その頃から他の婦人誌と違い、家庭画報の巻頭は料理を中心にした編集方針で、そこには多くの料理の先生達が登場していました。
ランダムに書くと、牧田文子、城戸崎愛、河野貞子、飯田深雪、江上栄子、遠藤功、川上のぶ、波多野須美、入江麻木、高見沢たか子、ポンツィオ・トモ子、阿部なを、末村順子、村上信夫、入部隆司、土井勝、小川忠彦、志の島忠、千澄子、春田光治、村上昭子、清水信子、小野正吉……。
さて、どのくらい顔と名前が一致するでしょう。
その頃は、料理を作る人もプロの料理人、料理研究家、玄人に近いアマチュア、調理師学校の先生……と現在の様に料理研究家はそんなに多くはいませんね。
やがてハルコはフリーランスになり、事務所を構えて仕事を始めましたが、料理研究家の名前は知っていても、直接会って仕事をするという接点や機会は、まだありませんでした。

はじめて生(?)の料理研究家に会ったのは、それからまもなくの『ファミリーサークル(アメリカでその当時400万部発行されていた日本版)』という雑誌の忘年会でした。
今でこそ、男性でイケメン料理研究家は沢山いますが、“元祖イケメン料理研究家”といえば、この人でしょう。
入江麻紀最後の弟子(入江麻紀の娘は入江美樹で小沢征爾の奥さん)で鮫島正樹さんです(写真は青山にあったカンセイで坂田シェフ、鮫島さんにハルコ)。
今でもダンディですが、その当時は料理研究家でモデルと、マダムキラーでした。

鮫島さんとも20代からの付き合いですが、その編集部のアルバイトに現在料理研究家になった川津幸子さんがいたのです。
『ファミリーサークル』編集部から、世界文化社へ。さらに『オレンジページ』の料理チーフとして創刊に関わり、フリーになり栗原はるみの『ごちそうさまが、ききたくて』や、山本麗子の『101の幸福なレシピ』を編集した後に、エコールキュリネール国立でフランス料理を学んだのです。
その当時、自ら料理を作り編集する料理研究家になろうとは、ハルコも川津幸子さんも思っていなかったでしょう(写真は30年前にハルコが企画したボジョレーヌーボの会にて。右奥には酒井一之さん)。
料理が好きで、編集の世界からアプローチして料理研究家となった彼女は、「100文字レシピ」などの本ではさすがの優秀な編集者としてのアプローチは新鮮でした。
(つづく)
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