてはならない時に目覚時計をセットしますが、これは自分が起きるのではなく、ハルコを起こすためなのです。ハルコは一度目が覚めると二度寝しないので、オクサマを起こすため、という理由です。
またこれが困りものなのです。
例えば5時に目覚まし時計をセットすると、ハルコはほぼ5分前には目が自然に覚めます。そこで、目覚ましが鳴る前にストップします。そしてオクサマを起こすのでですが、これが起きない!
一度「うにゃ、むにゃ……」と返事をして起きるそぶりを見せるのですが、これが「擬態」なのです。
つまり、オクサマは幸福な二度寝の状態です。
さらに、起こそうとすると怒るのですよ。それで起こさないともっと怒るし、どうしたら良いのでしょうか。ね、まったく!

まぁ、ハルコは寝付きが良いので、深いノンレム睡眠と浅いレム睡眠のサイクルがきっちりしているのだと思うのですが、浅いレム睡眠で半分覚醒しているような状態が気持ちが良いというのは知っております。
今度連休は二度寝に挑戦しよう(そんな大げさな)。

若い時に寝てばかりいると、歳を取ってから寝ないで仕事をするはめになる。
若い頃寝ないで働いていると、歳を取って寝たきりになる。ダメじゃん。

睡眠は人生において重要ですね。良質の睡眠を取りましょう。

2012年4月26日木曜日

ホルモンの聖地 ゆうじ


昨夜、初めて渋谷の炭火焼「ゆうじ」に行きました。
えっ、ハルコ行ったことが無いの? と言われそうですが、お初です。
今まで色々な物を食べてきましたが、まだまだその筋では未知の世界があるのですね。

ハルコは肉は大好きで、内蔵料理もアジアからヨーロッパまで食べ歩きしましたが、いやぁ、「ゆうじ」には参りました。突き出しのモツ煮から旨さの予感が伝わってきました。
間もなく消える可能性のあるレバー刺しから、タン(舌)、ブタタン、、ツラミ(牛の顔部)、レバー(肝臓)、ハツ(心臓)、コリコリ(ハツもと心臓の付け根の大動脈)、ハツ脂、、フワ(肺)、チレ(脾臓)、テール(尾)、ハラミ(横隔膜)、ネクタイ(食道)、ヤンコブチャンクィ(ホルモンの激辛)、ギアラ(第4胃袋)、ミノ(第1胃袋)、ミノサンド(第1胃袋に脂肪が入っている部分)、コプチャン(小腸)に、〆のホルモン炒飯、スジカレーとオンパレードでした。
何だか解剖図解のような内容ですね。


狭い店内では(以前はもっと狭かったようで)、まず、ゴミ袋に自分の服やバッグを入れて準備します。
焼き始めると店内は、1寸先は白一色(ちょっとオーバーですが)。もうもうたる煙で服から体中に煙の襲来で、常連さんはもう、Tシャツ1枚の姿に。

これから「ゆうじ」でホルモン焼きの楽しみが出来た一夜でした。
(今回は末日聖徒ホルモン教会という、FB上でのその筋に超詳しい方々の会に参加いたしました。次回のお誘いが楽しみ。ホ~ル~~モン!)

2012年4月25日水曜日

物忘れ!?


以前からのことなので今更ですが、物忘れが多くなってきてます。

事務所で自分の席から立ち上がり、スタッフの後ろを通っていると、「○○に付いてなんですが……」と声をかけられてモニターの画面を確認したり、話して席に戻って、「あれっ、何で席をたったんだろう?」と、もういけませんね、忘れてます。
何をしようとしていたのか、しばらく考えても思い出せないので仕事に戻ります。
また席を立ってスタッフの後ろを通ると、「さっきの件ですが……」
そこでまた話して席に戻る。
「あれ、今何で席を立ったんだっけ!?」
スタッフに「何で、私は席を立ったの?」と聞く始末。
トホホですね。
 ハルコが思うに、席を立つ前は確信的であった「何か用があって席を立つ」という行為が、席を立った瞬間に忘れてしまう。困ったもんです。

また、電話で打合せの日程を決めて、電話を切った瞬間に肝心のその時間を忘れてしまう(うむ、自分で書いていてこれ、やばいんじゃない)。
おぼろげな記憶でスケジュールノートに書き入れても、心配になって電話で聞き直す。
さらにひどいのは、自分で書いたスケジュールの打合せや相手を書いておくのですが、何て書いてあるのか不明!
よく忘れないためにメモをしますが、書いている字が読めないようだと困りもんです。
 昨晩食べた料理が思い出せない、これも困ったもんです。FBで食べたものを投稿するのは、ある意味ボケ防止効果があるかも。

