2012年1月31日火曜日

料理と科学

『料理王国』誌上で最初の連載をした時に、最初に考えたテーマは「調理科学」でした。料理は科学で、もっと言い換えれば、理科が解れば料理も上手になる。だから、男子は理科をするつもりで調理すればうまくなるはず。
と考えたのですが、その当時の担当I嬢は、「ダメです。ハルコさんに科学は似合いません。男子、それも中高年対象の家庭科にししましょう」
ということで、『お手伝いハルコと学ぶ中高年からの家庭科』というタイトルになりました(I嬢は現在『料理通信』)で副編集長をしておりますが)。
それから10年は過ぎましたが、ハルコは未だに「料理と科学」の関係を追求しております。


久しぶりにハルコの推薦図書ご紹介です。
 『Cooking for Geeks(料理の科学と実践レシピ)
Jeff Potter 著 水原文 訳(オーム社)
昨年の9月に初版が出て12月に増刷、とこの手の本としては珍しく出ているのではないでしょうか。ハルコも昨年朝日新聞で読んで、購入しようと思っていたら年を超してしまいましたが、友人の小旦那さまからのプレゼントでいただきました。
表題の『Cooking for Geeks』は直訳すれば『料理オタク』(Geeks は元々コンピュータ用語)。著者はコンピュータのベンチャー企業を立ち上げたエンジニアで、料理オタク。
この本は決して判りやすくもなく、読みやすいわけでもありません。また、本当か?と疑問が出てくる個所も多々あります。が、面白いのです。
本人が作成したレシピもひと味違う(科学の味)のです。
大家エルヴェ・ティスの影響も感じられますが、理科と料理の好きな男子なら読み解けること請け合いです。

目の前にある“当たり前のこと”(例えば卵の白身と黄身が固まるのは違う温度)を「なぜ」「どうして」と考え、疑問を氷解させ実践レシピに応用する。
ハルコ自身も、この「料理と科学」を一体化した方法で料理に向かいたい、と日々考えておりますですよ。

2012年1月30日月曜日

ブルゴーニュ利き酒騎士団


1月28日(土曜日)は、オクサマが所属している「ブルゴーニュ利き酒騎士団」の親睦会が、四谷の「オテルド・ド・ミクニ」で開催されました。
普段は騎士団団員だけの会ですが、当日はお手伝いの身分ではありますが、ご相伴と相成りました。

ブルゴーニュ利き酒騎士団は、正式には「La Confrérie des Chevaliers du Tastevin(コンフレリー・デ・シュヴァリエ・デュ・タートヴァン)という長い名称を持っております。
フランスのブルゴーニュワインのソサエティーで、1934年に創立され、ここの会に入会するためには会員2名の推挙と書類審査があります。日本支部は1995年の1月28日に誕生して、当日は葡萄酒の守護聖人「St.Vincent(サンヴァンサン)を祝う日でもあるのです。
現在、会員はフランスを中心にアメリカ、日本など1,100名程の人数です。

単にブルゴーニュワインの愛好家というばかりではなく、フランスのブルゴーニュ地方の食とワイン文化に貢献した人々が会員になっております。
オクサマがブルゴーニュ騎士団の会員になったのは5年程前でしょうか。ブルゴーニュのクロ・ド・ヴージョで毎年開催される叙任式を経て、正式な会員になる事が出来ます。
冒頭の写真は、会員の証のブルゴーニュワインの利き酒をするための「タートヴァン(銀製の試飲用のカップ)です(不遜にもハルコ入ってみました)。

●サンヴァンサン
まぁ、日本の酒の神様「松尾大神」みたいなものですね。
云い伝えによると修道士サンヴァンサンは、ワインをブレンドして瓶詰めする「ネゴシアン」が水でワインを薄めて売っていたのを懲らしめて聖人になった人です。
ネゴシアンの薄めて出したワインを自分のマント(聖衣)の上に振りかけると、ワインと水に分かれたそうです。
それ以来、葡萄やワインを作る人々からワインを守る神様として祀られ、「サンヴァンサンを祝う祭」が葡萄の選定の時期の1~2月に行われるようになったのです。
美味しいミクニの料理とブルゴーニュワインで、楽しいひと時でございました。


