2011年12月8日木曜日

ダノイの前のダノイ

12月7日にダノイ日本橋がオープンしました。
昨年末に本店西麻布の「リストランテ・ダノイ」は惜しくも閉店しましたが、新たな店舗で復活しました(高輪店と八王子店はあります)。
今回は、ダノイについてのお話です。


南青山の頃の「ダノイ」のショップカードと1991年のオープニングカード
(これが出て来た時は、ハルコもビックリ!
物持ちが良いのか、整理をしていないのか…)

1991年の8月8日に西麻布「リストランテ・ダノイ」はオープンしました。しかし、実はその前にもうひとつの「ダノイ」があったのです。
場所は日赤通りの郵便局の斜め前、住所は南青山7丁目。
この店にハルコは何回か通っておりました。そのダノイのシェフは小野清彦さんですが、まだ、ご自分の店ではありませんでした。
店は広く、ちょっとトロピカルなカフェレストランのような雰囲気でした。その当時深夜1時がラストオーダーで、遅くまで営業しているので良いなと、思ったのですが、閉店時間が早くなり、いつの間にか店は無くなっておりました。

それから暫くして、ハルコとオクサマは恵比寿の「あ・た・ごおる」(現在は五反田で田辺年男さんがオーナシェフをしている『ヌキテパ』の前身)に食事に行った時のことです。田辺年男さんはじめ、スタッフは全員男性だったはずの店に、ひとり白衣を着た清楚な女性がいるではないですか!
掃き溜めに鶴(失礼!)、マダム真理さんだったのでございます。

丁度、西麻布のリストランテダノイをオープンする前に、真理さんは田辺さんの店でホール(うむ、ホールというほどのスペースは無かったなぁ)修行を積んでいたのでした。
1991年と言ってもピンとこないかもしれませんが、平成3年、昭和からやっと年号が定着してきた時期です。
イタリアンで言うと、平成になり「イル・ボッカローネ」「ヴィノッキオ」「アクアパッッア」などが、次から次へ誕生して、『hanako』“ティラミス”がブームになり、『dancyu』が創刊された時期と重なります。イタリア料理の全盛期を迎え始めた時に「リストランテ・ダノイ」は開店したのでした。

「ダノイ」はハルコが一番通ったレストランです。ひとつの店で数えたことはないのですが、400回以上行ったのではないでしょうか。人一倍ダノイには思い出があります。レストランも人生と同じ様に、山あり谷ありですね。
リーマンショック後の余波を受けて六本木ミッドタウンの「ダノイ」が閉店したり、八王子に新店舗が出来たりと、この数年目まぐるしいですね。
関西の格言で「屏風と店は、広げたら倒れまっせ!」と、いうのがあります。
ハルコはダノイで美味しいトスカーナ料理が、いつまでも食べられることを心より祈っております。


左/マダム真理さん、小野清彦さんにオクサマ&ハルコ。
右/前ダンチュウ編集長神田久幸さんに無理やりレセプションの料理を
持たせて撮影(ごめんなさい)。


左/ダノイ名物「キャベツとアンチョビのスパゲッティ冬バージョン」
右/シンボルのクマのランプシェードが可愛い!

2011年12月7日水曜日

おでん日和


冬はおでんです。
と、言っても「夏のおでんもまた、うまい!」のですがね。
年末になると、さる方から“おでん種”が送られてきます。今年も届きました。冷蔵庫を見て確認です。大根が無いと始まりません。おでんはおでん種の旨味が大根に染み込んだのが一番です(ハルコの感想ですが)。ただ、仕込みに時間がかかるのです。早朝仕込んで夕方に間に合わせるのです。急がねば!

昆布は、大鍋で昨夜から浸透させています。これを弱火で沸騰させないようにして、昆布だしを取ります。ちなみに、ハルコにはおでん作りのお師匠さんがいるのです。「銀座とよだ」岡本圭一さんです。
えっ、日本料理でミシュランの2つ星「おでん」が出るのかって?(さて?)