そして最大の物忘れは、人の顔と名前を忘れてしまう。一回だけしか会わない人はまだ良いのですが、再度会う時に「はじめまして」と名刺を出して挨拶をすると、相手が「先日お会いしてます」……。
トホホです。
最近は、相手がもしかしたら既に会っているかもしれない時は、「以前お会いしてますよね」と聞くのですが、今度は「いや、初めてです」と……。
いやはや、今後記憶力が良くなるとは思えないので、何とかせねば。

ただ良いことは、話している内容で元々知らないことでも、「知らない」と言わずに「うむ。忘れた」と平気で言えることでしょうか。

あれ? 今、何を書いていたのか……「忘れた」

2012年4月24日火曜日

大エルミタージュ美術館展始まります。


4月25日(水曜日)より国立新美術館「大エルミタージュ美術館展」が開催されます。
東京は4月25日から7月16日まで、7月28日~9月30日(名古屋市美術館)、10月10日~12月6日(京都市美術館)と巡回します。

昨年末から、公式ムック制作のためにロシア史ロマノフ王朝史を随分読み込み、3月はほぼ原稿にかかり切りでした。
3年前に初めてサンクトペテルブルグのエルミタージュ美術館を訪れた時には、よもや美術館展に関わるとは夢にも思いませんでした。


エカテリーナ2世と歴代の皇帝(ツァーリ)のコレクションの名画が勢揃いします。
ルネサンスから、バロック、ロココ、ロマン派、印象派、マティス、ルソーまで、西洋絵画の歴史が一望出来る展覧会です。
今日は夕方からレセプションで出かけます。また、サンクトペテルブルグで観た名画に出会えるのが楽しみです。
機会がありましたら、国立新美術館へお出かけください。

さらに、サンクトペテルブルグのエルミタージュ美術館も一度は訪れたい場所ですね。
個人的にはエルミタージュ美術館「冬宮」と呼びたいですが、ロシアの映画監督エイゼンシュティン映画「十月」は、ロシア革命後に制作されましたが、民衆が王宮を襲うシーンには実際の冬宮で撮影されています。
さらにさらに、ご興味の有る方は是非ご覧ください。

今日の大エルミタージュ美術館展と明日の渋谷ヒカリエと、連続レセプションと連休前の慌ただししい1週間です。

2012年4月23日月曜日

旅と食……9 台北編

今回で9回目ですが、アジア編は最後です。
まだ、幾つかの場所が残ってますが、またの機会に書きます。


ハルコ作成の台湾グルメ図解。クリックで拡大します。

色々と東南アジアは廻りましたが、台湾くらい時間がゆったりした国はないですね。
街を歩いていてもボーっとしてしまいます。
看板も中国本土の簡体字に対して、台湾は繁体字なので意味が分かり易いですね。
一時期台湾・台北のガイドブックの仕事をしていた時期もあります。3~4年関係してたでしょうか。その時に台湾グルメ図解を作成しました(写真参照)。

日本もそうですが、島文化は外から流入してきた文化がそのまま残り、固定化される傾向にあります。 これは「パーマネント文化」とも言いますよね。
島国台湾は四方を海に囲まれ、東西南北の食文化が流入してきたのです。元々の台湾の先住民の料理はあまり残っていません。
最大の勢力は、西から流入した福建料理で、現在の台湾料理のベースになっております。次に北の北京・山東料理で、北京料理は宮廷の料理に繋がってます。西の四川、湖南、雲南に東の上海、杭州と勢揃いです。
また、広東料理から飲茶文化が入り、人気の台湾茶とともに小龍包にも特色があります。
そして、日本統治が長かったので、現在も日本料理をルーツとする料理が多く存在します。砂糖や味噌の使用はその当時定着しました。
異種が交わる例としては「台湾しゃぶしゃぶ」があります。素材はなんでもしゃぶしゃぶにするのです。蒙古をルーツとして、北京料理のしゃぶしゃぶ(シュアンヤンロウ)が、日式しゃぶしゃぶと合体したものす。

また、台湾の楽しみは台湾茶ですね。
中国茶と台湾茶はどう違うかという疑問がありますが、元々は150年ほど前に中国から台湾へ種苗が持ち込まれて、栽培が始まったのです。
産地は台湾で、気候風土の影響で主として作られるのは、“烏龍茶”として知れれている高山烏龍茶、凍頂烏龍茶、木柵鉄観音、白毫烏龍茶などが有名ですね。
写真はハルコが茶館で台湾茶を楽しんでいる所です。
また、台湾でのんびりしたいですね。

