2015年6月24日水曜日

半世紀の勘違い





土曜日から体調を崩し(お腹方面)でなんちゃって「不食」ですが、
事務所では1日中ハーブティーを飲んでおりました。

先日、友人宅で食事に招かれて、食後のお茶で、
「ジェイソン ウィンターズ ティー」が美味しかったので、
オクサマが通販サイトから取寄せたものです。
奇跡のハーブティーと呼ばれているらしいのですが、体調不良のハルコは
このお茶はことのほか身体に効いたようで、大分楽になりました。
と、今飲んでますが。

さて、日曜日にお酒も飲まず、何も食べずにテレビをボーッとザッピングしていたら、
美空ひばりの特番があり、思わず全部観てしまいました。
歌だけなら観ませんが、戦後70年の歴史がらみだったので面白い番組でした。

1964年の大ヒット曲に「柔」がありますが、ハルコは50年この歌詞を
間違えて覚えていたのに気がついたのです。
元歌詞は、関沢新一(歌詞 ) 古賀政男(曲)で

勝つと思うな思えば負けよ
負けてもともとこの胸の
奥に生きてる柔の夢が
一生一度を一生一度を
待っている

ですが、
「奥に生きてる柔の夢が」
の部分を
「お国に生きてる~」だと勘違いしていたのした。
東京オリンピックで国威発揚で、国のために尽くす
スポーツ選手の歌だと思っていたんですね。
この分じゃ、他にも勘違いして覚えているのが沢山ありそうだ。

2015年6月19日金曜日

名人の湯加減

先日歌舞伎座で「新薄雪物語(しんうすゆきものがたり)」を観劇したのですが、その中の「正宗内」の上演はかなり珍しく20数年ぶりのことだそうです。
あらすじを書くと長くなるので、端折りますが、刀鍛冶正宗が出てくる話で、本来は一子相伝の秘術を息子の団九郎ではなく、来国行の息子の国俊に伝える段の場面。

風呂場で正宗が、国俊野の手を取り湯に中に入れて、秘伝を授けるのですが、これは、刀鍛冶の焼き入れの際の一番ベストな温度なのです。
それを、正宗の息子の団九郎が湯に手を入れた瞬間に正宗が腕を切り落としすという凄惨なシーンでした。


あまり、刀鍛冶に詳しくない方のために説明すると、刀を鍛える時に地金を真っ赤に焼き、ちょうど良いタイミングで水の中に入れるのですが、季節や気温で相当違うのでそうです。
暖かい季節に冷たい水に入れたり、寒のうちに天然の水に入れたりすると刀はヒビだらけになってしまうのです。
そこで、ほんの少し温めて、ぬるま湯にしておくそうで、温か過ぎると焼きが甘くなるのです。
この話は天皇の料理番、秋山徳蔵の『味と舌』の中の「道具と器・包丁」の項ににも出てました。
やはり、この時代の人はこうゆう話は知っているのですね。
秋山徳蔵のエッセイでは、腕は切り落とされても、盗みとった水加減の感覚は残っているので、その後片腕でも立派な刀鍛冶になるというお話でした。
江戸から明治にかけて廃刀令が出て、刀鍛冶が包丁鍛冶に転身した時に、関東では世田谷辺りに集まったそうです。
その名残の「世田谷ぼろ市」には昔、良い包丁が沢山出ていたそうです。
これは知人の古物商、魚柄仁之助さんに聞いた話でした。

2015年6月9日火曜日

ジャパニーズ・サケ


関東も梅雨に入り少し肌寒いですね。
この3日間晩ご飯は、鮨、おでん、和食と外食だったのですが、普段はビールから入るハルコですが、全部日本酒で通しました。
昨晩は銀座の「久保田」さんへオープニングレセプション以来の再訪でした。
総料理長の野村さんのお薦めで、酒のみの入れた鍋を作っていただきました。
「酒には五味の中で”塩味”が無いだけで塩味を加えると五味が完成する」
つまり、昆布や鰹節でだしを引かずに、何と贅沢なことに、純米酒をたっぷり使った鍋をいただきました。(写真)

今朝、朝刊を読んでいると「日本酒 純国産に限る」という記事が目に入りました。
以下はその引用です。

ーこれまで、日本酒のはっきりした定義はなかった。国税庁長官は年内にも、「日本酒」について、地名を商品名に使う知的財産権である「地理的表示」に指定。日本酒や英語の「ジャパニーズ・サケ」を名乗れる清酒を、国産米や国内の水を使って国内でつくられた清酒に限る方針だ。
 日本など世界貿易機関(WTO)の加盟国は、地理的表示に指定した商品を保護し、その地名を産地以外の商品に使わないよう取り決めている。英スコットランドの「スコッチ・ウイスキー」、仏シャンパーニュ地方の「シャンパン」が代表例だ。 純国産でなければ「日本酒」とは呼ばせません――。政府のクールジャパン戦略の一環で、財務省がそんな方針を年内にも決める。今後増えるとみられる外国産の清酒と差別化し、日本食ブームに乗って本家本元の日本酒を、世界で味わってもらうのが狙いだ。