お師匠さまから教わった“おでんのだし”のキモは、(1)醤油を使わない。(2)だしに鶏ガラスープを使う。の2点でした。
これをさらに進化(実は手抜き)をして、「ハルコ的おでん」にしたのです。
当然練り物は既製品なのですが、大根は絶対必需品なので外せません。あとはジャガイモがあれば入れる程度でしょうか。一度タマネギを入れたのですが、旨味が強すぎてポトフに転んでしまいました。

ハルコ的おでんの味付けは超シンプルです。
以前は(昆布+カツオ節)で取っただしを昆布のみに変えて、チキンブイヨン(無添加もの)と酒を合わせるだけで、塩すら入れません。
おでん種を沸騰した湯にくぐらせて、必ず油抜きをします。充分油を抜かないとダメですね。

鍋に大根を沈めて、おでん種を投入してだしを張り、加熱します。その時に上にキッチンペーパーを落としぶたの代わりにして、さらに上に浮いてくる余分な油を吸収させます。ここで、だしの味見をして塩気が足りないなら足しますが、何せ、極上のおでん種なので極力味はいれません。飲んで旨い(飲みたくなる)くらいがベストですね。


これを何度か加熱して火を止め(実際には一定温度でおくと味が染みてくる)、温度が下がったらまた加熱し、火を止めて、を4回ほど繰り返します。
わが家では大鍋で作って土鍋に移し、そのまま食卓で加熱します。はんぺんは食べる直前に投入しますが、まぁ、だしを吸うこと吸うこと。余分にだしを用意して、足していくのが肝心ですね。
今年の冬は何回おでんを食べられるでしょうか。

●おでんのだしに「昆布の水塩」がピッタリ!
えっ、何ですって? ハルコが進化させたおでんのシンプルだしが、さらに超シンプルになるですって!
大阪・松前屋の「昆布の水塩」を湯の中に入れて希釈するだけで、ごくごく飲みたくなる極上のおでんだしになります。真昆布のグルタミン酸の旨味と鰹節等のイノシン酸、干椎茸のグアニル酸に干貝柱に海老の旨味が混合された上に、天然素材しか使用していない優れた調味料です。
昨日(12月6日)テレビ東京の『仰天クイズ! 珍ルールSHOW スペシャル』で、お取り寄せ達人裏地桂子さんがお取り寄せNo.2に選んでくださり、ただ今人気沸騰中です!


ハルコ大推薦の「昆布の水塩」をよろしくね。

2011年12月6日火曜日

90 MINUTES

今日はハルコブログにしては珍しいテーマです。お芝居の話です。
“ハルコ劇場”いや、間違えました。“パルコ劇場”で上演中の「90ミニッツ」を観てまいりました。
「三谷幸喜誕生50周年」の最後を飾るお芝居がこの「90ミニッツ」なのです。


幕も無く、休憩も無く、登場人物は二人のみ。西村雅彦さんに近藤芳正さん。
題名通り、芝居の時間は“90分”西村さん大学病院の整形外科副部長で、教授と外科部長の地位をほぼ約束されており、丘に一戸建ての家を建てようとしています。
そこに、交通事故で救急治療室に運ばれてきた9歳の少年の父親近藤さん、というシチュエーション。
舞台は待合いのベンチと外科副部長の電話が置いてあるデスクとチェアーのみ、そして舞台中央から水が滴り落ちる、砂時計の役割でしょうか。

ちなみにハルコとオクサマは、最前列のど真ん中(いや、寝ちゃいけない席ですよね)。
芝居のテーマは「倫理」だそうです。あらすじは観てのお楽しみですが、緊急手術(90分がタイムリミット)が必要なので、許諾書にサインがが必要ですが、父親(近藤芳正)は拒否して輸血無しの手術を希望。外科副部長(西村雅彦)は許諾書のサインを父親から貰わないと手術にGOサインを出せません。
途中で固定電話と登場人物二人の携帯電話が、外部との会話で進行しますが、汗みどろ(主に近藤さん)の熱演で客席まで汗が(一部唾も)飛んできました(ヒェ~~~)。

観ながら思ったこと。まぁ、ハルコが長年テーマにしている“禁忌と食”です。
輸血を認めない思想(あるいは宗教)で、“命(動物)を奪ってはならない”ゆえに、野菜のみを食べる。
屁理屈をいうと、野菜も地中では、動物からの有機物(命)等を栄養素として吸収していますね。そうなると、野菜すら食べることが不可能になるのでは……。
なんてことをお肉大好きなハルコは考えながら観ていたのです。