旅と食。シリーズはこれで一応終了します。

2012年4月20日金曜日

旅と食……8 韓国編

成田の団体受付カンターの張り紙を見てください。はい、ハルコです。
HALPACKツアーソウルの旅です。

友人の会社の方々とツアーを組んだのですが、まぁ1日中食べているような旅行で大変でした。
韓国料理研究家のチョン・デキョンさに、2白3日で韓定食、山菜料理、参鶏湯(サムゲタン)、焼肉、ビビムパブ、冷麺、生きタコの踊り喰いに犬料理まで食べ尽くし、アカスリとカラオケ付という猛烈ツアーでした。
この時は、まだ韓国時代劇に目覚める前で、純粋に食べ物のみを追求する学究の徒のようでした。

人は短期間に色々な物を食べると、記憶が重なりあって濃密になり、結局ほとんど覚えていないという状況になりますね。お腹も記憶も容量オーバーしてしまったのです。そして、何が印象に残っていたのかと記憶を探ると、韓定食を頼んだ時に高級な酒として日本酒があったことです。
結局、ソウルまで来て何故日本酒を飲むのか、と当たり前の話になり、ポット入りの韓国焼酎レモンをガンガン飲んだのが全ての記憶の代表になったのです(あぁ、哀しい……)。

とは言っても、「トソクチョン」という参鶏湯専門店で、珍しい鳥骨鶏(オルゴゲ)真っ黒な鳥骨鶏には黒ハルコもビックリ!
白濁したスープに骨の随まで真っ黒なオルゴサムゲタンでした。

あれから月日が流れ、韓国KBSWORLDの「韓国人の食卓」を観て、日々“エアコーリャン”に励んでいるハルコ。また、ツアーを企画しようかと考えております。

次回の台北に続く。

2012年4月19日木曜日

旅と食……7 バリ編


ウブドのコテージでの朝食。

「ハルコ」と「パルコ」丸ひとつで大違い。パリではなくバリ島です。
インドネシアのひとつの島ですが、以前にテロ爆破事件があったりして、前よりは人気が少なくなったのでしょうか。

ハルコがバリ島へ行きたいと思ったのは、バリ島が持っている文化的な背景が大好きだったからです。
インドネシア自体はイスラム文化圏ですが、バリ島ヒンズー文化を色濃く残していながら、独自のバリ島文化を育んでいるのです。

現在のハルコのライフスタイルに最大の影響を受けたのもバリ島でした。
西洋キリスト教文化では、1週間に1日のサイクルで安息日をもうける日常ですが、バリ島は朝から昼までは農作業、午後から夕方までは手作業で工芸品を作り、夜は演芸で楽しむのです。
1週間単位ではなく1日の中に色々なファクターを盛り込む。バリ島に行って以来、ハルコは仕事・生活・趣味を1日の中で分散して楽しもう、と考えるようになりました。

そして、バリ島で一番行きたかった場所がウブドという村だったのです。
この村は、出かけた前年までは電話も無い場所でした。
元々、1930年代にウブドオランダ人のウォルター・シュピースという画家が辿り着き、ウブドの王と現在に繋がる芸術活動を始めてたのです。
元々あったガムラン音楽ラーマーヤナの舞踏ケチャという形に変えたり、伝統絵画ワラン・クリ(影絵)に西洋絵画のミニアチュールを加え新たな芸術運動を始めました。それ以来、世界中から芸術家がウブドに集まり住む様になったのです。

ウブドのジャングルの中腹に、何軒かの竹で作られたコテージ(小屋ですね)を借りて滞在しました。部屋には小さな灯りがひとつで、入口には石油ランプがひとつ。
ベッドに懐中電灯が置いてあったのですが、何故置いてあるのかを夜になって理解。
晩ご飯を食べにジャングルを行く時に、懐中電灯が無いと歩けないのです。
外は真っ暗で空には一面の星が瞬いているのですが、深夜零時を過ぎると一転、空は雲で被われて暗闇になります。何だか、ラーマーヤナのバロンの世界を側に感じる不気味な夜した。

朝になり、鶏の声で目が覚めてから朝食をとるのですが、点在したコテージには電話もないのです。すると、あちこちから木を叩く音が聞こえてくるのでした。
入口にある不思議な木彫の男性器の棒を抜いて打ち付けると、その音を合図に朝食を運んでくれるのです。
新鮮な卵にバナナとコーヒー、トーストですが、ウブドで作っているバターは驚く旨さでした。
現在でもこのバターを超える味には出会っておりません。

次回は韓国編へ続く!