2012年1月28日土曜日

アチャラ漬け


北インド土産「チャール(アチャール)をいただきました。漬け物ですね。これがあればご飯が何杯も進みます。
いただいたのはコンニャク芋と、マンゴのアチャールでした。
このアチャールは日本で「阿茶羅漬け(あちゃらづけ)に変身を遂げるのです。

色々と資料を漁ってみたのですが、イマイチはっきりしません。
まず、語源はペルシャ語の「アチャル」、ポルトガル語の「アチャール」(あまり変わりませんね)。
他の地域でも似たようなもので、インド「アチャール」、フィリピン・インドネシア「アチャラ」、アフガニスタン「オチョール」……。ともかく定かでない話です。

江戸中期の『料理網目調味抄』(1730年・享保15年)に、「酢をいりあつきに漬る。酢一升、塩三合、なすび、はじかみ、めうがのこ(茗荷の子)、はす、ごぼう、塩鯖、いはし(鰯)、貝類」とあります(岡田哲編『世界のたべもの起源事典』より)。まだこの時代は唐辛子が一般的でないので、ちょっと違いますね。塩鯖や鰯を入れて発酵させた魚醤味なのでしょか。
一般的なのは、唐辛子を入れた甘酢に季節の野菜を漬け込んだものですね。
さらに、「アチャラ」には「あちゃら(あちら)」で唐人を表し、これが唐人=阿茶さんで、アチャラは搾菜だという説もあります。
さらに、さらに、「アチャラ」から「あちら化」「アチャラカ」と軽演劇を指す「アチャラカ」まで繋がります。妄想をすると、色々な材料がごちゃごちゃとひとつになってドタバタしているという感じなのでしょうか。
こうなると、「阿茶羅漬け」「福神漬け」の関係も気になりますね(そんなことハルコだけか)。
もう少し調べてみることにします。

2012年1月27日金曜日

食の批評……「食べログ」


いつ頃から、知らない店に出かける時に「食べログ」「ぐるなび」を見るようになったのでしょうか。
1996年に「ぐるなび」が、2005年には「食べログ」サイトが開設になってますね。
あまり書き込みの評価は読まないで、場所の確認に使っておりますが、たまに全然違う場所を示していて困ったことが幾度もあります。
一度京都でタクシーの乗り場所を言ったのですが、全く違う方角でかなり遅れて店に辿りつきました。
店のご主人は「なんや、何とかログとか何とかなびの地図やらは、間違ごうておるようですね。店にいらっしゃたお客さん何組も言うておりましたが……」

ここ数ヶ月、「食べログ」の評価操作業者が問題になっております。店の人気ランキングを、店の都合に良い投稿で操作して、それが「景品表示法」の違反になるということです。
この法律正式には「不当景品類及び不当表示防止法」(昭和37年)と言います。
その第一条には「この法律は、商品及び役務の取引に関連する不当な景品類及び表示による顧客の誘引を防止するために、一般消費者による自主的な選択を阻害するおそれのある行為の制限及び禁止について定めることにより、一般消費者の利益を保護することを目的とする。」と、あります。
まぁ、「うそ言うたらあかんでぇ!」ということですね。
罰則は、“二年以下の懲役又は三百万円以下の罰金”です。
この法律での行政処分対象は、不正投稿した業者ではなく、書き込みを依頼した店側になります。
昭和22年に出された同法は「一般消費者による選択の阻害自体に着目して規制」という観点から法改正されました。
ここでは「表現の自由」という事は論じませんが、過去どれだけの飲食店が誹謗中傷の対象になっているか、という事実は否定出来ませんね。知人の料理人さんからはその実例を多く聞いております。
言い換えれば、ランキング上位に上げる操作も、中傷誹謗で下げる操作両方とも可能だといことです。

偽名で多く批評本を出している、ある御仁がおりますが、この方のされる批評は非常に暴力的で不快になります(特に名は秘しますが)。
知人の料理人は普段は非常に温厚な方ですが、くだんの方には非常にご立腹で、直接本人に司直の場で争うと言ったそうです。
「景表法」よりも、名誉毀損、威力業務妨害が該当になります。こうなるともう、食の批評などの問題ではないですね。
これからも、「食べログ」「ぐるなび」が有効に活用されるように、投稿される方々が実は法に抵触する危険性もあることを考えて欲しいものです。

