2018年6月18日月曜日

カボチャの種とワタの取り方に関する一考察



カボチャは硬い、
と、書いて、
硬い、固い、堅い
どれが、正しいのだろうか?
硬いの対義語は軟らかいだから
妥当か?
でも、固いの対義語は緩い。
堅いの対義語はもろい。
あぁ、面倒だが問題はカボチャが
かたいということ。









カボチャを切っておくようにいわれて、
まず、種とワタを取り除く。
何も考えずに大きめの”硬い”スプーンを使い
種とワタを力を入れて、なるべく実を削らないように
削り取る!うん、この場合は、そぎ取る、えぐり取る
どれが正しいのだろうか?

スプーンでなく包丁を使う場合は、切り取りか?
スプーンの形状を考えると、えぐり取るが一番適切か。

一体どこで、カボチャの種とワタの取り方を覚えたのだろうか?
何も考えずにスプーンを出していた。
手と指先で(硬いのでやらないが)取るときは、搔きだすか。
帆立貝の貝殻なら搔きだし易いような気がするが
すぐに欠けそうだ。

歯を使い、スイカのようにカボチャにかじりつき
種とワタをかじりながら、吐き出す。
これは、絶対気持ち悪いから止めた方がいい。

カボチャピーラーというものもあるが、
外の皮を剥いて、中の種とワタはピーラーの手元の部分を使う。
また、ピーラーで先端が金属の輪になっていて
こそげ取る構造のものもある。
だが、これならスプーンが最強の道具だろう。

と、種とワタを取りながらぼ〜っと考えていたハルコだった。

ハルコの活動はFBからも
https://www.facebook.com/?locale=ja_JP






2018年6月8日金曜日

とげぬき地蔵「ときわ食堂」物語




南大塚(巣鴨)にアトリエを
移転して丁度3ヶ月目。
自宅の西巣鴨から、地下鉄で
ひと駅の距離であるが、
天気の良い日は長商店街を抜けて
歩いて行く。
その途中には巣鴨一のガストロノーミ(?)
として有名な「ときわ食堂」があるのだ。









起点の「庚申塚商店街」と繫がっている「とげぬき地蔵商店街」」の間に
横たわるのは、都電荒川線(さくらトラムと)があり、この線を境に随分違うのである。

以前、両商店街の夏の福引きがあったが、「とげぬき商店街」の特賞は
ハワイ旅行だったが庚申塚商店街は缶ビールやノートに鉛筆だった。
(小学校のラジオ体操か)

庚申塚の謂れの猿田彦を抜けると、そこに「ときわ食堂庚申塚店」がある。
引越して来た当初は朝からアジフライを肴にビールを呑んでいる
オジさんがいてビックリしたもんだが、それは、25年後の自分の姿とは
その当時は知る由もない。

そして、とげぬき地蔵高岩寺の手前に「ときわ食堂本店」がある。
庚申塚店と比べると、4倍の規模で、「四の付く日(縁日)や土日祭日などは
朝から長蛇の列をなしている。(他に駒込店)
ここで、晩ご飯を食べる時は、夜の9時を廻っている時間で並ばずに入れる。

生ビールの当てにミニ盛りのコロッケや串カツ、蛸ブツを食べながら
今晩の定食はどうするか考えるのが楽しみのひとつである。
ご飯みそ汁お新香の270円の定食セットにハムエッグなんてのも悪くはない。

とげぬき地蔵商店街を抜けて駅の方に向かう途中に「ときわ食堂駅前店」がある、
ここは、庚申塚店の2倍弱の店舗で、数年前に開店した。
夜ギリギリ入店することもあるが、もっぱらランチで使っている。
ちなみに本日は豚肉炒め定食に納豆の組み合わせだった。

3店舗の客層はバラバラで、「庚申塚店」は地元密着型で(ハルコも)
近所の住人が昼夜にかかわらず飲んでいる人も多く、
昔ながらの定食屋さん的な雰囲気で、店のスタッフはエスニック度が高い。

「本店」はもう、観光地化してわざわざ遠方からの客も多く、
若い女性のグループやおだを上げているオジさん軍団も見かけるが、
昨年駅前に「アパホテル」が出来たせいか、
一人で出張飯をハイボールで食べているビジネスマン風もいる。
「駅前店」は近所の会社のサラリーマンや巣鴨の用のある営業マン風から
女子一人ご飯何どバラバラである。
こうして、ハルコは3店の「ときわ食堂」をこよなく愛顧しているのだった。

ハルコの活動は
https://www.facebook.com/?locale=ja_JP

2018年6月6日水曜日

八ッ橋騒動



京都の2つの老舗八ッ橋が
創業年数を
争って裁判を起こし
話題になっている。












先日、京都の菓子を紹介するコラムを書いている時に、
京菓子の店の創業年数を調べていた。
手元に資料があればそれを根拠にするのだが、ネツト検索で店のHPや情報を
調べて行くのであるが、中々どれが本当か悩むのである。
今回の騒動の元は創業開始年数が虚偽であるという訴えである。