2012年4月18日水曜日

旅と食……6 タイ篇

昨年8月8日にブログを始めて、いつの間にか200回超えていたんですね。
想えば昨年の夏は、異常なくらい暑かったですね。その上、計画停電に節電と大変でしたが、今年の夏も大変になりそうですね。


と、いうわけで大変……ではなく、“タイ篇”です。
ご存知の様にタイの季節は、暑い、ものすごく暑い、死にそうになるくらい暑いの3段階です。
暑い時は対処療法で熱いものを食べるに尽きますね。

タイに行きはじめた頃に日本ではエスニックブームが起こりつつありました。
エスニックは本来は“民族”の意味ですが、いつの間にか東南アジアや南米などを指す言葉になってしまいました。
今考えても、エスニック料理の発端はタイ料理でしたね。当然といえば当然ですが、東京でタイ料理に出会い、段々タイ料理の虜になっていったのです。

その頃ハルコの趣味は、東南アジアのリゾートホテルで過ごすことでしたが(今思うとちょっとバブル?)、タイのバンコックにはオリエンタルホテルがあるのです。
メナムチャオプラヤを水上タクシーで水上マーケットを探訪したり、市場で買い物をして、タイ料理を食べる、なんてハッピーな日々でした。
ただ、料理屋さんに行ってもタイ語は読めない・話せないので、事前にタイ語を丸写ししたノートを作り、店でタイ語を指差し「ガイ・ヤーン、パァッ・パッカーナ……」てなやり取りをしていました。
帰国すると、またタイに行きたくなるという不思議な国ですね。辛いもの好きとしては天国で、毎日シン・ハービールをどのくらい飲んでいたでしょうか。

そしてまたタイに行ったのですが、ある時にタイ料理を食べていて、突然辛いタイ料理が食べられなくなったのです。
あの「ネズミの糞」という名の激辛青唐辛子プリックを平気でばくばく食べていたハルコが、辛い料理で泣く羽目になりました。
辛いと叫んで、一番してはいけないこと……水を飲んだのです。
水はさらに辛みを増します。そんな時は砂糖を舐めるのですが、砂糖もなく……。
ハルコの辛み一生分のキャパシティが無くなった瞬間でした。
それでもオクサマに言わせれば、ハルコは平均以上に辛いものを食べているのでした。
今では穏やかに辛い料理とお付き合いしております。

次回はバリ編へと続く。

2012年4月17日火曜日

旅と食……5 ベトナム編

桂林蛇鍋を食べた続きです(いや、好んで食べているわけではありません)。


蛇の前でポーズを取る道場さんとS嬢

以前テレビで「料理の鉄人」ブームが頂点だった頃の話です。
まだフジテレビが移転する前で、5月の連休に代々木公園で最後の大イベントを開催していました。
この時に、3鉄人の店を会場で開くのに合わせて、『街場の料理の鉄人』の制作を依頼されました。この話は長いので省略しますが、その時に一緒に仕事をした、フジテレビの事業部のS嬢より電話があったのです。
「事業部のイベントで3鉄人の海外ツアーをしたい」と。

S嬢はかつて「オールナイトフジ」で、オールナイターズ(古過ぎ)の女子大生メンバーだったのですが、いつの間にかフジテレビに入社していたのですね。

S嬢の話をまとめると、和食の道場さん、フレンチの坂井さん、中華の陳さんが、それぞれ別々の国を通って60~70名のツアー旅行を楽しみ、最終はベトナムのホーチミン市に集合してイベントをしたいので、事前調査に一緒に出かけて欲しいという内容だったのです。
まぁ、良いかと気楽に引き受けて後悔することになるのですが……。
同行メンバーはハルコ、S嬢にJTBの課長と、鉄人道場六三郎氏の4人です。
関空から一路ホーチミン市へ。

フジテレビからハルコへのミッションは
「三鉄人のツアー客が全員入れる
 200人規模のレストランを捜すこと」
「市場で面白い食材の調査」
ここまでは良いのですが、

“アルマジロ料理があるはずなので、
 どこで食べられるか捜す”

「???アルマジロ??」
誰だ、こんな話を出したのは!

ハノイから来た通訳のベトナムの男性に
「アルマジロ、タベレル、トコロ、シッテマスカ?」
「アルマジロ、ナンデスカ?」
アルマジロを知らない!?