●日々是甚六。

甚六がユニフォームを一新! Tシャツをいただきました。これを着ていく時は、甚六で働くようにとの仰せです。

2012年1月26日木曜日

ジビエもそろそろ……。


ブラッスリークールジビエを食べました。
もう立春も近いので、ジビエのシーズンもそろそろ終了ですね。
ジビエほど農耕民族の日本人が異質に思う食文化はないと思います。

日本では天武天皇の御代、天武4年(675 年)に肉食禁止令(あまり守られなかったようですが…)が発令され、それが解除になったのは明治5年(1872年)で、明治天皇の勅令が出るまで1200年近くタブーとなっていたんですね。まぁ、「薬食い」という抜け道で大分食べてはいたようですが。ともかく、肉食から一番遠い食文化の国だったわけです。

1980年代からフランス料理がグルメブームの潮流に乗り、だんだん“フランス料理の華”になって一般の愛好家にも広がっていくのです。
秋も深まり冬に近くなると、狩猟の解禁とともにフレンチレストランで盛んに供されますね。
北海道の蝦夷鹿は、頭数が増え過ぎて“駆除”する目的でも狩猟されますが、フランスを中心にした海外からもジビエが輸入されてきます。
ピジョン、シヴェルィユ、サングリエ、フザン、リエーヴル、ベカス、コルヴェール、ペルドロー……思えば日本でもフランス、イタリアでも随分食べていますね。

クールでも、今シーズン最後のコルヴェール(青首鴨)のロティを、菊地シェフのお薦めでいただきました。アントレには新タケノコのフォアグラ・ゴボウソースでしたが、走りのタケノコ(これは中国産ですが期間が短く香りが良い)に、名残りのジビエでいよいよ季節が新しく巡りますね。


あぁ、ジビエで思い出したことがありました。昔友人達と立ち上げたフランス食材の輸入会社が、フランスから仕入れた良いコルヴェールがとあるレストランに納品したので食べに行きました。
そうしていただいていると、歯にガリッと固いものが!それは散弾銃の弾でした。それは本当に狩猟で仕留めたという証拠だ、と言われました。
そして、それを財布に中に入れておくと幸運のお守りになるよと言われたので、それを貰って財布に入れておきました。
ところが、翌日その財布を落としてしまい、ついに出てきませんでした(トホホ)。
鉄炮玉だけに、行ったきり戻りませんでしたとさ。

2012年1月25日水曜日

続・記憶に残る言葉「あいうえお」


記憶に残る言葉シリーズ(いつからシリーズになったのでしょうか?)
(引用が不明な物が多々あります。出典明記出来ない場合はご免なさい)

●あいうえお
これは、三宅乱丈作の漫画『ぶつせん』(講談社モーニング)から
お坊さんになるために修行をしている若者達の話です。

「あ い う え お」
 愛想良く
 言い争い無しで
 うなずけば
 偉い人には
 お気に入り

まぁ、廻りを見れば誰かしら、思い当たる人が……。

「外的な勇気を持つ者は死を選び、
 内的な勇気を持つ者は生を選ぶ」
ノートに書いた動機も出典・引用も不明です。
その下には「オンリーワンの技術→ニッチ(すきま)」と書いてましたが、まったく意味不明ですね。

●ジョー・グレアム
暮らしを立てていくということは、
こまごました雑務をきちんとこなすこと
しかも、やるべきときにその作業をやることに尽きる。

当たり前ですが、人間中々しない。モノを使ったら、必ず元の場所に戻してくださいね。
オクサマ。

「文化は辺境より生まれて、中心に至って滅びる」
かなり真理が有ると思います。βマーケティングでは「端にある異端(例えば流行)がトレンドリーダによって広められ、そして『○○ちゃんまで知っている(持っている)ようじゃこれも終わりだね』」なんてことがありますね。
逆に辺境で消滅していくものも沢山あるとことでしょうか。