熱演90分はあっという間でした。
実はハルコは、近藤芳正さんに縁があったのです! 随分前ですが、近藤さんはJーWAVEで土曜の深夜番組を持っておりました。確か三菱自動車提供の“60分”プログラムです。
番組に毎回ゲストを招いて、お気に入りの場所を近藤さんが車を運転して、ゲストが助手席に座り案内するという設定で、な、何とハルコがゲストだったんですね。番組は今思い出すだけで、汗顔の至りで記憶の中に封印していましたが…。
西麻布から裏道を抜けて表参道までのご案内で、「ハルコです」「えっ、ハルコさんって女性かと思っていたら、割烹着を着た変なオジさん」という会話に始まり、「あぁ、ここで降ります。晩ご飯の買い物をしていきますので」と言って降りたハルコの割烹着がドアに挟まれて「ヒェ~~」(これは、ハルコのアイデア)で締めくくり、近藤さんのため息で終わる、という構成でございました。
いや、お芝居って大変ですね。

●七奈さんから野菜が届きました
料理写真家の渡辺七奈さんから、自家農園で栽培した野菜がハルコの元の沢山届きました。七奈さんありがとう。
七奈さんは『NHK趣味の園芸・やさいの時間』に、写真とエッセイの連載を持っています。一度ご覧くださいませ。


七奈さんが持参してくださったのは、ジャガイモ、サッマイモ、サトイモ各種に、ハスイモやルバーブ、ダイコン、カボチャ、ハラペーニョ……。いや、凄い量ですね。
また、ハルコのセカンドハウスのG市の庭にある花梨の木を覚えてくれていて、七奈さんは自分で花梨のジャムを作って、写真プロセスとレシピもいただきました。
これで、今週ハルコはベジタリアン!?

2011年12月5日月曜日

旅行余話……ウィーンからの便り

先週でハルコ旅行話は仕舞いにしたのですが、ウィーンのノリピーさんからのメールが来ておりました。オクサマ共々ハルコもウィーンに行く時は大変お世話になっております。そのメールの一部転載をいたします(ノリピーさまお許しを)。









●ノリピーさんから
ブログも100回を越えられて、誠におめでとうございます!!
ウィーンご到着初日に、黒駱駝亭に、バレエ観劇、そしてプラフッタ店まで行かれた、
なんて、さすが!ですね。。盛り沢山スケジュールの中を楽しまれたことと思います~。

4年前のウィーンの写真もなつかしかったです。あの寒いハイリゲンシュタットの
雪の中で、「オクサマ」の白鳥の湖の中の王妃様のお話があり、手をこうやって、と
少し、場面を再現して下さったことも覚えております(私もバレエ好き人間なのです)。

韓国映画のお話も、ヒーッチングの方のプラフッタ店のほうで、ハルコ様から伺いました。
ハルコ様のブログを読んでいても思うのですが、人間って、趣味なしでは生きていけないようになっているのではないかなあ、と(実は私がそうなので同じに考えて、失礼致します)。

この秋に帰国していた時に、ノリピーは子ども時代から行きたかった安土城址や、万葉集に歌われたところを貸し自転車で廻っていました。廃墟である分、書物では得られない真に迫ってくるものがありました。また、夕陽に映えた蒲生野に空想が広がり、1300年以上前の昔と、その大気は変わらぬことが感じられました。日本史の世界に遊べるひとときは、癒しの一瞬でもあるような気がしました。。

あとは、湖東三山の紅葉を見たり、湖北の十一面観音像を見に行ったりしました。タイミング良く、露天風呂に一人で入れたりもしましたが、滋賀も歴史的に興味深く、また行きたいところです~。
趣味がなくなってしまうと、生きてる活力が得られないように最近、思います……。
ハルコ様は如何でしょうか?!(後略)

武田倫子

※ノリピーさま。ありがとうございました。

●Turandot 臥龍居
脇屋友詞さんの新しいお店です(と、言っても開店して1ヶ月過ぎていますが)。
10月1日に赤坂(Wakiya一笑美茶樓から徒歩3分)に「トゥーランドット臥龍居」がオープンしています。
以前、池田山に有ったゲストハウスWakiyaが移転してきたのです。
Wakiya一笑美茶樓の料理長だった小澤善文さんがそのまま移行しました。味は、Wakiya一笑美茶樓の料理をシンプルにした感じです。
朝の7時から11時まで、朝粥等のモーニングもあります(土日除く)。
営業は朝の7時から、深夜3時まで……な、なんと20時間の営業時間! まるで上海や香港みたいですね。


「トゥーランドット臥龍居」
港区赤坂6-16-10Y's CROSS ROADI 1,2F
TEL:03-3568-7190

●おまけ
「トゥーランドット臥龍居」からの帰り道、六本木ミッドタウンのクリスマスのイルミネーションが大変綺麗でございました。

2011年12月3日土曜日

ハルコ旅で考えたこと


旅は旅の最中にこそあり、思い出に浸っている場合ではありませんね(ぐだぐだ11回も書いてしまいました)。

旅の最中は色々な思いがあるのですが、帰ってきて段々色あせた絵葉書のようになってきますね。
旅の記憶で最後の残るのは“匂い”だと思います。
飛行機で、鉄道で、船で辿り着いた場所の“匂い(あるいは臭い)を最初に感じます。
その匂いに慣れた(あるいは慣れない)と思ったら、もう旅は終わりです。