ハルコ、アルマジロの絵を描いて、「フダン、コレ、ダガ、キケン、クル、マルクナル、ワカリマスカ?」と、自分の身体を丸めて説明しましたが、全くダメ!
通訳さん「ヘビ、タクサン、イル、タベル、トコロ、アル、イク?」
と、いうわけで、広大な蛇のいる公園へ出かけたのです(写真は見にくいですが、蛇の前でポーズを取る道場さんとS嬢です)。

まぁ、ぬぁんと! 外で見ていた蛇が調理されて出てくるのですね。
出て来た料理は直径が15センチの蛇の筒切り、ウロコ付きで、まぁ大きなバームクーヘンだと思ってください。これを「蛇酒」で飲み込むのですが、蛇のウロコのじゃりじゃり感はいまだに忘れれません。
改めて当時の写真を見たら、檻に入った猿もいたので、注文すれば猿料理が出て来たのだと思います。

えっ、それで蛇の味はって? フォフォフォ、これがそんなに不味い味ではありませんでした。
この旅で、ハルコは食卓での取り分けが上手、と道場六三郎さんから「サービスの鉄人」の称号をいただきました
そしてこの3鉄人ツアーは、危険が沢山あるので中止するように提言して終わりました。

まだまだ、アジア編は続く!

2012年4月16日月曜日

旅と食……4 中国編(桂林)

ひとくちに中国と言っても広過ぎるので、個別の話です。
香港へは何度か行ってましたが、中国本土へ行きたいと考えていたのです。


1985年の年末から年始を中国で迎える計画を立てましたが、その当時は観光には結構面倒でした。神奈川の新聞社が主宰するツアーがあり、香港経由で広州、桂林の旅に出かけました。
毎日、誰が仔豚の丸焼きの鼻を食べるか?と揉めたり、愉快な旅でした。

香港から列車で広州に入り、広州から飛行機で桂林までの行程ですが、びっくりしたのは中国の国内線でゲートを入る時に、我れ先と並んでいる日本人を押し分けて飛行機に乗る様でした。
飛行機の上部の手荷物の収納庫は、バスや列車の揺れで網棚から荷物がバラバラと落ちてくるので、大丈夫かしらんと思った次第です。

毎日朝ご飯の時に昼ご飯は何かと話題にして、昼ご飯の時には夕ご飯、夕ご飯には翌日の朝ご飯、と食べる事とお酒飲みが集合した脅威のツアーでした。
香港からガイドさん同行で、現地ではそれぞれ中国人ガイドさんが付きます。
ご飯を食べながら老酒で乾杯を繰り返して、中国人ガイドさんを酔い潰してみんなで担いだりする酒豪揃いでした。
朝からあんなに老酒を飲んだ事は、後にも先にもありませんね。

いよいよ桂川の川下りです。冬場で水量が少なかったのですが、雄大な景色に魅了されました。……しかし同じ風景が続くと飽きるもんですね。
ハイライトは桂林を下りながら「蛇鍋(龍火鍋)」をいただく事です。
ツアーメンバーは皆座らず蛇鍋を囲み、老酒をがんがん飲みながら悪鬼の形相でむさぼり喰っていました。
その挙げ句、追加の鍋を頼んだのですが、舳先まで行って蛇の皮を剝くところを、また老酒を飲みながら「うまそー」と眺めておりました。
まぁ、はちゃめちゃな旅でした。

次回は、蛇繋がりでベトナム編へ続く。

2012年4月13日金曜日

旅と食……3 シンガポール編


今はガーデンシティとして大変きれいなシンガポールですが、30年前はゴチャゴチャした市場が沢山残っていました。
初めてシンガポールに行った時には、あちこちに古い時代の市場や街が随分残っていました。
それから1年も経たないうちに、再びシンガポールへ出かけたのですが、去年あった市場が半分無くなっていました。その時に思ったのは「急激に東南アジアは変化している」という事です。

シンガポールの数ヶ月前にフィリピンに遊びに行ったのですが、その時の大統領はマルコスでした。
1983年8月4日にマニラに行きました。同じ月の21日にアメリカから帰国したベニグノ・アキノが暗殺されたのは、それからわずか2週間後の出来事でした。
その当時のシンガポールの首相はリー・クアンユー。マレーシアはマハティール、インドネシアはスハルト、そしてフィリピンのマルコス。マルコスは結局1986年にアメリカに亡命して、ベニグノ・アキノの夫人コラソン・アキノが大統領になるのです。
東南アジアは激変する、今見ておかないとこの景色は二度と見る事がないと、確信したのです。

東南アジアでホテルのバーが好きになったのはシンガポールからです。
まだ古い時代のラッフルズホテルをこよなく愛した作家に、サマセット・モームがいます。そのモームのネームのあるバーカウンターで“シンガポールスリング”を飲み、「ラッフルズ、その名は神秘に彩られている」と、モームの言葉を反芻して楽しんでいました。
暑い地域で夕方にいただくカクテルの愉悦は、そのまま東南アジア好きの道を行くのでした。

