2018年4月6日金曜日
ハルコ、常温について多いに悩む。
料理レシピには、
「卵を常温にしておく」という記載がある。
冷蔵庫内の卵の置かれている温度は、
3〜5℃程度で
ゆで卵を作る場合普通は水からゆでる。
しかし、常温が問題なのである。
常温って何だろうか、と重箱の隅を突く
ようなことを考えてしまった。
調べてみると常温は、摂氏15℃をさす(小学館デジタル大辞泉より)。
つまり、冷蔵庫から3〜5℃の卵を取り出し
常温の15℃にするには、10℃以上温度を上げないといけないことになる。
しかし、日本の四季は温度の差が大きく、
年間を通じて15℃というのはありえない。
東京の温度で調べると、だいたい4〜5月の気温になる。
だが、暑い日や寒い日があり常温は一定していない、
まぁ、15℃に卵を戻したとして、次に水からゆでるために
水道水を鍋に注ぎ卵を入れる。
ちょっと待つて欲しい!
今度は水道の温度を見てみよう。
気候温度と水道の温度はほぼ比例して、4~5月の場合の
水道の水温は13℃で常温にした卵と近い。
しかし、1年中で一番寒い1〜2月の水道は5〜6℃くらいとで大変低いのである。
逆に暑い8月の水道の温度は平均27℃で、35℃を越すような酷暑の日に
水道の蛇口から湯が出て来たかと思うほど温かいのだ。
これが、赤道下や南極での常温なんてものが入ったら常温界は大混乱するに違いない!
急激な温度変化は卵の中の膨張を引きおこし、卵の気室にある空気がいっきに膨張して殻が割れてしまうのだ。
そう考えると、冬場に常温にして水に入れると卵は10℃も下がってしまう。
何のために常温にしたのか判らないのである。
常温ひとつとっても「解」は見いだせない。
少し時間をかけて「料理・調理法の解/最終回答」を
これから考察してみよう。
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2018年3月15日木曜日
ハルコ超訳「ガストロノミー」十食図(じゅうしょくず)
十牛図(じゅうぎゅうず)というのを
ご存知だろうか。
仏法の教えのひとつで「どんな人にも
仏の真源、仏性が備わっているが、
迷いの世界に入り込みもがき
苦しんでいるので、
そこから逃れる方途を十の牛の図で表した。
これを「ガストロノミー」で解釈すると‥‥‥。
(1)食べ歩き(尋食)
「ガストロノミー」の導き手に出合い食べ歩きをはじめたが、
何が何だか判らないで途方にくれる。
(2)さらに食べ歩き(見跡)
ガイドブックや口コミによって「ガストロノミー」を
求めようとするが、自分の味覚や知識に自信がなく他の人の意見に左右される。
(3)達成したと勘違い(見食)
一応「ガストロノミー」を理解した気分で人に教えて自慢する。
(4)極めたと勘違い(得食)
「ガストロノミー」が判ったが、さらなる深みがあり、戸惑う。
(5)操る(牧食)
「ガストロノミー」を自分で把握し、コミュニティをはじめる。
(6)一体化(騎食帰家)
「ガストロノミー」と自分が一体化して一番幸せな心境になる。
(7)ボケる(忘食存人)
食べ歩きに飽きて、今朝食べた料理も忘れ、「ガストロノミー」自体を忘れる。
(8)さらにボケる(人食倶忘)
「ガストロノミー」を求めていた理由を忘れ、
自分が何をしていたかも忘れ、忘れたことも忘れる。
(9)無我の境地(返本還源)
何もない清浄無垢の食の世界からは、
ありのままの食の世界が目に入る。
(10)リセット(入鄽垂手)
「ガストロノミー」の 悟りを開いたとしても、
そこに止まっていてはダメ。再び世俗の世界に入り、人々に安らぎを与え、
悟りへ導く必要があるり(1)の食べ歩きの若者に出会う。
以下無限ルーフ
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2018年3月10日土曜日
311。この7年、そして、仕事場の移転
東日本大震災から7年経ちました。
本当にあっという間です。
2011年3月11日午後2時46分南青山の事務所で激震に見舞われ、
西巣鴨まで歩いて帰宅し、その後は余震に怯えつつ