事の真偽ははたして本当に判るのだろうかと思うのである。
訴えた「井筒八ッ橋」は「聖護院八ッ橋総本店」の創業元禄2年に
八っ橋が作られたという根拠になる文献は存在しないと。
ゆえに虚偽であるから表示を止めて損害賠償せよと。

どだい文献が無いなら、創業自体の年度を特定することはどちらにしても
不可能だと思わざるえない。

手元の資料を捜すと『たべもの起源事典』(岡田哲・編/東京堂出版)』では

「八橋検校が京都に住みつき貞享2年(1685年)に亡くなり、
黒谷金戒光明寺に葬られ門人の参詣が絶えず、4年後に聖護院八ッ橋総本店は
八橋検校の徳を忍び琴の形をした干菓子(聖護院八ッ橋)を創作したとある。」

さらに、井筒八ッ橋の記述では
「京都の水茶屋・井筒八ッ橋本舗初代・治郎三は、井筒から水を汲んでは
検校に用立てていて、あるとき、手桶の底に沈む小麦に、蜜、肉桂を混ぜ合わせて
堅焼き煎餅を作ることを教わり、のちに井筒八ッ橋となるとある。」

検校が生きていた時代と亡くなった時代の前後のこの2つの老舗の創業者が
交差しているはずであるが、
この事典の文献は索引総覧でもどれに該当するか捜せなかった。
この記述が正しいかは判断出来ないが、
なぜ、生前の検校に教わった八ッ橋を没後120年も経て創業したのだろうか。
また、元禄2年には「本家西尾八ッ橋」も
「聖護院八ッ橋総本店」同様に創業されている。

疑惑はさらに深まった。
しかし、本家、元祖の争いは端から見ると不毛だと思うのだ。
写真は『改訂調理用語辞典』より

気になる方は
・聖護院八ッ橋総本店
http://www.shogoin.co.jp/yatsuhashi/history/
元禄2年(1689年)創業
・井筒八ッ橋本舗
http://yatsuhashi.co.jp/history/index.html
文化2年(1805年)創業
・本家西尾八ッ橋
https://www.8284.co.jp/history/
元禄2年(1689年)創業
ハルコの活動は
https://www.facebook.com/?locale=ja_JP

2018年6月4日月曜日

炭酸‥‥七拍子!





「あさイチ」で炭酸水を
特集で取り上げていた。
これは炭酸水にまつわるハルコの
七つの回想である。












一拍子‥‥炭酸水との出合いはマレーシアだったこと。
36年前に生まれて初めての海外旅行は、マレーシアのジャングルの中にある
「地中海クラブ(clubmed)チェランテインビーチ」だった。
その頃手がけていた媒体に「地中海クラブ」とのタイアップが決まり
マレーシアとシンガポールをモデルさんを2人同行して撮影に出かけたのである。
地中海クラブはフランスの会社ゆえにミネラルウォーターは炭酸水で、
昼の海岸は40℃の酷暑で喉が渇き切っていたが、この炭酸水には
最初は馴染めなった。
しかし、毎日飲んでいるうちに、だんだん慣れて炭酸水が好きになったハルコだった。
(写真中央に炭酸水の入ったピッチャー)

二拍子‥‥ラムネとサイダー、そして、ビール
マレーシアで炭酸水と出会ったが、炭酸飲料は物心つく頃から馴染んではいたのだ。
ラムネやサイダーとして、甘い飲み物は子ども心でも大好きで、今もそれは変わらないが
京都でイエローサイダーとも呼ばれる「ビール」はまた別なお話。

三拍子‥‥フランス料理とガス有り水
80年代は日本のガストロノーミの幕開けだった。毎月、新しいレストランが開店して
僅かな情報を頼りにレストラン通いをはじめた。
この頃はレストランでは、水は「ガス無しとガス有り」でガス有りを頼むとほとんどはペリエで、
氷とライムを添えていたが、氷もライム合わないのでペリエのみにしてもらった。
今でもライムを添えている店もあるが、ライムの香が邪魔して旨くないと思う。
ライムに合うのはジンロックだ!

