2011年10月19日水曜日

肉が好き…1 トンカツの「カツ」って?

ハルコは定期的に血液検査をしております。まぁ元気なのですが、ちょっとコレステロール値が高いのです。
ほぼ同じ物を召し上がっているオクサマも、コレステロール値が高いと出て再検査したところ、何ともなくて担当医師が「変だなぁ?」と言うので、「何が変なの!!」とお怒りになったそうです。
色々と原因はありますが、一言で「肉が好き!」がかなり怪しい(当たり前)のではと睨んでおります。
検査が終わって、病院の食堂で朝からカレーを食べているハルコなので「なにやねん」という声が聞こえてきそうです。
ということで、数回に渡って「肉」とその周辺を書いてみます。

まず、第1回目は「トンカツ」「カツ」の謎でございます。
普段は気にしないで使っている言葉が、ある時「それって何!?」となる経験は、誰でもあるものです。カツサンドを食べていたら、「カツ」って「トンカツ」「ビフカツ」の「カツ」だけど、その「カツ」って何? と突然考えてしまいました。日本人は何でも、言葉を短くしてしまう民族なのでしょうか。

そこで、ものの本を紐解くと、「トンカツ」の語源はフランス語のコートレットに由来するとあります(フムフム。)。イタリア料理のコトレッタも語源は一緒ですね。
コートとは、仔牛やの骨付きのあばら肉を切り分けたもので、豚や羊などの牛より小さい肉はコートレットと呼びます。それを英語ではカットレットと言い、それが、詰まってカツレツとなったそうです。本来はカットレットの肉は脊椎の椎骨の部分を使うのですが、BSE問題以来お目にかからなくなってしまいました。 
万延元年に発行された福沢諭吉の『華英通信』には「cutlet=吉列(かつれつ)」とあります。その後は勇壮な縁起の良い当て字が多く、勝烈、勝列、勝礼津、活烈などの文字が見られます。現在も勝負ごとなどの前に勝利を祈念して「カツ・勝」にかける習慣は残っていますね。

しかし実は、カツレツの原型の料理は「ホールクットレッツ」と言い、ポークソティーなのです。ソティから揚物は想像できませんね。
やはりトンカツは、日本人が自分達の嗜好に徐々に合わせて完成した料理なのです。
まずベースには天ぷら料理があり、その天ぷらを揚げる技術に、フランス料理の考えを組み込んで発達しました。トンカツの誕生にはヨーロッパ風の粒子の細かいパン粉から日本風の大粒のパン粉を使い、炒め焼きからたっぷりの油で揚げる、という変化が大きく影響しました。
さらに、肉も牛や鶏肉から、豚肉に変え、薄い肉から分厚い肉に変わったのも普及の要因でしょう。
前に書きましたが、ハルコの大好きなコロッケそばも、フランス料理を起源とするクロケット-コロッケになり、さらに日本のそばと合体して出来た料理です。
日本人は違うもの同士を新しく組合わせて発展させる天才だと、本当に思います。

●ハルコイチオシ“ポークの生姜焼”
肉好きハルコの好みの上位にあるのが“豚肉の生姜焼き”です。豚肉の脂の旨味とショウガと醤油味で、あぁ、考えるだけで涎が……。

数ヶ月事に東中野のスタジオで撮影立会をしております。料理カメラマンの佐々木雅久さんのスタジオの側に「キッチン早苗」という洋食(風)定食屋さんがあるのです。母娘でお店をして、娘さんが料理を作っております。
最初に行って食べたのが豚肉の焼き定食ですが、それから病みつきになりました。「あぁ、早苗でポーク生姜焼が食べたい」と、夢にまで出てきたのです。
メニューはヒレカツ、上ロース、ロース、ポークソテー、ポーク生姜焼、唐揚、メンチカツ、チキンカツ、唐揚げ……。とお馴染みのものばかり。
今回は早苗にご飯食べに行く人数は11人もおり、二組に分けてからじゃないと行けませんでした。売り切れが出て早苗さんごめんなさいです。

2011年10月18日火曜日

江戸前って、なに?