テレビで映し出される凄惨な画面を観ては呆然としていました。
釜石に実家があり、親族が釜石、大槌に
大勢居住して、不安で心が圧し潰されそうでした。
電話も通じず、安否確認が出来たのは1週間後でした。
母親の生家のあった鵜住居地区で、伯母と従兄弟が
津波で行方不明になり、遺体は1ヶ月後に発見されました。
半年以上も何をするにも無気力になってしまいました。
しかし、ご縁があり、震災後の故郷の復興のために
岩手県の産業創造アドバイザーに推薦していただき
色々なお手伝いをすることになりました。
23歳で独立し、会社を作りスタッフを抱えて
長年仕事をしてきましたが、還暦になったら
個人ベースで出来ることをしたいと思っていたのです。
でも思惑通りには進まず、3年前に事務所を縮小し南青山から
代々木上原に仕事場を移しました。
年齢的にも身辺の整理を考えるようになり、
今年の311に自宅に近い南大塚に仕事場を移転しました。
大量の資料や本を処分し、身軽になろうと思い小さなスペースですが、
オクサマとハルコのささやかなSOHOで、
仕事場は「アトリエ」と呼称しました。
今までにやりたいと考えても手付かずのことや、やり残したこと‥‥‥。
思いを新たにリセットします。
みなさん、よろしくお願いいたします。
※アトリエから池袋方面を望む(写真)
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2018年3月5日月曜日
すみません。びっくり水ひとつください!
一番影響を受けた編集者
佐々木和子さんの
レシピ用語の逸話。
ハルコはフリーランサーに
なって一時期、家庭画報編集部に
その時の話が‥‥。
佐々木和子さんの料理チームに新入社員が来た。
まだ、右も左も判らないお嬢様だった。
佐々木さんが少し入院した時に、
彼女に料理の撮影の下準備にレシピメモを渡し
買いに行く様に指示した。
そのレシピの中に”びっくり水”というのがあった。
彼女はお店に行って「びっくり水ひとつください」と。
まだ、佐々木さんが入院中で「綿棒、買ってきて」と
彼女は「麺棒」を持って来た。
これは、実話である。
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2018年3月4日日曜日
きつね色はあるのに、たぬき色がない!?
ハルコが編集者の中で
一番影響を受けたのが
佐々木和子さん(故人)という方で、
家庭画報の料理担当副編集長を経て、
レタスクラブの創刊編集長になりその後、
フリーとして活躍していた。
その佐々木和子さんが所属していた「食生活ジャーナリストの会」の
分科会で「料理用語の統一」というテーマで取り組まれていた。
「レタスクラブニュース」というネツト上に
以下の記述を見つけた。
「きつね色(に焼く に揚げる」
主に、材料を焼く・揚げる際の、材料やころもの表面の状態を指す色合いのこと。
淡い黄色よりも、濃い茶色に近い色で、おいしそうな色の表現の一つ。
材料への火の通り方は、加熱の温度と時間によって違ってくるので、
きつね色だからといって、必ずしも火が通った状態ではない。
表面がきつね色になっていても、中まで火が通っていないこともあるので、
表面の色だけで判断しないこと。
この「きつね色」は昔から当たり前のようにレシピでは登場するが、
初めてレシピを見た人は一瞬なんのことだろうかと思うのは。
なぜ、きつねが焼き色として取り上げられるかというと、
油揚げがきつねの好物も言われて
油揚げ=きつね=きつねうどん、と連想するからだが、
なぜ、揚げ玉でたぬきそばがあるのに
たぬき色は採用されなかったんだろうか。
フランス語のレシピでも翻訳は「きつね色」と書いているものあるが、
表記的には「キャラメリゼ(caraméliser)」が一番近いだろうか。
砂糖を煮詰めていくと「カラメル」(色)になり、
調理の過程で肉などの表面に香ばしい焼き色も表す言葉だ。
レシピは一簡単なようであるが、長い間に先人達が積み上げてきたものである。
ただ、誰でもネットで料理を発信出来る時代ゆえに、