「朝に道を聞かば、夕べに死しとも可なり」
朝にものを学んで、夜になって死んでも、いまさら驚かない。

知るや学ぶということは、自分が変るということだ。
しかし、現代人はたんに情報を処理する事だと考えている。
何かを集めて上手に使う事だと思っている、
自分の外側で処理することで、
自分自身の内在化をしなくてはならない。

これも、何処からの引用か不明ですね。
毎日多くの情報に接しているとそれ自体で判っているような錯覚に陥ります。自戒せねばなりませんね。
たまには備忘録の虫干しでもしてみましょうか。これからはメモを取る時に、ちゃんと引用出典も記しておかねば。

●湯島天神前店「鳥つね」
まぁ、本当に旨い焼鳥をいただきました。本当は鳥鍋がメインですが、この日は夕方早くてまだ、さほどお腹も空いておらず、焼鳥で一杯。「鳥しんじょ」がこれが絶品! 思わずお代わりしたくらい。
今度は鳥鍋をお願いしよう。

2012年1月24日火曜日

佐伯義勝


日本の料理写真界を築かれた写真家佐伯義勝先生が1月20日にお亡くなりになりました。
1927年明治大学カメラクラブ出身で、仏像を撮る前の社会派カメラマンだった土門拳、木村伊兵衛に師事し、1952年に料理カメラマンとして独立しました。
佐伯先生無しでは日本の料理写真の世界は存在しません。
料理の世界に、辻静雄さん佐伯義勝さんのお二人が居なかったらこの世界はどうなっていたのか、と、ハルコは前から考えておりました。

10年ほど家庭画報の巻頭の料理特集のデザイン担当しておりました。毎回3~40ページの撮影用のコンテを描くのですが、それらは佐伯先生によって撮影されました。
その当時、副編集長に佐々木和子さん(故人。家庭画報を退いてから『レタスクラブ』の創刊編集長に)が料理担当で、若輩のハルコに厳しく指導してもらっていました。
現在では当たり前ですが、その当時の料理写真は“料理の出来上がりが大きく、プロセス写真は小さくが常識でした。
ある時に佐々木和子さんが、「料理の仕上がりよりも、途中のプロセスカットを大きくして」と仰るので、「えっ、良いのですか?」と聞き返してしまいまた。

その号が上がって、佐伯先生の写真で“シズル感”のあるページなりました。
今では“シズル感”は日常用語になりましたが、本来“sizzel"肉などが”ジュージュー”焼ける擬音だったのです。
もう、写真を撮る時は“シズル感”ね。で済ます事が多くなりましたが、それが難しい。
それも一発写真で表現する、今考えると写真撮影は忍耐のいる現場でした。
決まると「やった!」と気持ちが良かったのですが、今は「後でフォトショップで画像処理しておいてね」で済むんですもの。
コダックが倒産して、最後までフィルム撮影をしていた佐伯先生が亡くなり、アナログの時代は完全に終焉してしまったのでしょうか。
でも、難しい事に挑戦していた頃の気概は、いつまでも持っていたいですね。

2012年1月23日月曜日

記憶に残る言葉「まみむめも」


毎日色々な情報に接していると、思わず覚えておきたい言葉に出会うものですね。
その場で書き留めておかないと直ぐに忘れてしましますが、今回はハルコが出会った言葉達より(引用が不明な物が多々あります。出典明記出来ないので申し訳ありません)。

●まみむめも
これは、三宅乱丈作の漫画『ぶつせん』(講談社モーニング)から
お坊さんになるために修行をしている若者達の話です。

「ま み む め も」
 先ず笑い
 身近な話題で
 結びつけ
 目頭熱く
 目的達成

お坊さんが説法をする時の順番で、「最初に笑いを取るために、身近な話題を持ち出し、相手に対して親近感を抱かせて、その次に感動的なエピソードで、相手を感動させ、自分の側に引っ込み、そして、目的(お坊さんの場合はお布施)達成する」
どうですか、これは日常に使えますね。商談で相手に対してアプローチしたり、スピーチをする際にストーリを組み立てる時に有効かと思います。