四拍子‥パリのバドアのこと
フランス料理にはワインを合わせるが、水も重要である。
パリで食べ歩きをするようになり、店ではバドアが一番多かった。
硬度824のこの微発酵の硬水ミネラルウォーターは料理に一番合うと思っているが
日本のレストランではあまり(ほとんど)見かけたことがないのは残念だ。

五拍子‥‥イタリア料理とサンペレグリノ
フランス料理店ではペリエが当然のように出て来たが、イタリアンでも最初はペリエが
多かった。ある時からペリエからイタリアのサンペルグリノに替わった。
あるPR誌の編集をしていた時に、ミネラルウォーターを取り上げた時に、
代理店から「水に金出す人がいるの」とまでいわれたが、
サンペルグリノを写真に撮ったのは30年も前のことである。
ミネラルウォーターは完全に市民権を得たが、隔世の感である。

六拍子‥‥ウィスキーソーダかハイボールか
今は国産ウィスキーは人気で品薄のものまであるが、一時期は人気がない時代もあった。
ウィスキー復活の原動力は、なんといっても「ハイボール」だろうが、
昔からの酒呑みは「ウイスキーソーダ」なのである。
同じ炭酸水で割った酒だが、ちょっと違う。
ウィスキーソーダは、純粋にウイスキーを炭酸で割ったものだが、
ハイボールはウィスキーであろうが、
焼酎だろうが何でもありで、ウローン茶やレモン、梅干とワイルドな世界だ。
ハルコはウィスキーソーダ派である。

七拍子‥‥家呑み炭酸水
実は梅酒が好きなのであるが、昨年作った梅酒は飲み切ったので、仕方なく
「●●ーヤの梅酒」を買って飲んでいる。
飲み方は、氷を入れて冷したグラスに、梅酒を注ぎ、ウィルキンソンで割っている。
梅酒ハイボール(笑)であるが、暑い日の食前酒としては良いが「●●ーヤの梅酒」は
ちょっと甘すぎる。今年は大量に梅酒を作ろう。

ハルコの活動はFBからも
https://www.facebook.com/?locale=ja_JP

2018年5月25日金曜日

お手伝いハルコの食の森羅万象5月「コハダ」


月イチで「さんゆうねっと」コラムを書いています。
5月のテーマは「コハダ」
コハダは塩と酢で、完全なる結晶となる!
ご一読ください。




2018年5月24日木曜日

ハルコとリュックサック




リュックサックを背負わないで、
胸の方にかけている人を多く見かける。
混み合う電車で迷惑になるという
認識も広がったが、
街中でもアコーディオン弾きのように
前掛けをしている人が沢山いる。













ちなみにハルコは、20年以上リュックサックを愛用しているのだが、
その理由は病気で倒れた事があり、両手を使えるリュックサックにしたのだ。

リュックサックの別名は色々あり、ディパックやバックパック(米)、
ナップサック(英)で、リュックサックはドイツ語が日本語化した呼称なのだ。
リュックサック同様に背負うバックにランドセルがある。

明治10年に学習院が誕生し、児童が荷物を使用人などに持たせて登校するのを
「学校では皆平等、家庭環境を教育の場に持ち込むのはいけない」との理念のもと、
「学用品は自分の手でもってくる」べきだとしたと。
(ランドセルの歴史よりhttp://www.randoseru.gr.jp/history/rekishi.html)

そして、採用されたのがオランダの軍隊用背嚢(ランセル)が導入され
現在の「ランドセル」になったのは有名な話である。
大正天皇の学習院入学祝いに、伊藤博文が献上しこれが、
現在のランドセルの基準(学習院型)になったのだそうだ。
この日本型のランドセルが海外でも大人にも人気らしい。

小学校の時は、当然ランドセルで,その後は色々なバックを持ったが、
やはり、背負う形は合理的でリュックサックは一番良いのだ。
この20年で何個のリュックサックを背負ってきたのだろうか。
やはり、リュックサックの前かけは違和感があるんだ。

ハルコの活動はFBからも
https://www.facebook.com/?locale=ja_JP

2018年5月8日火曜日

ハルコ連休中、箱と挌闘す!



連休中は毎日自宅の
整理に明け暮れ
奥の奥まで徹底的に
掃除をしていたのだ。
なにせ、引越してきて以来
(25年も前ですぞ)
開けていないモノも有り、
タイムカプセル状態だった。











そして、大量に出て来たのが「空箱」!
陶磁器やワインの木箱から、ブランド品の入っていた頑丈な箱、
何が入っていたか判らない箱、葉巻の空箱と、
大小合わせてざっと60~70個。
中身を取り出して空箱になってそのまま、仕舞われた箱は、
その時の空気をそのまま保っていたのだろうか?
空箱を開けて解体するたびに、
この箱は5年モノ、これは、10年モノ、これは25年のヴィンテージと
時の流れに思いを馳せていたが、
わが家は空気しか入っていない空箱に占拠されていたのか。

安部公房の実験小説『箱男』は、段ボールの中に
閉じこもった男が箱の中から
世界を観る(覗く)という形だが、わが家で発掘された箱の山は
外からの圧力で時間を解放され、箱が「元箱」になり、
箱としての使命を終え連休明けのゴミとなった。

ワインセラーの奥から、25年以上前の葉巻を発掘(写真)。
昔,葉巻を吸っていた時に、中国で買ってしまった「王冠」だが、
あまりの不味さに、そのまま放置していたのだ。
吸わないが今はどんな味なのだろうか。

ハルコの活動はFBからも。
https://www.facebook.com/?locale=ja_JP