ハルコは結構マメな性格でございます。紙の新聞(最近はそうじゃない人も多いので)を丹念に読んで切り抜き(おお、なんとアナログな)をしております。
コピーの保古紙の裏に、切り抜いた新聞をテープで止めます。ある程度溜まると、見直して要らないものは捨てます。今日はその不要な切り抜きの事業仕分け(?)をしておりましたら、随分前の記事が目に入りました。

日経新聞の「わが家の記念日料理」人気ランキングで、2位が「手巻きずし」、4位が「ちらし・ばらずし」という調査結果が出ていたという記事です。
まぁ、昔だったら上位のカレーライスやハンバーグはすしに比べて後塵を拝しています。今時の子ども達にとってすしは人気のメニューなんですね。それには回転ずしの活況が影響していのでしょうか。
現在のすし業界は老舗高級店から格安回転ずしと幅広く展開しています。いわゆる江戸前すしはいつ頃から全国を制覇したのでしょうか。

どのすしの歴史の本にも「輿兵衛ずし」が江戸前の元祖だと書かれています。江戸に上方から「こけら鮓、サバ鮓、箱鮓」が入ってきたのは五代将軍綱吉の時代です。それから約130年後、1810年(文化8年)に花屋(華屋)輿兵衛が握りずしを考案したといいます。
それ以前にも握りずしはあったらしいのですが、現在に繋がるルーツで成功したのが 花屋輿兵衛です。それが馴れずしや押しずしに代表される上方ずしが、早ずし(江戸前)にあっという間に取って変わったのでした。

江戸前とはいったい何なのでしょうか? ひと握りのすし飯の上に、タネをのせて握るすしが江戸前の定義なのは当たり前ですが、何故それを江戸前と呼ぶかというのは諸説多々あります。
一般的に流布されてきた説は、東京湾で獲れる魚介類を指しているようで、昔食べにいったすし屋のおやじさんに「ウチは江戸前だから○○は使わねぇんだ!」と言われたことがあります。その当時はそう思っていましたが、実はその江戸前という呼び名を最初に使ったのはうなぎ屋なのです。

家康が江戸に入った当時、日比谷は入江で現在の丸の内界隈は浅瀬でした。そのあたりを埋め立てる大規模な干拓工事をしていた頃、日本橋のあたりは島になっていて、古名が「江戸前島」。周辺の沼地でとれたうなぎをぶつ切りにして縦に串を刺し、焼いて味噌をつけ、干拓人夫に売っていたのです。その形が蒲の穂に似ているところから蒲焼きという呼称になったのです。
江戸前島でとれたうなぎをうなぎ屋により江戸前と呼んでいたのがいつの間にか日本全国ですし屋の代名詞のようになってしまったのでした。

今やどこでもすし屋さんは江戸前が中心です。江戸前握りずしが発明されてまもなく200年。江戸前ずしは世界中に「SUSHI」として日本を代表する食としてグローバルな料理となり、さらに拡大しましたが、これから先はどうなるのでしょうか?
江戸前ではなく、巴里前とか、倫敦前、伯林前、桑港前なんて言うわけないですよね。

●お好み焼き
ハルコとオクサマの食は結構偏っていますね。
二人で神楽坂をブラブラしていて初めて入ったのがお好み焼き屋さん。近くにピザ屋さんもあったのですが、広島のおたふくソースの匂いに誘われました。まぁ、同じ“コナモン”ですね。
二人でお好み焼きを最後に食べたのは、いつだか思い出せないくらい昔。江戸前のお好み焼きは“もんじゃ”かなぁと。もんじゃなら少し前に月島に食べに行きましたね。

カウンターでオランダから来た青年が、お好み焼きにマヨネーズをたっぷりかけてもくもくと食べておりました。どうやら日本滞在3週間で、各地でお好み焼きを食べている由。明日は大阪とは……はてまて、お好み焼きはインターナショナルな食べ物ですね。


神楽坂広島お好み焼き「くるみ」神楽坂を登り毘沙門さまを越えた通りにあります。

2011年10月17日月曜日

どんぶりの語源って?