次回は中国の蛇鍋に続く。

2012年4月12日木曜日

旅と食……2 香港編


鯉魚門(LeiYue Mun)の魚店で買った魚を、
レストランに持ち込んで料理にしてもらうところ(魚はネズミハタ)。

さて、香港です。
香港は近いので行きやすい場所ですね。何回も出かけております。仕事の打ち上げで現地集合、現地解散などもしたことがあります。

1987年の3月に3泊4日で香港ツアーをしました。これは、ハルコの事務所で企画した食べ歩きツアーなのです。
その当時、漫画の「美味しんぼ」が話題になっていた時代の話です。
原作者の雁屋哲さん聘珍楼の総料理長の周富徳さん(当時)と香港に食べに行ったのが漫画になったのがありました。仏跳牆(ふぁっちゅーしょん)を食べに行くストーリーで、冒頭のグラビアに実際の仏跳牆の写真が掲載されていました。
これを見て是非とも仏跳牆が食べたくなり、周富徳さんにお願いして香港の店を予約してもらいました。
そこで、事務所で知人に声をかけてツアーを作ったのです。
「HALPACK」と名付けたのですが、それから何回となく「HALPACK」ツアーを実行しましたね。
まぁ、1日5食食べましたが、若かったんですね、よく食べました。


仏跳牆のコースメニューが書いてあります。

仏跳牆というのは、修行中のお坊さんも仏跳牆の匂いで、我慢出来ずに塀を跳んで食べに来るという意味で、大きな壷の中に色々な食材を入れて、長い時間をかけて蒸し上げる料理のことです。壷の中の出汁になっていたアヒルの水かきまでしゃぶりましたが、そんなに驚くほど旨いとは感じませんでした。

仕事柄、街の色には敏感になるのですが、香港から帰ってくるとデザインについ赤や黄色の原色を使ってしまいますね。
街の匂い、色、音など、全てが勉強になった時代です。
何年経つても市場の匂いは忘れられません。

次回は今は無い東南アジアの市場に続く。

2012年4月11日水曜日

旅と食……1 マレーシア編

食の仕事に関わって随分の年月が過ぎました。
新シリーズです。
「旅と食」と題し、旅で出会った食にハルコが感じたことを書きたいと思います。

ヨーロッパが好きなハルコと思われていますが、ハルコの海外の旅は東南アジアから始まりました。
20代後半に千趣会の会報誌(商品が二ヶ月毎に届く)仕事をしておりました。制作会社が、何故か海外取材のタイアップを取ってきたのです。
それも場所はマレーシアでした。初めての海外がマレーシアというのは珍しいと思うのですが。

マレーシアの東シナ海に面したクアンタンという場所ですが、遠い遠い!
早朝、成田をマレーシア航空で飛立ち、台北・香港と2カ所でトランジット!してクアラルンプールへ、そこから国内線の風がピューピュー入るプロペラ機でクアンタンへ。
さらにそこから窓のないバスに乗せられて、ゴムの木の生い茂っているジャングルへ到着したのは夜中の12時を廻った時間。
17時間かかって着いた場所はこの世のパラダイスの「地中海クラブ」
海岸に沿って広大な敷地にコテージやらプール、ディスコ、スポーツ施設が満載のリゾート地で、1週間モデルさん2人の撮影をする仕事なのです。

食事は三食すべてレストランでいただくのですが、マレーシア料理が中心。
そこで、ハルコが遭遇したのは発泡性のミネラルウォーター。ここは飲料水が生水で飲めないので、すべて発泡性のミネラルウォーターだったのです。今ならガス入りの水は大好きなのですが、日本の軟水に慣れた人間としては、こりゃダメだ!と思ったのですが、飲み水はこれしかないので毎日我慢して飲んでいるうちに平気になったのです。

この水との出会いがハルコにとって初めての食の異文化との衝突だったのです。
この時、毎回食事の際に皿から取り分けるサーバー技術を教わりましたが、この話はまた別な回で。
次回へ続く!