●ザビエル山田
ビジネスジャンプ(集英社)の四コマ漫画より

自分で“遊び”を創造する能力を持たない人間は
将来“遊び”を提供する側に
徹底的にカモられる運命にある。

うむ、何とも時代正鵠に見抜いてますね。ゲームに熱中してる人達を見る度に、ザビエル師のこのお言葉を思い出します。

●小林秀雄
日本の知の巨人ですね。こんなこと言ってます。

「人生とは人が他者に、
そして最大の他者である自分自身に向かって
語りきかせる物語にすぎない」

「観察者は好都合な或る観点」に立って認められる物語にすぎない。

古いノートに書いていたのですが、何を思って書き留めたか不明なメモです。
さらに、側に走り書きで 柳田國男、ミハイル・バフチン、ドストエフスキー、レヴィ・ストロース「親族の基本構造の分析」などさらにわけがわからない上に、さらに丼を掻き込んでいるハルコのイラストが……。

●八木重吉
「虫」という短い詩です。

虫が鳴いている
いま
ないておかなければ
もう駄目だというふうに鳴いている
しぜんと
涙をさそわれる

切ない詩ですね。この詩を読んで本当に泣けてしまいました。

でも、そのメモの上のメモには、東京三大煮込み北千住「おおはし」森下「山利喜」神田「みますや」が。

いや、何を考えていたのでしょうかね。

2012年1月21日土曜日

大寒


1月21日は「大寒」ですね。
手元の『現代こよみ読み解き事典』(柏書房刊)によると、「旧暦12月、丑の月の中気で、新暦1月21日の頃である」と書いております。
冬の季節のニ十四節気の最後です。それが、過ぎればいよいよ「立春」ですが、東京はこの辺りから雪が降る日もありますね。
この季節の季語で句を捜してみましたが、
一茶「大寒の 大々(だいだい)とした 月よかな」くらいかなぁ。

そこで、幅を広げると「寒の内(かんのうち)」が眼に留まり、ハルコにぴったりなのは
小沢碧童作「餅焼いて 寝しな 喰ひけり 寒の内」
思わず描いてみました。
もう少しで春が来ます。

2012年1月20日金曜日

食の批評へ……エスプリ2


食に関する本を随分と集めてきました。特に食探訪の本を読むのは、非常に楽しいことです。まだ行ったことのない国、街、市場、料理店……。
その中で1冊の本に出会いました。1985年に刊行された『パリの味』(文芸春秋)という本です(1988年には文春文庫ビジュアル版)。
パリ在住のジャーナリスト増井和子さんがお書きになった本です(写真は丸山洋平さん)。この本を水先案内として、本に出ているレストランを制覇しようと(無謀にも)考えたのです。
80年代のパリ(フランス)の料理シーンは、とてつもなく凄い時代でした。新しい料理人が出てきて活気に溢れていた時代でした。

『パリの味』に掲載された店の全部には行けませんでした。ジャマン(ロビュション)、ル・デュック、ギ・サヴォア、ランブロアジー、ルカ・キャルトン、ラセール、ラミ・ルイ、ラ・トゥール・ダルジャン、ラ・マレ、キャヴィアール・キャスビア、ファラモン。
リストを書いてみると、結構行ってますね、専門店を除くと行っていない店は4軒くらいでした。
増井さんの文章でレストランの情景と、(情報ではなく)何が良い料理なのかが染み渡ってきました。
それと同時に、フランス料理の歴史や食文化も合わせて非常に勉強になりました。
まさに、本全体がエスプリに溢れているのです。
それは、フランス料理とそれを作るシェフに対する尊敬と愛情があるからです。
料理に対して食材も調理法も無知で、ただ単に「うまい、まずい」と匿名で書くような輩には判らない世界でしょうね。
逆に料理を作る側にも言えることです。料理を食べる側の立場で料理を作る事が出来るか、それは、厨房もホールも一緒の話です。

ハルコは料理店と客の関係「恋愛関係」だと思います。
そこの料理と料理人、店を愛し通い続ける。それは短い付き合いなのか、それとも長い付き合いになるのか。料理店の時間と同じくらい自分も年を取って寄り添う、そんな店が人生を豊かにすると思うのです。
(定期的に続きます)

●ハルコ食べ歩き絵日記公開
毎回食べ歩きに行く度に絵日記を描いておりました。
「GaultMillau(ゴーミヨ)のパロディーで「GOetMIYO(ゴウさんミヨさん)という設定で表紙を付けています。