オクサマとハルコの会話は、時々変な方向へ行きます。
会話の途中で(普段なにげなく使っている言葉)「●▲■ってどういう意味?」となることが多々あります。
オクサマの疑問に答えるべく、普段からニュースやら(時事ネタにも)色々な知識を覚えていくことも、良いお手伝いの本分で(?)ございます。
そして、話はオクサマがハルコはお金に関して「どんぶり勘定ね」と言われたことでした。まぁ、ハルコは間違っても銀行員にはなれない性格です。早速オクサマのために「どんぶり勘定」を調べ始めました。

この場合の「どんぶり勘定」は職人などが着ける「腹掛け」の前面にある大きなポケット状の物入れのことです。それが、どうして料理や器の名称になったのでしょうか。
その一、職人の「腹掛け=どんぶり」と同様に、 大工の腰前に着けていた「駄荷袋(だんぶくろ)」がなまった。 「だんぶくろ」は何でも放り込んだ袋から、色々な材料を混ぜ入れた料理を「どんぶり」と呼ぶようになった説。
そのニ、朝鮮半島の高麗食器「タンバル(湯鉢)」
その三 、寛文期(17世紀中頃)簡便食を商売にした「けんどん屋(歌舞伎十八番助六でお馴染み)」の「けんどん振りの鉢(盛りきり用の鉢)」を略して「どんぶり」
その四、タイの窯業地に「トンブリ」という場所があり、蓋付きの磁器があり、「トンブリで作られた大きな蓋付きの器をトンブリと呼び料理名ドンブリ」になった説

また料理の「どんぶり」と器の「どんぶり」はどちらが先かという疑問もあります。
タイの窯業地「トンブリ」説は蓋付きの容器が最初に有りきですが、 器の「どんぶり」は厳密に言うと蓋の無いもので、蓋のある容器は「ふたもの」と呼ばれています。
それぞれ正しいような気がしますが、真相はどれでしょうか?

漢字が渡来した時に「丼/どんぶり」は 漢音は「セイ」「シャウ」で、「物を井中に投ずる音」の意味で「タン」とか「トン」と発音するそうです。
また、「井ゐ」本字で「井戸」の意味だそうです。「井戸」に物を投げ込んだ時の「丼=どん~」と擬音語が当て字にしたような気もします。
落語で物知りの先生が「ヤカン」の語源を問われて、「最初は水沸かしと申した。川中島の合戦で、兜がない武者が間違えて、水沸かしを頭に被ったら、矢が飛んで来て、カ~ンと音がした。それ以来、水沸かしは“ヤカン”となった。」という話があります。案外そんな話ではないでしょうかね。
判りましたか? オクサマ。
えっ、もうそんな話はどうでもいいから、早くお茶を入れろ? ハイハイ。
えっ、返事は一回でいい? アカ~ン。

●『アマルフイ&カプリ島』
お友達のフィレンツェ在住池田匤克さん愛美さんの本が出来ましたのでご紹介します。地球の歩き方GWM STONE シリーズの『アマルフイ&カプリ島……とっておきの散歩道』(ダイヤモンド社)です。
本を見ていると「あぁ、旅に行きた~~い!」と思うのですが……。
池田ご夫妻とはシチリアや北イタリアで遊んだ時に色々とお世話になっております。そういえば、8月にも「甚六」「はしぐち」で一緒にごはんを食べていますね。では、また年末に。

2011年10月15日土曜日

おでんの原型「田楽」と「関東煮」

ハルコが寒くなると無性に食べたくなるものに、おでんがあります。
熱燗をグビッ、としながら熱々の大根をぱくっと……。
ハルコが好きなおでん屋さんは東京だと銀座の「やす幸」、京都なら「おいと」でございます。
まぁ、今回はそんな季節のおでんのお話です。

落語の『首堤灯』では江戸っ子の職人が田舎侍に向かって啖呵を切ります。
「~二本差しが怖くっちゃ焼き豆腐もうかつに喰えねえ! 田楽だって一本差してらい。気のきいた鰻は四本も五本も差してら~」という箇所があります。もちろん二本差しとは侍のシンボル・刀の大小です。