以前は、日本酒は国内だけで飲まれるもので、海外の方にはあまり好まれていないという印象でしたが、時代も変われば変わるののですね。
地方での地域活性化では、結構地元の造り酒屋さんがキーになっていることが多いです。
単にアルコールの飲み物としてではなく、日本の伝統的な文化とも日本酒は関わっています。
良い流れだと思うのです。

2015年5月21日木曜日

代々木上原→幡ヶ谷


今朝方は雷鳴と稲妻で眼が醒めました。
まだ、薄暗いはずなのに厚いカーテン越しに稲妻が激しく光ったのでびっくりしました。

しかし、眠いのので稲妻と雷鳴の間隔を数えながら
どこに落ちていたのかと、考えているうちに二度寝してしまいました。
(※音は1秒間に340mなので、数を数えて掛ければ距離がでます)

そんな一日の始まりですが、昨日で定期が切れていたのですが、
今日から通勤路線を変更することにしました。



今まで自宅のある西巣鴨から都営三田線で日比谷で千代田線に乗り換えて
代々木上原でしたが、今度は都営三田線で神保町で、
都営新宿線(途中で京王線)で幡ヶ谷駅に変更することにしました。

確かに代々木上原駅から徒歩3分と近いのですが、
なにせ、急な坂がね。
幡ヶ谷駅からだと、徒歩7分くらいですが、平坦な道のりなのです。
さらに、幡ヶ谷から新宿3丁目まで6分ほどで、伊勢丹へも
貝印(岩本町)にも1本で行けるので便利なのです。

事務所移転してまもなく3ヶ月になりやっと廻りの環境にも慣れてきました。

代々木上原でも幡ヶ谷からでも近いです。
みなさん、お待ちしてます。
(※写真は事務所のあるマンションの外観です。)

2015年5月8日金曜日

鉄の町の子




連休後半のニュースで、明治日本の産業革命遺産に多くの
製鉄、炭坑、造船などがユネスコへ登録されるようですね。
その中で岩手県の釜石市にある橋野高炉跡も入ったのはご存知だと思います。
昨年から何度か釜石へ幾つ度に、町には「橋野高炉跡を世界遺産に!」
と看板やポスターが張られてました。
内心大丈夫かなぁと、心配していましたが、うれしい限りです。

橋野高炉跡は、幕末に欧米のような鉄製の大砲を作ろうと、佐賀藩を先駆けとして日本各地に反射炉が作られていたのです。
しかし、日本古来からの「たたら製鉄」法により砂鉄を原料として作られた大砲では、性能の優れた欧米の大砲には太刀打ちできなかったのです。

話すと長くなるので端折りますが、盛岡藩士の大島高任(おおしまたかとう)は、大砲の素材には良質な鉄鉱石を原料とした銑鉄が必要と考え、盛岡藩大槌通甲子村大橋(現岩手県釜石市甲子町大橋)に洋式高炉を建設し、安政4年12月1日(1858年1月15日)、日本初の連続出銑に成功したのです。

釜石地域では明治初期までに7か所13基の高炉が建設されましたが、橋野は当時国内最大の鉄鉱山だったのです。
 1957(昭和32)年6月3日には、我が国に現存する最古の洋式高炉跡として、国史跡に指定されています。
今回は産業の世界遺産に認定されれば、東日本大震災の復興の一助になると期待してます。

小学校の遠足の場所が「橋野高炉跡」だったことがあります。
まぁ、子ども自分なので、草がボウボウで、何やら石積みの跡を見せられて何が面白いのかはその頃は理解できませんでしたね。

鉄の町の子として生まれ育ち、親や親戚や友達の親達も製鉄所の仕事をしている地域だったので、鉄は幼い頃から身の回りにありました。
いまだに、調理道具で包丁などの鉄製品にも関わってますが、地元の金属加工の支援もしたいと考えてます。