2012年4月10日火曜日

カイハウスでお買い物


今、貝印岩本町本社のカイハウスショールームキッチン用品の大バーゲン中です。
早速お買い物に行ってまいりました。

貝印が長年契約をして、日本の販売代理店だったドイツのWMFの契約が3月に終了したので、在庫のバーゲンになったのです。
な、な、何と50~70%引きの大バーゲンです。二度とないでしょう。

オクサマから、新潟のセカンドハウスに無いものがあるので買ってきなさい、と言い付けられました。
以前もセカンドハウスで缶詰を開けようとしたら、プルトップ形式で開ける簡単なものではなく、本式に缶切りの必要なもので、缶切りが無く往生しました。
そう思ってカイハウスのバーゲンコーナーをを見ると、うむ、ワインクーラも欲しい!と、色々と目移りしてしまいました。

取りあえず今日はWMFのフォーク、ナイフ、スプーンをセカンドハウス用に購入。今月一杯(売り切れ御免!)やっているので、是非カイハウスのショールームへ。
アクセスは下記に。

2012年4月9日月曜日

『饗宴外交』もうひとつのドラマ

今週『饗宴外交』が発売になります。この本はオクサマの企画ですが、それが本になるまでにはひとつのドラマがあったのです。


西川恵さんの『エリゼ宮の食卓』出たのは、1996年。もう16年も前ですね。
その頃、オクサマの父親は難病にかかり治療法も見つからない状態でした。
元々本を読むことが好きな義父でしたが、最後は本も読めない状態で逝去したのです。その時に棺の中に、読書用の眼鏡とまだ未読だった『エリゼ宮の食卓』を入れたのでした。天国でも好きな本を読んでいただこうと思ったのです。

それから十数年の月日が流れ、西川恵さんの『饗宴外交』を出版出来たのは、縁(えにし)としか思えませんね。
連休には墓前にこの本を供したいと思います。

2012年4月6日金曜日

本を作るということ

このところ休日もなく、仕事をして毎晩深夜食堂のお世話になっておりました。
やっと入稿、校了が続きひとまず解放されました。

ところで、ハルコの本業って本や雑誌の編集企画デザイン制作、というのをご存知ない方も多々おります。お手伝いハルコと名乗り「変な活動」もしてますが、あくまで本業は本作りなのです。
一番最初は雑誌のデザインから始めたのですが、ある企業のPR誌の編集をして以来、取材や原稿書きや書籍の企画制作まで全般を手がけるようになったのです。

通常の本作りは、編集とデザイナーの協力関係で進行しますが、かつては印刷原稿にするために「版下屋」さんのところで、印刷台紙用にデザイン指定通りに文字(写真植字)を張り込んだりものを作成していました。4版<青、赤、黄、黒(スミ)>の分解版というものを作成して印刷に廻します。
これが、コンピュータの発達でデジタル化が進んで、DTP(もう死語かなぁ)により画面上で文字や画像データをデジタル化して印刷へ廻す様になりました。
今まで分担していた仕事が少数の手を経るだけで可能になったのですが、その分デザイナーへの負担は増えるのです。
と言っても、ハルコ自身はオペレーションが出来るわけでもないのでスタッフが大変になり、デザイナーの後ろからモニターを見ながら、「それ、左にもっと大きく」とか、「その色スミに変えて」と指示をしてるだけですけどね。

40年近く本作りをしていて思うのは、根本的に印刷を介してする作業が激変したことです。駆け出しの頃は、活字を使った書籍や雑誌もありましたが、やがて、写植(フォトタイプセッティングと言ってガラス板に文字がネガ状になっているのをレンズを通して、拡大縮小して印画紙に焼き付ける写真の一種)全盛で、その後全自動写植でコンピュータ化が進み、DTPに移行してあっと言う間に電子書籍の時代に。
本のコンテンツを作るという内容は変わりませんが、その作業内容は石器時代から一気に別の世界に来たような気持ちです。
これから、さらに変化していくと思われる本作りに対応するために、日夜苦労しているのです。
写真はハルコの事務所で制作した本の一部(ダジャレ)です。

2012年4月5日木曜日

青唐パスタの快楽!

 何だか『ダンチュウ』の特集みたいなタイトルですね。
ハルコは麺類なら何でも大好きです。今日はパスタのお話です。

毎週1度はパスタを食べますが、個人的三大パスタがあります。
1. ダノイ(今はなき西麻布本店)の
  “キャベツとアンチョビのスパゲッティ”
2. 甚六のスペシャルナポリタン(材料持ち込み限定)
3. 青唐辛子のスパゲッティ

どのくらいの方が青唐辛子のスパゲッティを召し上がったことがあるかわかりませんが、ものすごくシンプルです。
基本のスパゲッティ“アーリオ・オーリオ・エ・ペパロンチーノ”の赤唐辛子が青唐辛子になっただけです。パスタは細いスパゲッティーニを茹でて抑え目のニンニクと青唐辛子を切ってオリーブオイルと混ぜるだけ。

昨夜は久しぶりに麻布十番のトラットリア・ケ・パッキアへ出かけました。
フリッタータにカラマレス(イカの輪切りに似たショートパスタ)のギアラのラグーとコートレットで大満足!の後に、
「青唐パスタ、出来ますか?」
〆にまた、パスタを注文しました(いや、ハルコって強欲!)。
ケ・パッキアには青唐パスタがあるのです。