田楽とは「田楽豆腐」「田楽焼」の略で、豆腐に味噌を塗って焼いた物です。田楽法師が白い袴をはき、一本の高足(竹馬)に乗って歌い踊る様が、白豆腐に串を刺した姿に似ているので、田楽と名前がついたそうです。この豆腐田楽がおでんの原型で、宮中の女房言葉「お田楽」の「楽」が取れ「お田」「おでん」となったのです。

そうすると、落語の『首堤灯』の焼き豆腐の二本串(田楽は一本串)とおでんの一本串は、逆のように思えます。嘉永6年の『守貞漫稿』(もりさだまんこう・当時の風俗を江戸と大坂の比較で触れている文献)からさらに調べてみると、「京阪の田楽串は股ある二本を用う、江戸にては無股を一本貫く也」とあります。

東西の習慣の違いでしょうか。こんな話もあります。
「関東煮」と書いて“かんとだき”と呼ぶのは関西での関東風おでんのことで、汁の濃いおでんです。とはいえ現在の東京では、汁の色の薄い関西風のおでんが多いようです。
この逆転現象が起こった最大のきっかけは、大正12年の関東大震災のようです。東京の料理屋は壊滅状態になり、関西から料理人が上京し、混乱期にも手軽に食べられるおでんが普及して、薄味のものが主流になりました。そして、関東のおでんが西に行き濃い関東煮になりました。というのが一般的ですが、大阪では堺の出島にやって来た中国人が、大鍋で煮て食べていた「広東人炊」“かんとんだき”と呼び、関東煮とはルーツが違うという説もあります。
庶民の食べ物の本当の起源を探るのは難しいのです。おでんは鍋物なのか煮物なのか、汁で食べるのか、たれをつけて食べるのか。タネも地域によって無数にあります。おでんを見ていると、何でも貪欲に食べ尽くす日本の食文化を連想させるのは考え過ぎでしょうか。

●メッシタ(mescita)
目黒の元競馬場のイタリアンです。もう事情通(?)の間では有名ですね。アモーレの澤口さんの元で修行をした鈴木美樹さんのお店です。イタリアの酒場という感じの小さなお店ですが、中々予約困難になってますね。
このお店をこよなく愛して、必ず水曜日には夕方から飲んでいるという、mercoledi kaoriさんとacqua pannaきょうこさんに、オクサマとハルコの4人組です。
ハルコ思うに料理が美味しいとか雰囲気が良い、という店は沢山ありますが、楽しい店というのは存外少ないものです。
メッシタは楽しく面白い店です。で、このメンバーで水曜日に遊ぶ会が結成されました。
さて、次回は何処へ行く!


2011年10月14日金曜日

コロッケそば

うむ、またまた混ぜる話ですみません。ハルコの好物(かなり)に“コロッケそば”なるものがあります。
主に女子とコロッケそばの話をすると、ほぼ100%
「食べたことな~い!」
「えっ、そんな変なそばがあるの?」

との返答でございます。
「あのね、コロッケそばって、かけそばの上にコロッケが乗っているの」
「へぇ~。美味しいの?」
「まず、コロッケを一口食べる。それは、コロッケの温度や固さを確かめるの」
コロッケはたいてい固くて冷めているので(一部お店で揚げたてのもありますが)、迷わずそばの下に沈めます。そして、おもむろにそばを一口すすり、七味唐辛子をかけて好みの辛さに…あぁ、そうそう、若布が入っていることが多いのですが、邪魔なので直ぐ食べきるべし!
そばを食べ、汁を飲み、そして底のコロッケを箸で小さくしながら食べる。
まぁ、この繰り返しですが、いよいよそばも無くなり、底に沈んだコロッケも半分となりました。
箸でゆるくなったコロッケを潰して、汁と混ぜて一体化!! …ここまで話すと、たいていの女子はハルコから1メートルは後退して侮蔑の眼差しになります。やれやれ。
最後にドロドロに溶けた汁を飲み干します。ハルコは「コロッケのポタージュ」と呼んでおりますことよ。ホホホ。
まぁ、あまり褒められた(誰もほめませんが)食べ方ではないですね。