やはりハルコは「鉄の町の子」ですね。

2015年4月30日木曜日

クッキングパパ30周年1985年


毎週木曜日は『週刊モーニング』の発売で、毎週楽しみに読んでおります。
今週は連載マンガの「クッキングパパ」が30周年の巻頭特集でした。
昨年ある会で原作者の”うえやまとち”さんにお会いしてたのです。
30年間ず~っと同じテーマで描かれているのって、すごいですね。
しかし、登場人物の荒岩一家も子供達が成長し、会社の頼りなかった部下も結婚し有能な営業マンになったりと、読者もキャラクター達と同時に歳を経て行き、共感を呼ぶ当たりが長く愛読されている理由ではないでしょうか。
実際に30年経て行くと主人公の荒岩課長は、もう定年を迎えている時期ですが、
まぁ、マンガですから。

その『クッキングパパ』はじまった30年前に何があったのか、いや、色々ありましたね。
この年に映画の『バック・ザ・フューチャー』が大ヒツトしたので、遡ってみましょう。

大横綱北の湖が引退、ソニーから8mmビデオが発売(ハルコも買いました)
電電公社がNTTになり、初めてのショルダーフォーンが発売(肩掛けの重たい移動電話)!
一度某イタリアンでテーブルの上に忘れていたのを見た事があります。あんなにでかいのにね。

まだ、まだ、「おニャン子クラブ」、松田聖子と神田正輝結婚、つくば博、ゴルバチョフソ連共産党書記長就任、タイガース日本一、
そして、御巣鷹の日航機墜落事故、8月12日でしたが、ある会社にキャンノンの新製品のために販促企画のために打ち合わせに行っていた日でよく覚えてます。
その商品はスチールビデオという商品で、写真機の様な(まぁ、カメラです)装置にコード付きの小型受像機を付けると写真がその場で観れるという画期的な商品でした(笑)。
今ならデジカメやスマートフォンですが、その当時は、まだ、そんな装置を使う事は夢の世界でした。まだ、パソコン自体が普及していなしいし、ネットなんて影も形も無い時代でした。

『クッキングパパ』は1985年5月16日発売からスタートしました。
同じ年にハルコの事務所オフィスハルは5月10日(ゴトー)に会社登記しました。

30年はあっという間ですね。

2015年4月28日火曜日

こんにゃく問答


連休直前というか、もう連休中の方もいらっしゃるようですね。
ハルコはというと特に予定はなく、仕事したり休んだりという感じです。
連休初日のの4月29日は昭和の日ですが、
いまだに「昭和天皇の誕生日」という方がしっくりくるのです。
さて、この日は「こんにゃくの日」でもあるのです。


八五郎さんてぇご仁が、田舎の村のこんにゃく屋で世話になり、村の空き寺の和尚になった所から始まるのが、落語の「こんにゃく問答」でございます。

この寺へ、永平寺の諸国行脚の雲水の僧が問答に参ったのです。
そして、こんにゃく屋のご主人六兵衛さんがにわか和尚になり、雲水と問答を始めるのですが、何を聞かれても黙ったままで、相手の僧は無言の行と勘違いしてしまい、両手の親指と人差し指で自分の胸の前に輪を作って前へ突き出しました。
すると和尚に扮した六兵衛さんへは両手で大きな輪を作って見せたのでございます。
相手の僧は「ははっ!」と平伏いたしました。

次に僧は、今度は10本の指を前に突き出し、六兵衛はそれを見ると5本の指をぐっと突き出した。またまた相手の僧は平伏するのでございます。

次に、僧は3本の指を立て前に突き出しますと、六兵衛さんは目の下に指を置き大きく「あかんべえ」をいたいました。すると相手の僧は恐れ入って平伏し、逃げるように立ち去ったのです。

帰りぎわに八五郎が、僧に問答はどっちが勝ったのか聞きますと、自分の負けと言ったのです。
何を聞いても黙っているので無言の行だとと悟り、「和尚の胸中は?」と問うと、「大海のごとし」という答え。
「十方世界は」と問えば、「五戒で保つ」との仰せ。
もう一問、「三尊の弥陀は?」と問えば、「目の下にあり」という答だというのです。
到底、愚僧の敵う相手ではないので、修行して出直してくると言い、逃げるように退散したのですが、こんにゃく屋の六兵衛さんは怒っていました。

こんにゃく屋の六兵衛さん曰く「今のは永平寺の僧なんかじゃない、ここいらをうろついている、ただの乞食坊主だ」と。
「俺がこんにゃく屋の親父だとわかったもんだから、おまえの所のこんにゃくはこれっぽっちだと小さい丸をこしらえて、手でケチをつけやがった。俺の所のこんにゃくは、こんなに大きいと手を広げてやると、今度は10丁でいくらかと値を聞いてきたので、
五百だって言ったら、しみったれ坊主が、三百に負けろっていうから、あかんべえをしたんだ」と言うのが「こんにゃく問答」で、ハルコはこの噺が大好きなのです。

このブログは2年前の手抜き採録です。
写真は金沢の「黒百合」のこんにゃくおでんです。