元々青唐パスタは20数年前に麻布の「クッチーナ・ヒラタ」で食べたのが最初だと記憶してます。その頃もパスタは青唐と別のパスタを2皿頼んでおりました。
今、ヒラタ本店は平田夫妻が後進に店を託し、その系統はケ・パッキア、ピァツト・スズキ、ヴィーノ・デ・ヒラタ、ドン・チッチョに引継がれてます。ドン・チッチョの石川勉さんとはヒラタ時代からの長い付き合いです。
そして、あの懐かしい青唐パスタはこのケ・パッキアで食べる事が出来るのです。このパスタを食べると20数年前の色々な思い出がよみがえるのです。

ケ・パッキアさんありがとう。

2012年4月4日水曜日

徹夜とビール


火曜日の爆弾低気圧のせいだけでもないのですが、結局早朝まで事務所にいるはめになりました。
自分で言うのもなんですが、昨日はアルコール飲料一切飲んでいません。
と、いう事は今年になって初めてビールすら飲んでいない(これを書いてたら無性にビールが飲みたい!)。
さらに、去年酒を飲まない日があったかというと、ないような気がします。
凄い、快挙!(自慢になりませんね)

徹夜は年とともに無理ですね。次の日は、もう役に立ちません。
20代の頃勤めていたデザイン事務所では、「徹夜、終電、徹夜、終電……休みはつき一度」というのが常態でした。
これは35年以上も前の話です(念のため)。
金曜日、土曜日も徹夜で日曜が最後の徹夜作業で月曜にはプレゼンテーション提出。
企業PR誌を全ページ、もうひとりの同僚デザイナーと原寸でダミーを50~60ページ作るのです。
昔話は年寄りの特権とはいえ、あまり話したくはないのですが、今と違い当然インターネットは無い時代です。
テレビも夜には放送も終了し、さらにラジオもある時間帯には放送が無くなったのです。今では信じられないかもしれませんがね。
日曜日の深夜ラジオ(終日ラジオを聞きながら仕事している)も、ほぼ深夜12時で終了します。その後のラジオの音源はFEN(Far East Netwoek)しかありません。

えっ、FENって何かって?
これは、在日アメリカ軍の極東放送のことです。この放送は1997年に統合されて、現在はAFNと名称が変わっています。
ともかく、眠気覚ましにインスタントコーヒーとタバコ(この頃は喫煙者でした。現在は吸ってませんよ)にFENを聞きながら、月曜の日の出まで完全徹夜していました。
何とかダミーを完成させ、その頃住んでいたアパート戻る途中で、酒屋さんでビールを買いました(缶ビールではありません。瓶ビールです)。
そのビールの旨さといったら、……ないですなぁ。

2012年4月3日火曜日

非常食

今日は凄い暴風で、ブログなんか書いてはいられないぞ!
と、思いつつ今週は仕事のヤマで、もしかしたら深夜食堂どころか帰れないかも…。

というわけで、帰宅困難者になっても一晩籠城可能な食料を、コンビニで調達。
そこで見つけたのが、まるちゃんの「コロッケそば」!
ハルコの大好物のコロッケそば! 知りませんでした。昨年の11月に出ていたのですね。
今夜の深夜食堂がまるちゃんになるかは、また明日。

2012年4月2日月曜日

櫻逍遥(さくらしょうよう)


まさに春とならん。我、櫻を逍遥とする。
飛鳥山は江戸近郊第一の花の名所なり、「殊にきさらぎやよよいの頃は櫻花爛漫として尋常の観にあらず」

ちょと古めかしい文体にしてみました。
さて、今週は待ちに待った櫻週間の始まりです。
冒頭でも書いた通り、わが家の花見は飛鳥山周辺です。
江戸は享保年間に、徳川吉宗がこの地に櫻を1000本植樹をして、江戸第一の櫻の名所になったのです。
わが家の(建物の9階)から飛鳥山公園方面が櫻色に染まってくるのです。
何だか、胸が苦しくなります。
「あぁ~、櫻、櫻……」

若い時分は櫻なんてどうでも良かったのでうすが、もうこの季節いけませんね。
櫻に吸い寄せられるようにふらふらと……。
飛鳥山から石神井川下流の音無川を逍遥するのが一番好きなんです。
去年は大震災もあり、櫻を愛でる余裕がありませんでした。
今年はゆっくり、ゆっくり「逍遥(しょうよう)」
そぞろ歩きして櫻を楽しみます。写真は一昨年の満開の音無川の櫻です。