先日文化会館で、関孝弘さんのピアノ・リサイタルを聴きにいった時に買った、関さんの『音楽用語事典』を読んでいて“フェルマータ(Fermata)”の項で記憶が蘇りました。
イタリアはフィレンツェを中心に、トスカーナ地方を高速バスで毎日移動していた時のことです。バスで目的地に向かいますが、バスの停留所は“Fermata”と表示してあるのですね。
最初はあぁ、イタリアのバスの停留所というのは、音楽記号の「停止」「休止」と一緒なんだと変に関心しました。

関孝弘さんは、「フェルマータ」「“動きや時間の流れを中断する”という意味がある」と仰ってます。旅も「日常」を一旦止めて、「非日常」にすることですね。
さらに、関孝弘さんは「Fermata」の示す「停止」は、あくまでも「一時停止」で、止まったあとに「再び動き出す」エネルギーを持っている、ということを語っておられます。
ハルコは果たして、次に動き出すエネルギーを旅で蓄積したでしょうか。
101回目に動き出します。

●感謝

3月11日の東日本大震災で、母親の生家のあった場所は津波で跡形もなくなってしまいました。先日、ハルコの一番年の近い従兄弟(実は名前の一字“晴”という字をもらっているのです)からリンゴが届きました。
その中でひとつだけ「感謝」とありました。
従兄弟も母親を津波でさらわれ亡くなりました(ハルコの伯母です)。
今年は「Fermata」の年で来年に向けて動き出すエネルギーになりたいものです。

2011年12月2日金曜日

旅と音楽……2 無知篇は続く


モルダウ川

昨日も冒頭に「ウィーンに着いたその晩にバレエの公演を観に」と書きました。
オクサマは一時、実際にバレエのお稽古に励んでおり、林あゆみ先生のお教室に通っていました。
ハルコは最初“バレー”と言ったら、「それは球技! “バレエ”」と訂正されてしまいました。
2年以上通われて、何と舞台にも立ちました(いや恐ろしい…いえ、恐れ多いことで)。
最後は“白鳥の湖”の女王役(まぁオクサマにピッタリ! 初めて舞台で付いた役が村娘Aだったのに何という出世でございましょうか!)で、舞台で気絶して幕が閉まるという展開です。
家で気絶するシーンを何度も練習していたのですが、ハルコが「“シェー!”と赤塚不二夫のイヤミのようにしたら?」と言ったら、怒られてしまいました。

そんなオクサマですから、国内のバレエ公演はほぼ毎週に近いくらい通っております。
えっ、ハルコも一緒かって? とんでもございません。その日がお休みなら、ハルコは家で山ほど録画してある「韓国時代劇鑑賞」に耽っているのです。
そして、ついに病膏肓で海外のバレエ公演まで出かけるようになったのです。
2年前に、ロシアはモスクワにあるボリショイ小劇場(大劇場は改修中でした)へ、日本の新国立劇場バレエ団(牧阿佐美団長)の公演(レセプション)まで出かけたのです。当然ハルコもお供でござます。
スヴェトラーナ・ザハロワ様の「椿姫」でしたが、観ている間、ハルコの隣に超有名なバレエのプリンシパル様(男性です)がいらっしゃったとか。
オクサマは「ハルコ、あの○○○(すみません名前が覚えられません)は世界でも凄い人なのよ!」
ハルコが覚えているのは、とてもキツいオードトワレのみ……。
という経緯があり、今回はウィーンでバレエ、ベルリンでオペラ「魔笛」を観て、ドレスデンのオペラ座に立ち寄り、プラハに参りました。


左/スメタナ博物館前のスメタナ像。右/プラハのスタヴォフスケー劇場。

プラハは音楽でも有名ですね。旧市街にあるスタヴォフスケー劇場(エステート劇場)では、1787年10月29日にモーツァルト“ドン・ジョヴァンニ”の初演した場所なのです。それに、この劇場は映画『アマデウス』のオペラシーンが撮影された場所でもあります。