お友達のよしこちゃんの会社が、山の手線のT駅に(さぁ、T駅も三つありますが)近い場所です。
駅の反対側駅中途中と“立ち食いそば”が5軒もあるのです。
駅中にはJR東日本の“あじさい茶屋”。駅の両側に“富士そば”、駅の下側に”箱根そば”、通り道に“梅もと”。ハルコは全制覇(自慢)! 箱根そばだけはカレーコロッケで、他はひき肉ちょっぽりのポテトコロッケでございます。

まぁ、コロッケそばは立ち食い専門のようですね。ところが、普通の蕎麦屋さんでもコロッケそばを出している店が有るのです(有名な話ですが)。銀座七丁目にある「よし田」です。
よし田は明治38年(1898年)に日本で初めてコロッケそばを出したお店なのです(その当時は日本橋浜町で「吉田」)。
明治38年は進歩党と自由党が合同した憲政党が出来て、大隈重信首相に板垣退助内相の、初めての政党内閣の誕生した年でもあります。

そのよし田にコロッケそばを食べに行ったのですが、コロッケといっても鶏のひき肉に山芋や卵、ネギを混ぜた塩味の唐揚げです。まぁ、肉団子というかつみれというか、コロッケというイメージではないですね。フランス料理のクロケット(croquttes)和食のそばと出会った、フュージョン料理のひとつだと思います。
ただ、現在のようなコロッケが一般化して、家庭でのお惣菜になるのは大正9年(1917年)頃でしょうか。この年に浅草の日本館(浅草オペラ)で紅華作「カフェーの夜」が上演されて、劇中歌「コロッケの歌」が大流行したのです。
まだコロッケそばを食してない方は、100年以上の歴史を持つコロッケそばを是非お試しあれ!

●東白庵 かりべ
何だかコロッケそばの後にそば屋さんの話ですみません。9月16日に神楽坂に開店した「東白庵 かりべ」です。
そば界の名門「竹やぶ」の阿部孝雄さんから独立した苅部政一さんが始めた店です。随所に師匠の阿部さんのオブジェや器が楽しめますよ。
ちょっと奥まった隠れ家(あまり好きな言葉ではありませんが…)的なお店です。
TEL:03-6317-0951

2011年10月13日木曜日

ひなた弁当…その3

『ひなた弁当』の基本食材の仕込みは本人の労働力ですが、原価率を5~7%と設定(米や光熱費の他に弁当容器など)すると、1個当たりの原価率20~28円。
まぁ30円として、1個売ると370円(原作では1個30円で仕入れたお茶付で450円でも販売)。オーナーに3割支払い、残りは約260円ですね。
そうして得られる手取りは15万6千円くらいとなります。ギリギリですね。自営業はサラリーマンの3倍稼ぐ必要があり、そうすると月に46,7万円になります。これで、本当に利益が上げるためには7倍=110万円の利益が必要になります。
ハルコは計算が弱い(オクサマはハルコは九九が出来ないと思っている)ので、原価計算のプロのお友達のよしこちゃん(FEAST)に頼みました。ありがとう!

そして、『ひなた弁当』が本当に利益を上げるためには、1日に210個完売しなくてはなりません。これも、単一のお弁当の場合です。よしこちゃん曰く、薄利多売の弁当は大変ですよ。
「ひなた弁当」には現在顧客が付いていますが、内容は頻繁に変えないと“飽き”が来てしまい、顧客離れが始まります。いかに誠実な主人公の作るお弁当でもさぁ、大変だ!
小説『ひなた弁当』では地元の新聞に取り上げられ、一躍有名人になって集客効果が出てきます。また、弟子入りを望む人まで登場です。芦溝良郎さらなる人生の岐路です(余計なお世話ですが)。

この小説を新幹線の中で読みながら、色々なことを考えてしましまいした。
まずは、なぜだかイギリスのダニエル・デフォーが書いた『ロビンソン・クルーソー』(ロビンソン漂流記)。孤島で一人で生産消費の拡大を計るのですが、色々な論者が“ロビンソンと資本や貨幣、富”的な論もあり面白いのでございます。
地産地消や食の雇用なんて固い話もありますが、ハルコ今抱えてる案件にお手伝いをしている大阪心斎橋筋 松前屋さんの新商品企画で釣り人用の商品があります。

