オクサマの肘骨折から2週間経ちましたが、大分経緯は良いようです。
この2週間、自宅や外食で随分不自由で不便な思いをしたと思います。
ハルコが全てに介助しているわけではありませんが、
食事の際の左右の手の使い方に関して色々と考えてしまいました。
右手は大丈夫なので箸は持てますが、左手を固定しているので、通常左手の役割の
“碗を持つ、フォークで押さえてナイフで切る”(他にも有りますが)の動作が出来ません。
ナイフで切るという行為自体は、小さく切ってもらうか最初から食べなければ良いのですが、
問題は碗を持つことです。
碗を左手で持ち上げ、右手の箸で料理を摘んで口に運ぶという一連の動作が、右手で料理を摘んで口に運び、一旦箸を置いて碗を右手の持ち替えて口に運び中の汁を飲む。
と、大変な作業になるので、自宅では
匙を併用して食べて、外食でも可能な限り匙を出してもらうようにしています。
先日も
神楽坂の「宮下」で、和食のコースにオクサマ用に全て匙を出していただきましたが、碗物の汁を匙で飲む姿は新鮮でしたね。
以前から郷に入れば郷に従えと、旅行に行く場所での食文化スタイルは守ろうと考えてきました。中国や韓国で食器を持たない文化圏では、同様に食器を卓上に置いたまま食べますが、今回のオクサマの災難で普段当たり前と考えていることに対して再考する価値があると思ったのです。
それは、
匙です。
匙、スプーンがあれば何と便利なことでしょうか(当たり前ですが)。確かに茶碗蒸しを食べる時は匙が出て来ますが、
食事の基本は箸で通しますね。
礼法などの影響で匙を排除して食べるスタイルが確立されたのですが、匙をちゃんと作法の中に組み込んでも良いのではないかと前から思っています。
高級な日本料理店で、料理を食べた後に旨味たっぷりの銀餡や汁が残りますが、それこそ碗(椀)ものではないので、
口を付けて飲み干すことは下品とされていますが、一番旨い部分を喰わずして……。即座に匙をください、さらにいうと一口のご飯も欲しいところです。
これが
フレンチなら、パンでソースをぬぐうことも出来るし、何で日本料理は見てくれ重視なのかと、いつも思います。
会席の前身の懐石、さらに
原型の禅宗の“応量器”を用いる食事作法は匙が中心で、箸(異字体有り)はあくまで物を摘む脇役です。
と言っても、箸ひとつ満足に使えない人には関係のない話ですがね。
これを機にもう一度、東南アジア、中国、朝鮮半島の日本との箸と匙の間をもう一度勉強しなおそう!