2016年3月12日土曜日

311とトモダチ作戦


アメリカ海軍にアーレイ・バークという軍人がおりました。
アーレイ・バークはアメリカ海軍史上でただ1人、海軍作戦部長を3期6年にわたって務めた人でした。
太平洋戦争中、駆逐戦隊の司令官となり、ブーゲンビル島上陸作戦の支援に当たり、日本海軍の巡洋艦、駆逐艦、潜水艦など多く撃沈破しました。


戦後、大西洋艦隊司令長官となったミッチャー大将の参謀長を務め、朝鮮戦争が勃発すると、アーレイ・バークは極東艦隊参謀副長として日本へ派遣されたのです。
太平洋戦争を通じて、アーレイ・バークは日本が嫌いで反日的・嫌日的な態度を取っていたのですが、あることがきっかけで親日家になったというエピソードが残されているのです。
朝鮮戦争の和平交渉のために東京へ赴任して帝国ホテルを定宿としていたのですが、日本人に対して頑に交わろうとしませんでした。
ある時、ホテルの部屋に花が飾られており、アーレイ・バークは余計な事はするなとホテルに抗議すると、ホテル側は知らないとの返事。
花が枯れるたび、新しい花に代えられていき、アーレイ・バークが調べていくと、客室係の女性が個人的に花を買っていた事が判明したのです。
感謝してアーレイ・バークは花の代金を支払おうとしましたが、女性は受け取ろうとしませんでした。
彼女は戦争未亡人で、夫はソロモン海戦でバークによって沈められた駆逐艦の乗組員だったのです。
「私はあなたの夫を殺した人間だ。どうか許して欲しい。」と謝罪しましたが、彼女は「悪いのは戦争です、何もしなければ死んでいたのはあなたです。あなたは何も悪くありません」と答え、それ以降、親日家になったという逸話があったそうです。

その後アーレイ・バークは日本の海上自衛隊の創設にも尽力し、日本からは旭日大綬章を授与され、この勲章は遺言により棺にただ一つだけ納められたそうです。

そして、2011年3月11日の東日本大震災で「トモダチ作戦」で、
日本にいち早く到着した空母「ロナルド・レーガン」の艦長トム・バーク大佐は
アーレイ・バークの孫に当たるのです。

東日本大震災で復旧、復興に尽力された方々に感謝をこめて。

※写真は鵜住居根浜海岸(宝来館前から)

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