それは、昆布の水塩を使った“干物名人”キットです。これがあれば、天然の魚に昆布の旨味が入り美味しい干物になりまっせ!
ありゃ、いつのまにか宣伝になってしましまいした。

●新潟G市の日々是ハルコ哉。
近所の水路はまだ夏の名残で、ハルコ樹の日だまりで一休み。

この日はオクサマとオオオクサマと3人で新潟市(G市の隣)中国料理「飛鳥」で夕ご飯ですが、かなりレベルが高くてお安いですよ。特にお薦めは大きな肉団子です。

2011年10月12日水曜日

ひなた弁当…その2

山本甲士著の『ひなた弁当』(中公文庫)の概略を簡単に書いてみます。
五十歳を目前に会社からリストラされたサラリーマン・芦溝良郎は、妻や娘からも愛想を尽かされて家に場所も無くなり、公園でドングリを拾い、食べられることを発見。それからどんどん町(と言っても自然豊かな場所)で山菜など可食可能な素材を見つけて、調理して食べたらこれが旨かったのです。
次に、偶然川で会った釣り人から釣の面白さと、やはり可食可能な魚を(外来種まで)教わり、魚を釣って料理するという展開になります(この辺はダメ人間が意外な才能を発揮するパターンですが、ちょっと突飛すぎますね)。
そんな日々を過ごしている主人公ですが、再就職も叶わず…ですが、自分の元いた会社にもお弁当を出していたお弁当屋さんの老主人と交渉して、お弁当屋さんを開業するとと、それが評判を呼び……。
ご興味の有る方は是非ご一読を。

お話の趣旨としては、リストラされた元サラーマンの活躍譚ですが、それを論じるつもりはありません。初めて読む作者でしたが、他の著作物をみると、釣関係にも造詣が深いようです。
ハルコが触発されたのは、採取生活が都市で可能かどうか、という一点です。ドングリから始まり、主人公はタンポポ、ミツバ、ノビル、キクイモ、フキに、釣では川魚のオイカワ、マブナ、テナガエビ、スジエビ、ブルーギルにウナギまで採取して弁当のおかずに仕立てます。
いやはや、可能かどうかは別にして、小説はフアンタジーですが、私たちがどのくらい採取生活の知恵を持っているどうかですね。
ちなみにわが家の一番の採取場所はK植物園です。秋は銀杏、春は青梅です。特に梅は全国の多種類の梅木が有り、下に落ちているのを採取しますが、取り寄せで紀州の南高梅をベースに採取した数十種類の梅をブレンドするので非常に深みがあるのです。
あとは散歩のついでにハーブ類を少し頂戴します(ほんの少量ですよ)。
新潟のセカンドハウスの庭の花梨にも大分実が付いてますが、近所を散歩していると、無花果や柿がたわわになってます。しかし今や“カツオ”のような子どもはいないので、柿も無花果もカラスの餌食ですね。
田舎(地方)は、当然四季の採取天国ですが、都市はどうなんでしょか? 環境の汚染など、心配な面はありますね。小説の『ひなた弁当』はある意味で、自分探しによる自己の価値観の創造物語ですが、経済的な側面から見ていくと、1個400円のお弁当を日に30個、日曜は休み(別途注文も受けますが)という稼働率で月約30万円ですが、基本の必要経費を除いた利益をお弁当屋のオーナーと3対7の比率で別ける。どのくらい利益が出るのでしょう。
果たして『ひなた弁当』で儲けるにはどのくらいか、明日のお楽しみに。

●新潟G市の日々是ハルコ哉。
二ヶ月ぶりのセカンドハウスです。花梨も大分黄色くなりましたが、はぁ、収穫している時間が無い! 朝からご飯に目玉焼きを乗せていただく贅沢(?)さ。ホホホ。


おそらくG市で一番旨い蕎麦屋「鬼七」です。この日から新蕎麦が始まりました(ラッキー!)。天ぷらは塩で(うむ、天つゆが欲しかった)、お酒は「鹿六」で。鴨焼やら出し巻き卵焼で満足じゃ!