ネツト版料理用語を編集してみたいと思った。
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2018年2月18日日曜日
幻の恩賜の葉巻
クラブデトラントの事績を
調べるために、
事務局長を務めていた
「ヴァンセーヌ」の
酒井一之さんのご自宅を訪問した。
酒井さんの書斎には、その当時の
議事録やクラブデトラント主催の
「料理フォーラム」など
大変に貴重な資料の山だった。
「シュークルート作っておくよ」というありがたいお言葉に甘えて、
晩ご飯までいただいてしまった。
自家製のソーモン・フュメ、サラダとドレッシング、
そして、シュークルートは、豚のソーセージやハムの他に豚足まであり、
大満足の贅沢な晩餐だった。
食後にディジェフティフでコニャックから、ポワール・ウイリアムス、
に自家製の杏仁のリキュールと相当痛飲してしまった。
ヴァンセーヌ時代には食後に、オクサマとハルコと酒井さんと
3人でカルヴァドスを1本飲み切ったこともあるくらい皆大の酒好きなのである。
話が煙草の話になり「その当時はよく葉巻も吸っていたね」と昔話をしていたら、
酒井さんがヒミドール(葉巻の保存箱)を持って来て、
中から1本の葉巻を取り出した。
「恩賜の葉巻だよ」
えっ、恩賜の煙草は見たこともあるけれど、恩賜の葉巻ってあるんだ。
恩賜と言っても今の若い方は知らないかもしれない。
恩賜とは主君から賜るという意味だが、日本では天皇から下賜される
物や公園などで使われている。
酒井さんも何かで顕彰されていただいたものらしい。
繁々と見ると十六八重表菊の御紋入りのリングが付いた葉巻なのだが、
煙草はかれこれ10数年前に止めてしまったのだ。
しかし、この恩賜の葉巻は2006年を最後に無くなってしまったと。
もし、吸えたらどんな香りと味がするんだろうかと考えると、
ちょと残念だった。
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2018年2月12日月曜日
天才、田辺年男の「焼きハマ。たそがれ〜」
本当に久しぶりにヌキテパに行った。
恵比寿の「あ・た・ごおる」の時代は
自宅が近く週に2~3回も通っていたのだ。
田辺年男といえば魚のグリエをさせたら
フレンチのシェフで一番だと思っている。
昔からシェフの味は変わらないと思っていたが、
実は凄く洗練されていたのだ。
スープ・ド・ポワソンも以前よりも
ピュアで深い味合いになって、
メインの魚は言うまでもない。
そして、一番食べたかったのは「ハマグリのグリエ」なのである。
ハマグリの蝶番を最初に切り落とすのだが、これは、焼いている時に
貝が開かないようにするためである。
次にハマグリ全体に小麦粉をまぶして焼いている時に貝の破損を防ぎ、
網を熱してハマグリ全体を炎を最強にして包むように焼くのだ。
焼き加減はハマグリの表面が真っ黒になるまで焼いて、
最初に切った蝶番にフォークを差し込み
熱々のうちに頬張るのだ。
鼻孔に香ばしく焼けたハマグリが充満し、口に熱いまま入れて咀嚼すると、
ジューシーで弾力のある身が快感である。
なぜ、単に焼いただけのハマグリがこんなにも旨いのだろうか。
そんなのは季節になると浜でも焼いているが、
それは、それで旨いが、田辺年男の「ハマグリのグリエ」は別次元なのだ。
おなじ魚介を焼いても、田辺シェフが焼くのと、スタッフが焼くでは全然違う。
シェフにこのことを聞いてみる・
「みんなは、焼いてある魚の焼き色の具合を見て判断するが、
それじゃ,ダメなんだ」
田辺年男は焼けたかどうか、裏をヒックリ返して見たりしない。
じつと炎を見ながら火がどこで、どうなっているか「火の道」を”感じる”のだそうだ。
東京体育大で体操のオリンピック候補選手となり、
その後プロボクサーに転身するという天性の身体能力の持ち主だから出来るのだ。
だから、「田辺年男は天才である。それも紙一重の」と本人に言ったら
笑っていた。
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