中面の1ページは「パリの味」にも出てくる「ラミ・ルイ」

2012年1月19日木曜日

食の批評へ……エスプリ1

30代の頃、思い立ってフランス料理をちゃんと食べてみよう、と決心しました。ネット情報など無い時代で、主にフランスで修行したシェフ達から直接話を聞きました。
シェフが修行した店、修行中に訪れた店……。かなり、その当時としては貴重な情報を入手していたと思います。

そして、数少ない情報で一番信頼したのはミシュランの赤本でした。
わずか5行ほどの情報が全てでした。店名・住所・電話番号・定休日・使えるクレジットカードにレストランのスペシャリテ。料理はフランス語の辞書を引きながら想像したものです。
実際に予約して現地に行き、大間違いだったということはざらにありました。
例えば、「moelle(モワル)牛骨随という意味なので、それで作ったソースだと思って行くと、そのモワルには同様に野菜の芯の部分の意味もあり、想像した料理とは全然違って(勘違いして)いたり。
今は瞬時に料理写真の画像も見ることが出来るので、隔世の感ですね。

ミシュランのレストラン批評が凝縮された客観的な情報なら、もうひとつのレストラン批評「GaultMillau(ゴーミヨ)主観的な評論の最たるものでした。
ミシュランはモータリゼーション社会のためにガイドとして始まったのに対して、「ゴーミヨ」アンリ・ゴークリスティアン・ミヨの二人のジャーナリストが始めたレストラン批評で、その後のレストラン批評に大きな影響を与えました。
日本では、見田盛夫と山本益博が刊行した『グルマン』がその一例ですね。
現在の多くの料理レストラン評論は、「情報の客観性と主観性」がごちゃごちゃしているように思うのです。
本来は、食文化をどう表現するかという「エスプリ」が求められるのですが、単なる「食事感想文」は消費され何も残らないものが多いですね。
まぁ、そんなものは要求されていない時代だと言えばそうですが、寂しく思うのはハルコだけでしょうか。
続く。

●梅香……酸辣湯麺
このところ通い詰めの「神楽坂梅香(メイシャン)

辛くて酸っぱい「酸辣湯麺(サンラータンメン)です。海外で疲れてくるとよく食べますね。元気の素です。

2012年1月18日水曜日

柿ピー原理主義……2


虎白料理長小泉さんと、師匠の石川さん。
ハルコ面と石川面(ハルコ作)で記念撮影!

柿ピーの比率は長年大問題で、国会での証人喚問(あるわけないか)でも、「ロッキードとか、ピーナッツ」がどうのこうの、ということもありましたね。

おおよそ「柿ピーは 柿の種7に対してピーナツ3の割合(6:4説もあり)が主流のようです。
長年の疑問は柿の種とピーナッツの比率よりも、食べ方です。
普通だと柿の種を食べて、ピーナッツを食べて、柿の種を食べて……。と、交互に行くと思います。
そこが疑問!? なぜ、交互に別々に食べるのに一緒になっているのか。
帝国ホテルのオールドインペリアルバーでは、ピーナッツの増量剤として柿の種を混ぜたわけです。
本来の主役はピーナッツだったのですね。ビールにウィスキーにと(正確に言うとバターピーナッツですが)、大変お酒が進みますね。
塩気とバター風味のバターピーナッツに柿の種が加わると、そこに醤油の香ばしい味に辛みが加わり、さらにお酒が進みますね。
ある意味では、「バタ臭い味」と「醤油臭い味」の出会いです。当人同士もびっくりしたことでしょう。「和魂洋才」的な出会いの後に問題は出てきたのです。
そうです、比率の問題です。これは、企業同士の合併比率と同様ですね。

「どうでしょうか。対等合併ということで、5対5では」とピーナッツが言うと、柿の種は「お宅はんは、味が濃いさかい、ウチらはピーナッツはんほど力おへんやろ。比率を増やしてもらえんかいな(いったい何処の言葉でしょうか)。」てな交渉で最初の対等合併から、最終的に(柿の種が)7対(味の強いピーナッツが)3で落ち着いたのです。
しかし、別々に食べるなら一緒である必要はないかと思うのですが、ハルコはマイブレンドにして食べます。
柿の種とお気に入りのピーナッツを適宜混ぜて、さらに別々ではなく、「柿の種2にピーナッツ1の割合」で、口の中で混ぜて食べるのです。
微妙な味具合ですが、皆さんはどうでしょうか。