ハルコはチェコの作曲家のドヴォルザークスメタナが大好きなのですが、時間の都合でスメタナ博物館のみを見学してまいりました。
夕暮れに佇むスメタナを、ヴォダル川の畔で「我が祖国」の第2曲目「ヴォルダル」を聴いていたのです。旅と音楽がこんなにマッチした経験も他にはありません。
音楽の旅というのも良いものでございますね。


左上/モスクワ・ボリショイ小劇場。右上/ウィーンオペラ座バレエ。
下/ベルリン・オペラ「魔笛」


いや、うっかり。今回でハルコブログも100回だったんですね。
101回は「ハルコ旅で考えたこと」で、旅篇は終了です。

2011年12月1日木曜日

旅と音楽……1 無知篇


ウィーンの楽友協会(ニューイヤーコンサートを見た所です)

ウィーンに着いたその晩にバレエの公演(シュタッツオパー。国立オペラ座)を観に行きました。まぁ、ほぼ全幕寝ていましたが…。ハルコ&オクサマは、結構旅行中に劇場へ行っているのです。

今回は、ハルコの旅と音楽についてのお話です。
今回は旅行中、バレエオペラ「魔笛」を観るという行程を組みました。
音楽に関して、ウィーンからベルリン・ドレスデンにプラハは重要な都市ですね。ハルコはこんな素晴らしい場所で、ソーセージにビールだけにうつつを抜かしていたわけではありませんよ。

初めてのヨーロッパ旅行でバルセロナへ出かけた時に、リセウ大劇場(スペイン語ではリセオ。1994年に火災後再建)がシーズン開始でチケットを求めましたが、果たせませんでした。
開園日に高級車から次々と、男性はタキシード、女性はイヴニングドレスに毛皮をまとい、リセウに吸い込まれていく様を眺めていました。全然別世界があるんだぁとその頃のハルコは思ったのです。
そんな思い出があり、いつかはヨーロッパのオペラハウスに行くことが夢でした。

その機会が訪れたのは、2回目のイタリア旅行でした。オクサマとミラノで宿泊したホテルのコンシェルジュに、ミラノスカラ座のチケットを頼んで取ってもらい、観に行ったのです。
演目は「La Traviata」と!? 恥ずかしながら、その当時はラ・トラヴィアータアラビアータも区別が付かないくらい無知でした。
オペラが始まり前奏曲の後の第1幕で「乾杯の歌」を聞いて、「あぁ、椿姫だ!」と理解したのです。
わが家ではこれを、オペラ・前カンブリア期と言っております。いや、本当に何も知らなかったのですね。それも、ミラノスカラ座リッカルド・ムーティ音楽監督からミラノスカラ座管弦楽団の主席指揮者になった1987年の頃なのです。

次第に旅行に行く時は、オペラをちゃんと観ようと学習して行くようになりました。日本では今は左右に日本語の字幕が出ますが、当然現地ではあまりそんなのはありません。ウイーンだと客席の前に小さな電光掲示板字幕(日本語じゃありませんが)出ます。
パリオペラ座(現在はバレエ劇場)で、グノーの「ファウスト」を観に行った時は、事前にCDで聴き込み、解説書のコピー持参で行くようになりました。
そして、毎年オペラのオフシーズンにイタリアのヴェローナの野外劇場で上演されるオペラと、ウィーンのニューイヤーコンサートを生で観ることを目標に立てたのです。

ヴェローナは都合2年・合計6夜観ました(なにせ開演時間が夜の9時から深夜までで、昼夜逆転!)。ヴェルディの「アイーダ」は、第2幕ナイルの夜のシーンで、真上に本物の満月が出ていた時にはジーンときました。ビゼーの「カルメン」では本物の馬が20頭走り回る迫力に魅了され、野外での劇場に大満足でした。


そして、ウィーンの楽友協会大ホールでの“ニューイヤーコンサート”を観に行くことでした。えっ、ニューイヤーコンサートは高いだろうって? そうなんです。ビックリするくらい高いのですが、実は年内に練習的に本番と同じ内容のコンサートがあり、新年過ぎても何回かコンサートがあるのです。こちらは、若干お安くなっております。
今までTVの中継でしか観られなかったものを生で観られる、という快感は素晴らしいものでした。オクサマは、一度ラデツキー行進曲をドラムのリズムに合わせて手拍子をやりたかったと、涙ぐんでおりました。ちなみにその時の指揮者は、ジョルジュ・プルートルです。


左/ウィーンフィルとプルートル。右/ウィーンのベートーベンの小道。

あぁ、また長くなってしまいました。明日の今回の旅行音楽篇に続くのだ!