シェフが修行した店、修行中に訪れた店……。かなり、その当時としては貴重な情報を入手していたと思います。

わずか5行ほどの情報が全てでした。店名・住所・電話番号・定休日・使えるクレジットカードにレストランのスペシャリテ。料理はフランス語の辞書を引きながら想像したものです。
実際に予約して現地に行き、大間違いだったということはざらにありました。
例えば、「moelle(モワル)」は牛骨随という意味なので、それで作ったソースだと思って行くと、そのモワルには同様に野菜の芯の部分の意味もあり、想像した料理とは全然違って(勘違いして)いたり。
今は瞬時に料理写真の画像も見ることが出来るので、隔世の感ですね。

ミシュランはモータリゼーション社会のためにガイドとして始まったのに対して、「ゴーミヨ」はアンリ・ゴーとクリスティアン・ミヨの二人のジャーナリストが始めたレストラン批評で、その後のレストラン批評に大きな影響を与えました。
日本では、見田盛夫と山本益博が刊行した『グルマン』がその一例ですね。
現在の多くの料理レストラン評論は、「情報の客観性と主観性」がごちゃごちゃしているように思うのです。
本来は、食文化をどう表現するかという「エスプリ」が求められるのですが、単なる「食事感想文」は消費され何も残らないものが多いですね。
まぁ、そんなものは要求されていない時代だと言えばそうですが、寂しく思うのはハルコだけでしょうか。
続く。
●梅香……酸辣湯麺
このところ通い詰めの「神楽坂梅香(メイシャン)」

0 件のコメント:
コメントを投稿