●虎白

柿ピーの下になんですが、上の写真は「虎白」の〆のご飯です。
それも「トリュフ雑炊」
イタリアのリゾットでトリュフは珍しくはないですが、日本料理でここまで潔く使うと気持ちが良いですね。

2012年1月17日火曜日

柿ピー原理主義……1


食べ物屋さんに行ってビールを頼むと、突出しに「柿ピー」が出てくる場合がありますね。
ハルコ、長年この「柿ピー」のことを考えているのです。かれこれ30数年は考えているでしょう。それは、柿ピーはどうあるべきか、という非常に哲学的な問題であります。

最初に考えたのは「帝国ホテル・オールドインペリアルバー」でのことです。ご存知の方も多いと思いますが、この伝統的なオールドインペリアルバーこそ、柿ピーの発祥地と言われております。
始めてこのバーへ行った時、突出しで柿ピーが出てきた日のことはよく覚えています。それまで何気なく食べていた柿ピーが、光輝く存在になったのです。
戦後GHQが占領していた時代、帝国ホテルは外国人ばかりでした。ピーナッツが高いので増量させるために柿の種を混ぜたとか。

そこでまた、妄想しちゃいました。

昔々、雪深い越後の地に、柿の種子という可愛らしい娘に、茨城から(もしくは千葉方面)からピーナツ男という男が訪れました。

「お、お、お嬢さんの柿の種子さんをお嫁さんにください……」

そうすると、柿の種子のお父さんは、「嫁には出さんが、婿なら迎えてやる」
と、話がまとまり、目出たく婚儀とあいなりました。

柿の種子ピーナツ男は人も羨む中で次々に子宝に恵まれて、10人の子が生まれました。
しかし、その女の子と男の子の割合は「柿の種子が7人、ピーナツ男が3人」とも言われておりますが、定かではありませんでした。
やがて、長い時を経て、柿の種子ピーナツ男の子孫達が集まった時に、ご先祖様の最初の 10人兄弟姉妹は、柿の種子ピーナツ男の割合が7:36:4はたまた、5:5と紛糾したのでした。

この話、明日に続く。

2012年1月16日月曜日

ラーメン残量スープ水深二センチ問題


元のタイトルが変わって、同じ本を買ってしまうことはよくありますね。何回か文庫本化されていて、随分以前に読んだ本をまた買ってしまいました(やれやれ)。

その本は『大日本オサカナ株式会社』東海林さだおと椎名誠の二人対談です。随分前の対談が、出版社が替わり2度目の文庫本化。また買ってしまったんです。その中に昔読んで忘れていた文章が(もう30年近い昔ですが)。

「ラーメン残量スープ水深二センチ問題」
正しいラーメンの食べ方から始まり、スープ・麺・具をどの順番で食べるか?から、ラーメンのスープは飲み干すか、残すか。
廻りの眼を気にしながも、ラーメンスープを飲み残す分量は水深二センチと結論!
ハルコは飲み干す派ですが、飲み干すとオクサマから「塩分取り過ぎ」とイエローカードが出るのでございます。


出された料理は基本的に残さずに食べるのですが、微妙に迷う事があります。飾りで付いているパセリ、刺身の大根のつま、碗物の柚子の皮……。
全部食べると、がっついているように思われるし。
そう言えば昔、深夜に入ったラーメン屋さんでスープを残したら、怒られた事がありましたね。
よく、料理屋さんで「お嫌いなものや、苦手の食材はございますか?」と聞かれることがあります。
必ず「不味いもの」と言うと、お店の方は「大丈夫です。全部美味しいです」と言います。
そして、美味しくないものを残して「美味しくないから、残しました」というハルコは意地悪!?

●神楽坂「連」絶品のスッポン鍋と鍋後の雑炊

鍋後の雑炊は、今まで食べた中で最高の味でした。